第三章 「相手が悪い……」
ジークハイドは遠く木々の枝から垣間見える月を見上げ、小さく息を吐いた。
……月や星の影が薄くなってきている。……ブラックゾーンがやってくる――。
「お城の方は留守にしても大丈夫なんですか?」
「ええ……。昨日、大半は終えましたから。あとは、また戻ってきてから」
「そうですか。お手間を取らせてすみません」
「いいえ」
城の方からササルとリィナの話し声が近付いてきて振り返ると、フードの付いた黒マントで肌を隠したリィナが側までやって来て足を止めた。
「お待たせしました」
愛想良く微笑まれ、ジークハイドはドキッと胸を高鳴らせながらも「ううん」と平然を装って照れた笑みで首を横に振った。
昨夜からこの時まで、リィナは“役目”をこなし続けていた。そして、ジークハイドとササル、エンジェルは手分けをして食料調達に。エンジェルは狩りを、ジークハイドとササルは木の実を拾い集め、それをエンジェルが調理して食事とした。一晩だけだが、就寝したのはリィナの部屋。やはりそこが一番安全らしく、リィナはベッドに、ジークハイド達は床で丸まった。しかし、ジークハイドは正直、緊張して寝付けなかった。「同じ部屋でリィナと寝ている!」と、そう考えるだけで興奮し、妄想が膨らみ……。だが、“盛り上がり”掛けると、「カーチス先生ぃ……ダメですぅ……むふふ……」と、ササルが意味不明な寝言を呟き、現実に引き戻され、寝ている間に殴り殺してしまおうか、と、考える。そんなことを一晩で数回繰り返し、そして朝を迎え、夜――。今日、出発の準備を整えてシュレル・キングダムへ向かう。
ジークハイドは夜空を見上げ、少し目を細めた。
「……もうすぐブラックゾーンがやってくるよ」
「ええ、そうですね……。今夜は月や星の明かりが薄れてますから。もしかしたら、早くても明日にはブラックゾーンに包まれてしまうかも」
同じくフード越しから空を見上げるリィナに、ジークハイドは不安げな表情を向けた。
「ドタバタしちゃうけど……大丈夫かな?」
「ご心配には及びません」
リィナは相変わらずの笑顔で答える。ジークハイドは心配げに、それでも笑顔でうなずいた。
城の背後から馬の足音と車輪の音が聞こえ、三人はそちらへと顔を向けた。エンジェルが御者席に座り、真っ黒な馬二頭の手綱を取っている。橋のたもとまで歩き、停まった馬車に近寄ると、エンジェルが馬の体を撫でるジークハイドを見下ろした。
「道案内を頼む」
「あ、それじゃあ、僕が手綱を握りますよ」
ササルが申し出ると、エンジェルは「……そうか」と御者席から降り立ち、手綱を差し出した。
「森を出るまでは馬に任せると良い。彼らが出口まで案内してくれる。それから後は導いてやってくれ」
「わかりました。……賢い馬なんですね」
苦笑気味に受け取ったササルは「よいしょ」と御者席に上がって手綱の長さを調整する。その間にエンジェルは馬車のドアを開けてジークハイドとリィナを目で誘った。リィナがエンジェルに手を貸してもらって乗り込んだ後に、ジークハイドも中に入ってリィナと向き合い座る。本当は隣に座りたかったが、それが適わなかった。なぜなら、乗り込む前にエンジェルに「向かいに座れ」と顎をしゃくられ脅されたからだ。
特に会話もなく二人が落ち着くと、エンジェルは御者席のササルを見上げた。
「それじゃ、頼む」
「はい、わかりました」
ササルが笑顔でうなずくと、エンジェルは中に入ってリィナの隣に座った。しばらくすると車輪の音が聞こえて微かな振動が体を伝いだし、エンジェルはドアのカーテンを閉めて座席に体をゆったりと沈めた。
ジークハイドは、外を見透かすようにカーテンの方を見つめているリィナと、腕を組み目を閉じたエンジェルをそっと窺った。――互いに会話もなく、目を見合わすこともない。今から森の外に出ようというのに、あまりにも静かで、なんとも重苦しい雰囲気だ。
二人とも陽気な性格ではないから余計なのか。しかし、この息が詰まりそうな時間を延々城まで続けられたら窒息しそうだ。「何か会話を……」と脳裏で考え、「……あ」と、思い出したように切り出した。
「そういえば、なにか注意した方がいいことって、あるのかな?」
軽い口調で問いかけるとエンジェルが目を開けた。何も言葉にしないが、「注意とは?」と表情が訊いている。
「ほら……暗い方がいい、とか。寒い方がいい、とか。食べ物の好みとか……。あ、嫌いな色とか嫌いなタイプとか。逆に好きなタイプとかいろいろ」
内容になんの意味があるのか。途中でリィナのみに対して質問をするジークハイドに、エンジェルと目を合わせたリィナは苦笑し、首を振った。
「いえ。これと言って特別なことはありません。……ただ、明るいところは苦手なので……」
「あ、うん。そうだね。……松明ぐらいだったら平気?」
「はい」
「わかった。じゃあ、城の方に着いたらできるだけ明かりを落としてもらうよう心がけるよ」
「すみません。助かります」
「ううん。……他に何か気になることがあったら遠慮なく言って」
リィナは微笑みうなずいた。
二人を窺っていたエンジェルは、背もたれに落ち着くジークハイドに真顔で切り出した。
「門番は襲いかかってくるものなのか?」
ジークハイドは「ん?」と顔を上げると、視線を落として少し訝しげに考え込んだ。
「百年に一回のことだから、大した記録は残ってないんだけど……。門番は凶暴だ、っていう話は聞いたことがないよ。見つけたらすぐ封印するし、門番も、襲いかかるほどの時間の余裕はないんだと思う」
「それじゃ、封印自体はすぐに行えて終わるものなんだな?」
「ああ。そうだよ」
「ちゃんと成功するのか?」
「それは……初めてやるんだし、わかんないよ。……でも、失敗は許されないから。絶対成功させてみせる」
真剣にうなずくものの、
「上手く行けばいいがな」
と、嫌みっぽく突き放すなり腕を組んで目を閉じられ、ジークハイドは内心ムッとしつつも敢えて顔には出さず、心の中で「あっかんべーっ」と舌を出した。
「大丈夫ですよ。きっと上手く行きます」
エンジェルのフォロー、というわけではないのだろうが、苦笑するリィナに、ジークハイドは笑顔で身を乗り出した。
「だよね? だよねぇっ?」
相槌を問うと、リィナは「はい」と笑顔でうなずいてくれた。もうただそれだけで心は有頂天だ。
やっぱこの子は違うよ! 意地悪なところもないし! きっと、ご両親の教育が――
そう考えて、ふと、疑問が浮かんだ。「そういえば、リィナのご両親は?」と。いや、それだけじゃない。なぜあんな城に住んでいるのか。そういえば、昨日「森から出たことがない」と言っていた。なぜ外に出ないのか。なぜ一年間も寝ているのか。なぜ明かりが苦手なのか。なぜエンジェルと二人でいるのか!!
最後の疑問が一番重要だが、しかし、それにしても謎が多い。“闇の管理者”というのは何度も聞いた。それがなんらかの関わりを持っているのだろうというのは予想できるが、黒ヒョウのエンジェルといい、どこか人間離れしているような――。スエーカーほどの使い手なら、獣に化けることは可能だろうが。
ジークハイドはソワソワと落ち着きなく目を泳がせ、爪先をパタパタと上下に動かしていたが、意を決して、ためらいながらも切り出した。
「リィナはあの城から、……漆黒の森から外に出たことないって言ってたよね?」
「……ええ。ほとんど城の中にいますから」
「ンそういえば、ご両親は? ……まさか、リィナを一人っきりにしてどこかに行った、なんてことはないよね?」
「私の両親は、もうだいぶ昔に死にました」
苦笑しながらも平然と答えるリィナに、ジークハイドは「……あ」と、小さくためらいを見せ、すぐに目を逸らした。
「ご、ごめん。嫌なことを聞いて……」
最悪の事態を考えていなかった。迂闊な質問はするべきじゃなかった。
そう反省の色を濃くしてうつむくジークハイドの心情を悟ってか、リィナは「いいえ」と首を振った。
「両親がいなくても、エンジェルがいたから」
優しい笑みで答えられ、「……くそ。ちょっとムカつくぞっ」と思いながらも、負けじと身を乗り出した。
「け、けど、これからはオレもリィナと……友達だしっ」
自らの存在を強くアピールするジークハイドに、リィナは少し間を置いて微笑んだ……だけだった。それ以上何もない“答え”に、ジークハイドは不安げに、上目遣いで彼女を窺った。
「……え? オレと友達って……、嫌?」
「あ、いいえ。……そんなことないですよ。嬉しいです。とても」
「ホントに?」
「はい」
「絶対?」
「はい」
「じゃあ……友達なっ!」
「……はい」
にっこり笑って相槌を問うジークハイドにリィナが微笑みうなずくと、
「……光の継承者がそんなことを言っていて良いものなのか……」
と、目を閉じたまま呆れ半分、エンジェルの呟くような小さな声に、ジークハイドは彼をにらみつけた。
「そんなの、関係ないと思うけどなっ」
不愉快さを露わにするが、エンジェルは「やれやれ……」とため息を吐くだけ。ジークハイドはムスッと口をとがらせ、リィナは二人の様子に小さく笑みをこぼした。
――それからどのくらい経っただろうか。
揺れる馬車の中、他愛もない会話をやり取りし、たまに無口になり、そうしている間に……。
「王子! 見えてきましたよ!」
手綱を引くササルの嬉しそうな声が外から聞こえてきて、ジークハイドは顔を上げ、ドアのカーテンを少し開けて外を見た。ボンヤリと灯る炎の明かりが、遠く、無数に広がっている。
カーテンを隙間なくちゃんと閉めると、座席に座り直してリィナに目を向けた。
「着いたよ」
「……はい」
うなずくものの、少し緊張しているのか、どこかぎこちない笑顔に、ジークハイドは苦笑して首を振った。
「大丈夫。心配することはないから。オレ、先に降りて、みんなに事情を説明してくるよ。それから父さんに……国王に会うことになると思うけどさ、オレには厳しいけど、他の人には優しい人だから。きっとキミのことも受け入れてくれる」
「……はい」
段々と表の騒がしさが耳に届いてきて城内に入ったんだと意識し出す頃には、石畳を走る車輪のスピードが落ち、馬車が止まった。そして、詰め寄ってきたのだろう、大勢の人達が何かを口々に言っているのが聞こえてくる。
「ササル! 王子は!?」
「ご無事でなによりです! さぁ、早く国王様の元へ!」
「この馬車は!?」
あまりの騒々しさにジークハイドは苦笑していたが、ふと、リィナが怯えてエンジェルにしがみついているのを見て、御者席への覗き窓に顔を向けた。
「ササルっ、みんなを追っ払ってくれっ。……オレも外に出れないしっ!」
「あ、ああ、はいっ。少々お待ちをっ!」
ササルは慌てて返事をすると、馬車を降り、「はいはいっ。皆さん、馬車に近付かないで!」と、みんなをそこから遠ざけようと説得する。彼がみんなを引き連れていく声と音が聞こえ、ジークハイドは心配げにリィナを窺った。
「……ごめん。大丈夫?」
「……あ、はい……。少し驚いて……」
オロオロと目を泳がぜながら返事をするリィナの顔に笑顔はない。
ジークハイドは不安げに、彼女の背中を撫でるエンジェルを見た。その視線に気付いたエンジェルは、「大丈夫だ」とでも言うようにうなずいて見せた。……彼が言うのだから間違いはないだろう。
「……待ってて。すぐ戻ってくるから」
リィナを心配しながらも留まっているわけにもいかないジークハイドは、ドアを開けて外に出るとすぐにそこを閉めた。
「王子!」
みんなが彼に駆け寄ろうと足を踏み出したが、「動くな!!」と、ジークハイドに怒鳴るように手を伸ばされて“待て”の合図をされ、ビクッ! と肩を震わせてピタッと止まった。誰一人動くことのない様子に、ジークハイドは深く息を吐き、自ら近寄って微笑んだ。
「……ただいま。心配かけさせてごめん」
ようやく見せた笑顔と穏やかな声に、みんながホッと緊張の糸を解く。
「っと、誰か、ここに国王とスエーカーさんを連れてきてくれ。大至急だ」
ジークハイドの言葉に、兵士達が大急ぎで城の中へと駆け込んでいく、その間――
「……大丈夫ですか?」
「……うん」
馬車の中、表の様子に聞き耳を立てながら、エンジェルは、まだしがみついて胸に顔を埋めているリィナの背中を撫でた。先程より強張った空気はだいぶ消えたが、背中に腕を回している彼女の腕は、まだ、力が強いまま。
エンジェルは一息吐くと、リィナの頭を見下ろした。
「……わかってますね?」
「……うん。……ちゃんと解ってる。……大丈夫よ……助けたかっただけだから……」
「……あなたのその優しさは、人間を甘やかすだけです。……この件が終わったら、すぐに戻りましょう。……それがあなたのためですから」
「……、うん……」
エンジェルにしがみついたまま、リィナは彼の胸元で顔をずらし、馬車の外を見透かすように目を細めて視線を落とした――。
「ジークハイド!」
「……父さんっ」
みんなが左右に開いた道の中央、足早にやってくる国王の姿に、ジークハイドは笑顔で駆け寄った。
「無事だったか!」
「はいっ」
国王は安堵の表情で腕を広げ、彼を抱きしめると、その背後に立つササルへと目を向けた。
「ササル、感謝するぞ」
「……っあ、いえっ。僕は別に何もっ……」
ササルは慌てて首を横に振り、恥ずかしそうに目を逸らした。
「これはこれは。無事に帰ってきおったか」
後からゆっくりとスエーカーが現れ、ジークハイドは国王から離れると彼女に微笑んだ。
「スエーカーさん、ただいま」
「おかえり。……と、……客人も一緒かぃ?」
スエーカーの目は、すでに馬車の方を捉えている。ジークハイドは鋭い目の老婆から、国王へと目を移した。
「その……漆黒の森に住む人を連れてきました」
彼の言葉に、国王は目を見開き、その周囲でも「ま、まさか本当に連れてくるとはっ」と驚きにも似たようなざわめきが広がった。
「な、なんと……」
「ということは、つまり……闇の住人……?」
「大丈夫なんですか? ここは光の神の居座る場所ですよ?」
「うるさい黙れ!」
ジークハイドは口々に不安を訴えるみんなを見回しながら、不愉快げに言い放った。
「客人に不快な思いをさせたヤツはオレが許さないからなっ。オレ達のために協力してくれるって言ってるんだっ。命の恩人になるかも知れない人に失礼なことを言ってみろ。重罪なんかじゃ済まさないぞ!」
脅すようなセリフに、誰もが石になって口を閉じる。
ジークハイドはみんなをにらみつけるように見回すと、「……フンーッ」と、鼻から荒く一息吐き、気を落ち着けてから真顔の国王を見上げた。
「……とても優しくて、親切な人です。快く、門番捜索の協力を引き受けてくれました」
「……そうか」
「ただ……ちょっと明かりが苦手なようです。だから、できるだけ城内を暗くしてもらえませんか? 松明程度だったら大丈夫です」
「よし、わかった」
国王はすぐに兵士達を呼び集め、城内の明かり、そして町の中、至る所全ての明かりを押さえるよう指示を出した。兵士達が手分けして作業にかかりだすと、至る所で光が段々と薄らいでいく。手際の良い様子をみんなで目で確認していると、城内から遅れて后とカーチスがやってきた。
「ジーク」
息子の元気な姿を見つけるなり、后は笑顔で腕を広げた。ジークハイドはそのまま、妃の腕の中でしばらく気持ちを委ねる。
「ただいま……、母さん」
「おかえりなさい。……無事で良かったわ」
「うん。……もう大丈夫だよ」
落ち着いた声で返事をしながら后から離れると、カーチスと目が合った。言葉を交わすことはなかったが、互いに笑顔を向け、それだけで済ませた。ササルに至ってはすぐにカーチスの側に赴き、「只今帰ってきました!」と大声で報告。カーチスは笑いながら「お帰りなさい」と彼を労った。
国王は、少し離れたところで停めてある馬車へと目を向けた。
「して……客人は現れてくれるのか?」
「呼んできます。普通に接してくださいね」
問題はないだろうが念のために釘を刺すと、国王は「わかっている」とでも言うように笑顔でうなずいた。
ジークハイドは足早に馬車に近付くと軽くノックしてからドアを開け、中を覗いた。
「……いいかな?」
エンジェルと、そしてすでに彼から離れていたリィナは顔を上げ、そっと窺うジークハイドにうなずいた。
「……、はい」
リィナが静かに返事をし、ジークハイドは導くように、外から馬車の扉を大きく開けた。みんながシーン……と静まり返り、注目する中、ジークハイドの開けたドアから、まずはエンジェルが姿を現し、みんなが少しざわついた。小声で「あんなに若いのか?」「好青年じゃないか」などと言っている。
エンジェルは気配を窺うように見回し、馬車へと手を差し伸べた。その手に掴まった小さな手が現れ、そして、ゆっくりとリィナが馬車から出てきた。
リィナは黒マントのフードをかぶったままうつむいていたが、周りが薄暗いとわかって安心したのか、ゆっくりと顔を上げた。チラリと見えた彼女の表情に、更にみんながざわついたが、ジークハイドが「ゲホン!」とわざとらしく咳き込み“脅す”ことで、また静まり返った。
ジークハイドは、うろたえるように目を泳がしているリィナの顔を覗き込んだ。
「……大丈夫かな?」
「……あ……はい……」
リィナは取り繕うような笑顔で返事をしたが、「……ふう」と深呼吸をしたあと、にっこりと笑ってうなずいた。
「大丈夫です。……問題はありません」
ジークハイドはホッと肩の力を抜き笑顔でうなずくと、「……こっちへ」と誘導した。リィナはエンジェルを従え、その後について歩く。
ジークハイドは国王の前で足を止めると、リィナとエンジェルに手を向け、紹介した。
「協力してくれる方々です。……リィナに、エンジェル」
国王はリィナとエンジェルを交互に見ていたが、しばらく間を置いて微笑んで見せた。
「遠い地より足を運ばせてしまって申し訳ない」
国王の言葉に、リィナは静かにマントのフードを頭から落とした。露わになった幼顔に、みんなが注目し、唖然とした――。
リィナは笑顔で国王を見上げると、深々とお辞儀をした。
「リィナと申します。この度は重大な危機を迎えていらっしゃるようで……。私共にできることがあれば、ぜひ、ご協力させて頂きたく存じます」
丁重な挨拶に、国王は首を横に振った。
「いや、そなた達には誠、感謝する。国を上げて歓迎しよう」
リィナは顔を上げると、ニッコリと微笑んだ。
――正直、どうなることかと不安だったが、なんとか上手く行きそうだ。
ジークハイドは安心して、嬉しそうに笑った。
「馬車路で疲れただろう。大広間にてゆっくりできるよう、準備をさせてある」
「ありがとうございます」
国王は微笑みながら、リィナとエンジェルを共に導き城へと通す。后や兵士達がその後に続き、みんながその姿を目で追い、そして城内に消えていくと……
「王子! あ、あの子が漆黒の森の住人ですかっ?」
「う、嘘でしょうっ? あんな女の子が!」
「かわいいじゃないですか!」
「あのお付きの人はっ? あの方は何者なんですっ?」
「本当に闇の住人ですかっ? 信じられない!」
「普通じゃないですか! 怖がって損した!」
焦るように身を乗り出して口々に訊くみんなを見回し、ジークハイドは威張って胸を張った。
「すっごくいい人達だぞ。みんな、仲良くしてやってくれよ」
みんなが「もちろん!」と笑顔で答えると、ジークハイドは満足げに「よしよし」と笑顔でうなずいた。だが――
「ふふふ……」
背後で怪しい笑い声が聞こえ、ジークハイドは嫌な予感に襲われつつもゆっくりと振り返った。
カーチスはいたずらっぽく横目で笑うと、胸の前で腕を組んだ。
「なるほどねぇ……」
意味深な一言に、ジークハイドは顔をしかめた。
「……なんだよ?」
「いいえ~、なんでもありませんわ。おほほほほ」
わざとらしく笑いながら、カーチスは国王達の後を追うように城内へと入っていく。ササルも犬のように彼女の後を追った。
ジークハイドは目を据わらせたが、ふと思い出した。
……しまったっ。カーチス先生とリィナはできるだけ近付けないようにしないと! 何を言われるかわかったモンじゃないぞ!!
「騒々しくなりそうだねぇ」
ドキッと心臓を高鳴らせて振り返ると、スエーカーが城内を見つめて苦笑していた。
「なんとも愛らしい娘だ」
「……リィナ、って名前があるよ、スエーカーさん」
「ということは、あの若造は黒ヒョウかぃ?」
「わかるのっ?」
「あたしを誰だと思ってんだ?」
「さすが。ダテに年取っちゃいないね」
ギュッと足を踏みつけられて、ジークハイドは顔を歪めて「イテ!」と声を上げた。
スエーカーは「ふんっ」と鼻から息を出すと、肩の力を抜いた。
「……まぁ、いいさ。あたしもあの子たちとはゆっくり話しがしたいからね」
「いじめないでよっ?」
「いじめる? ふん。ここに来たら質問責めに遭うことだって覚悟の上だろうよ」
城に向かって歩き出したスエーカーを見て、ジークハイドは目を見開いた。
……質問責めだなんて!
慌ててスエーカーを追い越しみんなの後を追い、大広間へと走って向かった。
そうだよ! みんなが興味津々になるのは当然だ! リィナが困っちまう! ……嫌われるーっ!!
最後の一言は余計だが、その言葉が一番、彼には重要だった。
薄暗く松明を焚かれた城内を走り、大広間の扉を開ける。……と、
「お茶は何になさいます?」
「あ、それじゃ……紅茶を」
「そちらの方もご一緒でよろしいですか?」
「ええ」
「お腹は空いてません? 何か作りましょうか?」
「いえ、お気遣いなく」
白いクロスに花が飾られた長テーブルには、すでにそれぞれがイスに腰掛け、楽しげな表情を浮かべている。
ジークハイドは息を切らしながらドアの側で見回し、笑顔でみんなと接しているリィナを見つけるとホッとした。
……質問責めなんかされたら……たまったもんじゃないだろっ。そんなことを思いながら、落ち着いた表情を作ってリィナの側に寄ると、座っている彼女のイスの横に立って、少し身をかがめ窺った。
「……何か気に障ることは? なかった? 大丈夫?」
不安げに小さく尋ねるジークハイドに、リィナは笑顔で首を横に振った。
「いいえ、何も」
「……そ、そう」
ジークハイドはぎこちない笑顔のまま、今度は彼女の隣にいるエンジェルへと近寄って、リィナに聞こえないよう、囁いた。
「……ひょっとしたら何か余計なことを聞いてくるヤツがいるかも知れない。……その時は遠慮なく噛みついていいぞ」
「お前以外の人間に噛みつくつもりはない」
ツンとした表情で即答されてジークハイドは目を据わらせた。
「ジークハイド、お前はさっきから何をコソコソと話しておるのだ」
怪訝な顔をする国王に、ジークハイドは背筋を伸ばして「い、いやー……ははは」とカラ笑いをし、自分用の席、国王の隣へと歩み寄った。
大広間には国王、后とスエーカー、ササルとカーチス、その他にも官僚達や集まってきた各国の王族達の姿も見られる。ジークハイドは、「余計な話をするんじゃないぞ」と心の中で祈りながら、周囲を見回した。リィナとは少し席が離れているため、なかなかフォローに回れないだろう。
……くそっ。側に座れればなーっ。そんなことを考えていると、スエーカーが誰よりも早く口を開いた。
「どうだぃ? ここの連中は?」
問いかけられたリィナは微笑んで見せた。
「とても気のいい方達ばかりで。……少し不安でしたが……ホッとしました」
本心だろう。馬車の中にいたときよりも表情が生き生きとしている。
スエーカーは「そうか、そうか」と笑顔で数回うなずいた。
「みんなびっくりしているよ。漆黒の森に住む管理者がまさかあんたみたいな幼い子だとは」
リィナは苦笑すると、用意された紅茶を少し口に含んだ。
「しかし……、驚かれたことだろう? 突然、協力の申し出にジークハイドが現れて」
国王が少し苦笑気味に訊くと、リィナは紅茶のカップを置いてナプキンで口元を拭い、微笑んだ。
「そうですね……。人がやってくることなんてないので。……けれど、彼の、皆さんのことを思う気持ちは充分すぎるほど伝わりましたから。私も、そしてエンジェルも、その思いが報われるなら、と……」
「優しいお嬢さんだ」
誰かが感心するように、吐息と共に言うと、リィナは照れたように「い、いえ……」と視線を落とした。
「いろいろと聞きたいことがあるんだけどね。いいかぃ?」
スエーカーが切り出し、「ほら来た!」と言わんばかりに、ジークハイドは眉をつり上げて身を乗り出した。
「スエーカーさんっ!」
「お黙り」
スエーカーはジークハイドを制するようににらみつけたが、「……申し訳ないが」という、低い声にみんなの視線がエンジェルに向いた。
「今回、あなた方に協力はする。しかし、それはリィナの意志であって“我ら”の意志ではない。光の神を司るあなた方と我らは相反する者同志。その関係はいにしえより変わりはない。この件が終われば、我らは再び住むべき元へ帰る。その間の出来事は空気のようなものであり、我らを、ここにいていないものだと心に留めていて欲しい」
エンジェルの冷静な言葉にみんなが静まり返り、リィナは少し視線を落とした。それに気付いたジークハイドは、なんとなく息が詰まるような思いを感じ、目を泳がすと、エンジェルへと真っ直ぐ戸惑うような顔を向けた。
「けどさ、それって……ちょっと寂しくないか? せっかく出会ったんだぞ? 仲良くやったっていいじゃないか」
「仲良く? お前は本当に光の継承者なのか?」
「……、相反するだかなんだか、オレにはわからない」
軽くにらまれてジークハイドはムッとしたが、平静を装って言い返した。
「ただ、キミらを空気のようなものだなんて思えないだけだ。オレ達の命の恩人になるかも知れないキミらを、誰が空気だなんて思える? リィナの意志でここに来た。お前の意志じゃないにしても、お前はそんなに悪いヤツじゃないって、オレは知ってるんだぞ」
にらみながらもどこか拗ねるようなジークハイドに、エンジェルは呆れて目を細め、ため息を吐いて見せた。
「まぁまぁ。仲がいいんだか悪いんだかわかりゃしないね、まったく」
スエーカーは二人の間に割り込むと、苦笑しつつエンジェルを窺った。
「簡単な質問だよ。漆黒の森について、みんなあまりにも無知なんだ。今まで何十人という死者を出してきた。これ以上の犠牲がないように知恵を授けて欲しいのさ。……込み入った話はしない。それならいいだろ?」
スエーカーの申し出に、エンジェルは間を置いてうなずいた。
「ありがとうよ。……漆黒の森は足を踏み入れるたびに路が変わるらしいが、本当かぃ?」
「真実ではない」
エンジェルが表情を変えることなく答えた。
「木々の形、その影は、日を増し、日照時間によって見方が変わる。枯れ葉の落ち具合、動物たちの通った後、森の中は数分ごとにその姿を変えていく、自然のままに。それだけのことだ」
「なるほどね。あたし達があまりにも恐ろしく捉えすぎてたってワケか。……じゃあ、地図を作ろうと思えば作れるってワケだね」
「作れないことはないだろう。……しかし、我らが住むところは闇成る場所。元々、あなた方が足を踏み入れる必要などないのでは?」
「……うむ。そりゃそうだ」
「それに、ジークハイドは黒猫の後を付いてきた、と言っていたが……。あの黒猫は死神だ」
エンジェルの言葉にジークハイドは目を見開いて顔を強ばらせた。
「どこででも見かけることのできる動物だからといって油断すると罠にかかる。死者が出ていると言っていたが、それは死神が化けた生き物の後について、闇の世界に案内されたのだろう。ジークハイドが死神にさらわれなかったのは、運が良かったのか、光の継承者だったからか……。……どちらにせよ、地図を作ろうと思っても、死神がいつ何時襲いかかってくるかわからぬということを心に留めておくといい。死神は、惑わす為ならどんな姿にでも化ける」
「どんな姿にでも、って……。人間の姿にも?」
ジークハイドがそっと恐ろしげに訊くと、
「森に近付こうとしなければいいだけの話だ」
と、エンジェルは突き返すように返事をした。
人間を寄せ付けたくない、そんな雰囲気を醸し出す彼の隣で、リィナはじ……と下に視線を向けているだけ――。
「……リィナも……そう思う?」
ジークハイドが呟くように問いかけると、リィナは顔を上げ、最初は目を泳がしてためらっていたが、それでも、間を置いて応えた。……視線を逸らして。
「……そうですね、エンジェルの言うとおりだと思います。……あそこに人が近付くのは好ましくはないし……、そのために死神にさらわれ、その命を落とすのであれば……」
けど、それじゃキミは、誰かと会うこともできず、それこそエンジェルと二人っきりなんだよ? そう心の中で言っても誰にも伝わらない。ジークハイドは寂しげにうつむいた。
「まぁね……。あたしらと相反する漆黒の森に近付くことも、あんた達に会うことも、本当は必要のないことだ。……ただ、相反するから気になる、そういうことだってあるのさ……」
スエーカーは静かに言うと紅茶を一口飲み、そしてカップを置くと同時に再びエンジェルに目を向けた。
「今回の協力には本当に感謝してるよ。何十、ヘタしたら何百って民が死ぬところだ。王子の突拍子もない奇策に乗って正解だったね」
エンジェルは顔をしかめてジークハイドを見た。「企んでいたことなのか?」と言わんばかりの、どこか裏切られた風な鋭い視線に、ジークハイドは誤魔化そ関わろうとせずに視線を斜め上に向けた。
――それから数分間、互いの紹介やシュレル・キングダムのこと、そして今回の門番のことで他国の民が移動してきていることなどこと細かく説明し、それを終えると、みんな笑顔で解散した。リィナとエンジェルは国王共々と客間へ案内され、女中達が後片付けをし始める中、ジークハイドはドッ……と肩の力を抜いて深くイスにもたれた。
それを少し離れた席から見ていたカーチスは呆れるように苦笑した。
「何を疲れているの?」
「……疲れてなんかない」
「あら、そう?」
「……」
ジークハイドはいやらしく笑っているカーチスを見て目を据わらせた。スエーカーとササルは二人して国王達と一緒にいなくなった。……ということは、現状、カーチスの天下である。
「あんたがどうして漆黒の森に興味を持っていたのか、よーくわかったわ」
ジークハイドが益々目を据わらせるが、カーチスは構うことなくニヤリと笑った。
「けど、片思いみたいじゃない?」
「うるさいなっ!」
痛いところを突かれ、ムカッと眉をつり上げて身を乗り出し口をとがらせるが、カーチスの愉快げな雰囲気は消えない。
「ふふふ。なんでも手に入ると思ってたら大間違いよ?」
「……そんなこと思ってないっ」
「そう? そうかしらねぇー?」
「……オレが国王になったら、絶対、お前をここから追い出してやるっ」
「やれるモンならやってみなさい」
二人の間にバチバチと火花が飛ぶ。それを窺いながら女中達は苦笑した。
「お二人様、片付けが進みませんで、申し訳ございませんがどこか別の所でケンカなさっていただけませんか?」
ジークハイドはムス……と頬を膨らませてイスから立ち上がった。カーチスもイスから立ち、女中達に「ありがとう」とニッコリ笑いかけ、ジークハイドに近寄った。
「こっちにいらっしゃい、このドラ息子」
カーチスは、顔をしかめたジークハイドの耳をつまむと引っ張って歩き出した。
ジークハイドは「痛い痛い!」と叫きながら、耳を引っ張られる方へと足を進める。
「何すんだよっ! 離せ! この……クソババァ!」
「おねーさんに向かって“クソババァ”はないでしょう?」
にっこり笑ってつまんでいる耳をひねると、ジークハイドは足を絡め歩きながら「いててててっ!」と顔を真っ赤にしてカーチスの腕を掴んだ。
「やめろよっ!」
「その憎たらしい口を閉じて、黙ってついてらっしゃい」
カーチスはいつもの命令口調で、なおも耳をつまんだまま歩き続けた。すれ違う兵士達が通り過ぎた後でクスクスと笑っている。その雰囲気を感じてジークハイドは恥ずかしくなり、隣のカーチスをにらみつけた。
「耳っ、つまんでなくてもちゃんと付いて行けるっ!」
「いーえ。ついて来れないわ」
「なんでだよっ!」
カーチスは黙々と歩き続け、そして辿り着いたところは……大聖堂――。
扉を開け、中に入ると、ツカツカと女神像の前までジークハイドを引っ張り、やっと耳を離したかと思えば今度は腰に手を載せて彼をにらみつけた。
ジークハイドは耳を押さえて口をとがらせた。
「な、なんだよーっ」
「誓いなさい」
「……はっ?」
「光の神の前で、誓いなさい」
「なにをっ?」
「闇の住人、リィナには想いを寄せない、って」
真剣な顔で促され、ジークハイドはポカンと口を半開きにしてアホ面をさらけ出した。
「……へ?」
「だからっ……リィナのことは好きにならないって誓いなさい」
「ち、ちょっと待てよ」
さっさとしなさい、と、言わんばかりに急かすカーチスに、ジークハイドは戸惑い、首を軽く横に振った。
「なんのことだか、オレにはさっぱり……」
「あのね……」
カーチスはため息を吐いた。
「わかったでしょ? 彼女も、そしてエンジェルも人との接触をさけてるの。彼らは理解してるのよ、闇が光の中に受け入れられるものではないってことを」
「……」
「あなたも現実を見なさい。光は光の中に。闇は闇の中に。あなたは光の中に。彼女は闇の中に。光は闇にはならない。闇は光にはならないの。わかる? 誓いなさい。彼らにこれ以上の想いを寄せないことを」
「……」
ジークハイドは今までの威勢をなくし、視線を落としてうつむいた。どこか悲しげな様子にカーチスもあまりきつくはなれないのか、一息吐いて冷静な表情で腕を組んだ。
「……彼らといろんな話をした?」
「……全然。……リィナは今度、ササルから話を聞いた方がいい、って……言ってた」
「そう。その方がいいわね」
「……なんで?」
「なにが?」
「だってさ……おかしいよ。……おかしい」
うつむいたまま、ジークハイドは段々と声のトーンを落としていく。戸惑っているのか、何かが不安なのか――。話しを聞きたがることもなく、それ以上の言葉がない彼に、カーチスは深く息を吐いてポンと優しく肩に手を置いた。
「……事情がわかれば納得できるから。私はあまり詳しくは知らないから話を聞かせてあげれないけど……、今晩、……明日でもいいわ。ササルさんに漆黒の森のことについてちゃんと話を聞いてごらんなさい」
「……」
「誤解しないでよ? あなたが誰を好きになろうと、それを止めるなんてこと、したくはないわ。けど……相手が悪いのよ。……それだけ」
……相手が悪い――。
ボンヤリと城の外を散歩する。時々兵士達とすれ違い、敬礼をされるが、その姿にも気付かない。そんなジークハイドの姿に兵士達は首を傾げた。
……相手が悪い……。
「……」
城内の一角、噴水のある広場まで来てそこで足を止めた。
水が噴き上がることはないが、風で水面が揺れ動いている――。そこに映し出された歪んだ影、自分の姿を見て目を細めた。
……なんか、ヘンだな……。
手を伸ばして水に入れると、何かを消そうとするようにゆっくり掻き回した。
「冷たいでしょ?」
声がして振り返ると、リィナが苦笑気味にゆっくり近寄ってくるところだった。
「とても静かですね……。こんなに大きなお城だから、もっと騒々しいのかと思っていました」
黒いローブで顔を隠し、月明かりから逃げながら微笑む。
ジークハイドは背を伸ばすと、濡れた手をそのままに彼女へと体を向けた。
「……どうかした? ……エンジェルは?」
「スエーカー様とお話しを。私は退屈だったから……ちょっと散歩。……けど、迷っちゃいました」
恥ずかしそうに笑うリィナに、ジークハイドは少し吹き出した。
「広いからね。……部屋まで送ってあげるよ」
「ありがとう」
リィナは笑顔でお礼を言うと、服の間からすっと白いハンカチを取り、差し出した。ジークハイドは遠慮なくそれを受け取って手を拭う。――柔らかい生地が手を包み込み、小さく笑みをこぼした。
「……明日にはブラックゾーンがやってきそうですね……」
辺りを見回すリィナに「……うん」とジークハイドも見回し、広げてしまったハンカチを畳みながら空を見上げた。
「……だいぶ暗くなってきたな……」
「ブラックゾーンには慣れていますか?」
「そりゃ……毎年のことだから」
「そうですか……」
微笑んで手を差し出され、ジークハイドは首を横に振った。
「ちゃんと洗って返すよ」
「あ、いいんです」
「ううん。そうする」
リィナはポケットにハンカチをしまい込んだ彼を見て寂しげに笑った。
「じゃあ……お願いします」
「うん」
ジークハイドは笑顔でうなずいたが、頭の中は空っぽだった。けれど、心の中は違う。カーチスの言葉が膨らんで支配している。気持ちを抑えつけようとするように。どうしたらいいのかわからず、でもじっともしていられず、視線を落として小さく切り出した。
「あの……さ……」
「はい?」
「その……さっき……話してたこと」
「?」
「……森には近付かない方がいい、って……。……リィナはホントに、そう思ってる?」
視線を逸らしたままの途切れそうな問いかけに、リィナは少し間を置いて微笑んだ。
「……はい。その方が、いいと思います」
「どうして?」
不可解な顔を上げてすぐに問う彼に、リィナは優しい笑みを浮かべて首を横に振った。
「ここはあなたの住む場所。そして、森が私の住む場所だから……」
「けどさっ、遊びに行ったりするのは可能でしょっ?」
「……でも、私……また、眠るから……」
リィナは言葉尻を細めて少しうつむいたが、顔を上げると微笑んでみせた。
「エンジェルの言うことは正しいと思いますよ? 用もなしに、森に近付くものじゃありません」
「……キミと遊ぶ、って……用事は?」
そろ……と、遠慮がちに上目遣いの視線を向けると、リィナは間を置いて笑顔を消し、少し真顔で首を横に振った。
「今、私はここにいますが……、それは、あなたが困っていたから。たくさんの人の命がかかっているとわかったから。それだけなんです。……だから……」
目を次第に逸らして言葉を切ったリィナに、ジークハイドは視線を落とした。
「……相反する……から?」
ためらうような声にリィナは間を空けてうなずき、真剣な顔を向けて答えた。
「……あなたが光の継承者として選ばれた人なら、私は闇の継承者として選ばれた者なんです」
ジークハイドはギュッ……! と、目を強く閉じて両手を握り拳にし、耐えるように体を硬直させたが、それを解くなり、戸惑うような、どこか訴えるような顔で彼女を見つめた。
「……オレっ!」
「私、エンジェルを頼りにして生きています」
ジークハイドは目を見開いて言葉を飲んだ――。
「私、エンジェルと一緒なら、それだけでいいんです。他には何もいらない」
「……キミと、エンジェル、は……」
「……エンジェルは、私のことを一番に考えてくれる。傍にいてくれる。一緒に生きてくれる。……けど、あなたは違うでしょ? あなたが一番に大切なのは、私じゃないんです。傍にもいられないんです。一緒に生きることもできないんです。……それが、答えです」
「……」
「……ごめんなさい。……きっと、私が……曖昧なことをしてしまって……。……ごめんなさい……」
悲しげにうつむいて何度も謝るリィナをボンヤリと見つめていたジークハイドは、握りしめていた拳から力を抜くとゆっくりうつむき、間を置いて顔を上げ、ぎこちなく笑いかけた。
「オ、オレの方こそごめんっ。ヘンに気を遣わせてっ。ン……そうだねっ、あのっ……、ほらっ……。そのっ……いい友達になれたらなーってっ……思って……さっ。ちょっと……無理、かなっ? はははっ」
カラ笑いをしながら頭を掻く。リィナはそんな彼を見ることなく視線を落としているだけ。
ジークハイドは「ははは……」と笑いながら目を泳がし、そしてうろたえながらも元気よく切り出した。
「あっ、部屋っ! 送っていくよっ!」
手を伸ばして導こうとしたが、顔を上げたリィナの目が留まった。彼女の視線を追うと、エンジェルが城の影からゆっくりと近寄ってくるところだった――。
リィナは静かな足取りで彼に近寄り、ジークハイドを振り返った。
「……ありがとう。……エンジェルがいるから、もう大丈夫」
「……そ……そう、だね……」
ジークハイドは微妙な笑みを浮かべ、軽く手を上げた。
「……おやすみ。また……明日」
「おやすみなさい」
リィナは小さくお辞儀をする。
エンジェルは「……寒くないですか?」と問いかけながら、彼女の肩に手を回し、導き歩き出した。彼らの背中を見つめていたジークハイドは、不意に顔を上げて「リィナ!」と、一歩足を踏み出し呼び止めた。
リィナは歩いていた足を止めると、間を置いて少し振り返った。
「そのっ……今回、協力してくれて……ホントにありがとう。……すごく、感謝……してるんだ……」
ジークハイドの途切れ途切れの言葉に、リィナは微笑んで首を横に振った。
「いいんです。私がそうしよう、って……決めたことだから」
「……うん……」
「それじゃ……」
リィナとエンジェルは城の中へと歩いていく。その背中を見送ったジークハイドは、二人の姿が見えなくなるとガクン、と腰を落としてその場に座り込み、うつむいた。
……くそ。エンジェルの奴、番黒ヒョウじゃなかったのかよっ……。
ガシガシッと頭を掻きむしると髪の毛がボサボサと左右に乱れ、風に揺れる。それを整えることなく手を下ろして深くため息を吐くと、じっと悲しげに地面を見つめた。
……だってさ、ホントに……、最初に見たときから「この子だ!」って……そう思ってたんだよ。……なのにさ……。
「あ! 王子、発見!」
元気のいい声が聞こえてきたが、ジークハイドはそちらを振り返ろうともしなかった。むしろ、その元気の良すぎる声と走ってくる足音が非常に不愉快で、なんなら一発、殴ってやろうかと思えたほど。……相手が相手なら、殴っていただろう。
「こんなトコでどうしたんです?」
ササルはジークハイドの前で立ち止まると、座り込んだままうつむいている彼を見下ろして首を傾げた。
「何か落としたんですか?」
「……」
「王子?」
「……」
「僕も探しましょうか?」
「……放っとけ」
「え?」
「……あっちに行け」
「そう言われましても……」
ササルは「よいしょ」と彼の前に同じように座り込み、顔を覗き込もうとして背中を丸めた。
「王子?」
「……」
拗ねた子どものようにゆっくりと背を向ける、そんなジークハイドにササルはキョトンとし、背後から彼の肩に手を置いた。
「どうしたんですか王子? 女の子にフられたみたいですよ?」
グサッ!
「そういえばさっき、リィナさんとエンジェルさんが一緒にいましたけど?」
グササッ!
「あの二人って、いつも一緒にいますねー」
「お前なぁぁ……。そう、人の心をえぐるようなことをぉぉぉ……」
「?」
肩を震わせるジークハイドにササルは首を傾げたが、「……あっ」と、何かを思い出して声を上げた。
「カーチス先生から頼まれたんですよっ。王子に漆黒の森のことを詳しく話して欲しい、って! カーチス先生に頼まれたからには、僕、バッチリ教えますからねっ!」
意気込みを露わに声を弾ませる、どこか楽しげな雰囲気を背後に感じながら、ジークハイドは目を細めた。
「……必要ないよ」
「え?」
「……もう、聞くことない……」
「けど王子、何も知らないままじゃ……」
「知ったって、なんにもならねぇもん……」
「し、しかしですね」
「リィナ達は、門番を見つけるため……協力するためにここに来てくれた。……用事が終われば帰るんだ。……それだけだろ」
「そ、それは……。……あれ? 王子、リィナさんのこと好きなんじゃなかったんですか?」
「……。お前、ブン殴ってやるぞ」
背を向けたままでゆっくりと右拳を上げて見せると、ササルは慌てて後退した。
「ぼ、僕が何をしたって言うンです!?」
「お前が言うこと、いちいち気に障るんだよぉぉぉ……」
怒りを露わにして声を震わせるが、それも段々と鎮火し、最終的には背中を丸めて項垂れ、右拳を下ろすと深いため息を吐いて首を横に振った。
「……もういいんだ、ササル……」
ジークハイドの様子にやっと異変を感じたササルは顔をしかめた。
「なにかあったんですか? ……エンジェルさんに、何か言われました?」
「……エンジェルじゃない。……リィナに言われたんだよ」
「なんて?」
ジークハイドは座り込んだままの姿勢で顔を上げ、真っ暗な空を見上げた。
「……エンジェルがいるなら、他には何もいらない、ってさ……」
「……」
ササルは少し訝しげに眉を寄せた。
「リィナとエンジェルは恋人なんだよ、きっと。……ああ、くそ。さっきエンジェルの奴、殴っとけば良かった……」
「……リィナさんがそう言ったんですか?」
「そーだよ」
ハッキリと答えたあとにがっくりと頭を落としたジークハイドの背中を見て、ササルは小さく息を吐いた。
「そういうことだったんですか。……ンけど、リィナさんも辛かったと思いますよ? 彼女は優しいですからね。何を言うにしたって……それは彼女自身のためじゃなく、誰かのためなんですから」
「……」
……誰かの……ため……。
ササルの言葉を大人しく耳の奥に留めていたジークハイドは脳裏で繰り返し、地面を見つめた。
ササルは小さく息を吐き出すと、彼の背中に向かって言葉を続けた。
「漆黒の森のこと、聞かなくていいのなら構いませんけど……。本当にそれでいいんですか?」
「……」
「王子?」
問いかけられ、ジークハイドはカクンッとうなずく。ササルは少し苦笑すると、ポンポンと肩を優しく叩き、立ち上がった。
「明日にはブラックゾーンがやってきそうですね……。王子も封印の準備をした方がいいですよ。……気も紛れますから」
そう言い残し、彼はゆっくりと城内に足を向ける。ササルの遠ざかる足音を聞きながら、ジークハイドはそっと夜空を仰いだ。
……リィナ自身のためじゃなくって……誰かのため……――。