第二十七話 再び別れて
ケイルとダンカンがやって来て十四日が経つ朝。
長いようで短かった彼らの滞在は今日で最後だ。
「今日であの騎士たちは戻るのか」
「そうだな」
どうやらネイロスも同じことを考えていたようで、少し感傷的な気分になっているように窺える。
「宿とは、出会いの場であると同時に別れの場でもあるのだな……」
「そうだな。でも、再会の場にもなる。別れは惜しむものじゃないさ」
ネイロスの今の姿には一切の魔族的な特徴はない。
それに加えてこの感傷。
いったい人間と魔族に何の違いがあるのだろうか?
今のネイロスを見ているとそんな疑問が浮かび上がる。
とりあえずの争いが終わった今だからこそ生まれる思考であろうことは分かっているが、次の時代には何とか共存の道を見つけてほしいと願う。
「そういうものか……。この感情は、なんとも言い難いものだな。だがやはり、ここに来てよかったと、そう思うぞ」
「それは良かったよ。んじゃ、感傷に浸るのもそこそこにして、今日も仕事をしていくか」
「うむ!」
宿屋の朝は早い。
ケイルたちが起きるまでまだ時間があるだろう。
これはそんな早朝のほんの一幕。
◇◇◇
「うっす。朝からご苦労さんファレス」
「お、おはようケイル。朝食だすか?」
ある程度、朝にやっておく業務を片付け終わり、魔法によって汚れることのないこの宿内で形ばかりの掃除をしていると、普段通りの時間にケイルが起きて来た。
「お、じゃあ、小銀貨一枚ずつで俺とダンカンの分頼めるか?」
「了解。じゃあ、レストランのテーブルに居てくれ」
「おーう」
朝食のサービスはケイルたちが来てから始めたサービスだ。
探索者の朝は人によって異なるため、夕食のみのサービスにしていたが、今日のように人が少なく、騎士のように朝の時間が大抵決まっていることに慣れている人たちには、時間限定、別料金で朝食を提供するというものだ。
もちろん頼まれれば、探索者にも提供する予定である。
仕込んでおいたミネストローネを仕上げ、今朝焼き立てのパンとオムレツを皿に盛りつける。
「うむ、我ながらなかなか豪勢にできたんじゃないか?」
王都では小銀貨一枚程度ではどうやってもありつけないであろう食事。
まあ、値段はどうでもいい。喜んでもらえるなら、俺にはそれが一番だ。
「む? 朝食か?」
ミネストローネをお椀によそっているところにエプロンに着替えたネイロスがやって来た。
「おう、これよそったらケイルのところに運んでくれるか?」
「うむ、承知した」
ここ数日でネイロスの切り替え上手にもさらに拍車がかかってきている。
というか、ケイルが俺の知り合いであり、かつこの十数日間でネイロス自身が彼らに慣れた結果、素が出てもいいと考えるようになったのかもしれない。
今ではこのようにケイルたちに聞こえるか聞こえないかのギリギリを攻めているんじゃ? と思える行動をとることがある。
「おはようございます、ケイルさん、ダンカンさん」
「おはようネイロスさん。今日はミネストローネか! 朝からありがたいな」
「これが小銀貨一枚は破格すぎますよね……。ありがとうございます。……それじゃあ、いただきます」
ケイルといつの間にか起きてきていたダンカンの声が聞こえる。
「あ、ネイロスさん。戻るついでにファレスを呼んできてくれないか?」
「? 承知しました」
ん? ケイルがわざわざ俺を呼んでいる?
普通に声をかけてくれればいいのに、すぐに対応が必要なことでもあるのだろうか?
「ケイルさんがお呼びです」
戻って来たネイロスが疑問を顔に浮かべながら少し大きめの声で俺を呼んだ。
「おう、すぐに行く」
なんだろう? またダンジョンにでも行きたいのか?
エプロンを外しながら、俺は突然の呼び出しに困惑していた。
「何かあったのか?」
すぐにキッチンを出ていくと手招きされたケイルの正面に腰を下ろして、そう聞いた。
「いや、別に大したことではないんだが、これを食べたら俺たち、戻ろうと思ってな」
「ん? 料金は明日までもらってるが……」
「お金の問題じゃないんです!」
俺がそう言うと、その言葉を遮るようにケイルの隣に座るダンカンが決意に満ちたような表情で語りだした。
「ここは、すごくいいところです! 好きな時に風呂に入れて、美味い飯が食べられて、最高級の布団で眠れる! 正直、天国でした」
「お、おう」
すごい迫力で語りだしたダンカンに気圧されて、チラリとケイルに視線を合わせると、その視線は聞いてやってくれと語っているように見えた。
「でも、ここにいたら俺、ダメになる気がするんです! この間も帰りの野営がキツくなりそうだ、みたいな話をしたと思うんですけど、これ以上は騎士寮すらキツくなりそうで……」
なるほど……。
過ごしやすすぎる環境は逆に人をダメにする、か。
確かに、俺も魔王討伐という目標がなく、ただの探索者としてこの宿に巡り合っていたら……。
自分がダメになっているさまが想像できてしまい、それ以上考えるのを止めた。
「そういうことなら、分かった。確かに今後の騎士生活に支障が出るようじゃまずいもんな」
無賃宿泊は流石に困るが、これはこちらに支障が出るような問題ではない。
そう思って、引き留めはしなかった。
「悪いな、料金とかは貰ってくれ。こっちの勝手だからよ」
「いいのか? じゃあ、代わりに昼飯作るから持って行ってくれ。時間はかけないからよ」
「いいんですか!?」
「おい、ダンカンそれ貰ってたら一日くらいじゃ変わらんだろ……」
「でも……」
弁当を遠慮しようとするケイル。
なんだかいつもより歯切れが悪いような?
そう思いながらももう一押しした。
「いいじゃないかケイル、受け取ってくれよ。それで暇なときにまた泊まりに来てくれたらいいから」
「そうか? まあ、俺も鈍って来てるような気がしてたし、一日でも早く本格的な訓練を再開したいという気持ちはあるが……」
珍しくケイルが優柔不断な様子をみせている。
……だが、ケイルの言いたいことは分かった。
「……大丈夫だ。俺たちはここにいる」
「……そうか。そうだよな……。また、来ればいいのか」
「ああ」
立ち上がり、がっちりと握手を交わす。
それ以上、余計な言葉は必要ない。
若干の名残惜しさとそれぞれの道を認め合う確かな信頼がそこにあった。
「副隊長? それにファレスさんも? なんか微妙な空気ですね?」
「ダンカンさん、昼食に食べたいものはありますか? きっと希望のものをファレスさんが作ってくれますよ!」
空気読みはまだ半人前なダンカンをネイロスが華麗にフォローしてくれる。
俺とケイルはその様子を見て、お互いに顔を見合わせると――
「「はははっ!!」」
名残惜しさを吹き飛ばすように大きく笑い合うのだった。
◇◇◇
「じゃあ、ほんとにそろそろ行くな」
宿の玄関先で馬を連れた二人と最後の挨拶をする。
最初に見たときに比べると、ずいぶんと馬の毛並みがよくなっているように見えた。
「おう、元気にやれよ」
「それはこっちのセリフだ」
「訓練、頑張ってくださいね?」
「はい! そして休暇にはまた必ず来ます! 彼女を連れて!!」
「ふふっ、お待ちしています」
俺とケイルの横でダンカンとネイロスがそんなやり取りをしている。
小刻みに震えているダンカンを見ると、やっぱり彼は完全に吹っ切れたわけじゃなさそうだが、あの元気があれば大丈夫だろう。
「お、おいっ! アロ! ネイロスさんとの別れが惜しいのは分かったから、そろそろ厩の方に戻ろうとするのは止めてくれ! 俺の腕が……」
と、思ったがどうやらネイロスを気に入ったダンカンの馬を引き留めるのに必死だったみたいだ。
「ははっ、あの気性の荒かったアロをほんの数十日でここまで懐かせるなんて、ほんとすごい人ですね、ネイロスさんは」
「いえ、そういう性質というだけで……」
「今度来た時にはあなたとも、もっと腹を割って話してみたいものです」
いつも通り完璧な接客モードで謙遜するネイロスにケイルが突然そんなことを言った。
「? どういうことでしょう?」
「ふっ、いえ、何でもありません」
ネイロスは完璧にとぼけてみせていたが、あのケイルの感じ……〈真実の発露〉を使った夜のネイロスを覚えていたのだろう。
あの時は完全に素が出てたからな、ネイロス。
それにケイルも、酔っても記憶が飛ばないタイプだし。
「副隊長?」
そんな様子を気にしてダンカンがケイルに声をかけた。
「いや、気にするなダンカン。それじゃ、行くぞ」
が、ケイルはそれを軽く受け流してダンカンに馬に乗るよう促した。
「はい! お二人ともお元気で!」
尚も別れを惜しむアロに何とか跨り、ダンカンが俺たちに背を向ける。
続いてケイルも馬に乗ると、ダンカンには聞こえないほどの声量でこちらに向けて呟いた。
「ミア様には、それとなくの報告にしておいてやるよ」
「……ああ」
最後にニッと、したり顔をこちらに見せ、去っていくケイル。
やはりいつになってもケイルは……俺にとっての兄貴分だった。
◇◇◇
馬に乗った二人の姿が見えなくなるのは早かった。
「行った……な」
「ああ、そうだな」
二人の姿が見えなくなるまで見送りをしたあと、ネイロスがそう呟いた。
「……うむ、これはやりがいのある仕事だな」
「そうだろう?」
尚も二人が去って行った方向を見つめるネイロスはそれだけ言い残すと宿に戻って行く。
「さて、次の宿泊客のためにあの二人が泊まっていた部屋の掃除をしようぞ! ファレス!」
「おうよ! そしたら今日の夕飯は豪勢に行こうか」
「うむ! 妾の初仕事完了祝いだな!」
元気な足音を響かせるネイロス。
ネイロスがいるだけでこの宿には温かみが宿る。
俺はそう感じた。
「ファレス~! まだか~?」
「今行くよ」
◇◇◇
「それで、副隊長? ほんとにもう一泊しなくてよかったんですか?」
見送りをする二人の姿が完全に見えなくなったところで、ダンカンがケイルにそう聞いた。
「ああ、悪かったな。お前には一芝居打ってもらっちまって……」
「いや、あれは心からの本音なので別にいいんですが……ファレスさん。知り合いだったんでしょう?」
「ははっ、流石にバレてたか」
「そりゃ、分かりますよ。あんなに突然、お互いを下の名前で呼び捨てにしだして……」
「そうか、そうだよな」
「……」
「何も聞かないのか?」
「副隊長が聞いてほしいなら、いくらでも聞きましょう」
「……生意気な奴め。だが、帰り道も長いからな。暇つぶしがてら聞いてくれか?」
「もちろん、いいですよ」
元気な馬の駆ける足音に楽しそうに話すケイルの声が重なって、まるで歌のようだとダンカンは思った。
「あんなに遠く感じてた副隊長も、ちゃんと人間なんだな……」
大きすぎる背中を追いかけるばかりだったダンカンにとって、今回のケイルと二人での任務は想定以上に大きな収穫のあるものになった。
この気づきは、きっと彼の人生に少なからず影響を与えることになるだろう。
「おい、ダンカン! 聞いてるのか?」
「ああ、はいっ! もちろん聞いてますよ!」
軽快な足音でどんどん進んでいく馬に、熱が入りどんどん口の回りがよくなっていくケイル。
そんな様子を受けてダンカンは、野営も意外とキツくないかもしれないと、そう思うのだった。
名もなき村に建てられた旅人の宿『ピロテス』、静かな村のこの場所は、宿泊客がいなくともにぎやかな声が響いている。
そしてそのにぎやかさは、従業員を通じて宿泊客にも伝播していき、人を少し成長させるのかもしれない。
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