十四 尋ね人
時代設定が1990年と古いです。平成2年のお話です。
えっ、と思われる設定には温かい心でお願いします。
小雨が、マンションを霞ませていた。サイモンは鬱陶しい雨を目を細めることで緩和させながら、飽きる事なく、マンションを見上げていた。駅前からはずれた住宅街。小学校が近いのか、来るまでにランドセルを背った姿を何度か見た。この時間は、一年生か二年生だ。住宅街に入ってから二つだけコンビニがあった。あと、小さい個人経営の喫茶店が一つ。サイモンは腕時計を見た。
「一時間ちょっと……ってとこか。」
ここまで着くのにそれだけの時間がかかっていた。思ったより早く着いたようにも思えた。サイモンは荻に貰った住所の紙を見直して、部屋番号を確認した。
408号室。
サイモンは躊躇する心が生まれたのを感じた。普段の行動とは掛け離れているからだ。しかし、それは無視する。サイモンは大股でマンションに入っていった。
十八階建、数字の「9」を示している廊下で結ばれている古い形のマンションだった。エレベーターと階段が丸と棒の交わる場所に一つづつ、西端にあたる棒の先に非常階段が一つ。エレベーターと階段の前には小さいホールがあった。そこが正面入口になる。サイモンは足を踏み入れた。サイモンはエレベーターで昇る気になれず階段を使い、四階まで上がる。小ホールの手すりに寄りかかって、外を見ている人の背中に見覚えがあった。
背後の足音で気がついたのかその男が振り返った。顔が強張っていた。その緊張がゆっくりと薄れてゆくのをサイモンは見守った。加賀美が掠れた声を出した。
「……なんだ、サイモンか。」
加賀美は軽く咳払いをする。
「やあ。」
サイモンは右手をハイルの形に挙げて返事を返した。
「やっぱりここだったか。そんな気がしたんだ。」
サイモンはそう言って加賀美の隣に並んだ。加賀美は外の景色を見ていた。サイモンも並んで外を見る。町並みが見える。それは別段珍しいものでもなかった。サイモンは言った。
「どうしてここに来る気になった。」
加賀美は答えない。
「……いつから居るんだ?」
「……九時ぐらいからだ。」
サイモンは首を廻した。首が凝っていた。そして、淡々と続ける。
「四時間になるな。」
「ああ。」
加賀美は身じろぎもしない。また、自分の世界に入ってしまっているのだろうか。サイモンは当然であることを加賀美に確認した。
「山本竜樹を待っているのか。」
加賀美が答えた。
「ああ。ま……ね。」
「408号室の呼び鈴は押したのか?」
「押した。五回かな。留守だったよ。」
サイモンは驚いた。北巻しぐれの実家の呼び鈴を押すのをためらった加賀美が、五回も呼び鈴を押して山本竜樹の不在を確かめたことはかなりの変わり様だった。
「どんな仕事をしているか、とか。学生なのか、とか。何も分からずにただ待っているのか?」
「…………。」
加賀美は答えない。沈黙が降りた。服がじめじめしていた。子供の声が微かに聞こえてくるが、姿はここからでは見えない。一人、小母さんが傘を差しながら三匹の犬を連れて通りすぎるのが見えた。襟から空気を送り込む。少しでも服が乾くようにだ。
加賀美が沈黙を破った。サイモンは、加賀美の変化を感じ取った。何かが加賀美を変えていた。
「………よく、ここだと分かったな。サイモン。」
サイモンは言葉に詰まる。一瞬考えて答えた。
「勘……かな。」
「それも霊感の一種ってわけなのか?」
「そう考えてもらってもいいよ。」
サイモン自身も答えられない問だった。なぜ自分に霊感があるのかが答えられなければ、答えられない問。その問いはなぜ人に命があるのかと同じだ。サイモンはただ、そんな気がし、それを信じた。
「………いいな……それって。」
加賀美が言った。
「霊感に従えば間違いはないじゃん。」
サイモンは加賀美その言葉に、無作法を詰め寄ろうかと本気で考えた。しかし、冷静に言った。
「そうは言っても不調のときもあるし、自分の思い込みと霊感を混同したりもするし、そんな風に言われるほど万能じゃないよ。」
「そうなんだ?」
加賀美は驚いたようだった。サイモンの顔を見据えた。サイモンはその加賀美の瞳を見返す。
「考えてもみろよ。スポーツ万能選手はどんなときでも万能かよ。体調崩したり、気持ちに迷いがあったり、そんなことで能力が発揮できなくなったりするだろう。」
「………そう……だな。」
「そうだよ。」
加賀美が笑顔を見せた。サイモンはなんだこいつと思う。何でここで笑顔を俺に見せるんだ。加賀美が笑顔を見せながら言った。
「そういわれると、俺も勘が冴えるときとかがあるな。」
「それと同じだよ、基本的には。」
サイモンは加賀美の笑顔に釣られて自分も笑いそうになりながら、そう答えた。加賀美はそれを聞くとまた手すりから外を見始めた。雨足がさっきよりも心持ち強くなった感があった。
「梅雨明けは今夜夜半過ぎだそうだ。雷が鳴るな。」
サイモンは言った。加賀美は頷くだけだった。再び沈黙だった。
今度は加賀美が話しかけてくる気配はなかった。サイモンは沈黙が苦になる人間ではなかったが、今は加賀美に話すべきことも、質問するべきことも多かった。サイモンは迷った後、質問を先にした。それが出来そうな雰囲気だったからだ。
(北巻しぐれは、お前にとって何なんだ?)
しかし、この問いはまだ言えなかった。サイモンは言葉を選んだ。
「警察に行って、どうだった。」
出てきた問いは、本当にどうでもいいことに分類されるものだった。警察が特にこの事件を解決できるわけではないからだ。しかし、河原千鶴の事がサイモンの脳裏をよぎったことは否定できなかった。
「えっ?何。」
加賀美が答えた。どうやら自分の考えの中に入っていたようだった。サイモンはくり返した。
「警察に行って、どうだったと聞いた。」
「ああ……。」
加賀美はゆっくりと指の関節を鳴らしながら答え始める。
「別に……、特には何もなかったな。訊問、…質問かな。それを受けて。サイモンの言った通り、北巻しぐれのこととか、おととい死んだ女学生のこととか聞かれたよ。死んだ女子学生の名はなんて言ったかなぁ。」
「河原千鶴だよ。確か。」
サイモンは死ぬという言葉が好きではなく、せめて『亡くなった』にしてほしいと心の中で思いながら言った。
「そう、うん。県立高校の二年生。あんまり情報収集なんて出来なかったよ。相手はプロだし、下手のこと言って変に疑われるのもやだったし。なんて言うか、口にしたくないようなことまで平気で聞いてくるし。」
「肉体関係か?」
サイモンの言葉に加賀美が眉をひそめて反発した。
「はっきり言うなよ。はっきり!人がせっかく誤魔化してんのに!」
「おおっ?」
サイモンは加賀美の反応に驚いて、そうとしか声が出なかった。加賀美は下唇を突き出し、外の景色に見入り始める。そうして、話を続けた。サイモンは加賀美の純情さに面食らっていた。
「……まあ、そんなとこかな。でも、しぐれさんの家も、女子学生の方も何かしら家庭に事情のあるような口振りしてたな。荻さんの話じゃ、しぐれさんは確かに複雑そうな家庭の事情もってたしな。」
「河原千鶴もそうって事か?」
「わかんないけどね。」
加賀美にとって河原千鶴のことはどうでも良いことのような口振りだった。サイモンはこの話は切り上げ、違う質問をした。昨夜、渦間と話し合って約束したことを聞くのだ。サイモンはさり気なさを装った。
「加賀美。お前にとって北巻しぐれって何だ?」
「へっ?」
加賀美が振り向いた。小雨はまだ降り続いている。サイモンは質問を細分化して続けた。
「小さい頃にあったことがある、知り合いなのか?」
加賀美は首を振った。
「いや、違う。」
「じゃあ、いつ出会ったんだよ。」
加賀美が体ごとこちらを向いた。半歩ほど心持ちサイモンと距離を開ける。顔に微妙な笑みがあった。
「何だよ、サイモン。それ。」
「なんだよって、…質問だよ。」
サイモンは事実を伝えることにした。そして続ける。
「だっておかしいだろ?知り合いでもなんでも無い人間に、何でお前がここまでする必要があるんだよ。どっかで会ったことがあるんじゃないのか。そうじゃなきゃ説明できないだろ。」
「………おかしい、か?」
加賀美はサイモンから視線を外した。サイモンは加賀美を見守る。
「……やっぱそうか。」
一人言に近い。サイモンはなぜか加賀美が哀れになる。
「自分でも分からんのか?」
サイモンの問いに加賀美は微かに首を動かす。その動きではサイモンは加賀美が肯定したとも否定したとも分からない。サイモンは加賀美に分からないようにそっと溜め息をついた。自分の質問していた顔が怖かったのかもしれない。サイモンと加賀美は気まずくなってお互い会話もないままに、雨の降りが激しくなる外を見つめていた。
「チーン。」
加賀美がエレベーターに振り向いた。サイモンも振り向く。加賀美の顔が緊張に強張っていた。
「何人目だ。」
サイモンが囁く。
「サイモンを入れて七組。…サイモン。しぐれさんはいると思うか。」
エレベーターの扉が開こうとしていた。突然、早口で聞いてきた言葉にサイモンは戸惑う。しかし、扉が開き切る前に答えた。
「まだ、いた。あの場所に。」
エレベーターから、男と女の二人組が現れた。サイモンと加賀美は不審がられないように再び外の景色を見始める。二人の後ろを通りすぎる二人。会話が耳に入ってきた。
「うそでしょぉ。」
「うそじゃないって、本気で逃げようと思ったよ。その時は。」
「竜樹は嘘上手いからなぁ。」
「何言ってんだよっ。」
間違いなかった。あの二人のうちの一人、男のほうが加賀美の目当ての人だった。しかし、とサイモンは思う。隣の女はどう考えても『彼女』だった。既に、北巻しぐれと山本竜樹の関係は終わっていたのだ。
サイモンは加賀美を見た。
まさか、女連れだとは考えてもいなかったのだろう。加賀美は完全にタイミングを失っていた。加賀美がサイモンを見た。その顔は、北巻しぐれの家のインターホンが押せなかったときの顔と同じだった。
(だめだこりゃ、切っ掛けをつくってやるか。)
サイモンは二人に目を移した。そして歩き出す。二人は重そうな買い物袋を二つ下げ、竜樹のほうがそれに加えて傘を一本持っていた。扉の前で竜樹がポケットから何かを取り出そうとしていた。多分、鍵だ。どんな顔なのかを見ようとするが、サイモンは目が悪い所為で今一はっきりしない。サイモンはちらりと後ろを見る。加賀美がついてきていた。「ガチャ。」鍵が開いたらしかった。部屋番号は408。もう一度確認をして万全を期す。竜樹と隣の女がサイモンに気がついてこちらを振り向いた。
サイモンは声をかけた。
「すみません。山本竜樹さんですか?」
整った顔つきが怪訝な表情を呈した。その言い方がぴったりだった。
太く、意志の強さを表すような眉。心持ち吊り、切れ長の目。繊細な睫毛。整った鼻梁。女のような唇と顔の輪郭。そして、茶色がかり、パーマのかかった髪の毛。首、体つき共にしなやかな豹の印象がある。一歩間違えれば女になるのが、危ういバランスの中で男としてある。そんな感じだった。
(外人みたいだな……。)
サイモンは思う。竜樹はサイモンをじろじろ眺めていた。竜樹の不躾な視線は、サイモンへの威圧なのだろうか。サイモンにはわからない。もし、遠慮なしに自分を見ている竜樹の視線が彼の癖であるなら、竜樹は何をしても許される人間なのかもしれなかった。たまに、そんな人間がいるということをサイモンは知っていた。
「そうですけど……、何か……。」
怪訝な顔つきが緩んで、竜樹はそう声を出した。サイモンを危険のない人間と認めたようだった。女のほうは竜樹の側で隠れるようにして、サイモンを見ていた。竜樹の視線は不躾だが、女の視線は怒りを含んでいた。もともと、サイモンは女一般が苦手な部類に入る。このように男と一緒にいる女は、その中でも一番苦手であった。女も整った顔つきをしていたが、竜樹と比べると目が大きすぎる気がした。身長は百六十弱。感じる印象は儚く、今にも消えそうな雰囲気。北巻しぐれと似ている気がサイモンにはした。この手のタイプが竜樹に引き寄せられているのだろうか。
サイモンは女の怒りを含んだ視線に怯みそうだった。だから、怯む前にサイモンは加賀美のほうを振り向いた。
加賀美は決心を固めたようだった。
加賀美は無表情だったが、それは竜樹に感情を読み取られないための、無意識的なものに考えられた。ゆっくりと歩を進め、サイモンの半歩先に立ち止まる。
「俺、加賀美剛って者ですけど。山本さんにお話があるんです。」
加賀美と竜樹の身長差はほとんど無かった。しかし、体格は竜樹のほうがかなり逞しかった。加賀美は厳しい表情をしていたが、竜樹はそれに怯んだようには見えなかった。
「その……。北巻しぐれさんのことで少し……。」
「ちょっと。あんた誰。」
女が痛烈な言葉を加賀美に投げつけてきた。
「あんた、あの女の何。私達、あの女とは何の関係もないのよ。」
女は今まで潜んでいた竜樹の後ろから、ズッと加賀美と竜樹、サイモンの空間に入ってきた。加賀美はその人の言葉に圧倒されて心持ち身を引いた。サイモンもその女に耐えようのない圧力を感じる。しかし、サイモンは彼女の雰囲気に悲しみを見た。
なんだ?
その瞬間、サイモンは女と目があった。女の目はサイモンの同情など微塵も受け入れる様子を見せず、そのまま逸らさせる。そして、そのまま加賀美を凝視していた。竜樹は少し顎を上げ、目を細め、加賀美を見下げていた。加賀美は二人の雰囲気に飲み込まれていた。
しかし、その緊張の間をといたのは竜樹だった。女の人の方を押さえて自分のほうに引き寄せる。
「何すんのよ。」
「落ち着け、結花。家に入ってろ。」
「どうして。」
結花と呼ばれた女は、自分の身長より頭一つ半は高い彼氏に食ってかかった。瞳がその瞬間に潤んだ事にサイモンは気が付いた。竜樹は結花をいなす。
「いいから、ここは俺に任せとけ。俺の分の袋も持って、夕食をつくり始めててくれよ。今日は俺の誕生日だろ。」
結花は暫く挑むような視線を加賀美に投げつけていた。しかし、小さく「わかった。」と呟く。竜樹から買い物袋を受け取ると扉を開け、その奥に消えた。
(大人だなぁ。……俺も居てよかった。)
サイモンは思う。二人なら何とかなるかもしれなかったからだ。加賀美が何を考えているか分からないにしても、だ。
結花はもう居なかった。ここに居るのは男が三人だけだった。
竜樹が加賀美に声をかけた。サイモンは一歩引く。
「立ち話もなんだろ。少し歩くけど、近くの喫茶店に行こう。」
加賀美は無言で頷く。竜樹が歩き出した。竜樹の足が微妙に震えているのをサイモンは見逃さなかった。そして、竜樹の肩が雨に全く濡れていないことも。傘は一本しかなかった。そんなに大きくもなかった。結花と呼ばれた女の肩は濡れていたのに。
加賀美が歩き出した。サイモンもその後をついて行った。
1990年から1998年で書き上げた作品を投稿します。
少し手直ししました。なんか、ちょっと作品が若々しくて苦しい…全二十六話+4話(前日譚、プロローグ、エピローグ、後日譚)です。




