EP 3
道草とオークの軍勢
シワシワになった五千円札をポケットに突っ込み、フェンリルは雨上がりの街道をとぼとぼと歩いていた。
向かう先は、大陸随一の歓楽街を持つルナミス帝国の国境都市。
頭の中はすでに、パチンコ台の眩いフラッシュと確定音で満たされている。
「ちくしょう、過労鳥のケチババアめ。五千円で『CR異世界王道トラックでドン!』のラッシュに入れろってか? ……いや、待てよ。逆に考えろ。このヒリつくようなギリギリの投資額こそが、俺の神としての『ヒキ』を極限まで高めるんじゃないか……?」
完全にギャンブル依存症(末期)の思考回路に陥りながら、フェンリルが街道の丘を越えた、その時だった。
「——ぎゃああああああっ!!」
「だ、誰か! 助けてくれ!!」
前方から、けたたましい悲鳴と炎の爆ぜる音が風に乗って聞こえてきた。
フェンリルが気怠げに視線を向けると、街道沿いにある人間の開拓村が、黒い波に飲み込まれようとしていた。
醜悪な豚の顔に、丸太のような腕を持つ魔物の群れ——オークだ。
その数、ざっと五十を下らない。
さらに群れの中央には、通常のオークの三倍はあろうかという巨体を誇る『オークロード』が、血濡れた巨大な棍棒を振り回して咆哮を上げていた。
『ブゴォォォォォッ!! 男は喰い殺せ! 女と食料は根こそぎ奪え!!』
辺りには破壊された柵の残骸が散らばり、自警団らしき村の男たちが次々と薙ぎ払われていく。
どうやら、雨で帝国の警備隊の足が鈍っている隙を突いて、魔物の軍勢が村を襲撃してきたらしい。
「あー……マジかよ」
フェンリルは、心底うんざりしたように頭を掻きむしった。
村人の命が危ないからではない。
村がオークでごった返しているせいで、ルナミス帝国の歓楽街(パチンコ屋)へ向かう街道が完全に塞がれてしまっているからだ。
「おいおい、冗談じゃねぇぞ。新装開店の抽選時間に間に合わなくなっちまうじゃねーか……」
舌打ちをしたフェンリルは、迂回するのも面倒くさがり、そのままズカズカと真っ直ぐに戦場(村の中央)へと歩いていった。
「ひぃぃっ! も、もうおしまいだぁ……っ!」
広場の中心。足を滑らせて尻餅をついた村長らしき初老の男に、オークロードが巨大な棍棒を振り下ろそうとしていた。
絶望に顔を歪める村長。
だが、その棍棒が男の頭蓋を砕く直前。
「——おい。道、塞いでんだけど」
「……ブゴ?」
オークロードの足元で、信じられないほど気の抜けた声がした。
見下ろすと、ずぶ濡れの銀髪にピアスをじゃらじゃらとつけた、細身の人間が立っていた。
手には武器すら持たず、ポケットに両手を突っ込んだまま、呆れたようにため息をついている。
「おっさん、大変だなぁ。そんな顔すんなよ。……手ぇ、貸そうか?」
フェンリルは、まるで道端で転んだ子供に声をかけるような、あまりにも場違いな軽さで村長に言った。
その生意気な態度に、オークロードの豚顔が怒りで真っ赤に染め上がる。
『ブゲガァァッ!! なんだ、この貧弱な人間は!?』
オークロードは村長から標的を変え、フェンリルを見下ろして醜悪な大口を開けて嘲笑った。
『ガハハハハッ!! どこから迷い込んだか知らんが、こんな武器も持たぬ雑魚が、俺様たちに手向かおうというのか!? 踏み潰して豚の餌にしてやるわ!!』
周囲のオークたちも一斉に下品な笑い声を上げ、武器を打ち鳴らしてフェンリルを威嚇する。
人間の村人たちは「あ、あんな若者が一人で……逃げてくれ!」と悲痛な声を上げた。
だが——。
「……あ?」
フェンリルの銀色の瞳から、気怠げな光がスッと消え失せた。
「俺が、雑魚?」
ヒモニートとして女の家を追い出され、ヤクザ邪神にバカにされ、過労女神に蹴られ、パチンコ代は五千円しか貰えなかった。
神としてのプライドなどとうの昔にドブに捨てた男だが、この最悪な気分の時に、ただの豚(魔物)にまで舐められるのは流石に癪に障ったらしい。
「…………笑えねぇな」
フェンリルが、低く、冷たい声をこぼした瞬間。
村を包んでいた熱気と炎が、一瞬にして凍りついた。
空間の温度が急激に下がり、雨上がりのはずの地面に、ピキピキと音を立てて真っ白な霜が広がり始める。
それは、大自然の頂点に立つ『神』の、純粋な怒りだった。




