六 成田へ
時代設定が1990年と古いです。平成2年のお話です。
えっ、と思われる設定には温かい心でお願いします。
二人はその後、たいした言葉も交わさずに予備校へ向かった。
一限、二限と時間割は進み、昼休み。サイモンは加賀美が居る教室を訪ねた。そこに荻も居るはずだからだ。渦間が言った、『北巻しぐれ』についての情報を集めようと思っていた。
サイモンは講義を受けながら考えていた。『北巻しぐれ』についてを。加賀美の瞳の奥に見えた人影。揺らめいていた女の影。それは、確証ではないが、状況が北巻しぐれだと語っていた。しかし、大きな疑問がある。それが、なぜ、加賀美に憑くのか。他に人は数多く居るはずだ。よりによって加賀美の理由はなんだ。加賀美は北巻しぐれが死ぬ直前に会っている。それが理由なのか。ならば、その時、いったい何があったのだ。サイモンは今日、加賀美が意図的に電車に乗ったことを確信していた。それがもし、北巻しぐれに会うためだとしたら。
サイモンは加賀美の考えを聞く必要と、荻に協力を仰ぐことが性急だという考えに達した。まだ、黒く嫌な予感は消えていなかった。
加賀美の居るのは二百人程入ることができる大きな教室である。しかし、二百人が全て入って勉強しているわけではなく、昼休みであることも合間って、教室に残って居る人の数は五十人程だった。加賀美はすぐに見つかった。まだ椅子に座っていて何かを考えているようだった。そして、サイモンが声を掛ける前に加賀美は顔を挙げ、サイモンの姿を認めた。すると立ち上がり、サイモンを出迎えた。
サイモンは驚く。まさか立って出迎えられるとは思わなかったのだ。その驚きが、加賀美の発言の兆しを感じさせなかった。
「サイモン。俺、成田に行ってくる。」
「はぁ。」
サイモンは呆気にとられた。成田とは、成田山に代表される門前町、もしくは国際的な玄関口である成田国際空港のある町の事だと思われた。しかし、加賀美はそこに何をするために行くのか。
「……サイモン。……付いて来てくれないか。」
ためらいがちに口に出されたその言葉は、はいそうですか、と聞ける類のものではなかった。
「ちょっと待てよ。」
「……行こう。」
「ちょっと待てって言ってるだろうが。」
サイモンは本気で怒って加賀美を止めた。今朝のことがあってからの昼に、こんな仕打ちをされる覚えはなかった。
「えっ。」
振り向いた加賀美の顔はサイモンが知っている顔ではなかった。表情が死んでいるようだった。サイモンは怯みそうになったが、ここで負けてはいけないと思った。
「何言ってんだよ加賀美。さっぱり分からんよ。成田に何しに行くってか、理由を言えよ理由を。」
サイモンは身振り手振りで訴えた。加賀美が驚いた顔をした。
「あっ、わりぃ。」
そう言ってから少し笑う。加賀美の表情はいつもに戻っていた。
「何で笑うんだよ。」
サイモンはつられて笑いそうになりながら、それでも憤然とした態度を見せたくてそう言う。
「いや、サイモン。本気で怒ったみたいだったからさ。」
それで笑われるのだから、サイモンの怒りは余程迫力に欠けているのだろう。サイモンは加賀美の言葉に気落しながら言った。
「まあいいよ、今のは。それより理由を教えてくれよ。」
加賀美は頷いた。しかし、口から出た言葉はサイモンが期待していたものではなかった。
「荻さん、何してんの。」
「あぁっ。」
サイモンは背後の奇声に振り向いた。そこに荻が瞳を輝かせながら、照れ笑いをして、居た。
「吃驚させよっかなぁーって思ってたのに。」
目が可愛く細められ、照れ笑いがサイモンへの微笑になった。
「加賀美君、何でばらすのよぉ。」
そして笑い出す。加賀美が、いや、わりぃ、と楽しそうな顔で言った。サイモンが戸惑い笑いを見せながら問うた。
「どしたの、荻さん。」
荻はにっこり微笑んで言った。
「目立ってるよっ、二人ともっ。予備校の教室で何してんのよ。」
「えっ、何それ。」
加賀美は『目立っている』という言葉に反応して、辺りを見渡す。サイモンもそれを聞き自分が迂闊だったと思った。
「ねぇねぇ。」
荻が言った。
「あのさ、今日の朝、何してたの。二人とも。」
その途端に加賀美は真顔になった。
(嘘つけない奴だよな、加賀美は。)
サイモンは加賀美の面変わりを見てそう思う。誰が見ても、何かがありましたと分かってしまいそうだった。そして、自分がなぜ荻がその事を言い出したのか、真意を探る目をしてしまい、失礼だと慌ててやめた。
「えっ……と。津田沼駅でのこと?」
加賀美が場所を限定した。荻が頷く。加賀美はサイモンを見る仕種をした。言うのをためらっている風だった。サイモンは加賀美の意を汲むことをしているようで気は進まなかったが、荻に問うた。
「どうして知ってんの。荻さん、居たの。」
「ううん。私は居ない。」
サイモンは二、三度、頷いた。と言うことはどういうことだろうと思う。加賀美がそれについては素直に口にした。
「じゃぁ、何で。」
荻は言葉を選ぶ様子を見せた。
「えー………、その、友達がね。……それで、二人共こんなところで大声だしてるからさ。」
荻は一人頷いて続けた。
「加賀美君。大丈夫なのかなぁって。」
荻は加賀美を下から覗き上げるようにしてそう言った。加賀美はそんな荻と視線を合せてから、口を笑いの形にした。
「えっ……、別に大丈夫だけど。」
(渦間が言っていた事も、強ち嘘じゃ無さそうだな。)
荻の口調はサイモンにそう思わせた。
「……ならいいんだけど、倒れたりしてたって、……。」
「荻さん、荻さん。」
サイモンは言葉を遮って荻を呼んだ。そんなとき、サイモンはつい手が『おいで、おいで』をしてしまう。
「なぁに。」
「ちょっと、ちょっと。」
サイモンは三歩下がった。荻は何事か分かってなかった。加賀美に顔を向け、サイモンを見、人差し指で自分を『わたし。』と指さした。サイモンが頷くと荻は教室の後ろを見た。そこには荻の友人が五人程かたまって居る。荻は友達が笑っているのを見て笑い返すと、まあいいか、と言う様子で、サイモンに従った。
「加賀美。」
加賀美は『俺も。』と顎を突き出す。そして、荻の友人達に注目されている事を気にしつつ二人を追った。
サイモンと荻は、人の疎らな廊下で加賀美を待っていた。
サイモンは腕を組んでいる。
「どうしたんだよ、サイモン。急に。」
加賀美の問に頷くことで答えるサイモン。サイモンは言葉を選んでいた。うまく言わなければ荻に断られそうだと思ったからだ。
「土曜日、渦間に電話したんだよ。」
「そうなのか。」
「そう、それで……。荻さん、情報通って本当。」
荻は目を見開いた。その真ん丸な瞳のままサイモンと視線を合わせる。サイモンはたじろきながら、またしまったか、と思う。荻は明かに驚いている。そして、次に怒り出すのではないかとサイモンは思った。しかし、荻はサイモンに笑いかけながら答えた。
「ちょっと誰よぉ。そんなこと言ったのぉ。」
サイモンは思っていた反応と違うものを彼女に見せられ、戸惑いに言葉を詰まらせた。
「え…あ…。渦間って、知ってるよねぇ。」
加賀美は会話を把握し切れず、サイモンと荻の顔を交互に見ている。荻はサイモンの答えに納得したようで、困った顔を見せながら言った。
「渦間君かぁ。そう言えば高校のときに私にそんなことを言ってた気がする。………でもね。」
荻はそこでサイモンに詰め寄った。
「全然そんなこと無いのよ、わたし。渦間君、誰からそんなこと聞いたのか知らないけど、私は全然そんなことないの、ね。」
荻は『ね。』を強調してサイモンに同意を求めた。サイモンはつられて頷きそうになって慌てて首を振った。
「でも。でも、現に色々知ってるじゃない。」
「何を。」
「だから……。」
サイモンは再び言葉を選ぶ。荻の口調は『情報通』であることを肯定している、しかし、下手なことを言えばすぐに言い負け、はぐらかされてしまいそうだった。
「だから、加賀美が今日………。なぁ。」
「あっ。……おぅ、おう。」
サイモンは考えたが結局旨い言葉が見当たらず、突然、加賀美に同意を求める行動に出た。加賀美は加賀美で理由の分からないまま頷いている。なぜか荻は、それで二人の言いたいことは分かったらしかった。
「そのことね。でも、それはなんて言うか、私の友達が知ってたことで。それで、ほら、私は加賀美君が……って知ってたから。あのときすごかったし、それで心配になったからで。だからって、ねぇ。別に私が……なんて言うか、そんなわけないじゃない。」
そこまで言うと荻は笑い出した。サイモンは思う。この人は自然に噂とか話が集まってくる人なのだなと。それも言うならば才能である。サイモンは決心した。どうしても荻にこの頼みを聞いてもらう必要がある。
「うん。荻さんの言う通りだと思う。でも俺の話も聞いてもらえる。」
荻は上目使いにサイモンを見た。そして、頷く。サイモンもつられて頷いてから加賀美に言った。
「加賀美。荻さんに言うぞ。」
「はっ?」
加賀美は全くサイモンと荻に注意を払っていない。
「北巻しぐれのことを。」
加賀美は言葉無くサイモンを見た。加賀美は自分の世界に居て、サイモンの意図など気にもしていなかったのだ。
「ちょっと待ってくれよ。俺、全然わかんねぇよ。」
「………北巻しぐれって……あの。」
「そう、亡くなってしまわれた人。」
サイモンは荻に答えた。加賀美は自分のことが無視されている風なのを気にしてか、不機嫌な顔だったがサイモンの意図を暫くすると理解し、会話に加わった。サイモンは今迄のことを簡潔に話した。荻は加賀美が北巻しぐれの自殺直前に会っていることは知っている。サイモンは、その後に起こったことを話した。加賀美が霊に憑りつかれている可能性がある事。それで、死にそうになったのではないかという事。それも二度。そして、渦間との電話で話したこと。そして、自分の霊感のこと。
「サイモン君って霊感あるの。」
話の途中で荻は問うた。サイモンは頷いた。荻は加賀美にも問う。
「加賀美君も知ってたんだそのこと。」
加賀美は曖昧に頷いた。加賀美は知っているだけで、それを信じている部類の人間ではない。
「ふーん。」
荻はそう言って考え込んだ。
「じゃあ、見たの。」
「それらしきモノは。」
サイモンは言った。荻がそこでなぜか加賀美を見た。サイモンもつられて見る。加賀美が悲壮な顔をしていた。
「………俺も、感じた。」
荻は納得したらしかった。サイモンはそれを確認して、荻に頼み事を言い始めた。しかし、荻はそれに大声で答えた。
「ええーっ。やだよぅ。」
自分の声の大きさに気づいたのか、荻は両手で口を押さえた。目だけが動いて二人を見、そして辺りに向けられた。
「大丈夫だよ。荻さん。」
加賀美が見渡してから言った。言葉通り、昼休みの廊下に人影は少ない。居る人もちょっと気にした程度で、自分の事に戻っている。荻は加賀美の言葉に両手を下ろし、今度は首を振った。
「だめだめ、無理っぽいよ。だって、全然知らない人だし、それに、その、もう居ない人よ。」
「お願い、荻さん。時間がないんだよ。」
サイモンは自分の言った言葉に疑問符を発していた。今、俺、何て言った。なぜ時間がないって分かるんだ。
「何で、時間がないんだよ。サイモン。」
加賀美が言った。
「お前と成田に行くからだよ。」
サイモンは淀み無く答えた。自分に発した疑問符は、取り合えず如何する事も出来ない。目の前の事からやっていくしかないのだ。そして、荻に手を合わせ、頭を下げた。
「お願い。」
荻はサイモンの行動に戸惑い、加賀美を見た。加賀美は荻と顔を見合わせる格好になったが、荻に味方をすることは出来なかった。サイモンは自分のために頭を下げていることが分かっていたからだ。
加賀美も頭を下げた。
荻は本当に困った顔をしていた。難しい顔をして二人を見つめる。しかし、すぐに決心は付いたらしく、体から力を抜き肩を下ろした。
「分かった。心当たりを当たってみる。」
サイモンと加賀美は顔を挙げた。
「…………でも、……あんまり期待はしないでね。」
荻は居心地悪そうに笑った。
その途端にいい加減なことを言い出す二人。
「流石、荻さん。」
「加賀美がフルーツパフェ好きなだけ奢るってさ。」
荻は手放しで喜んでいる二人を見て、照れながら言った。
「本当に期待しないでよ。……それと。」
「えっ。」
加賀美がつい聞き咎めてくり返した。荻が大人びた微笑を見せる、そして目がサイモンの方を向いて面白そうな光を湛えた。
「私、フルーツパフェ好きじゃない。」
荻と別れてから、二人は教室に戻った。それぞれの荷物を持ち、下のロビーに待ち合わせる。サイモンがロビーに着いたとき、加賀美はもう既に待っていた。
「……成田。本当に行くのか。」
サイモンが聞いた。加賀美が頷く。
「理由。まだ聞いてねぇ。」
サイモンの言葉に加賀美は大きく息を吸い込み、背筋を伸ばした。
「北巻しぐれの家がある。」
「はっ。」
サイモンは聞き返した。加賀美は続ける。
「医師の娘だ。住所はすぐに分かった。」
「どうやったんだよ。」
「電話帳だ。」
サイモンは呆気に取られていた。何だか凄いな、そう思う。自分もボックス電話の電話帳を確認したいと思った。本当に合ってるのか気になった。間違っていたら恥ずかしいんじゃないのかと思ったからだ。しかし、それ以上考える前にサイモンは問を発した。
「何しに行くんだ。」
そう言って自分の発した問の重要性に気がついた。サイモンは大声を上げた。
「おい。何しに行くんだよ。」
「サイモン。声が大きいよ。」
加賀美の言葉にサイモンは自制を取り戻す。加賀美の意図することが、サイモンはよく分からない。渦間は『北巻しぐれ』のことを調べろと勧めた。加賀美も自分でその結論に達したのだろうか。
(成田の北巻しぐれの家か……。)
再度、加賀美があたりを付けた住所が、合っているのか疑問に思う。しかし、それはあまり意味のないことであると分かった。合っていようが合っていまいが、サイモンには関係ない。何をしに行くのか良く分からないが、加賀美が納得することが重要であると思った。
それより金があるかな。サイモンは自分の財布を取り出した。
御粗末すぎる。所持金は千二百五十四円。
「加賀美。だめだ。成田まで往復できるか分からん。」
「足りない分は、貸すよ。」
サイモンは奇妙な雰囲気に包まれるのを感じた。加賀美が加賀美らしくない。
「予備校はどうすんだ。」
「サボリだよ。」
加賀美は講義を簡単にさぼる奴ではない。しかし、誰でもそんなときはある。別に気になるほどでもない。サイモンはそう思おうと眼鏡の下から眉間をつまみ、鼻梁に沿って下ろした。そして、加賀美を励ますように、自分を納得させるように一言口にした。
「何か、分かるかもな。」
「ああ………。」
加賀美の答えは空気に溶けた。
小雨は、止む様子もなく降り続いていた。
1990年から1998年で書き上げた作品を投稿します。
少し手直ししました。よろしくお願いします。




