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四 渦間

 サイモンが霊感を持っていると知る者は少なく、それを信じている者は更に少なかった。渦間はその二つの条件を満たす、サイモンの友人である。

 七月四日、土曜日、夜九時三分。

 サイモンはその渦間に電話することにした。朝、津田沼駅で加賀美は変な事になってしまった。それを考えた末、そう決めたのだ。一人でより二人のほうが、物事が見えてくると思っていた。そして、渦間はそれに答えようとする人間だった。

 渦間は東京の私立大学に通うため、世田谷で一人暮らしをしている。

 サイモンは電話機の前に立ち、電話番号をプッシュする。きっかり、二回ベルが鳴ったのを確認した。そんなタイミングだった。

「はい。渦間ですけど。」

「渦間か、俺、俺。サイモンです。」

「サイモン?珍しいね。お前から電話なんて。」

「そうか。」

「ところでどうだ。彼女は出来たか。」

 サイモンは唐突な渦間の言葉にガックリ来る。

(いきなりこれだからな……。)

 しかし、全く変わりのない渦間に安心もしていた。

「出来るわけがないだろう。俺は予備校生。」

「予備校でも女の子いるじゃん。」

「理系は、ほとんどいないよ。」

「関係ないってば。本人のやる気だよ。捜せ、サイモン。可愛い人。」

「……俺は、視力が悪いだろ。だから、一番前の席で、講義を受けてるんだよ。つまり、後ろなんか振り向かない、と。」

 サイモンの身長は百七十弱。中肉中背。眉目が涼しい顔つきに黒渕の細いフレーム眼鏡が良く似合う。視力は両眼とも0.01に近くサイモンが句切りながら言った言葉は本当である。しかし、渦間は全く怯んだ様子を見せなかった。

「またぁ、直ぐそんなこと言って。理想が高すぎるんじゃないの。」

「………そんなことないぞ、理想は高くない。とりあえず、眼が二つで、耳が付いてて、人の姿をしていてくれれば十分だ。」

 サイモンは言ってて間抜けだなぁと思う。

「……サイモン……。」

 渦間が口調を変える。下らないことを言う前触れであることをサイモンは知っている。サイモンは出方を伺いながら言う。

「……何だよ。」

「いや、結婚式には呼んでくれ。オラウータンの花嫁を見てみたい。」

「ほう……。オラウータンの花嫁なんているのか。」

 サイモンは呆れ果てていた。

「お前、今そう言ってたじゃないかよ。」

「言ってねぇって。」

(こいつは……。)

「一応、人の姿はしているぞ。眼は二つだし……。」

「お前はオラウータンと結婚すんのか、渦間。」

 サイモンは疲れて来ていた。

「しないよ。だって俺、好きな人いるもん。」

「おお、知ってる、知ってる。チンパンジーの花子ちゃんだっけな。そうだよなぁ、浮気はいかんなぁ。」

 沈黙が来た。

「で、何のようなんだ。」

 渦間が突然真面目に言い始めた。

「そう、実は少し妙なことが起こってな。」

 サイモンの話題転換追随能力はとても有効だった。サイモンは加賀美から聞いた北巻しぐれが電車に飛び込み、亡くなった話をした。そして、荻との話、今朝の加賀美の様子。整理を含めたサイモンの話を、渦間は今度は横槍も入れずに聞いている。サイモンが話終わり、ややあって渦間が言った。

「………小説みたいだな。」

「そうかな。そうだな。」

「……論点ずれるけどいいかな。サイモン。」

「いいけど、何だ。」

「お前、雨の日バスじゃなかったっけ。」

「加賀美もそんなこと言ってたよ。」

「ハッハッハ。そう。」

「……新時刻になってな、寝坊するともう駄目なんだよ。」

「何だ、そんな理由か。」

「ほかにどんな理由があるよ。」

「好きな子が電車だとかさぁ。」

 サイモンは言った。

「……もういいって、渦間。その話題は。……あっ。」

「何々?」

「自転車、小学生にパンクさせられた。」

「加賀美の話となんか関係あるの。」

「ない。」

「お前と俺。結構同じ穴の(むじな)だと思うぞ。」

「でも大変だったんだって、昨日、帰ろうとしたら小学生四人が俺の自転車に群がってたんだよ。他に自転車いっぱいあるのに。」

「わかった。サイモンの自転車ダイヤル式なんだろ。」

「違うって、パンクさせられたっていったろ。」

 渦間は沈黙した。考えている風だった。暫くして言った。

「とんでもないな、その小学生。」

「そう、最近の糞ガキは遊びにも飢えてるらしい。ああ、そうだ。明日にでも予備校に自転車取りに行かないと。パンクが直せない。」

「………頑張れ。俺が言っても何にもならんけど。」

「そもそも、雨が悪い。」

「なんで。」

「せっかくの晴れ間だと思って、自転車で行ってみれば、雨だよ。だから予備校に置きっぱなしになったんだよ。あっ、それでか、それで悪戯しても良いって思ったのか。」

 渦間は考えているようだった。

「梅雨なのに、自転車でいくかな、普通。」

 サイモンはぐうの音も出ない。「加賀美も一緒だったよ」とか「傘さすの嫌なんだよ。」と言ってみる。しかし、渦間は何の反応もしない。突然、話を切るように渦間が言った。

「それで何ともなかったんだよな。」

 サイモンは今度は、渦間の言った言葉が理解出来なかった。

「……何が。」

「あれ、主語、抜けてたか。」

「抜けてるよ。」

「ご免。ご免。加賀美さ。結局、何ともないんだろ。」

 サイモンは電話口でその言葉の意味を考える。

「何ともない。とは言えないが。そうだな。結果的には大した害はなかったな。」

 サイモンは加賀美が二番ホームに進んでいくのを形振(なりふ)り構わず止めようとしていた自分を思い出しながら言った。あのときの気持ちは渦間には分かりはしない。だが、それは言ってもしょうがない事だった。

 渦間が言った。

「じゃぁ、とりあえず大丈夫だろ。二度、三度と起こるようなものでもなかったしな。聞いている限りでは。……まあ、もう一度、起こっちゃったら、それこそやばいんだろうけど……。」

 渦間の言っていることは常識論だった。それは悪くない。サイモンもそう思いたい気持ちでいっぱいだったからだ。

「……でも、俺いやな予感がするんだ。」

「ふーん。どんな。」

 渦間はサイモンに霊感があることをよく知っている。

「具体的に言えたら苦労はしないよ。でも、何だか焦るんだよなぁ。」

「そうか……。」

 渦間は電話口で思案しいるようだった。暫くすると受話器から声が流れてくる。

「それなら、加賀美の側を離れないようにした方が良いんじゃないのかな。それか、駅に近づかないように加賀美を説得するとか。」

「やだ。面どくせぇ。」

「何なんだよ。お前は。…気持ちはわかるけど。加賀美、頑固だもんなぁ。あいつ自分で納得しなけりゃ動かないぜ、きっと。」

「だろうなぁ。」

 その時、サイモンは何か渦間の言った言葉に引っかかった。『自分で納得しなけりゃ動かない。』しかし、別にその時はそれで終わった。渦間が思い付いたように言っていた。

「ところでさぁ。女の人って美人なのかなぁ。」

 サイモンは絶句した。そして、不謹慎だと思う。

「おーい。サイモン、聞いてる。」

「………聞いてるよ。不謹慎じゃないのか。」

「そうかなぁ。気に障ったらご免。北巻しぐれっていい名だと思ったからさ。」

「………それで。」

「心配ならさ。北巻しぐれの情報でも集めたらどうかと思ってさ。」

 サイモンは不謹慎だと思ったのを撤回した。そして慎重に聞いた。

「渦間は北巻しぐれが関係してると思うか。」

「サイモンはそれらしきものを見てるんだろ。今のところはそう考えるのが普通だとは思うぜ。お前の予感は霊感があるだけに馬鹿にはできないし、普通の人でも悪い予感は当たるからな。」

「…でも情報なんて、どうやって集めるんだよ。」

「わかんね。荻さんにでも聞いてみたら。」

 サイモンは驚いた。

「何で荻さんなんだよ。」

「加賀美は予備校で一緒のクラスって言ってたよな。」

 サイモンは見えるわけがないのに電話口で頷いた。

「………実はさ、荻さん高校では情報通で通ってたんだよ。」

「本当か、それ。」

「凄いもんだぜ。とりあえず同学年のカップルの経歴やら、先生の失敗談やら、片思い、好き嫌いなんかも。人間関係は荻に聞けって裏で言われてたしな。まあ、冗談半分ではあるけどね。」

「いや、十分凄いよ。」

 サイモンは高校時代の荻を思い出そうとしながら、昨日一緒に昼食をとった時の彼女の笑顔を思い出した。どちらの荻もそんなすごい人のようには見えないとサイモンは思う。しかし、渦間が嘘を付いているようにも思われない。結局サイモンは、人は見掛けによらないものだと思うしかなかった。

 渦間の話しは続いていた。

「それか、……そうだな、医学部コースのほうに聞き込みに行くか、はたまた警察に資料を見せてもらうか。」

「そんなことまでする義理は多分ないと思う。」

「お前、さっきからそんなことばっか言ってない。やるときゃ、やんなきゃ駄目だぜ。」

 サイモンは今しがたから気分が沈んでいくのを感じていたが、その正体が今、分かった。渦間はどんどん話を現実化させようとしているのだ。もう少し自分に考える時間を与えてくれよ、と思ったが、渦間が自分でやらないのを良いことに言っているようにも思う。

「どうした。サイモン。」

 少し沈黙が長すぎたか、サイモンは思い、言った。

「別にどうもしてない。」

「なぁんだ。眠いのかと思ったよ。」

「大丈夫だ。」

「うん。思いつくのはそれぐらいかなぁ。」

(あんまり思い付きで言うな。)

 そう思うと苛々してきた。

「他に……他に……は……あるかなぁ。」

 しかし、渦間もそれなりに真剣であるとも思う。サイモンは迷った挙句、我慢することはかえって渦間に誠実じゃないと思い、言った。

「渦間。あんまり思い付きで言わんでくれ。行動するのは俺だ。」

「ありゃ。ご免。むかついてた?」

「むかつきはしてないが、ちょっと気になってね。」

「おお。すまんすまん。」

(これで渦間の意見も心置き無く聞けるというものだ。)

 サイモンはすっきりしていた。意見を貰っているのに機嫌を悪くしているのだから我儘この上ないが、渦間は気にしていないようだった。渦間は渦間で出来た人間であるようだった。

 暫くして、渦間が考え尽くしたらしく言った。

「俺が言えるのはそれぐらいだ。」

 サイモンはお礼を言ってから弱気が出てきた。

「……やっぱり北巻しぐれが関係してるのかなぁ。」

「そう決まったわけでもないさ。加賀美がまた、そんなこと言い出したらって事だ。まあ、大事を取るんなら駅に近づかせないこったな。」

「そうするよ。」

「ところで琢磨は、元気か。」

 琢磨とは、長谷川琢磨の事だ。長谷川と渦間、そして加賀美は高校時代、同じグループだった仲間だ。サイモンも一緒にはいたが、友人であり、仲間ではなかった。長谷川も今年の春から同じ予備校の津田沼校に通っている。彼は文系。理系の加賀美、サイモン、荻とはまた違う教育コースで、サイモンはこの春から一度も会っていない。

「長谷川とは会ってないな。あいつは文系だろ。理系の俺とは、受けてる講義が全然違うよ。」

「そうか。まっ、奴のことだ、ひょろひょろやってんだろ。」

(ひょろひょろってなんだ。)

 サイモンは思うが口には出さない。

「今日はこれぐらいにするか。話のネタ無くなるしな。」

「おう、じゃ、また。何かあったら連絡してやるよ。」

「そうか、悪いなぁ。留守電もあるから何時でもオーケー。」

 サイモンはさよならを言った。渦間も答える。

「加賀美によろしくな。サイモン、大変だけど頑張れよ。」

 サイモンは苦笑した。渦間が受話器を置いたのを音で確認してから、サイモンも受話器を置いた。大きく息をして、自分の気持ちを整える。どっと疲れた気がしていた。時計を見ると三十分しか話していない。

 サイモンは溜め息を付いた。

(やるときゃやらなくちゃか。)

 渦間の言葉が思い出された。サイモンは加賀美に電話すべく番号をプッシュした。


 加賀美との話はなぜか要領を得なかった。渦間と話合ったことを、渦間の事は出さずに用件だけ伝える。ただそれだけのことが、雲を掴むように頼り無くサイモンに感じられた。しかし、先ほどの電話で疲れていたこともあり、サイモンは余り気にすることをやめていた。そして、軽い世間話で受話器を置く。

(そうだ、明日自転車取りに行って、パンク直さないと……。)

 そんなことを思う。

 日曜日は平和そのもので、土曜日の出来事が嘘に感じられる程だった。日曜の昼からまた雨が降り始め、夜をなべて降り続いた。

 月曜日は当然の如く雨だった。

 サイモンはその雨を見ながら、日曜日、自転車を取りに行くのを忘れていた事を思い出していた。

1990年から1998年で書き上げた作品を投稿します。

少し手直ししました。よろしくお願いします。

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