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五 再び

時代設定が1990年と古いです。平成2年のお話です。

えっ、と思われる設定には温かい心でお願いします。

 七月六日、雨、月曜日。午前七時三十分。

 恭神宅の電話がベルを鳴らした時、サイモンは朝食を取っていた。母親が台所から慌てて電話口に向かう。父親のこんな時間に珍しいな、と言う台詞に同感の意を心中で示しながら、サイモンは昨夜の残りのカレーを乗せたパンを頬ばっていた。

「はい、恭神ですけど。…加賀美君?斉門ね。ちょっと待っててね。」

「おーい。さいもーん。電話っ。」

 サイモンは立ち上がった。頬ばったパンを一生懸命に飲み込みながら、電話口に向かう。

「呼んだら直ぐに来なさい。」

 直ぐに来たにもかかわらず、母親はサイモンにそう言った。その言葉に、家って平和だよなぁ、とサイモンは感じた。

「サイモンか。」

 加賀美の声が聞こえてきていた。

「ああ、加賀美。どうしたよ。こんな早くに。」

「いや。……サイモン、土曜日、電話くれたよな。」

 加賀美の声は焦っていた。サイモンは何となく身構えた。加賀美は平和とは縁が遠そうだった。

「………確かに、それが、どうかしたのか。」

 加賀美はためらってから言った。

「……その……バスじゃなきゃ駄目か。」

「えっ。」

「いや、だからさ……。」

 サイモンは加賀美の言葉を遮った。

「待て待て。言ってることは分かる。バスはいやなんだろ。じゃあどうするんだ。何で行く。自転車か、歩きか。」

 サイモンは加賀美が何を言うか分かっていた。

「……電車で行きたいんだ。いいか。」

(まあいいけどね。)

 サイモンは見えないのをいいことに肩を竦めた。

 加賀美はサイモンが言ったことを無視するらしかった。土曜日、電話でサイモンは言ったのだ。駅に近づく必要はないのではないか、と。命が危険に曝されたのを甘く見る必要はない、と。それとも、加賀美はサイモン程この事件を重く見ていないのだろうか。『あれは、北巻しぐれだ。』そう言った加賀美自身が一番分かっているのだろうか。

 サイモンは聞いた。

「……いいけど。なんでだ。」

「いや、雨、降ってるから。」

「……バスでわざわざ行くのは面倒なのか。」

「そうじゃないよ。」

 嫌な予感がするんだ。サイモンは加賀美にそう言うかと思ったが、やめた。加賀美はサイモンを霊感がある人間としては見ていない。

「北巻しぐれのことはいいのか。また、二番ホームにふらふら歩いていくなんて事にならないだろうな。」

「……大袈裟だよ。サイモン。」

 サイモンは加賀美の考えが分からなくなってきていた。

「そういやぁ。加賀美。土曜のこと誰かに相談したのか。」

「別に。」

「そうなのか。」

「誰かが信じるようなことかよ。」

 サイモンは、ますます加賀美が分からなくなる。

「そりゃ、そうだな。それで、どうすんだ。何時の電車に乗るんだ。」

「八時八分のだ。」

「俺も行っていいか。」

 加賀美は驚いたように礼を言った。

「そうなのか、サンキュー。」

「じゃあ駅でな。」

「駅で、分かった。」

 受話器をおいて時計を見ると、七時三十八分だった。

 サイモンは自転車が予備校に置きっぱなしであることを思い出し、がっかりした。急いで予備校の道具を取りに行き準備を整える。と言っても、勉強する気にならない限り教材は鞄の中に入れっぱなしであるため、着替えていれば、その鞄を取るだけだ。

 サイモンの家から、駅までは歩いて三十分弱、走って十五分程である。


 加賀美の側を離れないほうがいいと言ったのは渦間だった。

 加賀美は俺の言うこと聞いてくれないのに、なんで俺は他人の言うことを聞いて動いてるんだろ。サイモンは加賀美の顔を見てそう思った。思ってから、下らないことを思ったと考え、首を振った。

「よお、サイモン。」

 加賀美が手を振った。

「おー。加賀美、どうだ調子は。」

 サイモンは加賀美の側に来て言った。

「なんだよ、調子って。」

 雨は小降りになりかかっていたが、時折吹きつける風に舞うのは、鬱陶しいと感じた 。ホームには遅刻であろう学生が、制服が違うままちらほら。予備校生。大学生。男女を問わない会社員。私立の幼稚園に連れて行くのか、幼子を二人連れた若い母親。駅員。サイモンは空を見た。小粒の雨が、サイモンに迫ってくるかの様だった。色は灰色一色。晴れる気配はなかった。サイモンは自分の予感を思い眉をひそめた。

「サイモン。お前、人の話し聞いてるのか。」

「おおっ。」

 サイモンは加賀美の声に驚いた。

「何の話だっけ。」

「いいよ。聞いてないのに無理に合わせなくても。」

 加賀美はムッとして言った。

「悪い、ちょっと考えててな。」

 サイモンは笑った。話題転換追従能力が使えないときもある。

 アナウンスがあり、電車がゆっくりとホームに入ってきた。扉が開く、サイモンと加賀美は降りる人を待って、体をねじ込んだ。そこら辺は二人共、高校時代に心得てしまっている。

 特に話はなかった。二人はそのまま車内アナウンスが『津田沼』を告げるのを聞いた。人が多くて身動きも(まま)なら無いのに、気の早い人が強引に体を扉のほうに近づけようとする。サイモンはその人を睨もうかと心で思いながら、そんなことが出来ない自分を知っている。

 電車はゆっくりと津田沼駅の一番ホームに止まった。

 土曜日のように二番ホームではないことにサイモンは安堵する。

 空気の抜ける音がして扉が開いた。殺気立ったような扉に向かう人の流れにもみくちゃにされる感触。「すみません、通らせて。」「どいてどいて。」無言で体を突っ張らせる人。電車の降り方一つでも人は様々だ。

 人が降り切るのを待てずに乗ってくる人と肩を触れ合わせながら、サイモンはホームに足をつけた。

 加賀美は既に先を歩いていた。サイモンは予感が当たる切羽詰(せっぱつ)まった思いが、唐突(とうとつ)に突き上がってくるのを感じた。

 加賀美の動きが変だった。

(ちょっと待て、どこに行こうとしているんだ。)

 加賀美の体はふらふらと二番ホームに向かっていた。

(土曜と同じだ。)

「加賀美。待てっ。」

 思わず出た言葉は何の意味も持っていなかった。加賀美はサイモンの言葉では、動きを止めたりはしなかった。

 サイモンは加賀美の肩口を後ろから捕らえた。しかし、そのまま自分の方へ引き寄せようとした目論見(もくろみ)は、容易く崩れ去った。加賀美の体はサイモンの力では全く動かなかった。それどころかサイモンの方が引きずられたのだ。サイモンはバランスを崩し思わず間抜けな声を上げた。

「うわっとと。」

 見知らぬ女の人がそんなサイモンを見てクスクスと笑いながら通りすぎて行く。

(ふざけんなよ)

 そう思ったが、怒っている暇はなかった。

「二番ホームに通過電車がまいります。危ないので白線の内側に下がって御待ち下さい。」

(まずい。)

 土曜と同じだ。サイモンは思い出そうとした。土曜日はどうしたのか。『加賀美、加賀美。』そう叫んでいる自分の姿が脳裏に浮かび上がる。それが土曜日の自分だ。加賀美を正気づかせようと体を揺すり、頬をはたいている。それだけだ。………いや、待て。

 しかし、考えている時間はなかった。周りの人に助けを求めようにも、霊感と言う特異な理由の存在が排他的な行動をサイモンにさせていた。

 『自分こそが何とかしなければならない。』、と。

「加賀美。止まれ。」

 サイモンは加賀美の前にまわった。形振り構わず加賀美を止める行動に出る。

(ちくしょうぉ、一人ぐらい気を利かせて助けに来いよなぁ。)

 サイモンは初志貫徹の思いをすぐに捨て去る。それどころではなかった。加賀美の歩みはサイモンの必死の努力にもかかわらず、止まる様子を見せなかった。ゆっくりと、着実にホーム下の線路に向かっている。サイモンの左足がホームの端をとらえた。サイモンは悲しみが込み上がるのを感じた。無駄だと分かっていることを一生懸命することが、こんなに悲しいとは思ってなかった。祈る気持ちで、サイモンは加賀美の顔を仰ぎ見た。いつもと変わらない顔つきだった。それがいっそう不気味だった。張りのある頬、すっとしている鼻梁。そして、瞳。加賀美が自分を見返した様にサイモンは感じた。

(なんだ、その目は。)

 加賀美の純朴な瞳の中にサイモンは見た。悲しみと脅えと不思議そうな心を。そして、それに見え隠れする、女の姿を。サイモンは目を細めた。その行為が、霊視をするその切っ掛けなのだ。

 はっきりと見えた。

 加賀美を自分のもとに取り込もうとしている、女の姿が。

 瞬間だった。サイモンの体は硬直した。それが前触れであり、心の奥底から沸き上がる青白い炎が、サイモンの体を突き抜けて加賀美に向かっていく。常人には見えないそれは、その瞬間、加賀美の体を燃やし尽くすかのようだった。

 サイモンはホームの端をとらえていた左足を前に踏み出した。

「ゴウゥゥッッッ。」「ピイイイィィィィィ」

 風を巻き起こし、警笛を残して、スカイライナーが津田沼駅の二番ホームを通過していく。

 サイモンは尻餅を突き、肩で息をしている加賀美を見下ろした。加賀美の顔は思い出したように蒼白だった。サイモンは何か言おうと口を開いたが、頭の中で言葉が整理されずに言い(よど)んだ。

 しばらく、二人は無言だった。

「………北巻………しぐれか。」

 サイモンは聞いた。加賀美は無言で微かに頷く。

 一瞬、どなりつけてやろうかとサイモンは思った。大きく息を吸い、そして吐く。サイモンは冷静に言葉を選んだ。普段は使わない霊感用語を使ってみる。

()かれるって分かってたんじゃないだろうな。加賀美。」

 加賀美は首を振った。しかし、それはサイモンの言葉に答えたようには見えなかった。加賀美は力無く項垂れ、何かを必死で考えているように微かにしか動きを見せなかった。サイモンは加賀美の反応に溜め息をついた。シャツが冷汗でべとべとであるのに気がつき、改めて今の出来事を思い返した。悪い予感は当たったのだ。

「立てるか。」

 サイモンは加賀美に右手を差し出した。その言葉に加賀美が顔を挙げる。その顔が強張っているのにサイモンは気づいた。

「悪ぃ。多分……。」

 加賀美はサイモンの手を取り、ゆっくりと立ち上がった。足は震えていない。

「震えてないな。」

「……みたいだな。」

 その時になって、二人は遠巻きに人々に囲まれている事実に気がついた。時を同じくして声が飛んだ。

「そこで何をしてるんだ。」

 振り向くと、怒ったような顔をした駅員がこちらに向かってきていた。実際怒っているのは明白だった。サイモンはその顔を見た途端に五通りほどの言い訳を思いついていた。

「邪魔になるだろうが。用がないならさっさと行きなさい。」

 誰も、命に関わることがここであったとは思ってないようだった。人々の奇異の目がそれを証明していた。サイモンは言った。

「いやいや、実は二人で漫才にデビューしようかと。」

「何いってんだよ、馬鹿。サイモン。」

 駅員はサイモンの言い訳に呆気にとられていた。加賀美の絶妙なタイミングは意図したものではないが、駅員に二の句をつけさせなかった。

「すみませんでした。」

 加賀美が深々と頭を下げる。

 二番ホームに、さっきとは違う急行電車が入って来ていた。忙しいのだろう、駅員は軽く手を振って二人が行って良いことを示す。

(なんだ、偉そうに。)

 サイモンは駅員に良い感情を持たない。それは、単なる八つ当たりであったが、そうでもしないと心が落ち着かなかった。

 電車が停車し、人を吐き出し始めた。二人はいつの間にか、その人波に紛れる。

 あとを、不安そうな眼の駅員が見送っていた。

 警察が、父親に依頼されて、自殺した予備校生の死んだ動機を調べている事を知っていたからだった。

1990年から1998年で書き上げた作品を投稿します。

少し手直ししました。よろしくお願いします。

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