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十三 動き

時代設定が1990年と古いです。平成2年のお話です。

えっ、と思われる設定には温かい心でお願いします。

 加賀美は寝返りをうった。

 寝つかれない。心には今朝聞いたしぐれの叫びが残っている。

 ……もっと私を観て。私のことを考えて!私にはっ!……

 私には……何なのだろうか。続きにはどんな言葉が来るのだろう。

 寝つかれない。心臓の鼓動が気にかかる。いつもより速い。俺は何を考えているのだろう。加賀美は思う。寝つかれない。北巻しぐれの自殺に出会ってから一日置きに熟睡し、そして目が冴え眠れない日があった。しかし、昨日も殆ど寝ていないのに、今日も寝つかれない。寝苦しい。

 なぜだ。

 俺は何を考えている。考えると胸が締めつけられる。切ない。

 俺は馬鹿なのか。自意識が過剰なだけか。俺としぐれさんの関係がなんだというんだ!……あの人。あの人……。山本竜樹か。俺は……あの人じゃない。山本竜樹じゃないということか……。

 加賀美はもう一度、今朝の北巻しぐれと交わした会話を思い出そうとした。そうしようとして、布団の中で頭を抱える。何をやってんだ俺は。非現実的すぎる。あれは本当に北巻しぐれなのか。姿は見えない。憎悪と恐怖しか感じない。俺は、「あれ」に何をしようというのだ。

 俺は「あれ」にどうしてやりたいのだ。なぜこんなに切なく、苦しいのか。誰にも話せない。誰も俺が何をしようとしているのか、理解出来る訳がない。本当に、本当に北巻しぐれが居るなんて俺は信じているのか?サイモンは?荻さんは?

 加賀美は自分の手を握ったり開いたりをくり返していた。そして深呼吸をする。

 女子高生が同じ場所で死んだと聞いたときは、居ても立っても居られなくなった。しかし、自分の母親が泣き、父親に叱責されたことで、自分の行動が如何に非現実的なものであるかが分かってしまった。

 俺は、本当に北巻しぐれの力になってやりたいのか……。

 ………俺は…あの人じゃない。

 加賀美は思った。しかし、その思い以上に、北巻しぐれの叫びが心に残っている。

 どうして……、どうして!

 ……どうしてそんなことが言えるの。何でそんな言葉が出てくるのよ!私が聞きたいのは!………!!

 私が聞きたいのは……。加賀美はくり返した。私が聞きたいのは……。

 加賀美は北巻しぐれの叫びに答えたかった。そして、答えるために何をするべきかは、既に考えてあった。


 七月八日。水曜日。雨。午前七時。

 サイモンはためらいながら、加賀美の家に電話をかけた。加賀美と話し合う時間を決めるためだ。北巻しぐれの事を聞く必要があるからだが、もう一つ。何をするか分からないからだった。加賀美の行動は既にサイモンの思考の範疇を越えていた。それに先手を打つためでもあった。電話の呼び出し音の最中、サイモンは加賀美の母親が出ないことを祈っていた。

「はい、加賀美ですが。」

 母親だった。サイモンは胃が痛くなる気がした。言葉を選んでゆっくりという。

「あっ、恭神ですが……。」

 答えはすぐに返ってきた。

「剛はもう居ません。予備校に行きました。」

「あれっ………。もぅ、もうですか?」

 昨日のような嫌な予感は湧かない。第六感が焦る必要がないことを示していた。しかし、何のためにそんなに早くに家を出たのだろうか。

「自習室で自習をするそうです。私が車で送りましたからご心配なく。帰りも迎えに行きます。」

「あっ、……そうですか。分かりました。ありがとうございます。失礼致しますぅ。」

 サイモンは相手が置くのを確認してから受話器を置いた。溜め息をつく。ぽっかり穴が開いたような虚しさがあった。母は強しか……。昨日から薄まっている嫌な予感はこれのお蔭かなとも思った。とは言え、少しはある。加賀美は自習室を利用するような奴ではないからだ。しかし、昨日の今日である。母親が送ったという事実もある。それは、安心感となる。サイモンは朝食を取るべく、我が家の食卓に向かった。

 バスで行くか、電車で行くか。サイモンは少しだけ迷ったが、結局電車で行くことにした。津田沼駅で自分の霊感がどう感じるのか、確かめたかったからだ。

 既に見慣れてしまった最寄り駅。つい一週間前までは、雨の日は今より二十分ほど早起きして、バスで予備校に行くと決めていたのが嘘のようだ。サイモンは傘を畳むと、改札を抜け駅のホームに出る。雨の降っている空を見上げる。天気予報は今日の夜半過ぎ、関東地方が梅雨明けを迎えると放送していた。この鬱陶しい天気だけでもどうにかなって欲しいものだ、とサイモンは考える。加賀美は今どんな気持ちで自習をしているのだろうか。

 電車がホームに滑り込んでくる。

 八時八分の電車。

 扉が開き、サイモンは体をねじ込んだ。扉が閉まる空気音。ゆっくと電車が動き始める。ヘッドホンステレオを懐から取り出した。普段は満員電車内で聞きたいなどという気にはならないのだが、今日は何も考えたりしたくなかった。

 津田沼駅が近づいていた。電車が速度を落とす。今日のテープの内容も『落後』だった。いつも感心するうまい落ちにほくそ笑みながら、サイモンは電車が停車するのを待った。笑いは顔に張り着くような気がした。二番ホームにゆっくりと入って行く。

 サイモンは緊張していた。扉が開く。自分も北巻しぐれに強い関心を持っている。

 ホームに足を踏み出す。『落後』など聞こえても来ない。

 しかし、サイモンの心配は杞憂だった。サイモンの足は加賀美と違いすたすたと進み、すぐに階段の下にたどり着いたからだ。自分の自意識過剰を悔やみながら、サイモンは振り向いた。とりあえず、霊感に何かを感じたということはなかったのだが、確認をしようと思った。もしかして昇天したのか、と楽観的なことを考えながらサイモンは暫くその場に佇み、目を凝らした。

 見えた。

 昨日よりも、老獪に身を隠していたようだった。気を抜くと見えなくなることがその証拠だった。この駅に同化しようとしているのかも知れなかった。『ゾクリ』とする感触は強くなっている。サイモンは、嫌な予感が薄まっていると感じていた事を訂正した。もしかしたら、自分は、逃げたかっただけかもしれないと気持ちを入れ替える。事態はさらに悪くなっていることを感じたのだ。

(このままでは、やばいぞ………)

 そう思った瞬間だった。予断を許さない危機感が急激にサイモンの中で膨らんだ。北巻しぐれに集中しすぎていたのか。この世のものではない気配がサイモンに襲いかかってきた。

 気づかれた!

 いや、違う!!

 気配はサイモンの注意を引こうとしたに留まった。

 北巻しぐれは気づいていない。直感がそう語りかけた。北巻しぐれではない。その隣のだ。サイモンは凝らしている目をさらに凝らそうとする。北巻しぐれだけではない。もう一人居る。

 河原千鶴か?

 焦りがサイモンの中で膨れ挙がった。何かを言おうとしている。

 何を言おうとしているんだ?

 サイモンの目に見える蠢いているものは二つに分離しようとし、また一つに戻った。良く見ると、腕、足が二組づつある。そして、頭も。片方の頭がサイモンの方を向き、不自然に首を伸ばす。その首はサイモンを求めて人間には不可能な長さになった。ろくろ首。そんな妖怪の名が浮かんできた。首だけでもなく顔も面長になり、口が不自然に長く開かれた。何かを言おうとしている。それは分かった。黒いくぼみが目と思しきものとなり、その中に悲しみが見える。しかしそれは哀れみを請うて居るようでもあった。サイモンはそれを見て吐き気を覚える。そして、それはどんどん強烈になってゆく。

 『あれ』はここに居るべきものではない。

 サイモンは感じた。

 『あれ』をここに居させてはいけない。

 吐き気を耐えている力が思いと同化するのをサイモンは感じた。胆臀から込み上げてくるものがある。それは怒りだ。

「サイモン君!」

「えっ?!」

 サイモンは呼ばれて振り向いた。荻がそこに居た。荻は焦っていた。

「どうしたの。怖い顔してたよ。何かあったの?」

 サイモンは暫く荻の顔を見つめていた。怒りの余韻が残っていた。しかし、それは荻の顔を見ているとゆっくりと静まってゆく。荻の焦りはなぜかサイモンにとって心地好かった。だからといって優越感でもない。サイモンは言葉を選んで出した。

「……何で荻さん、ここにいるの?」

「なんでって予備校に行くからに決まってるでしょぉ。」

「いや、そういう意味じゃなくて……。」

 そう言ってからサイモンは辺りを見渡した。自分が駅のホームにいることを思い出したのだ。気がつかないうちに電車は停車していたらしく、何人もの人達が、サイモンと荻の脇を過ぎ去ってゆく。サイモンはそんな中、特に目立っているというわけではないことに安堵した。とは言うものの、こんな朝から女の人と二人きりで喋っていて、変な誤解を受けるのも馬鹿らしいと思う。しかし、そんなことを考えている自分こそが馬鹿らしいと気づいた。

「サイモン君聞いてるの!」

「はい、聞いてます。」

 荻は笑い出した。サイモンの態度が面白かったらしかった。もう一度サイモンは辺りを見渡して、荻の知り合いがいないかどうか確認してから言った。

「あのー。予備校いかない?荻さん。」

 最後に振り向いたときには、既に河原千鶴の気配も北巻しぐれの気配もなく、目を凝らしても何も見えなかった。集中して見なければいけないのかもしれない。サイモンは後ろ髪引かれる思いを残しながら、津田沼駅を荻と後にした。

 最初サイモンを見かけたとき、荻は声をかけるかどうか迷ったそうだった。目付きが怖かったからだという。無視しようとしたのだが、加賀美の話が荻を引き止めたのだ。もしかしたら何か大変なことが起こっているのかもしれない、と。サイモンは礼を言った。

「助かったよ。どこかに逝っちゃうとこだった。」

「ふーん。本当にサイモン君て霊感があるんだねぇ。」

「荻さん。信じてるって言ってなかったっけ?!」

 サイモンは慌てて言った。荻は済ました顔で言う。

「うん。信じてるよ。」

 雨は小振りだった。傘をさすかどうかを迷うほどだ。サイモンは梅雨も終わりだねと話しかけるか、昨日の加賀美の話をするかを選んでいたが、その前に荻のほうから加賀美の話をしてきた。

「加賀美君。あれからどうだった。」

 サイモンは頷きながら言った。

「なぁーんにも。殆ど無言で別れたよ。」

「付き合ってた人の住所、言ったのまずかったかなぁ。」

「大丈夫だよ。今頃加賀美は予備校の自習室で勉強してる。確認も取ってあるんだから。」

 サイモンは請け合った。それから少し不安になる。加賀美は自習室で自習をする奴ではなかった。

「そういえば荻さんにパフェおごんなきゃな。」

 サイモンは言った。いいよそんなのと言っている荻の答えを聞きながら、サイモンは空を見上げる。

 そして、本当に梅雨が早く終わるといいと思った。


 予備校内に加賀美の姿はなかった。

 サイモンが荻にそう判断し、言ったのは一限目の講義が始まる前だった。確認を取って確信していたはずの自習室に加賀美の姿はなく、その後、加賀美の立ち寄りそうな予備校内の本屋、出張本屋を見回った。最後に確認のためにもう一度自習室を見る。加賀美の姿はどこにもなかった。サイモンはその事実を認識すると顔をしかめた。加賀美の自分勝手な行動に、サイモンはいい加減苛々し始めていたからだ。いったい何処に行ったというのだ。加賀美は。

 とりあえず、サイモンは自分の気持ちは押さえながら荻に言った。

「加賀美はいないね。どうやら。」

 荻が答えた。

「やっぱり彼氏だった人の住所教えたのまずかったよねぇ。」

 荻はサイモンに「済まない」と言う気持ちで一杯のようだった。声が弱々しい。何でそんな弱々しい声で言うのか、サイモンは訝る。荻は気にしすぎだ、とサイモンは考えた。そして言った。

「そんなに気にすることはないよ。加賀美も別に日本から消えたわけじゃないんだから、いつか現れる。心配する必要はないと思うよ。」

「でもサイモン君。………顔、怖いよ。今。」

「えっ?」

 サイモンは絶句した。

 一限目の講義開始を知らせるチャイムが鳴り始めた。サイモンは荻に加賀美が来るか気にしておいてと頼み、自分の講義へ向かった。荻は頷いて承諾を示し、サイモンに手を振った。サイモンも手を振り返す。荻と別れ、自分の教室に向かいながら、もし、一限目、そして、二限目迄に加賀美が予備校に姿を見せないでいるのなら、サイモンは加賀美を捜しに行かなくてはならないと感じていた。その感じは切羽詰まって行きそうな予感を包んでいる危ういもので、サイモンは焦った。再度、加賀美の母親の瞳が浮かび、サイモンは加賀美が早く予備校に来てくれる事を願っている自分に気がついた。今の状況が自分に対して必要である事が明確になる。なぜ気になるのか。

 そうだ、あの目は何処かで見たことがあるのだ。

 何処で見たのか。

 ………見るはずだったものなのか?

 そう思った瞬間。その考えに今朝、津田沼駅で見た奇妙な経験が重なり、サイモンの思考が急速に回転し始めた。

 河原千鶴という存在が、サイモンの中で考えるべき一つの出来事として大きく膨らみ始めた。

 サイモンは目が悪いので、予備校ではなるべく一番前の席に座るようにしている。一限目はそれでよかった。サイモンと加賀美は取っている講義コースが別で、一限目は一緒ではなかったからだ。

 そして、ニ限目。荻がサイモンに気がついて、手を振って近づいて来る。サイモンは聞いた。

「加賀美は?」

「来てなぁい。」

 荻はそう言ってから、少し体を強張らせる。サイモンはそれを見た。

 慌てて自分の感情を抑える。ここで怒っても、どうしようもないことだ。また怖い顔をしてしまったのだろうか。いたずらに荻を怖がらせるだけになるのに。自分自身すらコントロールできずに、他人を怖がらせるような行動をサイモンは嫌悪する。サイモンは問いを変えた。

「だれか加賀美を見た人って居た?」

「あっ、ちょっと聞いた。でもいないみたい。」

「そっか。」

 サイモンは深呼吸をした。気持ちが落ち着かないので、もう一度する。荻が聞いてくる。

「怒ってる?サイモン君。」

 サイモンは大袈裟に首を振った。

「ぜーんぜん。」

「ふぅーん。」

 荻がサイモンを上目使いに見上げた。一瞬、瞳が面白そうな光を湛える。そして、いきなりサイモンに指を突きつけた。

「嘘つきぃー!」

「ええっ。」

 サイモンは荻の予想外の突っ込みに狼狽えた。思わず人差し指を立てながら、荻の言葉に反論する。

「ちょっと待って、嘘じゃないよ。」

「じゃぁ、本当つき?」

 荻が小首を傾げた。

「ええっ?」

 サイモンは自分の内面を見透かされた事に気がついた。それと荻の優しさも。

「よしよし、それなら許す。」

「あっ、ありがと。」

 サイモンは荻の言葉にそう言うしかない。ニ限目が始まるチャイムが鳴り始めた。サイモンは荻に改めて礼を言った。

 サイモンはこの時間は一限目とは違い、一番後ろに座席を取った。いつ加賀美が来ても良い様にだった。加賀美が来さえすれば、『何だ、そんな理由か。』で終わるような気もした。しかし、そんな予感は更々なかった。加賀美が来なければ始まらないのだ。

 今日の津田沼駅での体験を加賀美に言う必要があった。そして、北巻しぐれとの関係を加賀美に問いたださなければならない。

 サイモンは苛々しながら加賀美を待つ。一番後ろの席で黒板が見えず、ノートを取ることも儘ならない状況も、自分の気持ちを助長している。サイモンはノートを取ることは諦めた。

 加賀美の母親の目

 河原千鶴であったであろう何かの黒いくぼみの中に見た色。

 加賀美。

 北巻しぐれ。

 山本竜樹。

 ニ限目が終わるチャイムが鳴った。講師の先生が言っている。

「前期の講義はこれで最後です。夏期講習でお会いする人も居るかもしれませんが……。」

 サイモンはそんな口上など聞いてはいなかった。

 荷物を整理すると、そのまま荻の机に向かう。荻の友達が奇異の目で見たが、サイモンは無視した。荻が、脅えた目を見せた。サイモンは自分が怖い顔をしていると分かった。サイモンは言った。

「例の人の住所。僕にも教えてくれない?」

 サイモンはせめて声だけでも優しくしようと勤めながら言った。

 荻が小首を傾げて笑いかけてくる。サイモンは安堵した。

 それから十五分後、サイモンは電車に飛び乗った。


 JR津田沼駅からJR西船橋駅へ。そこから営団地下鉄に乗り換える。途中の駅で下車。この駅で降りるのが、荻から聞いた住所に一番近かった。

 駅を降りると津田沼に比べて不十分。そんな、大きなデパートのない商店街がロータリーの回りだけにあった。駅前の賑やかな雰囲気から逃れるのにも、早足で十分とかからない。

 サイモンはこの駅に降りたことは一度もなく、また印象を全く持って来なかったため、気後れを感じていたが、住んでいる町の雰囲気と変わらないことに気がついた。

 小雨が降ってきたせいかもしれない。

 小雨の中で見る家並は、住んでいる場所によく似ている。サイモンはそう思いながら、傘を取り出した。

 二十分程、歩いたのだろうか。初めての場所だから、長く感じただけかも知れない。

 荻にもらった住所を見る。サイモンはそのマンションを見上げた。

 山本竜樹の住んでいるところが、そこだった。

1990年から1998年で書き上げた作品を投稿します。

少し手直ししました。なんか、ちょっと作品が若々しくて苦しい…全二十六話+4話(前日譚、プロローグ、エピローグ、後日譚)です。

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