十一 情報
時代設定が1990年と古いです。平成2年のお話です。
えっ、と思われる設定には温かい心でお願いします。
(また何かを考えている……。)
サイモンは加賀美の顔を見てそう思った。成田に行ったときと同じ顔。終了のチャイムと共に、荻も側に来ていた。いつもは一緒に帰っている友人達にさよならを言っている。荻が最後までつき合ってくれるのが、心強いとサイモンは感じた。加賀美は来て数分程はサイモンと話していたが、すぐに物思いに沈んでいった。終了のチャイムもその想いを妨げないようだった。
「加賀美君、来てたんだ。いつ来たの?」
荻が側に来て加賀美に話しかけた。一瞬、動きが止まってから、加賀美は激しく反応した。
「えっ!!」
荻のほうに突然振り向く。瞳に何が映っているのか分からない視線だと、サイモンは思う。しかし、荻は講義で疲れていたのか、あまり加賀美の反応に注意を払わなかった。そのまま、近くの椅子に腰を下ろす。
「つい三十分前だよ。荻さん。」
サイモンが加賀美の代わりに言った。
「それじゃあ、本当に今来たばかりだねぇ。」
荻は一人で頷いた。サイモンは、今度は加賀美に話しかけた。
「加賀美。加賀美。」
念のために二度、呼ぶ。加賀美はサイモンのほうに振り向いた。
「あっ、なに?……あれっ、荻さん。」
加賀美はその時、荻に気がついた。荻が微笑みながら手を加賀美に小さく振る。荻の可愛い仕種にサイモンは加賀美が何となくうらやましく感じる。その気持ちを押さえながらサイモンは言った。
「ところで加賀美。どうだった。」
「何が。」
サイモンは加賀美が鈍感であることに気がついてきていた。人差し指を立てながら言う。
「………だから。」
警察のことである。余り公で口にするような事ではないと憚ったのだが、加賀美はそう言うところが無頓着だった。
「警察か?サイモン。」
「そう。」
サイモンは頷くしかなかった。荻はじっと耳を澄ましている風だ。加賀美が言った。
「どこから話せばいいんだろ。最初からかな。やっぱ。」
「そうしてくれ。」
「長くなるけど……。」
加賀美がためらった。加賀美の視線の先に、教室を掃除するおばさんがやってきていた。黒板を消し、床を掃き始めていた。教室から退出するのが礼儀だった。荻が立ち上がる。サイモンと加賀美も。三人は帰路に着くことにした。
「荻さんも知ってるんだ。」
加賀美が言った。荻が曖昧に頷く。サイモンが言った。
「俺が言ったんだ。」
「……そうなんだ。」
どんよりと曇った空だった。今にも雨が降りそうに感じられる。天気予報は、沖縄で梅雨が終わった事を報道していた。しかし、それが関東に来るのは、まだ間がある。分厚い雲は、夏至過ぎの日が長い時期を感じさせない。気温だけが、夏を主張していた。
三人はゆっくりと徒歩十五分の津田沼駅へ向かっていた。加賀美の足取りは朝の出来事の影響を感じさせない、しっかりしたものだった。時刻は六時を前にしている。人通りは多い。だれもが三人を追い越して行った。
加賀美は、警察での話をなかなかしようとしなかった。出来ればしたくないのだろうとサイモンは思った。どのように話したら良いのかを悩んでいる顔ではなかったからだ。それは加賀美の自由だったが、『違う』とも感じている。荻がサイモンに視線を合せてきた。何の合図かはすぐに分かった。サイモンは頷く。荻が言い始めた。
『……北巻しぐれ。二十歳。性別は女。大学浪人中。現在故人。両親共に健在。両親ともに離婚歴あり。しぐれは母方の連れ子。再婚は十年前。再婚後、本当の父親と死別。旧姓は本間しぐれ。義理の父親の事は常に悪く言っており、女に強く、男に甘い人間らしい。しぐれは医学の道を志すことは強制的に決められたとの事。それについてよく、文句を言っていた。
平成二年。県立高校卒業。
同年。駿正予備校、医学部コースに入校。
平成三年。新宿予備校(津田沼校)医学部コースに入校。』
サイモンが荻に言った。
「駿正予備校から、新宿予備校って、普通は逆じゃないの。」
駿正予備校は一般的にレベルの高い学生が行くと言われていた。医学部志望の北巻しぐれが、レベルを下げた事がサイモンに解せなかったのだ。荻が頷く。サイモンは話の腰を折っていた。サイモンはそのことに気がついて、それ以上は言わずに、荻に話を促した。
『その理由が「男」だと言う噂が駿正予備校で有名。つき合いの時期、理由は誰も知らない。男を見た人間は多い。北巻しぐれは、男を予備校に連れてきていた。
男の名は「山本竜樹」
年齢は二十三、四。中肉中背で、顔はかなり整っている。顔に惚れたのだと陰口を叩かれていた。去年のクリスマス前に予備校の友人が相談を受けている。「私に何か隠し事をしているらしいの…。隠し事はいいんだけど。何だかとっても不安で……。」と、言っていたらしい。それから二月の試験が終わるまで不明。
慶應、早稲田を始めとする私立そして国立。有名大学はすべて不合格。すべり止めを蹴って、しぐれは二浪をする。三月下旬、しぐれと竜樹の姿を見ている人がいるとの事。その頃、新宿予備校の津田沼校の入校手続きをしている。それからの二人の付き合いは不明。ただ、予備校に殆ど来なくなった。』
荻は言葉を切った。それで終わりらしかった。加賀美は何も言わない。サイモンも考えに沈んでしまっていた。四、五、六月の間に何があったのだろうか。男と女の間に。北巻しぐれが死を選らばざる負えないほど、二人の仲は深刻になってしまったのか。孕んでいる赤子と一緒に、電車に飛び込む程に……。
加賀美が言った。
「荻さん。その……。山本竜樹って人の住んでるとこ、分かる?」
「何言ってんだよ。加賀美。」
サイモンが驚いて言った。加賀美は口を噤む。サイモンの顔を見ようとしない。サイモンはそれ以上言うことが出来なくなる。
「……葛西のほうらしいよ。」
荻が言った。
「詳しい住所……は?」
「去年の住所らしいから、そこに住んでるかどうか分からないよ。」
加賀美はそれで良いと言った。荻は自分の手帳を取り出すと、加賀美が差し出した手帳に問われた住所を書いた。サイモンも、一つだけ気になっていることを聞いた。
「萩さん、前の予備校時代、北巻しぐれさんがいつ頃から彼氏を予備校に連れてきていたのかはわかる?」
「えぇー、今のでもう終わりだようぉ。」
萩は勘弁してほしいと言った表情をした。「でも、なんで。」と聞くことを忘れない。サイモンはちょっと気圧されるたが、返事をした。
「昨日の成田でね。去年の八月から北巻しぐれさんが、変わったって情報を手に入れてね。」
ちょっと得意になって、人差し指を立てて横に振る。萩は頷いたが、そのまま首を振った。サイモンは「そっか。ありがとう。」と伝えた。
ちらりと、加賀美を見た。全くサイモンの話を聞いているようには思えなかった。
それから、三人は再び殆と話さなくなった。サイモンが荻に、住所まで調べること出来た方法を聞いた質問と、答えだけだった。荻は、去年駿正予備校に山本竜樹がよく来ていた頃、友人達が冗談で聞いたのが残っていたのだ、と言った。よほど、北巻しぐれは、目立っていたようだ、と寂しそうに萩が言った。
サイモンは、萩が醸し出した寂しさが分からなかった。
その間、加賀美の顔は何かを決意するように厳しくなっていた。
サイモンは加賀美と最寄り駅で降り、荻と別れた。
加賀美ともさしたる会話をせずに別れを言った。結局、加賀美は警察での話は何一つしようとはしなかった。それについて怒る気力はサイモンは今はなかった。加賀美が喋りたくないならそれでいいと諦めていた。サイモンは加賀美の後ろ姿をしばらく見送る。今朝、津田沼駅で電車に飛び込もうとし、警察に出かけ、「山本竜樹」の住所を聞いた加賀美。自転車に乗った加賀美の姿はすぐ見えなくなった。サイモンは深呼吸をすると、家路をパンクした自転車を押しながらトボトボと辿り始めた。
思考は空回りだけをくり返していた。多くのことが有り過ぎた。しかし、自分の中にある暗い予感が薄まっていることには気がついた。家路は三十分。いつもの見慣れている景色が、なぜだか感に触る。暗い予感が薄まっているのに、何なのだろう。この焦りに似た、もどかしい気持ちは……。加賀美の母親の見せた視線が、サイモンの心に残っていた。加賀美の自殺未遂の原因が、俺にあるかのような視線。サイモンは自分の行動に自信がなくなっていくのを微かに感じていた。
霊感があるという事実。それは、余り人にない特殊な能力とも、特異体質とも言える。特異体質。特殊な能力。どちらに於いても、その他の大勢こそが正しく、少数は間違い、場違いとなる。サイモンはその考えの元に自分の霊感の事実を、他人には極力言わないできた。しかし、その時期が長くなれば長くなるほどに、サイモンは本当の自分と、皆に見せている自分の違和感に苛まされ始めていた。
加賀美の母親は何も知らない。だからこそ、あの視線を責めることは出来なかった。そして、加賀美のあの態度も。すぐに考えに沈むあの態度は、褒められる類いのものではなかった。こちらのことを全く無視した態度だった。しかし、俺は加賀美ではない。
加賀美の気持ちは分からない。どんな気持ちでいるのかも。なぜ、何度も死にそうになってまで、北巻しぐれの死んだ場所に行くのかも。加賀美の心の中で何が起きているのかも。
今は、耐えるしかない。
サイモンは自分自身に言った後、再び自分自身に反語を呟いた。
何に。
加賀美の態度に。
非現実的と分類される出来事に関わっている事に。
………それだけか?
そこでサイモンの思考は止まったままになった。家までの残り数分を空白のまま歩いた。
サイモンは、自分が何をすればいいのか分からなくなっていた。
1990年から1998年で書き上げた作品を投稿します。
少し手直ししました。なんか、ちょっと作品が若々しくて苦しい…全二十六話+4話(前日譚、プロローグ、エピローグ、後日譚)です。




