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九 犠牲者

時代設定が1990年と古いです。平成2年のお話です。

えっ、と思われる設定には温かい心でお願いします。

 七月七日。火曜日。七夕。

 織り姫と彦星が、天の川で出会う伝説。竹に飾る短冊に書く願い事。どれもこれもがサイモン程の歳の人間にとっては、既に意味のない、夢のような存在であった。

 朝。目覚しの音でサイモンは目を覚ました。寝床から起き出すと、居間を通って洗面所へと進む。居間の食卓では母親が新聞を読んでいて、サイモンの姿を見ると「おはよう。」と声を掛けてきた。サイモンも挨拶を返す。

 蛇口を捻り、サイモンは冷たい水を己の顔にかけた。昨夜、なぜだか無性に勉強がしたくなり、遅くまで机に向かっていた所為で、かなり眠い。サイモンは鏡で自分の眠たそうな顔を見つめた。右の頬骨が青馴染みになっている。親には流石に「壺が落ちてきた。」とは言えない。転んだと適当に言い訳をした。喧嘩をしたんだろうと思われているようだが、そんなことはどうでもいい事だった。溜め息をついて思う。

(何やってんだろ、俺。……バカだなぁ。)

 青馴染みを人差し指で軽く撫でてみる。強く押すと痛い。サイモンは顔をしかめた。

 そのとき、母親がサイモンを呼んだ。

「斉門!見てご覧、すごいよ!!」

 かなりの大声であった。サイモンは「いい歳してるくせに。」と思いながら食卓に向かった。母親は新聞を食卓に広げて、サイモンを手招きしている。目は記事に釘付けのようだった。

「何っ。」

 サイモンのつっけんどんな言い方は、母親には通用しない。母親はサイモンの顔も見ずに続ける。

「ここ、ここ、見てご覧。また死んだわよ。」

 さすがにサイモンに母親の言葉遣いを訂正する勇気はない。

「ふーん。誰が、何処で。」

「鈍いわねぇ。津田沼駅で、また人が飛び込んだのよ。」

 サイモンは前触れもなしに大股で食卓に近づいた。そのまま母親の手から新聞を取り去ると、指摘していた箇所を貪るように読み始める。

「ちょっと、斉門。何すんの!母さん読んでるのよ!」

 母親は本気で怒っていた。しかし、サイモンは勢いでそれを無視してしまう。

 小さな見出しは、北巻しぐれのときと似ていると思った。

 『女子高生、飛び込み自殺。』

 サイモンは記事に目を移した。

『六日午後四時四十分頃、津田沼駅で会社員河原功修(五十五)さんの次女河原千鶴(十七)さんがホームに飛び込んだ。この駅では五日前に予備校生が飛び込んだばかりであり、駅側では「二度とこのようなことのないように警戒をする。」とコメントをした。千鶴さんは県立高校に通っており、学校側は千鶴さんは成績、運動、ともに優秀で友人も多く、自殺する動機はないとしている。また、遺書もなかった。目撃した駅員等は、彼女が助けを求めながら飛び込んだと口にしているが、つき落とされたなどの目撃情報はない。警察では現在動機を探っている。』

 サイモンは、もう一度読み返した。

(助けを求めながら、…………飛び込んだ。)

(自殺する動機は………、無い。)

(本当にそうなのか。本当に……。)

(五日前に予備校生が…………。)

 疑惑と言葉がサイモンの脳裏を駆け抜けていく。しかし、加賀美の事、自分の霊感、それが確信を運んできていた。

(助けを求めながら、……。それは逆らえない力が働いたからか?)

(……北巻しぐれ………加賀美の言うとおりなのか?)

(……犠牲者……。第一号、か……。)

(くそっ、落ち着け。恭神斉門!……何だってこう………大変なことになってんだ?)

 サイモンは新聞を放り投げると電話機に駆け寄った。

「斉門!何で新聞投げるの!」

 サイモンは、母親の声を再び無視することになる。しかし、母親もサイモンの慌てぶりに呆気に取られていた。

 サイモンは受話器を持ち上げた。昨日感じた時間が無いという焦りが現実になった気がしていた。加賀美の家の番号をプッシュする。とにかく、加賀美を津田沼駅に近づけてはいけなかった。今度こそ、何が起こってもおかしくない。

「あっ、もしもし。加賀美さんのお宅ですか。恭神というものですが、剛くんは……。えっ………もう出た?」

(早すぎる。まだ七時だぞ。)

 予備校の講義開始時刻は九時。七時に出発したら、一時間前に校舎に着いてしまう。そんな時間は教室は空いていない。空いているのは自習室だけだ。加賀美は予備校で自習する奴ではない。それに、人気講師の日に並んでいい席を取ろうとする奴でもない。考えられる理由は一つだけだ。サイモンは言葉を続けた。受話器の向こうからは、加賀美の母親の声が聞こえてきている。

「あの………剛君、どんな様子で出かけていきました?……はい………はい…ありがとうございます。いえ、大丈夫です。大したことじゃないんです。はい……はい……失礼します。」

 サイモンは受話器を置いた。感じの良いお母さんだと思ったが、そんなことは取り合えずどうでも良かった。歯が食いしばられ、眉間に皺が寄った。一瞬、体が硬直し、歯と歯の間から声が出た。心の底からサイモンは思った。

「あんのくそバカ。何考えてんだ。」


 加賀美の母親は言っていた。今朝、新聞を読んでいる最中に、いきなり立ち上がると慌ただしく出ていった、と。加賀美が例の記事を読んだのは間違いなさそうだった。そして、津田沼駅に向かっているだろう事も。加賀美が出てからまだ数分しか経っていないとも言っていた。今すぐに出れば加賀美に追い着くだろう。

 いや、追い着かなければならなかった。

「行ってきます!」

 サイモンは居間の母親に声をかけた。

「朝食はどうするの。」

「いらない!」

 着替えは一分で済ました。荷物は、ほぼカバンの中に入れたままな日が続いている。玄関を出ると小雨がぱらついていた。サイモンは傘を差すのももどかしく、その中を走り始めた。

 自転車は、まだパンクをしたままに予備校に置いてある。サイモンはその事実に気づいたとき冷汗が噴き出したが、気づかう余裕はなかった。加賀美の乗るだろう電車に間に合わなければならない。加賀美が北巻しぐれに会うために、今までと同じ状況を選択することは容易に想像できた。

 会う?

 サイモンは、すぐに息苦しくなった自分の運動不足を悔やみながら、疑問符を発した。

 五分は走れた。その後が続かなかった。苦しかった。とにかく息が続かないことが信じられなかった。あと五分。汗は既にじっとりとシャツを濡らし、脇腹が痛くなる予感がしていた。走って十五分程の道程は、全速力であれば、十分だと思っていた。ゆえに残りの五分が目眩がする距離に思えた。

 雨が眼鏡に当たり視界をぼやけさせる。眼鏡を外してレンズを拭く気にはなれない。時計を見、時間を知ることは一種の恐怖を運んできそうだった。現実に自分が走っていることが信じられない感じだった。いつもの見慣れた景色が後ろに流れて行くのがもどかしいだけだ。足を緩める精神的余裕もなかった。その中、『会う』という疑問の言葉が、頭でなく、体全体で思考しているような静けさの中に、あった。

 加賀美は北巻しぐれに会いに行くのか?

 もう死んで、いない人間に。会話もできない人間に。

 サイモンの息苦しさは限界に達した。走るペースが落ちてくる。サイモンは考えることを止め、走ることだけに神経を集中した。駄目だった。足は棒の様だった。後二分走れば、間に合うはずだった。ぎりぎりであふれてくる不思議な力は漫画や小説だけの世界で当てはまるものらしかった。脇腹の痛みはそのまま胸のほうにまで上がってきていた。走ってはいたが、それはサイモン自身が走らなければ、と思っている三分の一の速さも出ていなかった。もうすぐ最寄り駅が見えてくるはずだった。しかし、そのもうすぐが遠かった。

(苦しい………)

 そんなことを言っているときではないと分かっていた。

(助けてくれ………。)

 サイモンは泣きそうにそう思った。高校時代はもう少し走れたはずだった。

(加賀美が……死んでしまう……。)

「何やってんの、サイモン。走ってんの?」

 サイモンは驚き、弾かれたように声のほうに振り向いた。のんびりとした声だった。雨の降りが強くなってきていた。息苦しい中、声を絞り出す。

「長谷川……か。」

 それは長谷川だった。傘をさして自転車に乗っている。サイモンのちょうど横にぴたりと長谷川は止まった。

「急いでんなら、乗ってくか。」

 身長は百八十をかなり越えている。長谷川琢磨。ひょろり、とした外見を持ち、顔はえらがあるせいで角張ってみえた。やさしそうな垂れ目で、短い眉毛は平安時代の貴族のようだった。洋服は常に清潔感があり、さらに空手の有段者と言う、絵に描いたような好青年である。

 サイモンは長谷川の顔を見た。そして、親切な言葉を聞くか聞かないかのところで、いきなり頷きもせずに自転車の荷台に飛び乗った。長谷川が慌てて言った。

「ちょっと待て、サイモン。それはずーずーしいぞっ。」

「すま…んっ、……最寄り駅に……急いでくれっ。」

 サイモンは呼吸を整えながら言った。天からの助けだった。長谷川は何か言いたそうな顔を見せたが、サイモンの表情に何かを感じたのかそのまま前を向くと、力強くペダルを漕ぎ始めた。駅前の、線路に並行な大通りに出る。駅まではあと一分半。その時、津田沼方向の電車が、長谷川とサイモンの乗る自転車を追い越して最寄り駅に向かっていった。

「くそっ、加賀美っ。」

 サイモンの呟きを長谷川は聞いた。長谷川は、立ち漕ぎを始めた。しかし、それでも追い着かないと思われた。サイモンは唇を噛んだ。やるべきことは分かっていた。


「長谷川!自転車貸してくれ。」

 電車の扉が閉まる音が駅の外にまで聞こえてきていた。加賀美はこの電車に乗っているはずだった。

 本当にそうか?

 悪魔の囁きは無視した。息苦しさ、脇腹の痛みが弱気にさせているのだ。サイモンは自分を信じた。

 サイモンの言葉に長谷川が怪訝な表情をした。

「どういうことだよ。理由、言えよなぁ。」

 しかし、そう言いながら既に長谷川は自転車を降り、サイモンにハンドルを向けていた。

「加賀美が、あやしいんだ。」

「怪しい?」

 サイモンは自転車に飛び乗った。電車がゆっくりと動き出している。津田沼駅に先回りしなければならない。

「予備校で、返す!」

 サイモンは一回だけ呼吸を整えると、すさまじいスピードを出して駅を後にした。長谷川は呆気に取られてそれを見送る。三十秒程でサイモンは視界から見えなくなってしまった。長谷川は長身を生かして、本当に居なくなったのかを伸び上がって確認した。

 長谷川は溜め息をついた。違う約束があったのだが、破らなければならなくなってしまったからだ。

「まっ、いっか。」

 軽くそう言うと、自分の頭を掻いた。そして、津田沼に向かうべく、丁度そこにある駅の改札をくぐった。


 長谷川が電車の中で荻を見つけたのは、電車が駅のホームを出てからだった。長谷川は見つけたのはいいが、何と話しかけるかを迷っていた。そんな長谷川の視線を感じたのか、荻が顔を挙げる。先に声をかけたの長谷川だった。

「やっぱり荻さんじゃん。」

「あっ、……長谷川君?…元気ぃ。」

 長谷川も、加賀美やサイモンと同じく荻を知っている。サイモンと加賀美、渦間は高校三年生のときの同級生で、長谷川は高校二年生のときのだった。

「おう、元気元気。荻さんは?」

「私?私は元気よぉ。」

 人に紛れながらの会話で、長谷川の声は少々大きい気がする。荻の小さい声に反応してのことだろうか。会話はそこで途切れてしまい、長谷川は電車広告などに目線をさ迷わせ、話の種を捜した。

「ねぇ、長谷川君てさ。サイモン君とか加賀美君と親しいよね。」

 荻の唐突にかけてきた言葉は含みがあって、長谷川は驚いた。

「えっ、うん。まあね。どうかしたの?」

 荻は慌てて、手を振った。

「ううん。なんでもない。」

「何だよ、スゲー気になるじゃん。」

「本当になんでもないの。」

 長谷川は思案する振りをした。何が言いたかったのかは分からなかったが、これ以上聞いたら荻は困り、不快な思いをすると考えた。まあ、いいか。加賀美かサイモンに直接聞くべ。長谷川はそう思い、言った。

「まっ、別に深く聞く気はないけどさ。」

「ごめんね。」

 荻が謝りの言葉を言った。

 電車が急停車に大きく揺れた。そこここで悪態が聞こえ始める。荻は人波に潰された。

「痛ぁー。」

「大丈夫!荻さん。」

 長谷川が手を伸ばした。荻は「平気。」と言って苦しそうな笑いを見せる。長谷川は笑った。

「停止信号です。暫くお待ちください。」

 車内アナウンスが流れた。しかし、五分経っても電車は動き出す気配を見せない。

「また自殺じゃないの。」

 誰かの言葉が聞こえた。長谷川は途中で拾って駅に向かったサイモンのことが頭に浮かんだ。

(加賀美が怪しいって何だ?)

 荻を見ると、荻も不安げな表情をしていた。長谷川はその顔が気になった。

1990年から1998年で書き上げた作品を投稿します。

少し手直ししました。なんか、ちょっと作品が若々しくて苦しい…全二十六話+4話(前日譚、プロローグ、エピローグ、後日譚)です。

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