15:俺は俺自身の為に戦う
「なんだか楽しそうな展開になってるじゃねーか、やるねぇ少年!」
ゴツい体躯の來斗さんは楽しくて仕方ないという雰囲気を撒き散らしている。
どう見ても俺たちの遣り取りを見て、吹き出しそうになっているのを堪えているのが丸わかりだ。
「何が理由なのか判らないけど、とにかく喧嘩は駄目だよ」
朝比奈さんが冷静に笑顔でそう告げるが、その言葉には有無を言わせないものがあった。
よく見れば、いつもの朝比奈さんと違って笑っている目がスッと細くなっていて本当は笑っていないのが判る。
「関係無ぇ奴らは…… 」
そう言いかけて、多田が黙った。
朝比奈さんの分厚い大胸筋と二の腕、來斗さんの黒光りする逞しい肉体を前にして、多田もそれ以上の言葉は言えないだろう。
特に、後ろで必死に笑いを堪えている來斗さんの顔が悪すぎる。
「ちょっと、途中で來斗に掴まって話し込んでたんだけどねぇ…… 」
朝比奈さんが興奮している多田と、俺にくっついている遥香ちゃんを交互に見た後で、俺に向かって不在の理由を告げる。
「まさかこんな事になってるとは、少年!お前もやる時はやるな」
來斗さんは俺の隣でぴったりとくっついている遙香ちゃんを見て、嬉しそうにそう言った。
(いや、これには色々と事情と成り行きがあって…… )
多田の居る前でネタばらしをする訳にも行かず、かといって朝比奈さん達にすぐバレるような嘘はつきたくない。
そう悩んでいたら、遙香ちゃんが急に恥ずかしそうな顔になるとパッと俺の左の腕から離れた。
まだまだ昼の暑い気温なのに、遙香ちゃんが先ほどまで触れていた俺の二の腕は心地よい熱源を失ってしまい、何故か肌寒いような妙な錯覚に陥る
さっきまで感じていた弾力のある肌の圧力も無くなり、心細いような喪失感も襲って来た。
俺は、視線を遙香ちゃんに向ける。
きっと物欲しそうな顔をしているに違いないが、それだけ隣に遙香ちゃんが居なくなった事の喪失感が半端なかったのだ。
「ちょっと、色々と面倒なことになっちゃって…… ご心配かけてすみません!」
そう言って俺は頭を下げるが、遙香ちゃん絡みの詳しい事情説明だけは流石に恥ずかしくて避けたかった。
「下野のくせに、女連れてボードセイリングとか生意気なんだよ」
多田は自分が岡田を連れて来ていて、その上で岡田を放置して遥香ちゃんにちょっかいを出した事も忘れたのか、そんな勝手なことを言っている。
「しかも俺と同じボードセイリングやってるとか、俺をそんなに意識してんのかよ」
初顔合わせだった高校一年の4月はこんな奴じゃなかったはずだし、口を聞くようになってお互いの出身校とか子供の頃の話もして、お互いの関係は悪くなかったはずなのだ。
何が気に入らなかったのか判らないけれど、気が付けば一方的に俺を邪険に扱うようになっていた。
多田が中学の時の仲間と一緒になってクラス中を巻き込んだ無視と小さなイジメを始めたのは、高二で再び同じクラスになってからの事だ。
面倒な人付き合いも好きじゃ無いし、何故皆で無視をするんだと訴えることもプライドが許さない。
そうやって孤立していた俺と、クラスで一人だけ口を聞いてくれる隣の岡田和泉が天使に見えたとしても、仕方が無いだろう。
それすらも、多田に仕組まれていたとは俺に判るわけが無い。
「ウィンドは好きでやってるんだ、お前とは関係無い」
好きで、気に入ってやっているウィンドの事を言われて俺も黙ってはいられなかった。
つい、そう反論してしまう。
ほんの偶然の出会いが切っ掛けで始めることになったウィンドだけど、俺はもうドップリと夢中だ。
多田ごときに、つべこべ言われる理由は無い。
俺は、俺の意思でウィンドを続けているのだと言いたかった。
たかだかクラスのボス猿程度が何を言っても、もう俺の知っている学校以外の世界を含めて見れば相対的にその価値も意味も低くなっている。
もう俺にとってクラス中に無視されることは、決して辛くないとは言わないが、以前のように世界の全てに嫌われているような錯覚に陥ることでは無いのだ。
学校以外の世界には俺を受け入れてくれる朝比奈さんが居て、來斗さんが居て、奈子さんや洋介さんも居るし、なにより今俺の隣には遥香ちゃんが居る事が一番心強い。
まあ、遥香ちゃんが成り行きで多田から俺を庇ってくれた事は判っているから、多くは期待しちゃいけないとは思う。
だけど、やっぱり俺の隣に来てくれて俺を庇ってくれた事が、今は何よりも嬉しい。
それだけに、朝比奈さん達が登場して我に返ったのか、自分がやっている事の気恥ずかしさに気付いたのか、彼女が俺から離れてしまったのはとても残念だ。
「けっ、急に日焼けし始めた頃から考えても、どうせまだ2ヶ月くらいのもんだろ、お前のキャリアなんてよ」
多田が悪態を吐く。
自分の方がウィンドのキャリアは長い、そう言いたいのだろう。
どうしても多田は自分が俺よりも優位に立っていることを俺に知らしめたいらしい。
「へぇ、君もウィンドやるの?」
朝比奈さんが、興味あり気に訊ねた。
「ほぉ… 」
來斗さんが、悪巧みを思いついた悪党の顔になる。
「ああ、俺のやってるのはウィンドサーフィンなんて俗称じゃなくってボードセイリングって言う正式な名前だけどね」
偉そうな態度で多田が朝比奈さんの問いかけに答えるが、何故か俺を睨みつけながらも更に言葉を続けている。
「こいつと違って、俺はボードセイリングを始めてから3年になるからな、下野ごときと同列に比べられるのも腹が立つって訳さ」
そう言って、多田が嘯くのに被せて來斗さんが突然予想外の爆弾を投げてきた。
「じゃあ、ねちねち口喧嘩なんかしてないでボードセイリングってので勝負して見せれば良いんじゃねぇか? 」
來斗さんは芝生の近くに置いてあるレンタル用のボードを指差して言った。
「口であれこれ言うより結果がハッキリ見えた方が、第三者としてては面倒臭くないな」
すかさず朝比奈さんも、來斗さんの無茶振りに即答で同意した。
てか、面倒臭いって……
でも、そう言われてみれば俺と多田の確執なんて、関係無い他人から見ればそんな物なのかと、少し思った。
「そんな無茶振り過ぎですよ…… 」
俺は自信なげに、そう答える。
だって、つい最近完プレ(完全プレーニング)を覚えたばかりで、風上旋回は不自由しないで出来るけど風下旋回に至っては、まだ落ちないで回るのがやっとな程度なのに、キャリア3年の多田に勝てる訳が無い。
「いいぜ、お前とのテクの差を見せつけてやるよ」
多田は、俺が自信なげなのを見て取ったのか、來斗さんの案(無茶振り)に同意した。
「勝っても負けても南央樹くんの何が変わるわけじゃ無いし、今回負けたら次はもっと上手くなれるように練習すれば良いんだよ」
朝比奈さんが不吉なことを笑いながら言った。
「ほら、早くしないと時間が無くなるよ」
そう言って、朝比奈さんは俺に時計を見せる。
俺も多田も、ボードもセイルも同じという平等な条件だ。
「こんな大衆向けのしょぼいボードじゃ、乗りにくそうだな」
そう良いながら、ボードを操る多田はセイルを操ってバックをしてみたり、ボードの片側だけを沈めて反対側の縁に立ってセイリングをしている。
しかも長いボードのテール側にわざと乗って、テール部分だけを水に沈めるとノーズが斜めに浮き上がる。
そこから鮮やかにセイルを操って、スムーズに小さな回転半径のジャイブをして見せた。
「危ないから、ウェットスーツを貸してあげるよ」
膝上丈の海パン一丁でボードに乗る多田を見て声を掛ける朝比奈さんを無視して、多田は海から上がる気配を見せない。
「そんな不自由な物、格好悪くて着たこと無いし」
そう言って、多田は曲芸じみた技を俺に見せつける。
でも、俺は逆に夏でもウェットスーツは手放せない。
いつ何処で沈するか判らないから、沖で流された経験から言っても、最悪の場合でも体温の低下で死ぬリスクは可能な限り避けておきたいのだ。
「じゃあ今は南西の風だから、勝負は風上側にある湾の左側に見える赤色の浮標を左に見ながら回って戻って来る、単純なコースで良いよね」
朝比奈さんの提案したコースは、最初風上に向かってジグザグなコース取りで上って行き、目標の浮標を左に見ながら回ってくると言う事は、浮標の左から入ってタックで回るか、右上からジャイブで回るかを選択できるって事だ。
上と言うのは風上側、下と言うのは風下側と言う意味だが、現実的には左から入って風上旋回は有り得ない。
何故なら、風が同じ方向から吹いているなら風上旋回してブイの風上側へとターンしても、もう一度風下旋回をしないと風下側にあるゴールへとボードを回頭できないからだ。
これは風下旋回だけでゴールへと向かう事が出来る右からの航路に比べて、大きな時間のロスになってしまうから有り得ないのだ。
「ああ、上りは得意だからな。 問題ないぜ!」
多田は、そう言って余裕を見せている。
帰りも風下に向かって真っ直ぐ進むのは左右のバランスが取りづらくて安定しないから、右斜めか左斜めかのコースでジグザグに走って帰ってくることになる。
最初は風上に上る総合的なテクニックの勝負で、帰りはどれだけ風下へ速く走れるかのスピード勝負になるから、ここで風下旋回にもたついていると相手に置いて行かれる。
目標の浮標は、沖に流された時に見たから覚えている。
なんとか近付こうとしているのに、どんどんと離れて行った忌まわしい記憶しか無い赤色の浮標だ。
俺は余裕たっぷりな多田に、あえて声を掛けた。
「お前このビーチは初めてなんだろ? 地元の人に地形の影響とか気をつけるポイントとか聞かなくて良いのかよ」
「けっ! そんな事聞かなくても、お前如きには負けないから余計な心配すんな!」
俺に心配されるのが真底嫌なようで、吐き捨てるように多田が言った。
俺には、そこまでこいつに嫌われる原因が未だに判らないけど、いつもの事なので聞き流すことにした。
拒否されるのを判って聞く俺も、我ながら腹黒い……
「なにあいつ!関係ない私が聞いても凄いむかつくんだけど」
振り向けば、後ろで遥香ちゃんが岡田和泉にそう言っているのが聞こえた。
岡田の態度は相変わらず煮え切らない感じで、遥香ちゃんと何やら小声で話している。
「じゃあ流されたら俺が助けてやるから安心して勝負してこい、少年!」
そう言って、來斗さんは自分の船を出すために堤防の向こう側にある港へと走って行った。
「ありがたいですけど、流されること前提ってなんなんですか?」
そう朝比奈さんに問いかけると、苦笑していた。
俺も覚悟を決めて、渋々だがスタート位置の突堤へと向かう。
ビーチにある二つの突堤を結んだラインがスタート地点であり、ゴール地点になるのだ。
そう、その一つは遥香ちゃんと初めて出会ったあの突堤だ。
「南央樹! 頑張ってね」
突堤の上から遥香ちゃんが多田に見せつけるように、親指を上に向けた右の華奢な拳を俺に向かって突き出してきた。
どうやら、まだ多田へ見せつける演技は続いているらしい。
おれもちょっと迷ってから、どさくさ紛れに思い切って言ってみた。
「まかせとけ、遥香!」
俺も、遥香ちゃんに向かって同じように親指を立てた拳を突き出す。
俺に名前を呼び捨てにされた遥香ちゃんは、それを予想していななったのか、たちまち真っ赤に顔を染めていた。
なんて可愛いんだ! それを見た俺は猛烈にやる気になっていた。
「勝つ、やるからには何としても勝つ! 」
そう俺は強く思った。
多田はと言えば、遥香ちゃんから離れた場所で所在なげに立っている岡田に罵声を浴びせていた。
「お前なんで俺を応援しないんで突っ立ってるんだよ! 学校が始まったら覚えてろ!」
その声が聞こえないのか、聞こえているのに無視しているのか、岡田和泉は多田から顔を逸らして返事をしない。
そんな様子を見ていると、こいつらの関係が俺には良く判らなくなる。
準備が整ったので朝比奈さんの合図を待って俺たちはビーチスタートを開始する事になった。
來斗さんは趣味で持っている小型船の方を出してくれたようで、沖で風上に舳先を向けて待機しているのが見える。
スタート位置は多田がしつこく俺の左側になる事を拘るから、奴の意図は解っていたけれど面倒臭いので俺は右側に少し離れてボードを置いた。
「じゃあ位置について!」
俺と多田は、ほぼ同時に左前からの風に合わせて右側に持ったセイルに風を入れる準備を整えて、体の右側に置かれたボードに右足を乗せて待機する。
「スタート!」
朝比奈さんの掛け声と同時に右手を引いてセイルに風を入れ、その揚力を利用してボードに飛び乗る。
セイルをグイッと引き込む反動を使って、左前足でボードを前に蹴り込むとザババッと小さな水しぶきを上げたボードが加速して前に出た。
そのまま横に居るはずの多田の位置を確認しながらも、俺が若干前にいることを確信してセイルを操作する。
ビーチの突堤にいる遙香ちゃんと岡田から見て浮標の位置は遠く左斜め奥方向で、弱い南西風もその左斜め奥の方向から吹いていた。
その南西風に対して、俺と多田のボードは右斜め奥に向かって走っている事になる。
ウィンドサーフィンのボードだけでなくセイルを利用する帆船というものは、風以外の動力を使用しない限りにおいて風上に進める角度は理論上45度が最大だそうだ。
風が吹いてくる方向に対して、右左どちらに進んでも斜め45度が理論上の最大値とすれば、風上に向かうためにはジグザクに風上へと進んで目標物に近づいて行くしか無い。
そして、俺たちが二人とも右斜め前方向を選んだのには必然性がある。
上空から、遥香ちゃんたちが居る突堤のある海岸を下として湾の外側を上に見た場合、弓形をしたこのビーチは浮標がある左側よりも右側の方が広い形をしている。
赤色の浮標は、左側奥方向にある双子岩の近くに置かれていた。
赤の浮標は右舷標識と言って、湾に入ってくる船に対して、ここより右(入ってくる船から見て右)に行ってはいけないという目印らしい。
遥香ちゃんたちが居るビーチから見て、左側の海は狭いけれど反対の右側には漁港もあり、その先の長い磯浜までは大きく海が開けている。
つまり、風上に長い距離を走りたいと思ったら右方向しか基本的には選択肢が無いのだ。
それは逆に言うと、スタートしてすぐに左斜め手前に進めば直ぐに突堤や砂浜に突き当たってしまうからに他ならない。
45度と言う角度はあくまで理論値であって、ボードやセイルそして船の性能によっても異なるらしい。
本当の処、俺がウィンドサーフィンで風上に上る事の出来る角度は最大でも見かけ上で30度が良いところだろう。
見かけ上と言うのは、風下方向に押されて流されていることも考えに入れれば実質の上り角度は20度を切っているかもしれないと言うのが、今の俺の実力と言う事なのだ。




