十二 兆し
時代設定が1990年と古いです。平成2年のお話です。
えっ、と思われる設定には温かい心でお願いします。
渦間から電話がかかってきたのは、夜十一時を過ぎたときだった。
母親が、サイモンの部屋の襖を開けて、言った。
「斉門。渦巻くんから電話。」
サイモンは読みかけだった小説を伏せて、立ち上がった。こんな時間に何なのだろうと思う。一人暮らしでもない家に、かけて良い時間ではないからだ。しかし、小説が頭に入っていたわけでもない精神状態だった。渦間の電話は好都合だった。
サイモンが電話に出ると渦間が言った。
「よお、何してた。勉強か?すまんな、こんな時間に。」
「それは良いよ。どうしたんだ。」
渦間は世間話をするように切り出してきた。
「新聞読んだか。今日の。」
「いや、特には読んでない。それどころじゃ、なかったもんでな。」
「そうか。……サイモン。今日の新聞に、津田沼駅で女子高生が自殺したって記事が載っているの、知ってるか。」
サイモンは言葉に詰まった。
「読んで無いみたいだな。」
渦間が言う。サイモンは慌てて言葉を返した。
「読んだ読んだ。ちょっと待っててくれ、その新聞もってくる。」
サイモンは渦間の言葉を待たずに受話器を保留にし、新聞を取りに行く。ちょうど良かったと思う。誰かと話し合いたかったのだが、渦間ならば適役であった。サイモンは直ぐに戻ると、受話器を手に取る。
「あれっ。」
サイモンは驚いた。通話終了のツーツー音が鳴っている。首を傾げるが、サイモンは渦間の家の電話番号をプッシュした。電話のベルが二回鳴ったのを聞いて受話器を取る。相変わらず、渦間の電話を取るタイミングはそれだった。
「はい、渦間ですけれども。」
「渦間か。」
「あっ、サイモンか。ご免な。電話切っちゃって、小便したくなっちゃってさ。便所、行ってた。」
サイモンは見えないのに頷く。それから、思い付いた事を言った。
「世田谷からここまでの電話代も馬鹿にならんからな。」
「やべっ。ばればれだった?もしかして。」
サイモンは思わず鼻で笑ってしまう。
「何だよ。鼻で笑うなよな。新聞は持ってきたんだよな。社会面だよ。分かってると思うけど。」
サイモンは広げた。今日の朝、これを見て加賀美の家に電話し、慌てて飛び出したのだ。その記事をもう一度読み返す。渦間が言った。
「彼女の通う県立高校とかって書いてあるだろ。その県立高校に妹が行ってんだ。同じ部活の先輩だったらしくてな。今まで話してたんだよ。それで少し気になってな。」
サイモンは渦間の続きを待つ。
「………前、言ってたろ。加賀美と北巻しぐれのことを。もしかして、何か関係でもあるかと思ってさ。」
サイモンは渦間の問に答える言葉がなかった。
「サイモン。聞いてる?」
「聞いてるよ。」
「今日は七夕だな。」
「今の話となんか関係有るのかよ。渦間。」
サイモンは今のテンポの良い会話を作り出した渦間に、感心しながら言った。サイモンの話題転換追随能力は健在である。
「別に無いわけじゃないさ。織り姫と彦星が一年ぶりに逢う日だからな。とても素敵な日だ。おまけに願い事まで叶えてくれる。」
「もともとは女児の織物の上達を祝ったものだって言うぞ。」
「そうなのか。知らなかった。」
サイモンはその言葉に返せる台詞を思いつかない。沈黙の後、サイモンは切り出した。
「………昨日。北巻しぐれの両親に、会ってきた。」
それが、渦間の問に対する答えになるとは思えなかった。関係無いことではなかったが、サイモンは自分が渦間の問いから逃げていると感じていた。まだ、言える心構えがなかった。見知らぬはずの二人の女の死は、周りの友人たちの言葉、行動から身近に、まるで、大切な人だったようにサイモンに迫ってきていた。錯覚なのかもしれない。しかし、それは妙な確信だった。
「………何のためにだ。」
「加賀美の付き合いでな。殴られてきたよ。」
「なんだそりゃ。」
サイモンは渦間に事を話し始める。津田沼駅での二度目の危機。成田でのこと。
渦間が口を挟んだ。
「サイモン。どう思ったんだよ。その父親について……。というかその両親を見てか。」
「正直言って、よくは分からん。嫌な親だったんだろうとは思う。」
サイモンは自分の体に身震いが来るのを感じた。そして、自分の霊感を直撃したあのおぞましい感覚を思い出した。
「わるい、渦間。訂正する。あんないやな雰囲気をまとった人は見たことがない。俺は、余り思い出したくない。」
「そうか。……」
渦間は考えているように沈黙した。サイモンは言った。
「だいたい、見も知らない他人を殴れるものなのか。普通の神経じゃ考えられない。」
それは何となく白々しく電話口に響いた。渦間が言った。
「いや、そういう時もあるし、サイモンが行った時が、たまたまそうだったのかもしれない。」
渦間は言葉を続けた。
「でも、まぁ。その父親もお前らが帰った後に脅えてると思うよ。自分がやった事に対してね。確かに普通の神経に戻ったら考えられない事だし……そういう奴ほど、口先とイメージの色眼鏡を掛けて人生を見ているものだしな。」
サイモンが渦間の言っている事を理解できない事はほとんどない。しかし、今、渦間の言った意味は測り兼ねた。渦間の言っている事はサイモンの経験した事と少しかけ離れている気がする。
「意味が分からないが……。」
渦間も分かったらしかった。
「むっ、じゃぁ、言葉を間違えた。忘れてくれ。」
「おまえは、いろんな言葉を準備しているのか。」
今度は、渦間の言わんとしている事が分かる。呆れたようなサイモンの言葉に渦間はけろっと答える。
「まあね。助言するための言葉を保留してあるものでね。」
そんな人間に、こんなに喋って良いものかとサイモンは感じた。しかし、不安は一瞬だけだった。冷静に考えても、この問題は一人で考えるには荷が重過ぎるからだ。
サイモンは話しを続けた。三度目の危機。長谷川と会ったこと。荻の北巻しぐれに関しての情報、話。加賀美の態度。
「………警察沙汰にもなったかよ。」
渦間が言った。言葉を選んで言っている。それは、きわめて冷静な証だった。
「そんなに、大袈裟になる気はしなかったんだがな……。」
サイモンは沈黙していた。
「………じゃあ、今日の事も関係がありそうだな。」
「あると思う。」
サイモンは言った。自分に意気地がなかった感があった。しかし、忘れることにする。
「………加賀美は助かって、妹の先輩は死んだって事か。」
「……そうだ。」
「二人の違いは……、サイモン。お前じゃないのか?」
渦間の言ってることは正しかった。多分、今日加賀美は死んでいた。もし、あのとき長谷川に会い、津田沼駅で加賀美に追いつけなければ。この考えが、自負でなく、自分の冷静な判断の賜物だとしたら。
「お前も、そう思うか……?」
サイモンは渦間の反応を気にしながら、ゆっくり言った。渦間もゆっくりと答えてきた。
「自信がないのか。」
サイモンは言った。
「………切っ掛けが、『怒り』なんだ。渦間。」
「何のだ。」
「加賀美を助けたというか、北巻しぐれを退けた俺の力は。」
サイモンは続ける。
「こう、カーッと来るんだ。なんて言うか。漲るって言うか。必ず俺は怒ってるんだ、何でかは分からないし、どうしてなのかも知らない。でも、北巻しぐれを追っ払ってるって言う加賀美が正しいならば、その状況では俺は怒っていた。」
「つまり、サイモンが怒ったら、北巻しぐれが逃げたってことか?」
「それは言えないと思う。」
「あっ、……分かった。サイモンが怒ったら、何かの力が出てきて、北巻しぐれを退けたって事か。」
「そうだと思う。」
サイモンは渦間の頭の回転が早い事に安心した。自分でも何と言えば一番通じるかは、分かっていなかったからだ。
「何で、サイモン。怒るんだよ。」
「良く覚えていないんだ。怒った記憶だけがある。」
「ふーん。」
渦間が沈黙した。サイモンはその沈黙時に昔のことを思い出した。
「そういえば……。似たようなことがあった。」
「いつ。」
サイモンは渦間の諭しにゆっくりと言った。昔あった、と脳裏を過ぎ去っていた思い出が、不意に思い出された。
「中学生の頃だ。……野良犬が、凄い勢いで吠えているところに出くわしたんだ。その日も雨だったと思う。無視して通りすぎても良かったんだけど、興味が湧いたんだ。何に吠えてるのかなって。どう見ても空地に向かって吠えてるようにしか見えなかったからね。犬の視線にしゃがんで俺も空地を覗いた。……その時に見えたんだ。犬が吠えてるその方向に。変なのが、蠢いているのが。もう、人の原形は留めてなかった。でも人だと分かった。不思議と怖くはなかったよ。逆に怒りが湧いてきたんだ。そうだ、その時もそうだった。『どうしてそこに居るんだ』、とも『こいつが元凶か』とも思った。」
サイモンはそこで言葉を切った。サイモンはそこからを覚えてないことに気づいた。記憶に空白があった。渦間が言った。
「それで。」
「……気づいたら、犬も居ないし、変なのも消えていた。それで、終わりだよ。」
「………肝心なところが、抜けてる気がするな。」
サイモンはああ、と答えた。
「でもその出来事からだよ。自分に『霊感がある』事を実感し始めたのは。そういう意味じゃ、俺の中じゃ大きい出来事なんだ。」
「そうか。」
渦間が相槌をうった。その後に、遠慮がちに言ってくる。
「サイモン。まだ話をしていいか。」
「全然。構わないよ。」
渦間は溜めを置いてから言った。
「何で、加賀美と、妹の先輩が北巻しぐれに選ばれたんだ?」
サイモンは渦間の頭の回転の良さに、敬意を払う気になった。サイモンにとってもそれはずっとある疑問だったからだ。
「俺の話だけで良くそんな問いを思いつくな。渦間。俺もずっとそれにはひっかかってんだ。」
少し得意そうな渦間の言葉が受話器から聞こえてくる。
「だって、そうだろ。津田沼駅なんて、一日何百人って人が乗り降りするんだぜ、その中でたった二人か?他に居るかもしれないけど。それって何かあるんだよ、絶対。」
サイモンは頷いていた。渦間の言葉に触発され、自分が今までの考えが型を取り始めていた。皆目見当がつかなかった加賀美の行動が、見えてくる予感。サイモンは言葉が頭から流れてくるままに渦間に喋り始めた。
「お前の言う通りだ。俺は人の心は、他人如きがそう簡単に動かせるものじゃないと思うんだ。嫌いな人を好きになれって言われても無理に決まってる。嫌いじゃなくなるかもしれないし、その人の良いところは見つかるかもしれない。でも好きになるなんて、そう簡単に行くものじゃない。自分で納得しなけりゃ動くはずがないんだ。それと同じなんだよ。霊なんてのも。恨みが残っていようが、悲しみが残っていようが結局は人間なんだ。その心と深く関わりたいと思ったりしない限り、影響を受けたりするはずがないんだ。」
じっと聞いてる風だった渦間が言った。
「それは、どういうことだ。加賀美や妹の先輩は、北巻しぐれに同情しているってことか?先輩のほうは、『してた』になるんだろうけど。」
「同情が、深く関わりたいって言う意味ならば、そうだ。何とかしてあげたいって言う気持ち、でもいいけどな。」
「と、すると、何でそんなに深く関わりたくなるんだろ?」
サイモンは渦間の疑問に答える考えはまだ無かった。渦間が続ける。
「理由でもあんのかな。何か心当たりあるか?」
サイモンが思いつくのは、加賀美が北巻しぐれの死ぬ直前にあった人間であると言うことだけだった。そうなのだ。サイモンは思った。加賀美と北巻しぐれの接点はそれだけのはずなのだ。それがなぜ加賀美をああまで動かすのだろうか。サイモンに理由は分からない。加賀美に北巻しぐれを同情する気持ちがあったとしても、北巻しぐれが納得しない限りそれは強制になる。そんな押し付けは、通用しない。誰かを変えてたいとか救いたいと言う思いは、相手がその思いを望まない限り意味がない。
渦間が言った。
「案外好きだったり何だったりしちゃってたりしてな。」
「お前いつもそれだな。」
サイモンは笑う気にもなれずに言う。
「………いや、真面目に。」
「じゃあ、今日死んだ女子学生もしぐれのことが好きだったのか?」
渦間が沈黙した。サイモンも沈黙して、渦間の言ったことを再吟味してみる。暫くして、渦間が言った。
「妹に聞いてみるよ。その女子学生のこと、河原千鶴のことを。」
サイモンは「まじで。」と聞き返した。渦間が言う。
「北巻しぐれと接点がなかったか、確認してみる。だから、加賀美は任せる。もしかしたら、言ってないだけで、北巻しぐれと知り合いだったのかもしれない。」
サイモンは渦間の提案が現実的なものだと分かった。
「そうかもしれないな。分かった。」
「俺も分かったら電話なりするよ。」
サイモンは真実と話したことを思い出した。
「あっ、渦間。十年前に成田に居たかどうかも確認してくれ。」
「おう、なんで。」
「いや、真実が幼なじみだったんだ。北巻しぐれと千鶴ちゃんってのと。」
どういうことだ、と渦間は言った。サイモンは思いついただけだと前置きした。
「言われてみれば、河原千鶴の千鶴と一緒だと思った。」
渦間は驚きを口にした。
「加賀美じゃないの。」
「違う。真実の方だ。」
「あいつ、何にも関係ないよな。今回のこととは。」
サイモンは渦間と真実が、友人だが、考え方が合わないことを知っている。しかし、サイモンは答える
「分からん。」
「どーなってんだよ。」
「知らん。」
サイモンはにべも無く言いきった。渦間が言う。
「やべえ、こんがらがってきた。」
サイモンは渦間に同情した。責任を渡しすぎたかもしれなかった。
「別に、ただ単に幼なじみだった人の名前が千鶴だったってことを言いたかったんだよ。関係ないことが分かれば良いだけだ。物事の登場人物は増やさないほうが単純だ。昔話した通りだよ。」
「えっ、なんだっけ。そんな話、したっけ。」
「気になる事を一つづつ潰していたら大変だって話。覚えてないか。殺人犯の幼なじみが殺人に何か関係あるのかって、疑問だよ。それは、疑いが出てからだろ。」
「ああ、それね。なんかしたな。」
「おまえの考えていることは、心配しすぎって事かな。」
「ううん、そう言われればそうかな。わかったよ。これは、関係があったとしたら、どうかなって考えたら、訳わかんなくなったって事でいいか。」
「そんなに、気にしなくていいんじゃないかな。」
サイモンはお気楽だが、冷静に言う。
「確かにそうだけど……。」
渦間の言葉は歯切れが悪い。サイモンは言った。
「いっつも、好きだとか嫌いだとかで、物事、判断してっからじゃないのか。」
サイモンは言ってて自分がかっこいいな、と思った。渦間は電話口でうなっている。サイモンは違う案を渦間に薦めた。
「とにかく、真実が言っていた人と、その千鶴ちゃんが同一人物かっていうのは、はっきりとしていないんだし、分ってから確認でいいんじゃないのか。」
しばらく渦間は無言だった。ややあって言った。
「そうするか。」
既に口調はいつもの渦間のものだった。
「………でも俺、恋愛がらみだと思うんだけどなぁ。」
サイモンは呆れ果てる
「人の不幸で楽しむな。渦間。」
「……悪い。ところで琢磨は元気だったか。」
「前の電話でも言ってたな。長谷川は、元気そうではあったぞ。」
サイモンは今日の出来事をまた思い出していた。
「あいつ、最近、女、出来てさぁ。親友だった俺に電話もしやがらねぇんだぜ。相談にも乗ってやったってのに。」
「男を女に取られたぐらいで文句言うなよ。」
「俺、まだ彼女居ないんだぜ。」
「俺もいないよ。」
「……サイモン……。」
渦間が口調を変えた。サイモンは何を言うか、楽しみにした。
「お前、オラウータンのウータン子ちゃんはどうしたんだよ。」
「はいはい。じゃあな。渦間。」
渦間は受話器の向こうで笑っていた。
二人は『お休み』を言って受話器を置いた。サイモンは自分の部屋に戻りながら、今の渦間との会話を思い出した。何が加賀美を北巻しぐれと、深く関わらせているのだろうか、と。
答えは近くにありそうだった。しかし、皆目見当がつかなかった。
1990年から1998年で書き上げた作品を投稿します。
少し手直ししました。なんか、ちょっと作品が若々しくて苦しい…全二十六話+4話(前日譚、プロローグ、エピローグ、後日譚)です。




