十五 友人達
時代設定が1990年と古いです。平成2年のお話です。
えっ、と思われる設定には温かい心でお願いします。
「荻さーん。荻さーん。」
荻は自分を呼ぶその声にしばらく気がつかなかった。荻を呼ぶ声は四、五回くり返される。荻は一緒に居る友達との会話に忙しくて、呼んでいる声がするのも、友達に教えてもらったぐらいなのだ。しかし、呼ぶほうも呼ぶほうで、よくそんなに根気よく一人の名をくり返せたものである。
昼休みは終わろうとしていた。雨が降っているのでA館の一階は次の講義の準備にたむろしている人や、備えつけられているコピー機に用事がある人、出張本屋で本を物色している人などでごった返していた。無論その人種は食事を終えて帰ってきた人や、寝坊して今から講義に出る人、もう帰る気分でいる人と様々だ。雨が降ってさえいなければこんなに混み合うこともないのだが。
荻は友達に言われ、自分を呼んでいる人を捜した。
居た。
こっちに向かってきていた。身長は百六十位。小柄な体格。眉が太いのと、目が大きいのが特徴的だ。ひょうきんな顔つきをしている。何にも悩みのなさそうな印象を、荻は受ける。
「久しぶり。荻さん、元気?」
誰だったっけ?荻はとりあえず笑いながら考える。顔は知っている。高校時代同じクラスだったからだ。でも、誰だったっけ?
「先、行ってるよ。」と言う友達の言葉に荻は曖昧に返事を返した。
少し沈黙が続いた。が、声の主は全く気にしていないようだった。
「サイモンや加賀美は?」
「えっ?サイモン君と加賀美君?」
「そう。会いに来たんだけど、姿を見ないんだ。」
誰かを考える前に、質問をされて荻の頭は混乱し始めていた。ちょっと待ってよ。いきなり言われるのは得意じゃないの!
とにかく荻はまず今の質問に答える。
「今日は加賀美君、朝から居なかったみたい。サイモン君も途中で加賀美君を捜しに行ったよ。」
声の主は不可思議だったらしく言った。
「加賀美を捜しに行ったぁ?何それ。」
荻はその答えに話しすぎたと感じて、唐突にしらばっくれた。
「良くわかんない。」
声の主は吃驚した表情になる。その目が面白そうな光を湛えた。
「そんなはずないじゃーん。」
なんだこいつ。荻は思った。馴れ馴れしい。こういう手合いは大嫌いよ。いったい誰なの!ムッとなる荻の思考。しかし、その緊張を孕んだ空気を和やかにする声があった。
「よお。何やってんだよ、お前。こんなとこで。」
荻が声のほうに振り向いた。長身が目につく。長谷川だった。彼の人の良い顔が荻の目に映る。長谷川は荻を見たあと、声の主に顔を向けた。
「学校はどうしたよ、渦間。」
「なぁんだ!渦間君だっけ。」
荻が両の手を叩いた。渦間は長谷川の言葉に「おお。」と挨拶をしかけて、目を剥いた。
「いったい今まで誰だと思って喋ってたの。荻さん。」
荻は渦間の顔が可笑しかったのと、自分の物忘れに照れて笑い声を上げた。長谷川と渦間はそんな荻に呆気にとられている。
「で、何してんの。」
「いや、ここに来たら見かけてさ。」
渦間はまだ笑っている荻を見ながら答える。笑いはなかなか終わりそうにないので渦間は長谷川に話しかける。
「久しぶりだよな、それにしても。彼女は元気か?」
「まっ、ぼちぼちだ。朝は必ず会うようにはしてる。予定が全然違う二人だし。」
「良くやるねぇ。」
渦間の言葉に長谷川は手を振って言った。
「いいよ、俺のことは。それでお前は何しに来たんだよ。」
「んっ?ああ。サイモンに情報を頼まれてね。」
そこで渦間は笑いを止めている荻に話しかけた。
「荻さん。サイモンから話は聞いてる?」
「えっ?!」
荻はさっぱり話の流れが解らずに戸惑った。
「渦間。荻さん、分かってないみたいだぞ。」
長谷川が言う。荻は長谷川の言葉が嬉しかった。荻は長谷川の言う通り、何が何だか良く分かっていなかった。渦間が付け足した。
「いや……。北巻しぐれの事なんだけど。」
荻は驚いた。何で知ってるんだろうと思う。しかし、すぐに渦間がサイモンの友達だということに思い至る。そして、荻は何となく良い気がしない、と自分が思っていることに気がついた。
「……って言うか、河原千鶴の事で俺は来たんだけどね。」
「どしたの、荻さん。」
長谷川が荻の様子に目敏く気がついて言った。
「ううん。なんでも無いよ。どうして?」
「いや、何となく考え深げだったからさ。」
「そお?」
「琢磨は、もう講義は終わったのか?」
渦間も長谷川の言葉で荻の様子に気がついたらしい。取り合えずたわいの無い会話をしたいらしく、そう声をかけた。長谷川も答える。
「ああ、まあね。終わっちゃいないんだけど。もう今日は出る気がしなくてね。」
「ふーん。荻さんはどうなの。」
「まだあるよ。五時までびっちり。」
「うっひゃー、大変だ。」
渦間がお茶らけて答えた。しかし、荻の顔は冴えない。渦間は荻の様子を何とかしたいらしく言葉を続けた。
「えっと。……サイモン、何か言ってた?」
「何かって?」
荻が言う。
「いや……。」
渦間は言葉に詰まった。長谷川も遺憾ともしがたいように二人のやり取りを見ている。その時、講義開始のチャイムが鳴った。荻が言った。
「あっ、私、もう行くね。」
そう言って身を翻す。素早いものである。渦間が辛うじて手を振る。三歩ほど小走りをして、荻はこっちに振り返った。
「そうだ。サイモン君、山本竜樹って人のところに加賀美君を捜しに行ったみたい。」
「えっ、ちょっとちょっと。…って、ありゃりゃ。行っちゃった。」
荻はごった返す人の群れの中に埋もれて、何処にいるか分からなくなってしまった。渦間が残念がった。
「捨て台詞みたく言わなくてもいいじゃんなぁ。」
「お前、何か聞きたいことがあるんなら、追いかけたほうがいいんじゃないのか?」
長谷川がそう助け船を出した。
「いや、いいよ。何だか気まずかったし。」
「何だかそうだったな。」
「俺のこと嫌いなのかなぁ。」
渦間が突然そういい出した。
「何言ってんだ、お前。嫌われるほどの付き合いがあるのか萩さんと。」
長谷川は呆れたようだった。
「いや、一目ぼれってのがあるくらいだからさ、一目嫌われみたいのがあるんじゃないかなぁってな。たまに自信がなくなるってわけよ。」
「考えすぎだろ。」
「だよなぁ。」
渦間は長谷川の言葉にあっさり納得する。A館の一階に居る人間の数は、既に疎らになってきていた。
渦間が気分を換えるように言ってきた。
「ところで、琢磨は、何でもう今日は講義、出る気しないんだよ。」
「何だよ。唐突に。次の講師、俺、気にくわないんだ。」
「嘘つけ。彼女と今日の朝、喧嘩でもして気分がくさくさしてんじゃないの?」
長谷川が顔を赤くした。
「んでだよ!勝手に人の行動を決めんなよ!」
「喧嘩の原因は何だよ。」
「どーでもいいだろそんなことは。」
渦間はとても楽しそうだった。
「ヘッヘッヘー。認めたな。喧嘩だって。」
長谷川は下唇を噛んだ。しょうがねえ奴だという感じに渦間を見る。軽く舌打ちして長谷川は言った。
「昨日、朝会う約束をスッポかしちゃってな。」
「昨日の朝?」
渦間はすぐに気がついたようだった。
「あちゃー。大変だな。」
「別にいいんだけどね」
そう言ってから長谷川が驚いて聞いた。
「ちょっと待て、大変だなって、なんで知ってんだ。」
渦間は言った。
「サイモンからちょくちょく電話がかかって来ててさ。昨日の電話で聞いたんだよ。……あいつの霊感、信じてる奴少ないからな。」
「サイモンの霊感って強いのか。」
長谷川はまだ信じているわけではない。
「強いかどうか知らないけど、明確に見えるみたいだ。目を細めて集中する必要があるみたいだけどな。高校時代によく話したよ。あっ、あと、オーラが見えるらしい。」
「ほんとか。」
「しらね。俺は見えないからな。」
長谷川は、納得できない風に頷いた。
「お前、そんな程度の感じで、よく信じてられるな。」
「好きだからな。そーゆーの。」
渦間の答えは簡潔だった。長谷川はそれって信じてるっていうのかなと思ったが、さすがにそれは口にしなかった。
「ところで、お前これからどうすんだ。」
長谷川が話題を変えて、渦間に話を振った。渦間は両手を頭の後ろで組んだ。
「まあ、サイモンか加賀美が来るのを待つよ。全然来なかったらまたその時考えるさ。」
「ふーん。そっか。じゃ、俺、帰るわ。」
長谷川は片手を軽く振って渦間にさよならを言う。渦間が慌てて長谷川を止めた。
「そりゃないっスよぉー、琢磨先生!友達じゃないっスかぁー。」
長谷川が笑いながら言った。
「お前なんか友達じゃねえよ。」
「ゲーーーーーッ。」
結局、二人はそのままA館のロビーに残り、サイモンと加賀美の帰りを四時間近く待つのである。
梅雨明けは今夜。まだ、雨のやむ気配はなかった。
1990年から1998年で書き上げた作品を投稿します。
少し手直ししました。なんか、ちょっと作品が若々しくて苦しい…全二十六話+4話(前日譚、プロローグ、エピローグ、後日譚)です。




