第二話 引退しよう
朝、穏やかな鳥の声が聞えて自然と目を覚ました。
久しぶりに晴れやかな目覚めだ。
着替えて外に出ると昨日とは一変して王城内は凄まじい賑わいを見せていた。
「お、ファレス! 久しぶりじゃねーか! 元気だったか?」
部屋を出て少し歩いたところで後ろから小突かれる。
「その声は……ケイルか! 相変わらずの馬鹿力め、お前の小突きはどつきなんだよっ」
そこに現れたのは昔から大変お世話になった俺の兄貴分にして、この王城で近衛騎士を務めるケイルだった。
「ついにやったんだな」
「ああ、だいぶかかっちまったけどな」
向かい合って固く握手をする。
「へっ、何言ってやがる。歴代一人しか達成者のいない魔王討伐だぞ? それも十年で、なんて……まあ、お前みたいな若いヤツの十年を奪っちまったのは……」
「おい、ケイル。何をしんみりしてやがんだよ。ケイルが日々この国を守っているのと同じように俺は俺の役目をやり遂げた。それだけだ。ケイルたちが気にすることなんてないさ」
「……そうか」
そう呟くとケイルは一歩引いて敬礼の姿勢を取った。
「第二近衛騎士隊副隊長ケイルの名において、人生最大の敬意を示します! 王国、延いては人類における最大の敵を討ち果たしたその名、生涯忘れることはありません!」
人生最大の敬意、国王の護衛である近衛騎士からこの言葉が出ることは本来あり得ない。
彼らが最も敬意を払うべき相手は国王、延いては王国であり、相手が勇者であろうとも軽々しく口にしていい言葉ではない。
だからこそ、この言葉の持つ意味、その重さをひしひしと感じた。
「……やめてくれよ。ははっ、でも、嬉しいよ。ありがとう」
「ああ、そうだ。今日は近衛も貴族も関係なく、王城では飯が振る舞われるらしいぜ! さ、飲みに行くぞ! 他の奴らもお前の話を聞きたがってるんだ!」
「おう!」
……生涯忘れることはない、か。
偶然だろうが、昨晩のミアと言いどうにも後ろ髪を引いてくるな。
だが、もう決めたことだ。
決意を新たにケイルの後を追った。
◇◇◇
「あっはっはっはっ! そうかそうか! お前も一丁前に男になったんだな」
昔馴染みの近衛騎士の兄ちゃんたちに囲まれて、俺は昨日の夜は話さなかった旅での細やかな出来事を話していた。
「何が一丁前の男だよ……ただの失恋エピソードだ!」
「馬鹿言え! 失恋の一つや二つ乗り越えてこその男だろ? 昔からミア王女が近くにいたお前には良い経験だったさ」
「そうだよな〜? あ、そういえば昨日は一日中姫様の姿を見なかったが?」
筋骨隆々で暑苦しい男たちのニヤニヤとした視線が集まる。
「お前らの想像してるようなことはねーよ! 婚姻前の王族に手を出したとなればいくら俺でも首が飛ぶわっ」
何を馬鹿なというように冗談めかしてそう言うが、今度は兄ちゃんたちの表情が同情するような目に変わった。
「お前……」
「やめてやれケイル……勇者様は長く苦しい旅に疲れて枯れてしまわれたんだ」
「……そうか、そうだよな」
「ううっ! 俺たちは弟分にこんな辛い宿命を背負わせちまったんだな……」
「安心しろよファレス。お前のいない十年で王国の技術も医療も進歩を遂げた。お前はまだ若いんだ。再起は充分に可能さ」
……なんだか誠に遺憾な勘違いをされていそうだが、まあいいか。
どうせこの後……。
「さ、俺の話はもういいだろ? 今度は俺に聞かせてくれよ! ケイルが副隊長になったりと色々変わったんだろ?」
「お、その話聞くか? こいつなぁ……」
そんな昔馴染みたちと大いに騒ぎ、飲んで食べている間に日は暮れていき、とうとう夜を迎えた。
◇◇◇
俺の表彰式が始まった。
錚々たる顔ぶれが列をなす中、ミアの姿だけが見えなかった。
式が始まるギリギリまで妙に騒がしかったのはそのせいか……。
それでも式を決行したあたり、国はそれだけ重要に受け止めてくれていて、ミアはこの後に起こることを察しているのだろう。
国王のお言葉を頂戴しながらそんなことを考えていた。
「勇者ファレスよ! 此度の大義に報いて勇爵の位を与える!」
「はっ、ありがたき幸せにございます」
謹んでお受けいたしますとは言えなかった。
その爵位を受けたところで俺はもう……引退する。
そんな意味を含んだ言葉だったが、陛下は満足気に笑っていた。
そして謁見の間を振り返り、国王自らバルコニーの扉を開ける。
「王国の民よ! これから話されるのは勇者の言葉だ! 勇者は魔王討伐の報奨に汝らへの演説の機会を願った。民の心への光になればと、自ら願い出たのだ! そんな英雄の言葉は余の言葉と相違ない! しかと聞き届けよ!」
それに続いて俺もバルコニーへ出る。
この表彰式及び演説は国宝の魔道具である伝達の水晶で王都以外の王国中の民にも見聞きされている。
それでも、王城の下には多くの人が集まっており、一心にこちらを見上げていた。
皆、勇者が何を話すのかと期待しているのだろう。
だが、勇者の役目は終わった。
もう、この国に勇者は必要ない。
正直、昨日今日の二日間を過ごしただけでも、このままここで生きるのも悪くないと思った。
それでも、それでもだ。
失うばかりの勇者のあとに、重大な選択ばかりを迫られる国王になるのは……今の俺にはどうやっても耐えられそうになかった。
だから……引退しよう。
「王国の皆様、私がファレスです。この度は魔王討伐という大任を授かり、無事にそれを達成することができました」
王都中から割れんばかりの歓声が上がる。
「苦しいことも辛いこともたくさんあった十年間でした。それでもこの国、皆様を思えば、力が湧いてきました」
すぐ後ろで、ケイルたちが俺の話に聞き入っている。
「今日はそんな旅の中で手に入れた皆様の心に光を灯すような魔法をお見せしたいと思います」
最後に思考をよぎるのは昨日のミアの顔。
だが、一つ深呼吸をしてそれも振り切った。
「では、ご覧に入れましょう。存在しない記憶」
口の前で人差し指を立て、その先へ息を吹く。
その息は魔法を伴って王国の空を覆うように広がっていく。
「これが勇者様の魔法!?」
「すごい規模……だ……?」
街からそんな声が聞こえた気がする。
魔法が広がる空を見上げてみれば、妖艶な魔王の笑みが空の先に映ったような気がした。
そして俺は一人、何事もなかったかのように王国の民に背を向けてバルコニーを後にする。
《存在しない記憶》は記憶を曇らせて、思い出させないようにするという魔王の魔法。
俺が今の魔法で曇らせたのは勇者イコールファレスという結びつきの部分とファレスという名前の記憶。
つまり今後この国の人々は勇者って誰だっけ? と思うようになる。
思いだせない記憶は風化していき、後に残るのは勇者が魔王を討伐した事実のみになるだろう。
これを越えられる存在はそうそういないだろうし、いたとしても他者に影響を与えることは出来ない。
社会は多数派が正義だ。
たまに強い個によって少数派が多数派になることはあるが、そもそも大半が思い出せないものが多数派になるとは考えにくい。
これで誰の記憶にも残らない完璧な引退だ。
とりあえず一、二分は魔法によって干渉された記憶と本当の記憶との齟齬でみんな気を失ったようになっているはず。
ふと振り返り、バルコニーから見下ろした民衆はみんな一様に頭を押さえ、膝をついた。
隣りに立つ国王も目の焦点があっておらず、横にいる俺の動きが分かっていない。
しっかりと魔法の発動を確認した後で、人々が意識を取り戻す前にさっさとこの場を後にすることにする。
あとはミアだ。
ミアも俺の事を覚えていないだろうが、約束は約束。
最後に懐かしい秘密基地によって王都を出よう。
そう決めて昨晩の約束を果たすべく俺は歩き出した。
もう、後戻りはできない。
「ファ……レス……?」
だから、俺の名を呼ぶケイルの声は、きっと後悔の聞かせる空耳だろう。
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