EP 2
階段の途中で、限界社畜とすれ違う
ポポロ国の地下深くに広がる、かつて神々が封印を施したとされる最終ダンジョン。
本来ならば、踏み入れた瞬間に瘴気で気を失うほどの恐ろしい場所である。
しかし、リアナはフリルのエプロンを揺らしながら、まるでピクニックにでも行くような足取りで石段を下りていた。
「あっ、壁際に生えてるのはただの光る苔ですね。残念。お目当ての『肉椎茸』はもっと奥でしょうか?」
右手に包丁、左手には先ほど廊下で捕獲した『人参マンドラ』(観念したのか大人しくなっている)をぶら下げ、鼻歌交じりに進んでいく。
彼女が生まれ持つ規格外の魔力と【服従の輪】の絶対的な覇気のせいで、ダンジョン内に巣食う凶悪なモンスターたちは「ヤバい奴が来た」と本能で察知し、スライム一匹すら姿を見せずに逃げ散っていた。
そんな無人の階段をしばらく下っていると、ふわり、と奇妙な匂いが漂ってきた。
(あれ? この匂い……お酒? それに、お魚を焼いたような……?)
リアナが不思議に思って角を曲がった、その時だ。
「……はぁ。なんで私ばっかりこんな目に遭わなきゃいけないのよ……」
階段の踊り場で、死んだ魚のような目をした絶世の美女が、重いため息をついていた。
燃えるような真紅の髪に、誰もが振り返るほどの抜群のプロポーション。
しかし、その美しい顔には色濃くクマが刻まれており、肩はズーンと重く沈んでいる。
彼女こそ、神話の時代から世界を見守る三調停者の一角——『不死鳥フレア』である。
「デュークのオッサンは呑気にラーメンの湯切りしてるし、フェンリルはチャンネーと海でウェーイだし……。私だって、エステとか行きたいのに……ッ! 誰がこんな、薄暗い地下の慰問なんか……!」
ギリッと歯を食いしばるフレアの右手には、アナステシア世界には存在しないはずの白い『ビニール袋』が握られていた。
中から透けて見えるのは、地球のコンビニで売られている『シャケ弁当』と『ワンカップ酒』である。ルチアナ女神が裏ルートで仕入れた横流し品だ。
「あのぅ……大丈夫ですか?」
「ひゃあっ!?」
突然背後から声をかけられ、フレアはビクゥッ!と肩を震わせて振り返った。
まさか、こんな最終ダンジョンの奥深くに人がいるわけがない。いるとすれば、余程の歴戦の勇者か、狂気を孕んだ魔導士か——。
「……えっ? に、人間? しかもエプロン姿の女の子?」
「はい。ポポロ国のリアナと申します。キノコ狩りに来ました」
「キノコ狩り!? ここ、世界を滅ぼす邪神の封印指定ダンジョンよ!? なんで包丁一本でハイキング気分なのよ!」
限界社畜のフレアは、常識外れなリアナの姿に思わず素のツッコミを入れてしまった。
しかし、リアナはそんなフレアの剣幕よりも、彼女の目の下のクマと、どこかフラフラとした足元が気になっていた。
ギュルルルル……。
不意に、フレアのお腹から情けない音が鳴り響く。
過労とストレスで、神様なのに完全にエネルギー切れを起こしていたのだ。
「あ……違うのよ。これはその、最近忙しくてご飯を食べる暇もなくて……」
顔を真っ赤にして弁解する美しい神様を見て、リアナはふわりと優しく微笑んだ。
「お疲れなんですね。よろしければ、これ、どうぞ」
リアナはエプロンのポケットから、小さな包みを取り出してフレアに差し出した。
中に入っていたのは、こんがりと焼き色のついた分厚いクッキー。
「これは……?」
「私がさっき焼いた『太陽芋のホクホク・バタークッキー』です。甘いものを食べると、少し疲れが取れますよ」
「手作り……クッキー……?」
フレアは震える手でそれを受け取り、おそるおそる口に運んだ。
サクッ。
口の中で、太陽芋の優しい甘さと、濃厚なバターの香りがふんわりと解けていく。
それは、何百年もの間、出来合いのコンビニ弁当や栄養ゼリーだけで激務を乗り切ってきた不死鳥の五臓六腑に、暴力的なまでの『癒やし』として染み渡った。
「…………っ」
ボロボロ、ボロボロ。
フレアの大きな瞳から、大粒の涙が溢れ出した。
「えっ!? あ、あの、お口に合いませんでしたか!?」
「違うの……違うのよぉ……! 手作りのお菓子なんて、何百年ぶりに食べたか……っ! 美味しい、すっごく美味しいわ……っ!!」
世界最強の不死鳥が、クッキーを両手で握りしめながら子供のように号泣し始めた。
リアナは慌てて背中をさすりながら、「よしよし、たくさん食べていいですからね」と、すっかりお母さんのような顔になっていた。
ひとしきり泣いて落ち着いたフレアは、目元を拭いながらリアナを見た。
「……ありがとう、リアナ。私、フレアっていうの。あんた、すっごくいい子ね」
「ふふ、お粗末様でした。フレアさんは、この地下に何かご用があったんですか?」
「ええ……最下層で引きこもってる、めんどくさいヤクザ……じゃなくて、知り合いにこの弁当を届けに行かなきゃいけないの。リアナはキノコ狩りだっけ?」
「はい! 美味しい『肉椎茸』を探しているんです!」
「そう。じゃあ、最下層まで一緒に行きましょ。私が護衛してあげるわ」
「本当ですか? ありがとうございます、心強いです!」
こうして、本来出会うはずのなかった「限界社畜の過労女神」と「包丁を持った箱入り姫」は、奇妙な連帯感を抱きながら、極道邪神が待つ最下層へと足を踏み入れていくのだった。




