EP 1
カゴの中の姫君と、脱走の人参マンドラ
マンルシア大陸のへそと呼ばれる緩衝国家、ポポロ国。
その王城の奥深く、堅牢な結界に守られた「離宮」のキッチンから、鼓膜を劈くような悲鳴が上がった。
「ギャァァァァァァァァァ!!」
「ああっ! こら、待ちなさい! まだ皮を剥いてないですよ!」
フリルのついた可愛らしいエプロン姿の少女が、右手に包丁を握りしめたままドタバタと駆け出していく。
彼女の名前は、リアナ・カルライン(20歳)。
この小国ポポロの第一王女にして、生まれてから一度もこの離宮から出たことのない「箱入り姫」である。
彼女が追いかけているのは、二股に分かれた根っこを器用に動かして猛ダッシュで逃げていくオレンジ色の野菜——『人参マンドラ』だった。
「もー! ゴルド商会のお取り寄せカタログには『活きが良い』って書いてありましたけど、元気すぎます!」
リアナは亜麻色の髪を揺らしながら、器用に廊下を曲がる人参マンドラを追いかける。
王女が自ら包丁を握って自炊など、普通ならあり得ない。
だが、リアナにはそうしなければならない(というか、暇を持て余して趣味に全振りしてしまった)理由があった。
彼女が生まれ持ったユニークスキル【服従の輪】。
対象の頭に絶対服従の光の輪をハメて、逆らえば脳を締め付けるという、大陸の勢力図すら単機でひっくり返しかねない最悪のチートスキルだ。
その恐ろしすぎる能力のせいで、他国からの暗殺や拉致を恐れた両親により、リアナは幼い頃から離宮に隔離されて育ったのである。
だが、当の本人はそんな政治的な思惑などどこ吹く風。
「外に出られないなら、美味しいものを作って食べればいいじゃない!」という超ポジティブかつマイペースな思考で、日々お取り寄せグルメと料理の研究に没頭していた。
「今日の夕食は、ハニーかぼちゃの甘口シチューにするって決めてるんです! あなたの甘味が必要なんですよぉ!」
「ギャアアア!!(食われてたまるか!!)」
離宮の庭へ飛び出した人参マンドラは、芝生を蹴り上げ、そのまま立入禁止の札が立てられた裏山の茂みへと突っ込んでいく。
「あっ、そこは危ないってメイド長が……って、あれ?」
茂みをかき分けたリアナの目の前に現れたのは、ぽっかりと口を開けた巨大な地下への階段だった。
ひんやりとした空気が漏れ出しており、どこまでも深い闇へと続いている。
王族にすら「絶対に近づいてはならない」と伝えられている、古代の遺跡——いや、世界の禁忌が眠る『最終ダンジョン』の入り口である。
人参マンドラは、その暗闇の中へとピョコンと飛び込んでしまった。
「うーん……暗くて怖いですね……」
リアナは階段の入り口で立ち止まり、ふるふると首を振った。
常識的に考えれば、護衛もなしにこんな不気味な地下に降りるなど自殺行為だ。
しかし、彼女の脳裏に、以前愛読していた『大陸食材図鑑』の一ページがフラッシュバックする。
『——肉椎茸。暗く湿った魔力溜まりや、古代遺跡の地下深くにのみ群生する幻のキノコ。その肉厚な傘を焼けば、極上の牛肉ステーキのような肉汁と旨味が溢れ出す——』
「……極上の牛肉ステーキみたいな、肉汁……」
リアナの瞳の奥で、何かがカッと輝いた。
今夜はシチューだ。そこに、肉厚でジューシーな肉椎茸のステーキが加わればどうなるか。
(それに、ソーリーフを煮込んだ特製ソースもまだ余ってますし……)
ゴクリ、と美しい喉が鳴る。
「……少しだけ! 少しだけ人参さんを追いかけるついでに、キノコ狩りをするだけですから!」
恐怖よりも食い気が完全に上回った箱入り姫は、右手に愛用の包丁をしっかりと握り直し、足取りも軽く、ルンルン気分で奈落の階段を降り始めた。
まさかその地下の最奥で、任侠映画にカブレて拗らせている最強の『極道邪神』が封印されていることなど、この時の彼女は知る由もなかった——。




