第九話 開業!
「さて、こんなものだろう」
〈仲間に捧げる理想郷〉で作り上げた旅人の宿「ピロテス」の横に併設された自分の家で、俺は出来上がったばかりの布団を物干しざおから降ろし切ってそう呟いた。
ガダル爺さんが一つ一つ魂を込めて作ってくれた寝具たちは、相変わらず素晴らしいものだった。
これに包まれて眠れたら翌日の絶好調は約束されたようなものだろう。
取り込んだ寝具たちを〈保存の収納〉にしまい込み、ピロテスに移動、各部屋に丁寧に準備していく。
「……今考えるとやっぱりこの宿、部屋数多すぎないか?」
実際に人数分の布団をこしらえるにはさすがの幻妖の羊と言えど、素材が足りなかったようで、あの後もう一度捕まえて持っていったら、ガダル爺さんは驚きを通り越して呆れたと言っていた。
睡眠環境に妥協するつもりはなかったとはいえ、さすがに幻妖の羊を丸々二匹はやりすぎだったかもしれない。
そして、こうやって準備をしていると、部屋数は絞って半分ずつでも良かったのではないかと思えてくる。
四人部屋が八部屋に一人部屋が十六部屋……おそらくメインになるであろう一人部屋はともかくとして四人部屋が八部屋って……。
……まあ、〈仲間に捧げる理想郷〉で作った宿だから、その辺の数の調整とかは無理だったわけだが。
三階の一人部屋から準備を初めて、二階の最後の四人部屋まで布団の整備を終えた。
「ふう……まあ、なんにせよこれで「旅人の宿ピロテス」の開業準備は完了だな」
いや、待てよ。
一番大事なあれを決めていなかった。
宿屋におけるもっとも重要なもの、それは価格だろう。
特にここのような上級者が訪れにくい、難易度の低いダンジョンの近くの宿ということは価格設定もそう言った探索者に合わせたものにしなければならない。
基本的に探索者向けの宿における宿泊料の相場は、相当安い宿で一泊小銀貨五、六枚、最高級グレードで小金貨が七、八枚、下手をすれば一泊で大金貨を取る宿なんかもあるかもしれない。
正直、幻妖の羊の布団を使っているだけでも最高級グレードと言って差し支えのないレベルだが、ここの近くにあるダンジョンはシローテダンジョンのみ。
中級探索者の月の収入は良くて小金貨五枚程度だろうから……。
「一泊大銀貨一枚でいいか!」
掃除等は適宜する必要はあるが、この宿自体がどうにも汚れにくいようで、これまでキッチンで色々な料理を試してみて跳ねた油や零れたスープなどは俺が掃除をするまでもなく、勝手にきれいになっていた。
そのため、宿の経営において俺がすべきなのは布団を干して快適な睡眠環境を保つことと探索者のために料理を提供すること程度ということだ。
夕食込みで大銀貨一枚ならば、探索者にとっては利用しやすいだろうし、俺の作業量にも相応な気がする。
こうして、今度こそ開業準備を終えた俺は宿の外に価格を示した立て看板を置き、ガダル爺さんに無理を言って作ってもらった今後の宿の顔になる看板を入口上部に飾って、旅人の宿「ピロテス」を始めた。
◇◇◇
「って、そんな都合よく客が来るわけないよなぁ~」
開業から早三日、未だに俺の宿は宿泊者ゼロ人のままだった。
そもそも近くに大きな都市などもなく、魅力的なダンジョンがあるわけでもない。
少しでも領地を広げたがるような貴族にすら手を付けられていなかった土地だからな。
……どうしよう。
このままじゃデカい家を勝手に構えただけの変人になってしまう。
別に俺の生活には何の問題もないが、せっかくあれだけ準備した宿なのだ。せっかくなら繁盛とは行かずとも客の出入りがあってほしい。
とりあえず、一番近くの街道からこの辺りまで勝手に道を作って見るか?
……正直、ダンジョンさえあれば何とかなると思っていたのだが、商売というものはそう甘くないか。
と、そんなことを思って俺が外に出たとき、まだ若い二人の探索者らしき人影が目に入った。
「お! あれは探索者っぽいぞ! それに二人ってことはパーティでシローテダンジョンに挑戦に来たのか?」
どこか懐かしさを感じさせる初々しい男女の二人組がこちらに向かって歩いてきている。
はじめての宿泊客になるかもしれない二人の登場に俺は旅立ちの前のような高揚感を覚えた。
「ねえ、ユーリ。本当にこんなとこにダンジョンなんてあるの?」
「アメリ、その質問何度目? 勇者様が昔、ここのダンジョンに挑戦したって話もあるんだぞ?」
「え~、でもさっきからこの辺何にもないよ? そんなダンジョンがあるなら、周りが発展していそうなものだけど……って、何あれ!?」
アメリと呼ばれた少女は突然現れた屋敷のような建物に驚き声を上げた。
アメリの目に映るその建物は整然と敷かれた石畳の先にあり、質のいい素材で建てられていることが分かる。
「……貴族様の屋敷か? でもこの辺りって放棄された土地だって聞いたんだけどな」
ユーリと言う方の少年は屋敷というにはどうにも人を迎えることに意識が置かれていそうなその造りに首をかしげた。
だが、アメリが気になったのはそこではなかったようで……。
「……え? 放棄された土地ってどういうこと?」
「ん? そのままだよ。なんでも昔に魔族の襲撃に遭ったらしくて、誰にも整備されないまま放棄されていたんだって」
「……じゃあ、あれは何? というかこの辺り襲撃の跡なんてないじゃん! あのお屋敷が見え始めたあたりから妙に道も歩き安くなってるし! ……もしかして……モンスターハウスなんじゃ?」
「モンスターハウス? そんなわけないさ! こんな滅多に人が立ち寄らない場所にわざわざ魔物が罠を張るとは思えないよ」
異様な光景に怯えるアメリとそれを笑うユーリの二人はそれでも足を止めず、着実にピロテスへ近づいていた。
「……なんかあのお屋敷、看板ついてない?」
「ほんとだ……旅人の宿「ピロテス」かな? やったねアメリ、宿だよ! 今日は野宿を回避できそうだ!」
「なんでユーリはそんなに無警戒でいられるのよ。モンスターハウスではないにしても、まだ安全とは決まってないでしょ?」
「いや、きっと大丈夫だよ! なんだかあの宿からは良い感じの雰囲気がするんだ」
そう言って歩を止めようとしないユーリの横顔をアメリは見た。
十五歳になった途端、突然探索者になると言い出したこの幼馴染が心配で一緒に旅に出て、もう三か月だ。
最初は初心者御用達として探索者の先輩に勧められたダンジョンで活動していたのだが、あの日、魔王討伐の朗報と勇者の訃報が同時に飛び込んで来た日を境に、この幼馴染は憑りつかれたように勇者の足跡を追い始めた。
まるで、無くした記憶を探し求めるように。
幼い頃にどこかから命からがら逃げて来たというこの幼馴染とその家族はどこから来たのかについては一切喋らなかった。
でも、この顔を見ているとなんとなくわかってしまう。
きっとここなのだろう。
アメリはこの幼馴染家族が自分の出身の村にやって来た時のことを思いだした。
おぼろげな記憶だが、みんなボロボロで正しく命からがらといったような恰好なのに、妙に目には力があったのだ。
きっとこの幼馴染家族は勇者に救われたのだ。
だが、勇者という名を出して他の人がここに再び近づくことがないように、出身地を黙っていたのではないか。
アメリにはそんな風に思えてならない。
この場所が幼馴染にどんな影響を与えるのか。
一心不乱に歩む幼馴染の隣で少女は一人警戒を強めていた。
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