17:友達以上 恋人未満
「あれ? 岡田が見えないね」
そう言えば突堤の上で遥香ちゃんが飛び跳ねている時に、所在なげに近くに立っていた岡田の姿が今は見えなかった。
「帰ったわよ、て言うか私が帰らせたよ」
そう言い出したのは遥香ちゃんだ。
一体、何があったのだろうと考えて、俺は訊ねてみた。
「どういう事? あいつら一緒に来たのに良いのか?」
てっきり、多田が心配で港へ様子を見に行ったのかと思っていたが、そうでは無いようだ。
「あの、多田って奴は最低だよね、あの子も逆らうと新学期から虐めるって脅されて嫌々出てきたらしいよ」
眉を顰めて嫌そうに言う遥香ちゃん、
「マジか…… 」
俺も思わず絶句する。
非道いのは俺に対してだけだと思っていたけど、まさか他のクラスメイトにもそんな事をしていたなんて……
「うん、このままだと何をされるか判らなくて怖かったって泣きそうになってたよ、あの子」
遥香ちゃんが言うには、突然海に行こうと電話が掛かってきて、断ると俺みたいにクラス中で無視するぞと脅されて仕方なく出てきたらしい。
岡田にしてみれば、多田は自分の事を自慢気に話すばっかりで何も楽しくないし、何を考えて自分を呼び出したのかも判らないで不安だったそうだ。
それよりも何よりも、このまま無事に帰れるのか怖くなって黙っていると機嫌が悪くなるし、困っていたところで俺と遥香ちゃんを見つけたらしい。
そんな会話をしている処へ、朝比奈さんのスマートフォンが鳴りだした。
どうやら來斗さんかららしい。
「判った……救急車は? ……ああ判った! うん、……すまんな」
会話の内容よりも、救急車という言葉が気になった。
「もしかして、多田に何かあったんですか?」
そう言って、怪我でもしたのだろうかと心配している自分にビックリした。
俺を目の敵にする憎い相手だから、普段から怪我でもして学校を休んでくれればと願わなかった訳では無い。
きっと学校という狭い世界しか知らない俺だったら、無視と嫌がらせというイジメに世界の全てがドップリと浸かって、憎しみの炎を燃やすことでしか心のバランスを取ることが出来なかったかもしれない。
恐らく、あのままの俺だったら多田の怪我に大喜びしただろうと思う。
でも今の俺は朝比奈さん達とウィンドという別の世界を知って、俺たちの世界を構成しているものが学校だけでは無い事を実感している。
それに遥香ちゃんとだって知り合いになれたのだから、俺の世界は嫌なことばかりで染まってはいない。
そんな些細な幸運の積み重ねが、俺の心を暗黒面に沈める事を許さなかったのだろう。
とは言え、俺の心の底にある『自業自得』だという感は否めない。
そこまで許容できる程、俺は聖人様じゃない。
単に、俺の視野が広がって一歩引いて見ることが出来ているというだけだと思う。
來斗さんがボートで運んできた多田は、海に落ちたときにカツオノエボシに刺されたらしく、左の二の腕と右手が腫れているらしかった。
恐らく、二の腕に張り付いた触手を右手で払おうとして掴んだのだろう。
お盆が終わり、そろそろカツオノエボシが来る季節だと言う話は聞いていたが、まだ海で見かけることは無かっただけに、俺も運が悪ければ被害を受けたかもしれないと思った。
流された時の事を考えて常時ウェットスーツを身に着けていたから、万が一でも被害は少ないとは思うが危なかった事に変わりは無い。
顔などに触手が付着すれば、一生残る傷跡になりかねないのだから……
朝比奈さんが多田と一緒に救急車に乗って行ったから、俺が道具の片付けを任されることになった。
來斗さんも小型船を港に戻したら朝比奈さんを迎えに車を出すと言って戻っていったから、防潮堤と砂浜の間にある芝生の上には必然的に俺と遥香ちゃんだけが残されることになる。
あらためて二人きりになってしまうと、なんか気まずい。
多田の騒ぎでレースに勝った事による興奮状態も醒めてしまって、何を話題にしたら良いのか判らなくて、会話の糸口を見つけられずに迷ってしまう。
多田が来る前は、あんなに素直に楽しく話せていたのが嘘のようだ。
突っ込み、突っ込まれ、本当に楽しかった……
「あのさ…… 」
「なに?」
沈黙の重さに耐えかねて、無計画に口火を切った俺の言葉に食いつくように遥香ちゃんが間髪入れずに返事をする。
「今日はありがとう… 」
しまった!そうじゃない。
それじゃお別れの挨拶に会話が向かってしまうじゃないかと、心の底でもう一人の俺がセルフ突っ込みを入れる。
「ん~ まあ成り行きかな、あいつも気に入らなかったし」
ポツリと遥香ちゃんが漏らす。
ヤバイ!これはヤバイ!、心の底で警報が鳴り響く。
自分からエンディングフラグを立ててどうするんだ俺!!
遥香ちゃんは、今日のまとめと反省に入っているぞ。
逃げるな! 逃げるな俺。
頑張れ俺、負けるな俺!
心の中で、弱気な俺自身にブーストを掛ける。
客観的に考えれば今日の恋人同士のような行動は、共通の敵である多田に見せつけるためと言う、ハイな気分になっていたからこそ出来た行動なのだと思う。
それを俺の方から現実に引き戻すような事を言えば、そのハイな行動を後悔と言い訳で塗り固めるしか無くなってしまうのは当たり前の事だ。
「嘘だって判っていても、凄く嬉しかった」
俺は思いきってそう言った。
「あはは、顔に似合わず口が上手いなぁ南央樹くんは」
遥香ちゃんは照れるように笑って、そう言うと顔の前で手を小さく振る。
「いや胸が当たって…… 」
俺は思い切って下ネタで意表を突く作戦で勝負に出た。
言葉の内容とは裏腹に、爽やかに作った笑顔を遥香ちゃんに向ける。
「ちょっと、あんた何言ってんのよ!」
途端に顔を赤く染めて胸の前で腕を交差させ、一歩退く遥香ちゃん。
「ウソだよ、本当に俺の味方をしてくれたことが嬉しかったんだよ」
精一杯の真面目な顔をして、俺は真剣に遥香ちゃんの大きな瞳を見つめた。
「やだ、なに急にマジになってんのよ」
少し狼狽えて、あれは成り行きだと言い張る遥香ちゃん。
良し! 奇襲攻撃でエンドフラグはへし折った。
そう判断した俺は、畳み掛ける。
「明日もまた、逢えるかな?」
ここで何もせずに終わってしまえば、住んでいる町や学校だって違うのだから二度と会えないかもしれない。
だから、ここで悔いを残したくない。
そう思って、俺は今までに無いくらいに頭をフル回転させていた。
言葉にしなければ伝わらない、動かなければ変わらない、そんな当たり前の事を今まで出来ていなかった俺を、今日のレースが少しだけ変えてくれた気がする。
きっと、負けていたら何も言えずに『エンドフラグ』を立てたまま遥香ちゃんと何も約束をする事なく、ここで終わっていたかもしれないのだ。
そう思えば、言わないで悔やむような事はしたく無かった。
運が良ければ遇えるかもしれないけれど、逢うことは出来無いだろう。
何故なら『遇う』ために必要なのは偶然だけど、『逢う』為には約束が必要だから……
俺は引き込まれる寸前だった終わりの糸を掴み、再び引き延ばすことに成功した(と思った)。
遥香ちゃんは、少し迷っているように見える。
迷わせたままではいけない、そう思った俺は言葉を重ねる。
「って言うか、明日も逢いたいんだ。逢ってまた楽しく話をしたいんだ遥香ちゃんと」
真面目に彼女の瞳を見て、そう言ってみる。
追い詰めてしまうようなら少し引こう、そう思いながらも返事を待つ。
迷っているときに答えを強要すれば、NOが帰ってくる可能性は限りなく高いから、NOと言いそうだったら別の話題で仕切り直そうと頭の中で俺は必死で考えていた。
目を逸らして考えている彼女の返事は、まだ無い……
やっぱりダメか… と、不安が心を過ぎる。
ここで追い詰めて、出せない答えを要求してしまえばNOが帰ってくると踏んだ俺は、一旦引いて少し話を変えてみた。
「なんか感情剥き出しの言い合いというか、突っ込み合いみたいになっちゃってたけど、遥香ちゃんと話してると不思議と遠慮しなくて済むし、凄く話していて楽しかったんだ」
多田と出会う前のシーンを思い浮かべて、そう言ってみた。
遥香ちゃんにも、あの時を思い出して欲しかったのだ。
きっと、あの時の彼女も同じ想いだったのでは無いかと俺は感じていたのだが、どうなのだろう?
俺の勝手な思い込みで独り相撲だったのだろうか?
「うん、あれは何だかムキになっちゃったけど、なんだか楽しかったね」
遥香ちゃんが顔を上げて笑顔でそう言った。
やった! 心の中の俺は天に向かって拳を突き上げた。
「なんだろうね、遥香ちゃんと話しているとつい素の自分が出ちゃうんだよね」
俺は、あの時の自分の心理状態をそう表現した。
「うんうん、そうなんだよね。 なんだろう南央樹くん相手だとついムキになっちゃう」
恥ずかしそうに、ペロリと小さく舌を出して笑う遥香ちゃん。
俺にとって見れば、それも魅力的な笑顔だ。
ようやく共通の盛り上がれる話題を見つけた俺たちは、片付けが終わったら一緒に帰る事になり、彼女に手伝って貰いながらボードとセイルを鉄パイプで作られたケージの中に仕舞い終えた。
ケージに鍵を掛ける俺を、遥香ちゃんはしゃがみ込んで頬に両手を当てて眺めている。
なんか照れる……
「南央樹くんさぁ、最初にあった頃に比べると痩せたよね」
最初に会った時に比べれば、かなり砕けた口調になった遥香ちゃんが俺を見て言う。
「まあ、毎日有酸素運動をネチネチと一日中やってるような物だからね、内臓脂肪はかなり落ちたと自分でも思うよ」
そう言って、戯けたように自分の腹をポンと叩いてみる。
「あはは、良い音がするね」
妙にそれが受けたようで、遥香ちゃんは両手を頬につけたまま顔を上げて可笑しそうに笑い出し、バランスを崩してそのまま後ろにコロリとアニメのシーンのようにゆっくりと転んだ。
「ちょ! 何やってんの」
俺はミニスカートの奥にある水色の縞模様を見ないように目を逸らして、そう言った。
遥香ちゃんは、すかさずスカートを手で押さえて足を斜めに倒したままの姿勢で、俺を恥ずかしそうに睨むように見て言った。
「見たよね?」
「見てない見てない!」
顔を背けてそう答える俺。
仮に水色の縞模様が見えたとしても、見えたとは言えない。
しばらくの沈黙……
「ぷっ!」
「ぷははっ!」
どちらともなく吹き出してしまう。
「もう南央樹くんと逢うときは、わたしミニスカートはやめる」
そう言って、俺に向かって右手を差し出す。
その差し出された右手の意味を図りかねて、躊躇する俺。
「もう! か弱い女の子が倒れてたら優しく引き起こしてくれるのが男の子の役目でしょ」
そう言って、更に右手を俺の方に突き出してくる遥香ちゃん。
「か弱いかどうかは別として、大丈夫?」
(ごちになります!)
心の中で呟いて彼女に近寄り、差し出された華奢で柔らかい右手を俺の無骨な右手で壊さないように優しく掴む。
そして、俺は彼女を引き起こした。
図らずも俺が近寄った事でお互いの距離は近くなっていて、遥香ちゃんは俺のすぐ間近で触れそうな場所に居た。
零距離とも言えるその感覚に、戸惑い俯く遥香ちゃんと俺。
手を伸ばせば、すぐに抱きしめる事が出来そうな距離にドギマギする俺。
遥香ちゃんの推定Dの胸が俺の腹に触れそうで、思わず一歩引いて逃げるヘタレな俺。
「スケベ!」
少し顔を前に突き出し、小さな舌を可愛くベロッと出して照れ笑いする遥香ちゃん。
「今のは不可抗力だろ、ひでーな」
勝手にエロ扱いは酷い(嬉しかったけど)と、抗議する振りをする俺。
「南央樹はエロいと……要注意だわ」
左の手の平を広げて、何かメモ書きするような仕草を見せる遥香ちゃん。
今の俺には、遥香ちゃんの何もかもが可愛く見える。
俺は絶対に、この先も彼女には勝てないと思った。




