EP 2
道連れの底辺人魚
「……電車……魔導特急……」
ルナキンの窓際で、スクランブルエッグを前にうわ言のように呟き続けるフェンリル。
その様子にデュアダロスやフレアは警戒を強めていたが、フェンリル本人の頭の中は、今や別のドス黒い感情に支配されていた。
(俺は負けた……。全財産を溶かし、ロスカットという名の深淵に落ちた。だが……)
フェンリルは、ストローを噛みちぎりながらメロンソーダを飲んでいるリーザに、ギョロリと血走った視線を向けた。
(俺一人で、この地獄を抱え込むなんて嫌だ……! 誰か、誰か一緒に落ちてくれる「道連れ」が欲しい……ッ!)
クズの極みである。神話最強の狼王は、己の破滅の痛みを分かち合う(あわよくば金づるにする)ターゲットとして、最も騙しやすそうな底辺アホ人魚に狙いを定めたのだ。
その日の夜。
『料理屋・深淵』の営業が終わった後の薄暗いリビング。
「ねぇ、リーザ。ちょっと面白い『ゲーム』があるんだけどよ」
フェンリルは、甘い声でリーザの肩を叩いた。
「ゲームですかぁ? どんなゲームです?」
残ったまかないの唐揚げをモグモグと食べていたリーザが、純粋な瞳で振り返る。
フェンリルは懐から『魔導ファミコン』を取り出し、妖しく光る画面を見せた。
「こいつはな、『FX奴隷戦士』っていう神ゲーだ。この折れ線グラフが上にいくか、下にいくかを当てるだけの超カンタンな遊びさ。当たれば、お小遣いがポンポン増える魔法の箱だぜ」
「魔法の箱……! お金が増えるんですか!?」
「あぁ。リーザ、お前もアイドルなら『一攫千金』の夢、見たくねぇか? 三食まかないも最高だけどよ、自分のお金でカツ丼の『特上』……食いたくねぇか?」
「と、特上……ッ!」
【カツ丼】という悪魔のキーワードを出された瞬間、リーザの瞳孔が開き、ヨダレがタラリと垂れた。
フェンリルの罠に、アホの人魚が完全に絡め取られた瞬間だった。
「……やり、やります! 私、一攫千金のアイドルになりますぅぅ!」
「ヒヒヒ……そうこなくっちゃな。まずは少額からだ。レバレッジってやつを限界までかけて……ポチッとな」
その夜から、ヤクザ事務所の二階には、二人の異様な掛け声が響くようになった。
「パンプ! パンプですぅぅ! 上がれ、上がれぇぇ!」
「そうだリーザ! そこだ! 行けぇぇ!」
「ああっ、落ちる! 下がってますぅぅ! ショート! 損切りぃぃ!!」
絶世の美少女が、血走った目で画面に張り付き、専門用語を叫びながらコントローラーを叩き壊さんばかりに連打する。
「パンの耳」生活で培われたリーザのハングリー精神は、悪い方向へ見事に爆発した。彼女は睡眠時間を削り、まかないの最中も虚ろな目で宙(見えないチャート)を見つめるまでに悪化していった。
そして、三日後の深夜。
テロリロリ〜ン。
【ロスカット:全財産が消滅しました。奴隷落ち確定です】
「「…………」」
暗闇のリビングで、フェンリルとリーザは並んで膝を抱え、石像のように固まっていた。
当然の結果である。ギャンブル狂の狼と、算数すら怪しい底辺アイドルが、魔導為替の世界で勝てるはずがなかった。
「……終わりましたぁ……。私のお小遣い、全部溶けましたぁ……」
リーザが、カサカサになった唇から魂の抜けたような声を出す。
「……まだだ」
フェンリルが、ボサボサの髪の間から、ギラリと野獣の光を放つ目で立ち上がった。
「まだ終わりじゃねぇ。負けを取り返すには、さらにデカい金を突っ込むしかねぇんだ……!」
「で、でも、もう私たちには1ルナすら残ってませんよぉ……」
「……あそこにあるだろ」
フェンリルの指差す先。
リビングのソファでは、限界社畜の過労女神・フレアが、疲れ果ててスヤスヤと無防備な寝息を立てていた。
その右手はだらりと垂れ下がり、魔導通信石による『ネット銀行の契約』などにも使われる、神聖なる【親指】が丸見えになっていた。
「……! ふぇ、フェンリルさん……まさか」
「おいリーザ。あの過労鳥、神話の時代から何万年も働いてんだ。すげぇ額の『貯金(結婚資金)』を隠し持ってるはずだぜ……?」
「だ、ダメです! それは人(神)として越えちゃいけない一線ですぅぅ!」
「カツ丼の……『特上・お肉二倍盛り』……食いたくねぇのか?」
「…………やります」
カロリーの誘惑に、アイドルの尊厳が秒で屈した。
二つのドス黒い影が、熟睡するフレアの右手に、音もなく忍び寄っていく。
朱肉の準備は、すでに完了していた。




