十八 開始
時代設定が1990年と古いです。平成2年のお話です。
えっ、と思われる設定には温かい心でお願いします。
サイモンが渦間の姿を見るのは、ほぼ三ヵ月振りだった。高校時代は毎日あっていた奴だ。そう考えると、長谷川も加賀美も荻もそうだったのだ。サイモンは当たり前のことがとても奇妙に感じられる瞬間を持った。
「よぉ。渦間。長谷川も。久しぶり。元気してたかよ。」
加賀美が最初に声をかけた。渦間が答える。
「元気元気。お前こそどうなんだよ、加賀美。」
「ぼちぼち、かなぁ。」
加賀美の表情が微かに能面のようになったのが、誰の目にも分かった。加賀美はまだ自分が注目の的であるとは気づいていない。
「本当に来るとはな、渦間。」
サイモンが呆れて言う。
「例の件、調べついたからな。……今日の朝、妹に電話して詳しく聞いてみた。妹も最初は嫌がったんだけど、説明をきちんとしたら納得してくれた。他にも妹の友人に確認取ったりな……。」
「何だよ?それ。」
長谷川である。
「一緒に待ってた俺には、全然そんなこと言ってないじゃんか。」
「いや、別に言うほどのことでもないかなって思ったんだけど、悪い。気、悪くしたか。」
「別にそんなことはないけどよぉ。」
「いや、サンキュー渦間。詳しく聞かせてくれ。」
サイモンが言った。
「何の話?」
荻が言ってくる。少し口調がきつい気がする。サイモンの気のせいだろうか。サイモンは気押されそうになりながら答える。
「大したことじゃないよ。」
荻の目はサイモンの言うことを信じていない目だった。サイモンも本当のことを言っていないのだから、何となく居心地が悪い。渦間が気を利かせたのか言った。
「河原千鶴って人のことを調べてくる約束をしてたんだよ。」
「あっ………。」
そう言って荻は絶句する。渦間がサイモンに言った。
「それよか、お前らどこ行ってたんだよ。俺と長谷川、三時間以上待ってたぞ。」
「三時間も?」
サイモンは驚く。長谷川が大きく頷き、渦間をこずいた。
「こいつの我儘のおかげでな。」
「それは大変だったな、長谷川。」
サイモンは同情して答える。
「加賀美。何でいなかったんだ?」
渦間は会話に惑わされていなかった。サイモンは表情に出さずに息を潜める。加賀美をそっとしておきたかったからだ。しかし、渦間にそれを望んでもしょうがなかった。渦間にそれを望むのならば、葛西で起きたことを話さなければ公平ではない。サイモンは加賀美を見る。渦間と加賀美が感情的な傷を互いに付けあわなければよいが。特殊な事情により起こる心の傷は、常識が一般的である世界においては理解され難い。物事は体験しなければ分からないのだ。
「ちょっと、用事があってね。」
加賀美がいなす答えをする。
「何だよ、用事って。荻さんから聞いたけど、お前。朝からいなかったって言うじゃないか。」
渦間は食い下がった。何としても聞くつもりらしい。加賀美は気持ちが表情に出る。しかし、渦間はそれに怯んだ様子はなかった。
「どこ行ってたんだよ。」
「別に大したとこじゃないよ。」
これが加賀美の限界かもな。サイモンは思った。加賀美の答えは渦間を無視している。渦間の心配は、加賀美にとっては余計なお世話なのだ。それとも、渦間を巻き込まないように気を使っているのだろうか。
サイモンは自分の相反する考えを吟味する。
「そういや、サイモン。加賀美を捜しに行ったんだろ。」
長谷川が微妙な空気を嫌ったらしく、サイモンに声をかけてきた。
サイモンは自分の考えに沈んでいた。しかしすぐに話を合わせる。話題転換追随能力であった。
「おおっ?何で知ってんだ?」
渦間が長谷川を心外そうに見ていた。加賀美はほっとしている。荻が言った。
「私が言ったの。」
済まなそうな目をしている。サイモンは戸惑う。別に荻にそんな目をしてもらう必要はないはずだ。
「いや、別に構わないよ。……あ、ありがと。加賀美はこの通り。見つかりました。例のところにね。」
サイモンはしまったと思うが遅かった。
「例のところってどこだ。」
渦間が問うた。勝ち誇った表情があった。加賀美が渋い顔をしてサイモンを見た。荻は両手で口を押さえてしまっている。サイモンはその二人を見てますます思った。それじゃあ、渦間に全てを語ってると同じだよ。渦間も流石に言うのをためらった間が少しだけあった。しかし、言ってしまうところが渦間らしかった。
「死んだ女の男の家か?」
加賀美が驚いている。渦間は続けた。
「男には逢えたのか?」
しばらく沈黙があった。それはそうである。加賀美は渦間がそんなことを知ってるなど、思いもしていないはずだ。サイモンは自分の信用が地に落ちても仕方がないと覚悟した。
「………何で知ってんだよ。お前が。」
抑揚の浅い加賀美の言葉。
沈黙。
ロビーのざわめきがあった。
「あっ、わりい。俺、言っちまった。」
サイモンは長谷川を見る。長谷川は、加賀美にそう言ってから気が付いたのか、サイモンと視線を合わせた。
「あれっ、サイモン。お前も渦間に話したの?」
「……ああっ。……ああ。ちょっとな。」
加賀美は不機嫌な顔を見せていた。それから一通り皆の顔を見渡す。
「まあ、……いいけどよぉ。何で長谷川も知ってんだよ。聞いてないぜ。」
「あっ、私ぃ。」
荻が自分を指した。加賀美は溜め息をついた。これ見よがしな気がした。そして、それから全然違うことを言った。
「荻さん、今日の講義のノート、見せてもらえる?」
「え………、いいよ。今?」
「うん。コピーさして。」
荻は鞄の中をしばらく捜して目的のものを見つけると、加賀美に差し出した。加賀美は「サンキュー」と言ってそれを受け取る。そして、視線をさ迷わせるような仕種を見せながら、ロビーの隅にあるコピー機に向かった。誰も敢えて見ようとしないその態度にサイモンは気がついた。
しかし、それは誰もが気づいていたことだった。
渦間が言った。
「すまん。……口が滑った。みんなが加賀美に何も言ってなかったとは、思ってなかった。」
誰も渦間の言葉に答えないのでサイモンは答えた。
「別にいいよ。済んだことだし。」
「加賀美は別に根に持つ奴じゃないしな。」
長谷川が自分に確認するように続けた。
「加賀美君。あんな顔もするんだね。」
荻が不安になっていたのかそんなことを言う。
「緊張してただけだよ。」
サイモンは荻を安心させようと言った。
「………本当は聞いちゃいけないんだろうけどよ、何に?」
渦間が、前置きをしてサイモンに言った。荻が渦間を軽く睨むようにしたのは気のせいか。サイモンは、コピーをしている加賀美のほうに目を向けた。黙々とボタンを押している姿は、別にそこら辺にいる誰とも違いはない。渦間の問いは容赦がない。渦間は目的に向かって突き進む奴だ。サイモンは溜め息をつかないようにしながら、渦間に確認した。
「河原千鶴のこと。どうだった?」
渦間は首を傾げた。首が凝っているらしく、すごい音がした。そうしてからもう一方の方向に倒した。サイモンはその行動に鼻を鳴らしそうになる。渦間が言った。
「……幼なじみだ。それも、北巻しぐれが本間しぐれだったときの。そして、聞いて驚け、真実も幼なじみだよ。仲は良かったらしい。引っ越した後も、年賀状とか、暑中見舞いとかは交換しあってたそうだ。サイモン。そっちのほうはどうだったんだ?」
サイモンは答えた。
「山本竜樹の家だ。行ってきたのは。……加賀美は山本竜樹に『今夜迎えに行く』と言った。」
長谷川と荻は何も言わない。
「山本竜樹を北巻しぐれに逢わせるつもりらしい。」
サイモンは淡々と言い切った。何も考えていない自分が、自分でないような感覚があった。渦間は頷いただけだった。
暫くして、長谷川が言った。
「北巻しぐれ。死んでるはずだろ………。」
サイモンは加賀美を見ていた。まだコピーは終わる気配がなかった。長谷川の問に答えるものはない。渦間が答えるわけではないように言う。
「琢磨さ、北巻しぐれが霊だとしてさ、この世に未練を残してるとするとさ。………どこに居ると思う?」
「津田沼駅か?」
即答だった。長谷川自身が驚いて続けた。加賀美に聞こえないように声は押さえてある。
「ええっ?………今夜、津田沼駅で、何すんだよ。」
長谷川がサイモンの顔を見、荻の顔を見た。
サイモンが言った。
「さぁ。」
本当に、全く、想像もつかなかった。
「何時に迎えに行くの?」
荻が言った。
「十一時。加賀美が山本竜樹を迎えに行く。」
「当の本人は承知したのか?そんな申し出を。」
渦間が聞く。
「ああ。」
「………妙な話しもあったもんだな。」
心に残る一言を渦間が言った。確かにそうだった。
不気味な強制力が働いている可能性がある。それは、言っても混乱を生むだけだと思い、サイモンは言わない。現実的な理由を挙げるとして、北巻しぐれが、カルト的な魅力を持っていて、その信者が来たから、付き合って様子を見るのかもしれないとか、成田であった父親が関係していると思われたのかとか想像力は働いた。しかし、それは、竜樹の事を何一つ知らないサイモンには本当に想像でしかない。
加賀美が戻ってきた。
「ご免、遅くなって。サンキュー、荻さん。助かったよ。」
「………あ、うん。大丈夫?分かりそう?」
「あっ、へーきへーき。」
「加賀美。」
渦間が呼んだ。加賀美が振り向く。サイモンは渦間の雰囲気が変わっているのに気がついた。
「怒ってる?」
渦間は小柄だ。加賀美を見上げるようにそう聞いた。冗談のような行動は、場を和まそうとしているのだろう。加賀美が答えた、笑いを見せようとしていた。
「別に、大丈夫だよ。驚いただけだって。」
加賀美は渦間の肩をポンポンと叩く。渦間の身長は加賀美から見たら小さく、肩の位置は叩きやすい。それから、何かを聞きたそうに言葉を言い淀んだ。
「渦間。えーとさ……。」
渦間は済まなそうに何度も頷いて、加賀美の言葉を遮って言った。
「加賀美。お前の考え通りだと思うよ。」
「おいっ、俺、まだ何にも言ってねぇよ。」
加賀美が驚いた。サイモンの話題転換追随能力は健在である。サイモンは、渦間の意図していることが分かった。
「あっ、加賀美。俺も謝まっとく。」
「じゃ、何だか知らないけど俺も。」
長谷川の言葉。本当には長谷川は分かっていなさそうだった。荻は微笑んで加賀美を見た。加賀美は本格的に慌て出した。
「だからっ、俺、何にも言ってねぇって。」
「その、何だ。加賀美。だから………、殆ど知ってんだわ。」
「何を?」
「一連の事件さ。」
渦間の会話のテンポは良かった。サイモンには真似できないものだ。
「………協力したいんだけど。」
渦間の言葉で、加賀美の動きが止まった。
「………どれぐらい知ってんの?」
加賀美がサイモンを見た。サイモンは荻を見て言った。
「荻さんぐらいは知ってる。」
「………、何で?」
加賀美の顔から表情が消えていた。サイモンは息を飲んだ。言葉を選ぶ。今、加賀美は不安定な自己の中にいるのが明白だった。
「……、死にそうだったろ。お前。……他人の命を一人で背負うには重すぎるよ。」
加賀美は何も言わない。渦間も長谷川も荻も声を殺していた。
「お前もそれは分かっているはずだろ。…だから、会いに行ったんじゃないのか?」
緊張がサイモンの五感を鋭くしていた。予備校A館ロビーのざわめきがやけに大きく聞こえ出してきていた。外の雨音。荻の呼吸音。渦間は呼吸をしていないようだった。長谷川は意識してゆっくりと息をしている。加賀美の呼吸音は聞こえてきていない。加賀美の体を包むオーラが見える。緑色に似た、優しい色。
そのオーラに微かにある陰り。黒。どす黒い漆黒。一瞬、加賀美が体験したその時が見える。
柔らかで儚い何かを握り潰される瞬間。
それは誰もが持つ一番大切なものだ。
こいつか。
こいつの所為で加賀美は自分の殻に閉じこもったのか。
サイモンはその黒に手を伸ばした。黒は意思を持っているかのように逃げようとする。しかし、サイモンの素早い行動はそれを許さない。
掴む。
思いっきり。
黒いものがサイモンの掌で蠢き、苦しげに悶えるのが分かった。サイモンはその掌のものを焼き尽くすかのように睨み付け、そのまま握り潰す。
現実と霊感で見える現実が重なりあう。
サイモンは加賀美の右肩口を掴んでいた。加賀美の顔が歪んでいる。
「痛いよ……。……サイモン。」
「しっかりしろよ。加賀美。」
サイモンは加賀美に言った。
「お前がそんなんでどうする。お前のすることは決まっているはずだ。そのこと以外に気を散らすな。俺たちは何のためにここに居ると思っているんだ。…お前が、中心だ。お前だけが何をするべきか知っている。俺達はお前についていってるだけだ。」
サイモンは加賀美の瞳を捕らえていた。
もう一度、サイモンは言った。
「お前だけが、特別なんだ。」
加賀美は視線を逸らす。
「………特別なのは俺だけじゃない。」
「それを確かめるために、山本竜樹のところに行ったんだろうが。」
沈黙があった。その期を捕らえたように荻がおずおずと言う。
「ねぇ、目立ってるよ。二人とも。」
「えっ!」
反射的に、加賀美が荻に振り向いた。サイモンはそれを聞いて自分が迂闊だったことを知る。なんてことだ。サイモンは思った。渦間と長谷川は二人を注意深く避け、出張本屋で立ち読みをして素知らぬ振りをしているじゃないか。
「前も同じような事してなかった?」
荻が言う。サイモンは素直に頷いた。
「………確かに、覚えがあるよ。」
「そうだったっけ?」
「覚えてないのかよ、加賀美。予備校の教室で同じ事言われたろ。」
加賀美は惚けたような顔をしてから言った。
「……覚えてら、本当だ。」
荻がくすくす笑い出していた。
「可愛いね。二人とも。」
荻の視線が自分に向いているのが、自意識過剰じゃないとしたら、一体それはどういう意味なのだろうか。サイモンは嫌な気はしていなかった。しかし、戸惑いがあった。それどころじゃない気がしていたからだ。
「おっ、恥じっかきブラザーズ。話は終わったのか。」
長谷川だった。笑みを浮かべ妙に肩を揺らしながら、声をかけてきた。
「いやぁー、琢磨先生。さすがに一緒には居られなかったですよねぇ。あんなに目立ってちゃぁ。」
渦間だ。さらに続ける。
「機嫌は直ったのか。加賀美。」
サイモンは加賀美を見た。加賀美の顔は付き物が落ちたように清々しく見えた。
「悪くねぇよ。別に。あっ!」
突然、加賀美は腕時計に視線を移した。
「どうしたの。」
荻が聞いた。
「母さん。迎えにくるんだ。B館に。俺、もう行くわ。」
渦間が言った。
「はぁ。お前、結構な身分だなぁ。なんだよそれ。」
「しょうがないだろ。」
「なぁ、加賀美。俺、どうすればいい。」
サイモンが言う。加賀美は真剣な顔になった。
「八時に、電話する。」
「分かった。」
「じゃ、みんなご免。俺、帰る。」
「加賀美。ちょっと待ってくれ。」
渦間が慌てて加賀美を引き止めた。
「おう。」
加賀美は高校時代に戻ったような動きを見せて、渦間に振り向いた。
「俺達も、津田沼駅で待ってるよ。必ず連れて来いよ。」
加賀美は一瞬表情を無くした。しかし、それは本当に一瞬だった。
「分かったよ。」
顔がにっと笑いを見せる。そうして、驚いた表情をする。
「やばい。本当に。それじゃ。」
加賀美は、慌ただしくA館を後にした。傘を差し、走って行く姿はいつもの加賀美だ。後には四人が残された。サイモンは柱の時計を見た。そろそろ、五時になろうとしていた。
「私も帰る。」
荻が言った。
「サイモン君。後で電話して。」
サイモンは驚いた。しかし、何となく理由が分かって肯定の言葉を口にした。
「いつ頃。」
「うーんとね。八時前。」
サイモンは笑った。手を振りながらA館から姿を消す荻を見送る。赤い小振りの傘が見えなくなってから、渦間が拗ねたように言った。
「いいなぁ、サイモン。ご指名じゃんか。チェ。」
「お前、好きだねぇ、そういうの。」
サイモンが呆れて言った。
「いつものことだよ。気にすんな。サイモン。」
長谷川が言い、続けた。
「で、残った俺達はどうすんの。」
「そうだ、喫茶店行こうぜ。河原千鶴の話。終わってないよ。」
渦間が言った。
「金ねえよ。俺。」
サイモンが言う。
「あっ、そうなの。」
「ごちそう様ーっす。渦間先輩。」
長谷川がいきなり言って、頭を深々と下げた。
「えー、おごんのぉ。……まっ、………いっか。」
「渦間。金持ちだな。」
「少なくともお前よりは、だ。サイモン。」
「いい店知ってるぜ。」
長谷川が言う。
「どうせ彼女と行った店だろ。やってらんねぇよな。琢磨にもサイモンにもいい人が居るのに俺だけ無しかよ。」
渦間がぶつぶつ言っている。サイモンは無視して歩き始めた。長谷川も同じ気持ちのようだ。
「わーかった。悪かったよ。愚痴言って!」
渦間が言って、追いかけてきた。長谷川が走り始めたので、サイモンも走る。
「てめーら、何じゃそりゃあ!!」
予備校津田沼校舎、A館ロビー。
目立つ事を恥ずかしがるよりも、まだ、自分達の世界が大切な年代を演じること。それも大切な休息だとサイモンは独り言ちた。
1990年から1998年で書き上げた作品を投稿します。
少し手直ししました。なんか、ちょっと作品が若々しくて苦しい…全二十六話+4話(前日譚、プロローグ、エピローグ、後日譚)です。




