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DOOR  作者: 一真 シン
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第四章 「ブラックゾーン」

 翌朝――。

 女中に叩き起こされたジークハイドは、寝ぼけ眼で窓から空を見上げた。目を覚ましてカーテンを開ければ、すでに太陽の光は薄暗く遮られ、空はドンヨリと曇っている。

 ……今夜にはやって来るかな……。

 着替えを済ませ、身支度を整えると部屋を出た。――他国の人達が集まってきて、城内はすっかり人で溢れかえっている。それでも、「ブラックゾーンと門番ががやってくる」ということもあってか、彼らの緊張の色は消えない。

 ジークハイドはすれ違う人達に愛想良く挨拶をしながら大聖堂まで足を向けた。数名の信者の姿が見受けられたが、祈りを捧げる姿に声を掛けることなく、空いている長椅子を見つけてそこに座った。ステンドグラスからうっすらと注ぐ明かりが大聖堂内を彩り、神々しい雰囲気に輪を掛けるようだ――。

 ジークハイドは胸の前で手を組むと、祭壇の前の女神像をしばらくの間見つめ、その目を閉じた。祈りを捧げると同時に、門番の封印が無事に済むこと、そしてブラックゾーンの間、死者が出ないことを強く願う。

 ……祈り続けてどのくらい経っただろう。ゆっくりと目を開けた彼の横、いつの間にかスエーカーが居座っていた。

 互いに目を合わすことなく、スエーカーは目尻にしわを寄せて笑った。

「偉く熱心だね。感心するよ」

 ジークハイドは少し苦笑すると、組んでいた手を頭の後ろに回し、イスの背に深くもたれた。

「義務だからね」

「義務? フン。……ササルは聖職者の義務をこなさないけどねぇ」

「本人はこなしているつもりなんだと思う」

「こなさずに、こなしたつもりじゃぁ誰も納得しないよ」

「……まぁ、ね」

 呆れて深く息を吐くスエーカーにジークハイドは苦笑しつつ肩をすくめ、そして、真顔で女神像を見上げた。

「……ブラックゾーンは今晩ですか?」

「フィルウィングからの使いの話じゃ、もう少し早いらしい。昼過ぎには暗闇になってしまうかも知れないね」

「そうですか……」

「……準備は万端かぃ?」

 真面目な声色に、ジークハイドは強くうなずいた。横にいても真剣さが空気に乗って伝わってくる――。スエーカーはゆっくりと息を吐くと、女神像をじっと見つめた。

「今回は今までと状況が違うからね。……正直、皆が不安をいだいている」

「……わかってるよ。光の神のご加護も消えるときだからね……。封印が上手くいくとは限らない……」

「ああ。……そうだね」

「……、けど、やらなくちゃいけない。……でしょ?」

「……ああ」

 しばらく沈黙が続き、ジークハイドは頭の後ろの手をほどいて立ち上がった。

「大丈夫ですよ。確証はないけど……でもオレ、やれることはやる。……どんなことになっても」

 別れを告げることなく長いすから離れて行く、その背中を見送ると、スエーカーは女神像へと目を戻し、しばらくそこで祈りを捧げ続けた。






 各国の王族達と共に朝食を済ませるために広間へと向かう。その途中で、黒いローブを着たリィナとエンジェルに出くわした。全ての肌を隠し、顔すら見えないリィナの手をエンジェルが引いている。太陽の光はかなり薄いが、それでも彼女にとってはまだまだ苦痛なのだろう。

 ジークハイドが少し心配げに、それでも取り繕うように笑みをこぼしてぎこちなく頭を下げると、エンジェルも足を止めて小さく会釈した。その雰囲気に気付いたリィナは顔を上げ、ローブの裾から目を覗かせた。

「……おはよう」

 ジークハイドが少し覗き込んで声を掛けると、リィナは彼を見て微笑んだ。

「おはようございます」

「昨夜はよく眠れた?」

「はい」

「そうか。よかった……」

 ジークハイドが笑顔で答えながら広間へと向かって歩き出すと、二人もその後を付いてきた。――上手く話ができるかわからなかった。いや、できないと思っていた。だが、意外と気持ちが楽で、逆に、このまま会えない状態の方がきついかもしれない、とも思った。振られたのに、あんなにショックだったのに、彼女に会うと“振られた”という感覚が一瞬にして消えていた……。

「……ブラックゾーン、もうすぐみたいだ。昼過ぎには暗くなるかも知れないって聞いたよ」

「そうですね……。太陽の力も、だいぶ弱まってきていますから」

 広間に着くと、ジークハイドがドアを開けて二人を中に通した。リィナの状況を察してか、室内にはカーテンが張られ、ランプの明かりが灯されている。準備の良さにジークハイドはホッとし、二人を席まで案内して、腰掛け落ち着くのを見届けてから自分の席へと足を向けた。隣の国王に軽く挨拶をしてイスに腰を下ろすと、国王は朝の挨拶を済ませ、その後はみんなで他愛もない会話をしながら食事を進めた。

 それぞれが和やかな雰囲気の中、時に声を上げて笑い、この時間を楽しんでいたが、食後、くつろいでいる最中に広間のドアが開いてそこからフィルウィングの聖職者三人が国王に近付いてきて、みんなの視線が彼らに注がれた。

「お食事中にて失礼いたします」

「……うむ」

 国王はナプキンで口元を拭い、目前で腰を下ろして方膝を付く三人に体を向けた。

「どうなされた?」

「本日、ブラックゾーンが訪れ、世は闇に支配されます」

 三人の中の一人が、手に持っている何かを掲げた。白いサテン生地の布をかぶせた“それ”を見て、国王、そしてジークハイドは顔を上げた。

「シールボックスをお持ちいたしました」

 聖職者はそう答えて、じっとサテン生地に包まれているものを見つめるジークハイドに目を向けた。

「これより、大聖堂にて儀式を執り行いますが」

「……いや、今回はやめよう」

 ジークハイドは静かに断ると、手を伸ばしてそれを受け取った。冷たい感触と同時に、ズシ……とした重みが伝わってくる。まるで、これから始まる運命の重み、そう錯覚してしまうかのような――。

 みんなが静まり返って彼の様子を見ている。すべてを託さなければいけない彼を見守るかのように。

 ジークハイドは、“シールボックス”という門番を封じ込める箱を見つめ、聖職者達に目を向けた。

「……申し訳ないですけど、儀式を執り行う時間を割いて、少しでも長く念を込めたい」

「しかし、儀式は王子の身の安全を祈願するためのものであり」

「儀式は、所詮儀式だよ」

 心配げな言葉を遮って、ジークハイドは微笑んだ。

「その気持ちだけ、ありがたくお受けします。……いいですか?」

「……わかりました」

 深く会釈する聖職者達に、ジークハイドは「すみません」と小さく言ってイスを立ち、国王に「……部屋に戻ります」と告げ、みんなに「失礼します」と軽く断ってから広間を出た。

 彼の姿が消えると、みんながドッと力を抜いた。

「……王子は健気ですな……」

 一人が口火を切ると、その後からみんなが話を始めた。

「ご自身の安全よりも、門番を封印されることをまず優先に考えてらっしゃる……。なんとも見上げた少年だ……」

「まったくですわね……。こんな大役を王子一人に任せなければならないなんて……私達は、なんて無力なのでしょう……」

「プレッシャーに押し潰されなければ良いんですけど……」

「光の神のご加護も消えてしまう……。我らができるのは、それでも祈り続けることのみ、か……」

 彼らの悲しげな言葉に后は少し目を細め、顔をうつむかせたが、膝に置いていた手を国王が強く握ってきて、言葉には出さずとも「大丈夫」とそう伝わってくる想いにぎこちなく微笑んでうなずいた。

 リィナはみんなの様子を見回し、視線を斜め下に置いて考えると、隣のエンジェルを見上げた。

「……様子を見てきてもいい?」

 どこか不安げに小さく問いかけられ、エンジェルは間を置いてうなずいた。

「……邪魔にならぬよう」

「うん……。わかってる」

 リィナはそう答えると、まだ話を続けているみんなに気付かれぬよう、そっと広間を抜け出した。

 ――ローブを深く被って彼の部屋を探すが、場所がわからない。途中、女中に場所を聞いて足早に向かったが、「お待ちください」と、部屋の寸前、兵士に呼び止められて道をふさがれた。

「これより先、誰一人として近付けぬようにと仰せつかっております。申し訳ございませんがお引き取りください」

 リィナは、太陽の光の当たらない影に身を寄せて、困惑げに兵士を見上げた。

「……お話がしたいんですが……」

「申し訳ありません。大事な時ですので」

 リィナは「どうしよう……」と視線を落とし、困っていたが、顔を上げると少しすがるように問いかけた。

「ここで待っていても、構いませんか?」

 兵士はキョトンとしたが、小さく苦笑するとうなずいた。

「構いませんよ」

 リィナはホッとしたのか、微笑むと、光の当たらない壁に背を付け、腰を下ろして床に座り込んだ。兵士はそんな彼女を見て「イスをお持ちしましょうか?」と声を掛けるが、リィナは首を横に振った。

「大丈夫です。ありがとうございます」

 優しく断り微笑む彼女に、兵士も「わかりました」と言うようにうなずいた。

 ――その後、リィナはボンヤリと行き来する人達を見ながらその場に留まった。そして、時折ジークハイドの部屋の方を見て視線を落とす。そんな彼女を窺っていた兵士が、退屈しのぎか、話を切り出した。

「……王子も、気が気ではないんだと思います」

 リィナは、真っ直ぐ部屋の方を見ている兵士を見上げた。

「光の継承者だとしても、まだまだやんちゃ盛りの子どもですから。過去、今までと状況も違いますし……。あてのないところを彷徨っているようなものですね……。どんなに元気に振る舞ってはいても、さすがにこたえているはずです……。……我々も、何かお力になれればいいのですけど……」

 どことなく心配げな様子は、城内のみんなと変わらない。それだけ、彼がみんなから愛されている証拠だろう。

 リィナは兵士から目を逸らしてうつむき、心の奥で、ジークハイドがあまり気負いすぎないことを祈った。

 ――段々と、窓から差し込んでくる太陽の光がなくなっていく。

 時間が経つに連れ、ブラックゾーンが訪れたことを目で認識することができるようになり、城内にランプや松明が焚かれだした。

 リィナは暗くなってきた城内を見回し、顔まで隠していたローブを肩に落とすと、少し息を吐き出し、部屋の方を見た。

「あれ? リィナさん?」

 呼ばれて振り返ると、ランプを持ったササルが近寄ってくるところ。リィナが立ち上がりお辞儀をすると、彼はニッコリ微笑んで手前で足を止めた。

「とうとうやって来ましたねぇー」

 この状況でなんとも間の抜けたセリフだが、彼はそういう人間なのだろう。リィナは深く詮索することなく苦笑して見せた。

「そうですね……」

「ん? 王子を待っているんですか?」

「……はい」

「それはそれは……」

 ササルは笑顔で答え、じっと立っている兵士に目を向け、伺った。

「部屋から物音はないですか?」

「物音……ですか?」

「倒れるような音とか」

「いいえ、ないです」

「おっかしいな……。そろそろだと思ったんだけど……」

 訝しげに首を傾げ、ササルはコルク栓をした小瓶を手のひらの上で転がす。黒い液体の入ったそれを見て、リィナは軽く首を傾げた。

「それ、なんですか?」

 彼女の問いかけに、「待ってました!」と言わんばかりにササルは得意げに笑った。

「僕が作った滋養強壮剤です! 効果バツグンですよー!!」

「……じゃあ、毒味してみろ」

 声がしてみんなが振り返ると、ジークハイドが壁伝いに歩きながら目を据わらせていた。

「絶対、飲まないぞ」

「せっかく作ったのにーっ!」

 ササルが拗ねるように頬を膨らませる。

 リィナはゆっくりと近寄ってくる彼を目で追い、小さく言葉を切り出した。

「あの……、大丈夫ですか?」

 心配げに、足下から頭のてっぺんまで見つめるリィナに、ジークハイドは微笑みうなずいた。

「大丈夫だよ。それより……来たみたいだね」

「……はい」

「外の様子を見てくるよ」

「あ、それじゃ私もお供します」

「ち、ちょっと待ってくださいっ」

 歩き出した二人の前にササルが立ちはだかり、小瓶をジークハイドに差し出した。

「これを飲んでくださいっ!」

 目の前に突き出され、ジークハイドは仰け反りながら目を据わらせた。

「……いらない」

「ダメですっ。クタクタでしょっ? 少しでも力を付けないとっ!」

「じゃあ、少し毒味してみろ」

「……信用ないなぁー」

 ササルは疑いの目つきをしているジークハイドに頬をふくらませつつ、小瓶の蓋を開けた。その途端に、ムンッ、と、鼻が拒むような異臭が広がり、ジークハイドもリィナも、兵士も愕然とした顔で身動ぎ、慌てて鼻を塞いだ。しかし、ササルは平気な顔で小瓶の中身を一気に口に含み、ゴックンと飲み込む。

「……」

「……、サ、ササル?」

 数秒後、無表情なササルを見上げて、ジークハイドは彼の目の前で手を振ってみた。だが、ササルは無反応――。

 ジークハイドは呆れてため息を吐き、目を据わらせ、怪訝に鼻を塞いでいる兵士を振り返った。

「……すまないけど、休養所まで運んでスエーカーさんを呼んでやってくれるか?」

「は、はい!」

 兵士は恐る恐るササルに手を伸ばし、その体に手を触れた。……硬い。

 石のように硬直してしまっているササルを、ズルズルと引きずるように兵士が引っ張っていく。リィナはその姿を不安げに見送り、再度ため息を吐くジークハイドを見た。

「……ササルさんは大丈夫なんでしょうか?」

「いつものことなんだ。……ったく。……変な薬しか作らないんだから、ササルは」

 行こう、と、ジークハイドが歩き出し、リィナも斜め後ろから後を追った。

 二人で歩いていると、途中でエンジェルと出会い合流する。その後も、フィルウィングの聖職者達とも合流し、窺うべく城の外へと出てみた。

 ――完全に太陽が隠れてしまった空を見上げ、ジークハイドは生ぬるい風に顔を歪めた。

「……去年と、少し感じが違うな……」

 彼の言葉に、聖職者もランプで辺りを照らしながら真顔でうなずいた。

「門番の影響でしょう……」

「……憎憎しいですね」

 その声にジークハイドは振り返った。今まで見たことがない強い表情で、リィナはじっと辺りを窺い、何かを探すように鋭く目を動かしている――。

「……森の中にいるときはそんなに感じることはなかったんですが……。……なにかすごい圧力が……」

「闇の神殿に巣くう悪霊達が、門番を呼び寄せているからでしょう」

 聖職者が答えると、辺りを見回しながらエンジェルが問い掛けた。

「……その門番って奴は、いつ現れる?」

「はっきりとしたことはわかりませんが……強い反応があります。恐らく数日中かと」

 ジークハイドはみんなを振り返った。

「門番が現れ次第、すぐに探しに行く。準備だけは整えて置いてくれ」

「わかりました」

 聖職者達がうなずくと、ジークハイドはリィナとエンジェルを交互に見た。

「……キミらが頼りだ」

「大丈夫です。必ず見つけてみせます」

 リィナが力強くうなずき答えた。

「ジークハイドさんも、がんばって封印をこなしてください」

「……うん。任せて」

 ジークハイドも、彼女に負けないほどの強さでうなずいて見せた。











 シュレル・キングダムの街に住む人達は、今年はさすがに誰一人として表には出ない。灯したランプを手に、たまに外を窺いつつ、真っ暗な空を見上げるだけ。

 城内では、兵士達と聖職者達が交代で外を監視し、フィルウィングの神官達からの門番出現報告を待ち構えている。ジークハイド達も……。

 ジークハイドは再び部屋にこもってシールボックスを手に念を込め続けていた。日を追うごとに緊張も増していくが、それよりも、今は恐怖心が勝っている――。

 やるべきことはわかっている。けど、相手の姿も見えないんだ。……本当に上手く行くんだろうか……。そんなことを考えては、ブンブン! と、頭を強く振って不安を脳裏から掻き消そうとした。そして、ランプのみで照らされる部屋の中、シールボックスをテーブルに置いてベッドに近寄り、ゴロン……と仰向けになった。

「……」

 ……大丈夫だよ。上手く行く。……その為にリィナ達だって呼んだんだ。ここで失敗したら格好悪い。

「……」

 ……成功したら……リィナは居なくなっちゃうんだな……。

「……」

 ……けど失敗したら……オレが居なくなる……。……いや、成功しても……ひょっとしたら――

 なんとなく、両親の顔を見に行こうかと思った。国王や后、兵士のみんなや女中のみんな、城のみんな、街のみんな……。

 ベッドから体を起こし、部屋を出ようと足を向けたが、ドアの手前で立ち止まった。

 ……何馬鹿なことを考えてるんだろう?

 思い直してベッドへと戻り、片隅に腰を下ろすと、両足の膝の上に肘をついて、両手で顔を覆った。

 ……落ち着かなくっちゃ。……これじゃ上手く行くものも上手く行かない。絶対に成功するんだから。……そう。成功するんだから。

 トントン、と、ドアがノックされてジークハイドは顔を上げた。……少しためらう。あまり人に会いたくない。……けど、そう言っていても仕方ないか……。

 ベッドから立ち上がると、のんびりとした足でドアに近寄り、それを開けた。ドアの前にはリィナが居た。……と、その後ろにカーチスの姿も。ジークハイドは二人の顔を見て、首を傾げた。

「……どうした?」

「……現れたそうです」

 リィナが静かに告げると、ジークハイドは少し息を詰まらせた。だが、表情を変えるまではない。

「皆さんが表でお待ちになっています。……大丈夫ですか?」

 リィナがとても心配そうな顔を向けている。その目と向き合い、ジークハイドは穏やかに微笑んでみせた。

「大丈夫だよ。……用意したらすぐに向かうから」

「……待ってましょうか?」

 ためらいがちに訊くリィナに、ジークハイドは間を置いて首を横に振った。

「……いや。……大丈夫」

「……わかりました。……それじゃ……表にいます」

 リィナはペコリとお辞儀をして歩いていく。

 カーチスは彼女の背中を見送り終えると、部屋に戻って愛刀やシールボックスを集めるジークハイドの行動を目で追った。

「……ホントに大丈夫なのね?」

「大丈夫だよ」

「ホントにホントね?」

 しつこく聞いてくるカーチスを見て、ジークハイドは目を据わらせた。

「教え子のことを信用できないのか?」

「できの悪い教え子だからかしら?」

 ため息混じりに肩をすくめられ、ジークハイドはさらに目を据わらせながら黙々と用意を進める。カーチスは腕を組んで壁にもたれ、彼の行動を見つめながら切り出した。

「プレッシャーを掛けるつもりはないけど……失敗は許されないわよ」

「わかってるよ」

「……あんたが死ぬこともね」

「……」

 ジークハイドはカーチスの方は見ない。ただ、準備をしている――。

「……クソガキだけど、あんたはみんなに好かれてる。あんたを失えば、みんなが悲しむでしょう。一番望ましいのは、門番を封印してあんたが帰ってくること。……忘れちゃダメよ」

「……わかってる」

 準備を済ませたジークハイドはサテン生地に包んだシールボックスを持つと、いつもの生意気な表情でカーチスを振り返った。

「ちゃんと戻ってくるよ。で、仕方なくまた授業を受けてやる」

「じゃあ、仕方なく授業を受けるあんたのために、私は特別授業でも用意して置いてあげるわ」

「……スパルタ教師め」

「でき損ない生徒」

「……ほざいてろ」

「あらあら。ヤな子ねぇ」

 そっぽ向く彼を見て、カーチスは苦笑した。

「リィナには、とーっても優しい男の子のくせに」

「うるさいなっ」

「あらら? 誰だったかしら? いつか、その裏表の変え方、教えてくれって言ってたのは。今のあんたは? ん?」

 ジークハイドは「う……」と言葉に詰まった。以前、ササルの前にいるときのカーチスの態度の裏表にケチを付けたことがあった。確かに、その時のカーチスと今の自分は同じかも……。そう思い出して、ふと、顔を上げた。

 ……あれ? ってことは――

「せ、先生ってっ……ササルのことが好きだったのっ!?」

 愕然とした表情のジークハイドに答えることなく、カーチスは少し笑った。

「ささ、みんなが待ってるわ。早く“用事”を済ませて来なさい」

「うそ。なんで? ササルのどこがいいの? すっごくドジなのに」

 部屋を出てからも尚、歩きながら訝しげに問いかける。

「オレより弱いんだぞ? 実験だっていつも失敗するし、役に立たないし、頼りないし、ムカつくこと平気で言うし」

「ひどい言われ用ねぇ」

 カーチスは苦笑したが、表に出ると、みんなが待っているその中、ササルを見つけて微笑んだ。

「けど……ササルさんがドジをするのはなんのため? 実験をするのはなんのため?」

「……」

「役には立たないけど……一生懸命な人よ」

 どこか穏やかで優しい雰囲気の彼女に、ジークハイドは少し笑ってうなずいた。

「……ああ、そうだ」

 カーチスはニッコリ微笑むと足を止めた。その気配を感じてジークハイドも足を止め、振り返った。

「……行ってらっしゃい。……ここで待っているから」

 優しく微笑むカーチスを見つめ、ジークハイドは間を置いてうなずいた。

「……行ってきます」

 そう一言、笑顔と共に残して、ジークハイドはみんなに近寄った。

 兵士達が掲げる松明の中、国王や妃、各国の王族達、城内のみんなが集まってジークハイドを目で追う。彼は、国王と后の側で足を止め、二人を交互に見上げた。

「……それじゃ……行ってきます」

「……うむ」

 国王はうなずいただけで、それ以上の言葉はない。代わりに、后が彼を引き寄せ、力一杯、抱きしめてきた。

「……気を付けて。……無事に帰ってくるのよ……」

「……わかってる」

 ジークハイドは后の背中を優しく撫でると、その体を離れ、笑顔を向けた。

「絶対成功するから。心配しないで待ってて」

 后はか細く微笑んでジークハイドの頬を優しく撫でた。その感触にしばらく包まれていたジークハイドは、手を下ろした后に笑顔でうなずき、側に立つスエーカーに目を向けた。

「……スエーカーさん、あと、よろしくお願いします」

「ああ、任せておきな。それより……がんばるんだよ」

「わかってる」

 ジークハイドはうなずき顔を上げて、彼女の背後にいるリィナとエンジェルを見た。

「……頼むよ」

 エンジェルは無言でうなずき、リィナも、励ますように笑顔でうなずく。

「僕、お供します」

 真顔で前に出てきたササルに、ジークハイドは苦笑した。

「いいよササル、危ないから」

「いいえ、王子だけじゃ心配ですから。いざって時のために、ちゃんと回復薬も作っておきましたよ」

 上着のポケットから小瓶を取り出して見せる真剣なササルに、「……こんな時までなんでそんなものを作るンだよ」と、そう突っ込みたかったが、なんとなく、そういう彼の行為が嬉しかった。

「わかったよ。……けど、絶対に回復薬なんて使わないけどな」

「……また信用してないんですね?」

「十年早いよ」

 さっぱりとした表情であしらわれ、ササルはガックシと頭を落とす。

「我々もお供いたします」

 と、三人の神官が名乗り出て、ジークハイドは彼らにうなずくと、笑顔で国王達を振り返り、目に焼き付けるようにみんなを見回した。

「……それじゃ、……行ってきます」

「うむ。……無事を祈っておるぞ」

「光の神のご加護を」

 ジークハイドはうなずくと、ササル達に「……行こうか」と切り出し、歩き出した。

 すれ違うみんなが、「お気を付けて!」「お帰りをお待ちしておりますよ!」と声を掛ける中、七人は松明を手に、そのまま、彼らを振り返ることなく闇の中へと姿を消した――。

「……遠くに森がある。獣の姿が見えるな……、近寄らない方がいいだろう」

 “黒ヒョウ”としての能力か――。動物の目は暗い中でも見えるようになっているらしい。

 城内を出ると、もう明かりはどこにもなく、いくら松明を持っているからといっても、それは近距離のみでしか意味がない。いつ、崖っぷちに立たされるかもわからない。周りの状況も一切わからない。先頭を歩くエンジェルと、そしてリィナが頼みの綱だ。

 お互いあまり言葉を交わすことなく、“何か”を探すように気配を窺い歩いていた。城を離れてからだいぶ長いこと歩き続け、もう、方向感覚はない。どこをどう歩いてきたのかもわからない。ここがどこなのかも――。

 リィナは冷たい風を受けながら、少し悲しそうに辺りを見回した。それを視界の隅に捉えて気付いたジークハイドは、首を傾げて彼女の側に近寄った。

「……どうかした?」

「……死者が彷徨っています……。……数は少ないですけど……」

「そうか……、キミが漆黒の森にいないから……」

 ……死者の魂が、安楽の地を探している……。

 リィナは小さく微笑んだ。

「……大丈夫。……森に帰れば、すぐに彼らを導きますから」

「……うん……」

 彼女の言葉にうなずいたものの、内心では沈んでいた。

 ……森に帰れば、か……――。

「……どこに居るんでしょうね……」

 ササルが恐る恐るといった雰囲気で口を開く。

「……突然遭遇しちゃったら……僕達、どうなってしまうんでしょう?」

「死神にさらわれ、闇に葬り去られることでしょうね」

 と、神官の一人に真面目に答えられ、ササルはブルブルッと身震いした。と、不意にエンジェルが足を止め、みんなも「?」と足を止めた。――彼はどこかをじっと見つめている。

「……何かが迫ってきている」

 彼の言葉に、みんなの顔に緊張が走った。

 リィナも彼の視線を追って目を細め、「……ええ」と真顔でうなずく。

「死者の魂とはまた別のもの……。何か……大きいもの……」

 リィナは、強張った表情を浮かべるジークハイドを窺った。

「門番……でしょうか」

 振り返って「そうなのか?」と目で訊くジークハイドに、神官達は大きくうなずいた。

「間違いないでしょう」

「直ちにご準備を」

 ジークハイドはすぐに肩から下げていた布袋の中に手を入れて、サテン生地に包まれているシールボックスを取り出した。身を軽くするために、愛刀など、全ての荷物を神官に預ける。

「……方向は?」

「こっちだ」

 エンジェルが指差すその方向にジークハイドは体を向けると、サテン生地を取ってそれ地面に落とし、シールボックスを胸元まで掲げた。何を象っているかはわからないが、複雑な模様を彫った黒い箱だ。

「……こちらへ」

 神官達が、ジークハイドを残してリィナ達を離れた場所へと誘導する。その後を追いながら、ササルは辺りを見回し、顔を歪めた。

「とても……息苦しい……」

 神官の一人が彼に近寄り背中を撫でると、同時に息苦しさが消え、ササルは深く息を吐いて深呼吸をした。

「……すみません……」

「見習い聖職者には少々酷ですな……。闇の力が強大すぎるんです……」

 ササルは呼吸を整えながら、不安げにジークハイドの背中を見つめた――。

 ジークハイドは数回深呼吸をし、シールボックスを両手で持って気を集中させるための呼吸法を試みる。

 1.2.3.4……1.2.3.4……

 落ち着いて呼吸しながら、体の中心に向けて気が集まるようイメージすると、両手に持っているシールボックスがじわじわと光り輝き出し、リィナは少し目を伏せた。エンジェルがすかさず着ているコートを広げてその中に彼女を隠すように覆う。

 ジークハイドはゆっくりと大きく息を吸い込み、心の中で封印の呪文を唱え始めた。それと同時にシールボックスの光が増し、暗闇で見えなかった辺りの様子が段々とはっきりしてくる。周囲は何もない、広大な原っぱだ。ここなら他に危害は与えることはない。

 神官達が「光を司る女神よ……」と小さく祈祷の言葉を呟き出す中、リィナは目を細め、エンジェルのコートの中からジークハイドを窺った。

 ジークハイドはゆっくりと目を開けると、シールボックスの蓋に手を置き、そ……と開けた。それと同時に眩いくらいの輝きが箱の中から溢れ出し、蓋の開いた箱が何かを吸い込もうとして突然吸引を始め、みんなは「!!」と、慌てて地面に足を踏ん張らせた。

 ゴオォォー……! と、低い音を立てるシールボックスを持つジークハイドは、激しい振動に耐えながら、手放すことのないように両腕に力を込め、足を踏ん張った。――ものすごい力だ! 予想を軽く超している……!!

 シールボックスを離さないよう、自らが吸い込まれないようにと踏ん張る力はもちろん、自らの生命力がシールボックスの力になって段々と体力も落ちてくる。……間違いなく時間との勝負だ!

 背後のみんなも光に目を細めながら、多少吸引の力に襲われつつ彼のことを見守り続けた。

 ジークハイドは気を許すことなくシールボックスの口を見えない敵へと向け続け、「……くっ!」と、力を込めていたが……

「場所が違うんじゃっ……?」

 踏ん張りながら、神官の一人が戸惑うような声を上げた。

「あまりにも時間が掛かりすぎています! このままじゃ門番が通り過ぎてしまう!!」

 エンジェルは舌を打ち、顔を上げた。

「……ジークハイド! 少し左だ! 口を上に向けろ!!」

 背後からの声に、ジークハイドはゆっくりとシールボックスを左上に向けた。箱から放たれる圧力が予想以上に彼の力を奪って、ジークハイドの額にも見る見る冷や汗が浮かぶ。しかし、箱の位置を変えてもなんの変化もない。

 ……くそ……!!

 ジークハイドは歯を食いしばった。

 ――力が吸い取られていくのがわかる。心臓が、バクバクと胸の奥で暴れている。

 光の神の加護もない。敵の姿も見えない。ただ、力だけが薄れていくだけ――。

 ……ダメだ! 諦めないぞ! こんなトコで諦めるわけには行かない……!!

 顔を上げ、大きく息を吸い込み力を入れると、シールボックスの輝きと吸引力が増す。

 ササルは焦るようにジークハイドを見た。……これ以上は無理だ……! そう思って彼に駆け寄り、光と吸引に逆らいながらシールボックスを持つジークハイドの腕を握った。

 ジークハイドは気を集中したまま、顔を歪めるササルを見た。

「僕の力も注ぎます!! 王子! 負けないで!!」

 足を踏ん張りながら、必死に顔を歪めて腕をギュッと握るササルにジークハイドはうなずいた。と、同時に段々とシールボックスの威力が増し、背後のみんなが「!」と顔を伏せた。あまりに強い光と吸引力に、神官の一人が地面に伏せて、土を握りしめしがみつく。

 エンジェルはリィナをかばうようにコートの中の彼女を抱きしめた。リィナは「……っ!」と隙間からジークハイドとササルを見ていたが、唇を噛みしめて大きく息を吸い込むと、エンジェルのコートの中から抜け出した。

「リィナ!」

 エンジェルが目を見開いて慌てて彼女に手を向けるが、光の強さに視界が奪われ、「……うっ!!」と目を覆って顔を伏せた。

 ジークハイドは目を大きく見開いた。――背中に、リィナがしがみついてきた。

 一瞬、ジークハイドの気が緩み、シールボックスの光が収まり掛ける。リィナはジークハイドを盾にするように彼の背中にピッタリ寄り添うと、背後から両手を伸ばして、シールボックスを持つ腕を握った。

「門番はこっち!!」

 言いながら、ジークハイドの腕の向きを微妙に調整する。

「大丈夫! ……私が目になるから!!」

 彼女が何をしたかったのか、それを理解したジークハイドは強くうなずくと、息を大きく吸い込み、力を込めた。シールボックスの輝きが段々と威力を増す――。

「……口をもう少し下に向けて!」

 ジークハイドは歯を食いしばり、ササルも「……っ!」と顔を歪めた。……何かが抵抗しているのがわかる。シールボックスが、カタカタと振動を始めた。

「……もう少し! ……もう少しだから……!!」

 背後でリィナが懸命な声を出す。それを耳に感じながら、ジークハイドはガタガタッ……! と激しく振動し出すシールボックスを力一杯掴んだ。振動と共に手の中から落ちそうになるのを必死に耐える、その彼の額の汗が流れ落ちると、シールボックスがそれを吸い込んだ。

 ……ここで食い止めなくちゃ行けないんだ……! ここで封印しなくちゃみんなが死んでしまう……それだけはダメなんだ! オレは死んでもいい……だから……!!

「……大丈夫。……大丈夫……」

 ――優しい言葉が聞こえ、それと同時に腕を調整していた手が離れ、胸に腕が回った。

「……死なせたくない……」

 リィナの言葉が終わるか終わらないかのその時、何か不気味な声が辺り一面に響き、「ヒッ……」と、小さくササルが悲鳴を上げた。――獣の叫び声とは違う。地を揺るがすような、大きくて低い、苦しむ声だ。

「……来たぞ!!」

 背後のエンジェルが腕で光を遮りながら怒鳴るように告げる。

 ジークハイドは歯を食いしばり、足を踏ん張った。何かが吸い寄せられてくるのがわかる……! その圧力に負けないように、グッ……! と耐えた。背後のリィナも、しがみついたまま、彼を引き留めるように、引っ張るように足を踏ん張った。

 ――不意に、ジークハイドの脳裏、城で待つみんなの顔が浮かんだ。

 楽しかった日々……。笑顔で戯れたあの時……。

「……」

 ……戻るんだ……。……そう。戻らなくちゃいけないんだ!!

「くっ……そおぉぉーっ!!」

 ジークハイドが大きく叫んでシールボックスに力を込めた。――カッ!! と、今までで以上に光り輝くと同時に、「ギャアァァァー!!」と、何かが悲鳴を上げ、黒い影がシールボックスに飛び込んだのが見えた。咄嗟に、ササルがシールボックスの蓋を閉める。

 ドサッ……!

 ――辺りが暗やみに包まれ、目の前も見えない。シールボックスの吸引のせいで、松明の炎も消えてしまっている。

「……王子っ?」

 掴んでいた腕が突然抜け落ち、ササルは慌てて手を伸ばして辺りを探った。

「王子? ……王子っ?」

 名前を呼んでいると足に何かが当たり、すぐに腰を下ろして手を動かす。すると、誰かの体に触れ、そのままペタペタと触り続けた。

「王子!? 王子なんですか!?」

 ボッ……という音が聞こえ、少しずつ辺りが見えてきだした。エンジェルが松明に火を付けてくれたようだ。その明かりを頼りに、神官達も互いの無事を確認し合う。

 ササルは困惑した表情でいたが、ふと、動きを止めた。――触っていたのはリィナの体だったらしい。地面に座り込んで背中を丸めているリィナは、目を閉じ、ぐったりとしているジークハイドを背後から抱きしめ、頭に頬を寄せている。その彼女の目から涙が伝い、無表情なジークハイドの顔へとこぼれ落ちた……。

 ササルは顔をしかめた。

「……王子?」

 リィナに触れていた手をジークハイドに移すと、まだ温もりがある。

 エンジェルの松明に浮かび上がる姿に、神官達がすぐに駆け寄ってきた。

「王子!」

「ジークハイド王子!!」

 声を掛けても彼の目は開かない――。

 リィナは肩を震わせ、ジークハイドの頭に頬を擦り寄せて大粒の涙をこぼした。

「……どうして……」

 彼女の微かな声に、ササルは目を泳がし、ぎこちなく笑った。

「……う、うそでしょ? だって……みんな待ってるのに……。だって……封印できたのに……」

「早く城に戻って手当を!!」

 神官達が大慌てでシールボックスやその他の荷物を集め出す。

 エンジェルはジークハイドを抱きしめるリィナの傍にひざまずいた。

「……リィナ……」

 リィナは涙に濡れた顔を上げると、顔を歪めてエンジェルを見た。

「……どうして? どうしてなの? どうして……」

「そんなことありません!!」

 この絶望的な空気を払拭するかのように、ササルが眉をつり上げ突然大声を出した。

「王子がこんなことで死ぬワケないですよ!! 漆黒の森で迷ったときだって、王子は生きて帰ってきたんです!! 今までたくさんいたずらしたって無傷だったんです!! こんなことで死んじゃう王子じゃありません!!」

 強く言い切ったササルは服のポケットに手を入れて、液体の入った小瓶を取り出した。

「僕の作った回復薬! これを飲めばきっと……!!」

 そう言いながら蓋を開けると、あまりの匂いに、動物の鼻の利くエンジェルは「うっ!!」と、顔をひどく歪めて鼻をつまんだ。

 リィナは慌ててジークハイドをかばおうとしたが、その前にササルに彼を奪われてしまった。

「ササルさん!!」

「これで復活です!!」

 言いながらササルは、液体をジークハイドの口の中に流し込んだ。

「何を飲ませたんだ!!」

 神官達も鼻を押さえながら慌てて駆け寄るが、そんな彼らを無視して、ササルは空になった小瓶を投げ捨て、ジークハイドの体を地面に横たえて揺さ振った。

「ほら!! 目を覚まして!!」

 力一杯体を揺さぶる、そんなササルを止めようと、リィナは彼の腕を掴んだ。

「……ササルさん……」

「王子!! ……ほら! 目を開けなくちゃ!!」

「……、ササルさん……」

「目を開けなくちゃぁ!!」

 ササルの目から涙がこぼれた――。

 ジークハイドの体を激しく揺さ振っていた手を緩め、息を詰まらせると、そのまま、前のめりに体を倒して、ジークハイドの胸に顔を埋めた。

「……王子……、……死なないでください……」

 声を震わせ、願うように言う。リィナは目を閉じて顔を歪め、エンジェルに抱きついた。

 周りを取り囲んだ神官達が悲しげにうつむく中、エンジェルは松明を地面に置くと、体を震わせて息を詰まらせすすり泣く彼女の頭をそっと優しく撫でた。

「……リィナ……」

「……うっ……っ」

「……大丈夫ですよ……」

「……っ……」

 エンジェルは彼女の頭を撫でていたが、深く息を吐いて、ゆっくりとジークハイドを見た。

「……オレを毒殺するつもりかぁー……」

 ササルは「……へっ?」と、涙と鼻水で濡れた顔を上げた。

 ――真っ青な顔をしたジークハイドが口を半開きにして顔を歪めている。

 泣き止んだササルに続いて、リィナも、涙を拭うことなくゆっくりと振り返り見下ろした。

「……死ぬかと思った……」

 グッタリとしたジークハイドの言葉に、ササルとリィナは嬉し泣きをしながら彼に抱きついた。











「さぁ、今宵は宴だ! みんな、大いに騒ぐが良い!!」

 誰が音頭をとるわけでもなく、それぞれがお酒を片手に賑わう。

 ――ジークハイド達が無事に帰ってきたのは昨日のこと。

 遠くから門番の悲鳴が聞こえたと同時に、門番が封印されたことはわかったが、ただ、みんなジークハイドの身を案じていた。そしてそれから数時間後、エンジェルに抱えられて戻ってきたジークハイドは、すぐに教養室に運ばれた。命は取り留めたものの疲労が激しく、しばらくは身動きのとれる状態ではなかったのだ。門番の封印のせいで力を奪われすぎたことも祟ったのだろうが、ササルの薬を飲んでしまったということも一つの原因らしい。普通の人間なら“ショック死”しているところを、ジークハイドは逆の“ショック生”にしてしまった。

 ……良かったのか悪かったのか。

 その後、ササルはスエーカーに怒やされ続けたが、それをリィナに止められた。一度は死んでしまったジークハイドが生き返ったのは、それでもササルの薬のおかげであることには違いないのだから。

 一緒にお供をしていた神官達は、しょぼくれるササルを見て苦笑していた。

「おかしな見習い聖職者ですね。あの薬もとんでもないものですが……。封印の際、王子の手助けをしようとしてましたが、シールボックスに力を注げるのは光の継承者のみなんですよ。それを知らなかったのでしょうか? ……にしても、彼が加わったことでシールボックスの力も増したのですから……王子にとって彼の申し出は、力になるほど嬉しかったのでしょうね」

 その事実はササルには告げていない。彼は彼で必死だった。それはみんなが理解していたから。

 そして――

「王子! ご無事でなによりですわ!」

「とても心配しましたのよ!」

「……ああ……どーも……」

 各国の姫君達に囲まれて、ジークハイドは頭を掻き、後退した。

 ……ケダモノ共め……。

 やっと元気になったと思えば、今度はみんなから囲まれ、ヤンヤヤンヤともてはやされる始末――。

「……それがオレの役目だっただけだから。それに、オレ一人じゃ何もできなかったよ。みんながいてくれたおかげなんだ」

「いやですわーっ! ご謙遜なさって!」

「王子、かっこいい!!」

 ジークハイドは顔を引きつらせて笑った。相手はしなくちゃいけない、それはわかっているのだが、やっと元気になったのに、“相手にしたい相手”はこいつらじゃない!! と、内心は叫んでいた。姫君達に囲まれていると、途中でエンジェルの姿を視界に捕らえ、獲物を見つけたかのように足早に近寄るなり、腕を掴むと強引に引っ張って姫君達の方に押しつけた。

「こいつはエンジェル!! いい男だろ!? しかも独身!! 飲みっぷりも良いから、ぜひ、付き合ってやって!!」

 目を据わらせるエンジェルに姫君達が注目する間に、ジークハイドはその隙を狙ってササッと逃げた。そして、声を掛けられるたびに挨拶をしながら、リィナの姿を探す。

 ――ブラックゾーンはまだ過ぎ去らない。……けど……リィナは……。

 城内を探し続け、そして、庭園の方に出ると足を止めた。木にもたれ、真っ暗な空を見上げている彼女の姿を見つけた。

 少しためらったが、それでも、勇気を出して近寄った。

 リィナは足音に気付いてこちらを振り返り、そして、ニッコリと微笑んだ。

「こんばんは」

「……うん。……こんばんは……」

 少し照れたように言って、ジークハイドは彼女の横、同じ木に背もたれた。

 何を切り出そうかと迷っていたが、とりあえず最初は……

「……ありがとう」

「……え?」

「……ンほら、……助けてくれて……。まだ、ちゃんとお礼を言ってなかったから……」

 ジークハイドが目を逸らして恥ずかしげに告げると、リィナは少し微笑み、首を横に振った。

「いいえ。そういうお約束でしたから。……無事に終わって、本当に良かったです」

「……うん。……そうだね……」

 ジークハイドは少し鼻の頭を掻いた。

「……すごく……感謝してる」

 足下を見つめて照れ笑いを浮かべるジークハイドに、リィナはクス……と笑った。

 ――しばらく沈黙が流れた。

 遠くからは賑やかな声が聞こえ、グラスを合わせる音や、駆け回る足音も聞こえてくる。

 ジークハイドは、それらの音に心乱されることなく、足下に視線を落とした。

 ……何を話そう……。「もう帰るの?」「また会える?」「……これっきり?」

「……私……」

 不意にリィナが口を開き、ジークハイドは彼女を見た。……とても穏やかな顔で闇夜を見つめている。

「私……あなたが羨ましい……」

「……え?」

「生きている人達を助けようとした、……あなたの力が……」

「……。そ、そんなことないよっ。だってっ……リィナだってすごいことできるしっ」

「……けど、私の力は……未来にはつながらないから……」

 ジークハイドは少し目を見開いた。「そんなことないよ!」そう言いたかったが、言葉が出ない。

 ――リィナは穏やかな表情のままでいる。

「けど……少しでも手伝えることができて良かった。……少しでも、生きている人達のために何かができて、良かった……」

 ジークハイドは、何かを耐えるようにグッと歯を食いしばって拳を握りしめ、形振り構わず、笑顔で切り出した。

「ねぇ! このままここに居座っちゃったら!?」

 リィナは、両腕を大きく広げて身を乗り出し、訴えるように必死な笑顔を見せるジークハイドを見つめた。

「みんな、キミのこと好きだしさ! ……キミも嫌いじゃないだろ!? ここでさ、一緒に過ごそうよ! 楽しいよ! オレ、いっぱいいろんなこと教えてあげるし! ……そうだ! 馬に乗って散歩したりさ!」

 リィナは少し笑った。だが、その笑顔も次第に消えていく――。ゆっくりと首を横に振る彼女を見て、ジークハイドは広げていた腕を下ろし、視線を落とした。

「……ダメ、か……」

「……私、戻らなくちゃいけないから……」

「……」

 ジークハイドはうつむいて目を伏せ、そして、再び顔を上げると微笑んだ。

「じゃあ……さ、会いに行ってもいい? あの森に」

「……」

「毎日じゃなくても……時々。……会いたくなったときに……」

 リィナは悲しげにうつむき、首を横に振った。

「あそこは……闇の世界なんです……」

 ジークハイドは、呟くように言ったあとに目を閉じてうつむくリィナを見て、少し悲しげに顔を歪めた。

「……これで……さよなら、……なの、かな?」

 リィナは間を置いてうなずいた。

「……オレが、光の継承者で……、キミが、闇の管理者、……だから?」

 リィナは目を閉じたままうなずくだけ。

 ジークハイドは息を詰まらせた。感情を押し殺すように歯を食いしばっていたが、出てきた言葉は――

「オレにはそんなの関係ないよ」

 リィナはゆっくりと目を開けた。

 ジークハイドは胸の高鳴りを感じながら、うつむくリィナを真っ直ぐ見つめて息を吸い込んだ。

「……オレ、キミのことが好きだから。すごく好きだから」

「……」

「エンジェルがいたって、……だからって諦められないし。……気持ちを偽る方が辛いよ」

「……」

「……キミとこのままさよならなんて、そんなの……辛いよ」

 リィナの顔が歪み、頬が紅潮すると目から涙がこぼれた。まさかそうなると思っていなかったのか、ジークハイドは驚き、慌てて手を差し伸べた。

「あっ……ご、こめんっ。……そのっ……。困らせるつもりはなくてっ……」

 リィナは何度も首を横に振る。ジークハイドは、両手で顔を覆って肩を震わせる姿に困惑し、どうしたらいいかわからずに彼女の腕を撫でた。

「……泣かないで。……ごめん……」

 リィナは小さく首を横に振り、「……っ」と息を詰まらせた。

 ジークハイドは泣き止まない彼女から視線を逸らし、顔を上げると、そ……と抱き寄せた。

「……泣かないで……」

「……っ……」

「……リィナ……、……好きだよ……」

「……っ……」

 ザッ……と足音が聞こえ、ジークハイドは顔を上げた。

 エンジェルが腰に手を置いて、彼をにらみつけ立っている――。

 ジークハイドは、エンジェルから目を逸らすことなくリィナをそっと離した。リィナは「……グス」と鼻をすすると、顔を上げずにエンジェルの元へと歩み寄る。エンジェルは、背中を丸める彼女の肩を抱いてジークハイドを鋭い目でにらんだ。

「……明日、森に帰る」

 その一言を残し、リィナを連れて歩いていく。ジークハイドは何かを言おうとして足を踏み出したが、そのまま立ち止まり、視線を落とした。

「……ダメですよ、王子……」

 声がして、ジークハイドは真剣な顔でゆっくりと振り返った。

 ササルは、彼に負けず真剣な顔で首を横に振った。

「……リィナさんはダメなんです」

「……」

「……好きにならないんじゃなかったんですか?」

 ジークハイドは少しふてくされて目を逸らした。ただそれだけだが、「うるさいっ」と気配が文句を言っている。

 拗ねてしまった彼にササルはため息混じりに肩を落とし、間を置くと静かに切り出した。

「……お話、しましょうか? リィナさんのこと。永眠ねむりの森のこと――」






「エンジェルさんからも詳しい話を聞きました。だから、これは真実として受け止めなければなりませんよ」



「元々、漆黒の森のあの城は普通のお城だったようです。そこに住み着いたのがリィナさんの一家。その頃は、まだリィナさんは普通の女の子でした。……けど、死者の魂が増え続けた時、闇の支配者は現在に死者を導く管理者を創造することを決め、その役目をリィナさんに委ねたんです。エンジェルさんが言うには、彼女の優しさが、闇の支配者の目を引いたのだろう、と。……彼女の親はもちろん護ろうとしました。愛娘を闇の生き物に変えることなんてとんでもない申し出だったのですから。けど、リィナさんはそれを受け入れたんです。彼女が何故そうしたのかはわかりませんが……彼女は闇の管理者として生きることを選びました。……そうなってしまったら、あの森は彼女を求めて死者で溢れかえってしまう。……親は彼女を残し、そこから立ち去ったそうです……」



「闇の管理者として生きることを認めた彼女に、闇の支配者は守護神を仕えさせました。常に彼女と共に生活をし、彼女の身を守るもの。それがエンジェルさんです。そして、もうひとつ。……闇の支配者がリィナさんに捧げたものは、“運命の輪”……」



「……シュレル・キングダムの先代に、グレン様がいらっしゃいましたね? 彼は漆黒の森に入って帰ってきませんでした。……彼はリィナさんに会っていたんです。王子と同じく、グレン様もリィナさんに想いを寄せていたそうです。……闇の支配者がリィナさんに捧げた運命の輪とは、彼女と結ばれるはずの男性が彼女の身近にいるときに働き、彼女と出会えるように仕組まれたもの。……グレン様も、そして王子も、まちがいなくリィナさんと結ばれるべき運命に導かれて、彼女に出会ったんです。……巡り巡る、運命の輪に導かれて……」



「しかし、ご存じの通り、グレン様も王子もリィナさんとは相反するもの。……覚えていますか? 古代文字の言葉。“闇成る闇に集い集まりし者共を、深き牢獄にて封ずる。守護神に導かれ命運を共にせよ。鍵生る者、息の緒を捧げよ。二は一に成らず。一は二に成らず。開け放たれし扉の奥、討ち滅ぼされるは我が身なり”……この言葉は、リィナさんを愛するがあまりに残された、グレン様のお言葉だそうです。……グレン様は、リィナさんと一緒になるべく森に足を踏み入れ……息絶えたそうです。……覚悟の上だったようですよ。……言葉の意味は、“闇の管理者である彼女と共に生きようとも、光の神のご加護が消えることはないと信じている。彼女を解放できる鍵は自らが持っていると信じている。しかし、それは同時に命を捧げることとなる。闇は光にはならない。光は闇にはならない。望むなら、光を捨て、闇に生きるしかない。そうすれば、彼女と共に生きられる。……闇の扉を開けたとき、その命は途絶え、討ち滅ぼされる。そして……もう戻れない……”」



「……リィナさんはひどく悲しまれたようです。運命の輪を手にしたときから知っているんですから。自分と出会う男性は結ばれる運命にある人だということを。グレン様に想いを寄せつつあった彼女は、その後、自らの力で眠りに就きました。普段の管理者としての仕事をエンジェルさんに任せて。……年に一度しか目覚めなければ、運命の人とも巡り会わなくて済むかも知れない。……愛すべき人を、失わずに済むかも知れない。……そう思っているんですよ」



「王子の気持ちは、彼女はとても嬉しく思っているはずです。けれど同時に、嬉しいから、王子を助けたいんです。グレン様と同じ目に遭うことなどしたくないんですよ。……彼女は精一杯なんです」



「お二人は運命で巡り会われた。彼女が普通の少女でしたら何も問題なかったでしょう。けど……。……もうおわかりになられているでしょう? ……グレン様が生きていた時代は、数百年以上も昔の話です。……彼女は闇の管理者として人間を捨ててしまったんですよ……。僕達と同じ、人間ではないんです……」



「……わかりましたか? ……王子、リィナさんのことは諦めてください。辛い気持ちはわかります。けど……王子は光の継承者なんです。その御使命は変わりません。リィナさんも同じく、闇の管理者としての御使命は変えられません。……二は一に成らず。一は二に成らず。……光と闇は、一つにはなれないんです――」

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