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二十 告白

時代設定が1990年と古いです。平成2年のお話です。

えっ、と思われる設定には温かい心でお願いします。

 津田沼駅は、上野駅と成田空港をつなぐ、私鉄の一駅である。

 松戸市に向かうもう一つの路線の始発駅であり、千葉中央方面に向かう分岐駅でもある。それゆえに多くの人が利用をしている。しかし、その周辺は繁華街とは全く違う方向にあるせいか、やや寂れがちだ。夜になっても明るいネオンはなく、メガネストアのそれがうらびれた怪しげな雰囲気を醸し出している。背の高いビルは、ザ・クレストホテルと銘打たれた建物と、サンロード津田沼と大きな看板を屋上に持つ建物だけだ。駅を中心にしてその周りを見てみるのならば、南口階段を下りると小さなロータリー。その回りに有名ファーストフードチェーン店、居酒屋チェーン店。北口階段を下りると南口のロータリーから続く一車線道路と言うロケーションとなる。北口と南口は、踏切とサンロード津田沼のビルを隔てて直ぐにあり、その意味は踏切待ちをしなくていい程度のものでしかなく、その踏切から五メートルも離れていないところに見えるホームは、田舎ののんびりとした雰囲気を思い起こさせるものだった。

 JR駅は、繁華街の中心にあった。北口にはLet’sと銘打たれた看板を掲げる建物、そして、通り裏通りに面する多くの小売店、個人営業の喫茶店、居酒屋。南口を出ると大きなロータリーが目に入る。十メートルはあろうかという幅の歩道橋を歩くと、左手には私立大学の広い敷地が見え、右手のビル群のなかに通っている予備校の津田沼校A館が見える。そして、ロータリーを横切る歩道橋はダイエーとエキゾチックタウンと呼ばれる総合百貨店、そのテナント群の上の階に立てられている市民会館に続いている。

 今、それらの景色は雨で霞んでいる。

 長谷川と渦間は、その二つの駅の間を二往復していた。

「なぁ、何で俺たちこんなことやってんだよ。」

 傘のため、渦間は背の高い長谷川の顔を見るのがひと苦労だ。

「しらねーよ。お前が行きたいとこ、きめねーからだろ。」

 二人は、一度、サイモンを送って津田沼駅に行った後、カラオケでも行くかとJR駅に戻ってきた。しかし、渦間が津田沼駅をよく見ておいたほうがよかろう、と言い出し、再び戻った。そこで辺りを見たのは良いが、暇潰しをしたいと思わせるものもなかったため、渦間が今度は、有意義に時を過ごすことを主張して、JR駅へと復路についたのである。サイモンに宣言していた、飲んで歌ってボーリングしてなどとんでもない展開だった。

 雨の降りは強くなってきていた。

 二人は南口への歩道橋を渡り終え、駅改札口の大きなエントランスに着いた。傘をたたみながら渦間が言った。

「八時になるか。」

「もう、そんな時間か?」

「サイモン達は何やってんのかな。」

 長谷川が心なしそわそわしながら答えた。

「そろそろ、迎えに出るころじゃないか。」

「電車で乗り継ぐしかないよな。」

「まぁ、まだ運転免許とってないしな。俺たち。」

 渦間は、長谷川の言葉が上の空っぽいことに気づいた。渦間は羨ましいなぁと思いながら言った。

「いいよ。琢磨。サンキュー。電話してこいよ。」

「あれっ。何で分かった。」

「俺、ゲームセンターで暇、潰してるよ。」

 渦間は、そう言って長谷川と別れた。彼女の定期連絡まで邪魔するような野暮は好きじゃなかった。


 サイモンはタオルを持って出てきていた。

 加賀美と会ったのは、最寄り駅に近い公衆電話の前だった。

 髪が雨に濡れて垂れ下がっている。黒いジーンズ、長袖のシャツ、そのうえに羽織っている季節はずれの防水パーカーが、なぜか痛々しい気がした。表情はここからでは見えない。

 人に目立つことを嫌う加賀美が、こんな真似までして行動することにサイモンは既に慣れ始めていた。しかし、空恐ろしいものを感じる事はまだ止まなかった。それを加賀美の前では尾首にも出すことはできない事も分かっている。辛うじて現実に繋がっていると思われる加賀美の行動の数々。それは、加賀美が一人で全てを決断し行動しなければならないと考えたときに、途切れてしまうとサイモンは考えていた。とにかく終わらせなければならない。

「傘だ。それとタオル。とりあえず頭を拭け。」

 加賀美が顔を上げる。サイモンは息をのみ、そして、ゆっくりと吐いた。加賀美は、加賀美だった。それは、夕方、別れ際に見た決意の宿っている瞳だった。

「すまん、サイモン。」

 加賀美はタオルを受け取ると頭に掻け、すごい勢いで拭き始めた。

「今更。」

 サイモンは笑った。サイモンは頭を拭く加賀美をシャッターを既に閉めている店の軒に連れて行く。加賀美がタオルをサイモンに返す。サイモンは交換に傘を渡した。

「私鉄の西船橋で乗り換えるつもりだ。まだ、時間もあるし。本当はこんな風に家を抜け出すつもりじゃなかったんだけどな。」

 加賀美は傘を受け取り、言った。

 サイモンが答える。

「事情は何となくわかる。」

 二人は軒のシャッターの前に佇んだ。

 ふと降りた沈黙は、既に行動を起こすだけであり、その結果はだれも予想がつかないことを意味していた。加賀美のような立場に立たされる人間が世界に今、何人いるというのだ。

 加賀美が言った。

「もう、行こう。」

 サイモンは頷いた。

 雨の降りが強くなってきていた。

 最寄り駅から約三十分、乗り換えの駅に着く。

 途中、津田沼駅を通過する。扉が開いたとき、加賀美が強張った表情を見せた。しかし、何事もなく通過した。サイモンは、ずっと駅のホームを見ていた。目に見えたもの、そして、強烈な悪寒をサイモンは無視した。深夜、再びこの場所に戻ってくるのだ。

 乗り換え駅から歩いて五分ほどの場所に、営団地下鉄線が乗り入れるJR駅がある。二人はロータリーを経て、駅構内のエントランスに通じる階段を上った。この時間だと会社帰りだろうか、すれ違って行く人が多い。階段を上り切ると立ち食い蕎麦屋が目に入った。

 サイモンが言った。

「加賀美。晩飯はどうした。」

 加賀美は立ち止まった。

「食べた。サイモンは食べていないのか。」

「晩飯ではないが、食べた。」

 サイモンは、渦間や長谷川と一緒に入った喫茶店でのことを言っている。

「軽くだがね。」

「それじゃあ腹が減るだろ。」

 サイモンは加賀美の顔を見た。

「何だよ。」

 加賀美が当たり前のように切り返す。サイモンはそれには答えず言う。

「腹が減っては戦はできん。食おう。」

「いちいち、言い方大げさじゃないか?サイモン。」

 二人は自動食券機で券を買うと、カウンター越しに食券を渡した。あっという間に出来上がった蕎麦を手に、箸を握る。時計を見ると、九時半になろうとしていた。

「待ち合わせは、……十一時か。」

 サイモンが言った。あと一時間半、時間がある。加賀美が横に来て箸を割った。

「なぁ、加賀美。山本さんのマンションから津田沼駅までどうするんだ。」

 加賀美は食べながら答える。

「タクシーを使うしかない。」

 サイモンは驚いた。声は押さえてある。

「本当かよ、お前。もっと他に手はないのか?」

「考えたけど。………そんなに暇もなかった。渦間か、長谷川が運転できるのなら、違ったのかもしれないけど。」

 確かに、とサイモンは思った。基本的にこの件にかかわっているのは、何よりも勉強を優先させねばならない人種ばかりだ。渦間だけが違うが、金銭的問題でそれどころではないはずだ。たとえ親に甘えるとしたって、どうすればいいというのだ。

 サイモンも蕎麦をすすった。

 乗り換え駅から、目的の駅まではすぐである。時間で二十分程。営団地下鉄の電車の中、加賀美はサイモンに気を使っているかのように、自分を奮い立たせるかのように喋っていた。妹のこと、親のこと、勉強のこと、高校時代のこと。親の話の時、サイモンは聞いた。

「母親、大丈夫か。」

 個人的なことだったが、サイモンは敢えて聞いた。加賀美に、もう一人で悶々と考えてほしくなかった。

 ちょっとためらう間を経て、加賀美は答えた。

「うん。………時間が経てば………。」

 悪くない答えだとサイモンは感じた。

 列車の窓ガラスを、雨が叩いている。

 母親……か。

 サイモンは加賀美に聞こえないように呟いた。ふと津田沼駅で感じた悪寒が蘇り、サイモンは悪気を振った。

 北巻しぐれもまた、母親になろうとしていたのだ。

 素朴な疑問がサイモンの頭に浮かんだ。

 子供は、まだ形すら成さない子供は、どこに行ったのだろう。北巻しぐれに取り込まれ、あそこに留まっているのだろうか。

 それはない。

 少し不安があった。本当の事は分からないからだ。

 しかし、自分の霊感には、そんな感触は一つも無かった。


 サイモンと加賀美は駅に着き、降りた。

 改札を出て、北口に降りる。葛西臨海公園で知られる海辺とは逆の方向だ。営団地下鉄のその駅は、南口はバスロータリー、北口を降りるとタクシーのロータリーがある。南口は葛西臨海公園の窓口であり、北口は住宅街であると言うわけだ。

 二人は傘をさした。雨の降りが強い。時間は十時をやっと回ったところだった。遠くで雷が微かに鳴っている。

「梅雨明けかな……。」

 サイモンが誰ともなく言った。

(幸先がいい。)

 そうとも思う。

 加賀美の答えはなかった。サイモンは加賀美を見た。強張った表情をしていた。

「時間をつぶすか?」

 サイモンはゆっくり声をかけた。

「いや、いい。それよりタクシーをいつ捕まえよう。」

 加賀美が言った。サイモンが答える。

「ここに戻ってくればいい。……山本さんにそれでは失礼だと思うのか。」

 加賀美が頷いた。しかし、それはすぐに次の言葉に打ち消された。

「そうだな……。もう、山本さんには十分失礼なことをしてるな。」

 サイモンは答えない。

 歩いている途中にあった自動販売機で、二人は缶コーヒーを買った。傘を持って財布を探るのはひどく億劫だ。しかし、これからの緊張を考えると、ひどく詰まらないことにいつもは苛々しているのだな、とサイモンは思った。今日の昼に三人で入った喫茶店の明かりは、既になかった。サイモンは加賀美に聞けなかった。

 もし、山本竜樹が家にいなかったらどうするのか、と。

 加賀美も分かっているはずだった。

 マンションにはすぐに着いた。

 時刻は十時四十五分。

 五分ほど、入口の前に二人は佇んでいた。

 意を決したように、加賀美が言った。

「入って、待ってるか。」

 サイモンがたまらず吹き出した。

「…なんだよ、ただそれだけのために俺たちはここにいたのかよ。」

「いや、そうじゃないけど……。ここじゃなくてもいいかなってね。」

 加賀美が、噛み締めるように言った。サイモンは頷いた。

「その通りだ。」

 エレベーターホールは、人気がないくせにやけに明るかった。妙な圧迫感は、四方を分厚いコンクリートで囲まれているという認識からだろうか。外がガラス越しに見えるエレベーターが二機あった。チン。ボタンを押すとエレベーターの扉が開いた。二人は中に入る。サイモンは奥にもたれかかった。加賀美が四階のボタンを押す。ガラス越しに、フロアーとコンクリートの壁が交互に現れた。

 加賀美がサイモンの顔を見ずに話し始めた。それは、この一連の件に関する一つの告白のようなものだった。

「サイモン。……俺、間違ってる事は気づいてる。」

 サイモンは精神を落ち着かせようと、ガラスの向こうをボケッと見ていたため、加賀美の突然の言葉の前半を聞き逃した。『気づいてる。』しか聞き取れていなかった。しかし、サイモンは言った。

「いつから気づいた。」

「今日の昼、山本さんに会ってから……。」

 サイモンはほっとした。次に加賀美の言いそうなことを考える。話題転換追随能力の真髄はここにある。

「何でそういう風に思ったよ。」

 加賀美はこんな時、たいてい否定形の言葉を選択する。また、断定的なことを言うのも避ける。それは、癖だ。なぜ、そうなのかは個人の問題なので、特に気にはしない。この一週間で加賀美は大きく変わったような気がしているが、そう簡単に今までの癖がなくなるはずがなかった。サイモンは言葉を続けた。

「そうじゃないかもしれないだろ。」

「いや、……でも間違っているよ。」

 サイモンは会話の流れが分かった。

 チン

 エレベーターの扉が開く。二人はフロアーに降り立った。加賀美がちらりと腕時計を見る。後、五分。

「何が間違っているんだ。」

 夜の景色が見えていた。雨に霞んでいる。加賀美もサイモンも景色を見ていた。サイモンの問いの言葉は、外気に霞んで消えた。時間は過ぎていく。加賀美はもう、そのことには触れたくないように見えた。しかし、それは今までの加賀美を見慣れていた、サイモンの勘違いに過ぎなかった。

「今日。山本さんに会ったとき、結花って呼ばれた女の人がいたよな。サイモン。」

「いた。」

 サイモンは答える。加賀美が続ける。

「俺は、しぐれさんの望みを叶えたいと思う。」

 背筋に悪寒が走った。蛇行していた何かが、真っすぐに整えられる。サイモンは加賀美の顔を見た。何も見えない。加賀美は続けていた。

「……でも、しぐれさんの名前を出したときの、あの女の人の顔を思い出すんだ。……あの人も、悲しんでいた。」

 サイモンは前半の言葉の現実との乖離と、後半の加賀美の言っていることのちぐはぐに戸惑う。前半は、無視できないが、加賀美にとっては当たり前の様に話された。後半は、常識人らしい、加賀美の思いそうなことだった。

 前半は、置いておこう。サイモンは固唾を飲みこむ。意識を後半に集中する。加賀美が、北巻しぐれ、山本竜樹、結花という女、その三人のドラマの中に現れたのはつい最近だ。それも、その三人の目からみたら、まるで部外者に過ぎない。人は、思いもかけない横槍に弱い。結花という女にとって加賀美とサイモンは、まさにそういうものであったはずだった。言うならば、山本竜樹にとっても。

 サイモンは言葉を選んだ。

「ここまで来たんだ。」

「わかってる。」

 加賀美は眉根を寄せた。

「サイモン。もし、あの二人のどちらかでもを傷つけてしまったら、その傷は誰が癒すんだろう。」

 加賀美は自分の発した言葉の後半にしか興味がない様だった。再度、サイモンは集中し、心の中で補足した。山本竜樹が、北巻しぐれと同じようにあの女を扱ったときもな……と。

 サイモンは言った。

「誰かが癒すよ。お前が、北巻しぐれに思うように、その人を助けたいという人は必ず現れる。そう、信じるしかない。」

 サイモンはここで言葉を切ろうと思ったが、考え直して続けた。

「それに、加賀美。お前は間違っちゃいない。人は、自分の望みを叶えるのも難しい。それが、他人なら猶更だ。それに、お前が間違ってるなら、俺も、渦間も長谷川も、荻さんも、どっかでお前と袂を別かっている。」

 加賀美はサイモンの答えに驚いていた。

「そう……かな。」

「そうだ。」

 加賀美は、サイモンの言葉に何かを掴みかけた表情を見せた。しかし、それを言葉に置き換えるような時間はなかった。加賀美が腕時計を見た。無言でサイモンに頷く。

 加賀美は変わった。

 サイモンは一瞬寂しく思ってから、確信した。

 加賀美は、北巻しぐれの望みを叶えたいと言った。その望みは何なのか、聞く暇はなかった。望みを叶えたときに加賀美が何をしたいのかも聞けていない。

 想像するしかない。サイモンは想像した。多分だが、駅で経験した三度の出来事の中で、加賀美は何かを思い、決断したのだ。何かを失うとしてもその望みを叶えると。そして、その望みの先に何かがあるのだ。

 サイモンは深呼吸を一つした。それが儀式だった。

 自分が失うものが、何であれ。覚悟を決めねばならなかった。

1990年から1998年で書き上げた作品を投稿します。

少し手直ししました。なんか、ちょっと作品が若々しくて苦しい…全二十六話+4話(前日譚、プロローグ、エピローグ、後日譚)です。

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