第十八話 元魔王と元勇者
猫が魔王の姿になるというあまりの衝撃を何とか受け流し、とりあえずテーブルに座らせると、俺の昼食用にと思っていたささみを焼いてサンドイッチにして出してやった。
「とりあえず昼飯にしよう。食っていいぞ」
「……ほう、これはなかなか。うむ、美味いぞ。 お主、料理の心得があるな?」
サンドイッチを頬張りながら、俺がここに来ることになった経緯をうんうんと聞いている魔王。
「……ふむ、なるほど。それでお主も〈存在しない記憶〉で勇者を引退したと……」
口元にパン屑をつけて……これが本当にあの魔王なのか? と未だに疑う俺もいるが、この姿、魔力がこの目の前の女性を魔王だと言っている。
「ああ、お前に倣ってな。……って、なんか普通に俺の話になってるけど、まずは魔王、そっちの話を聞かせてくれよ」
「妾の話? 何か聞きたいことがあるのか?」
「あるにきまってるだろうよ。猫が来たと思ったら突然喋り出して、それがまさかの魔王だったんだぞ?」
何故そんな「昨日からここに居ましたが?」みたいな態度で居られるんだこの魔王は……。
「妾が猫だった理由? そんなものは知らぬ! 妾は間違いなく死んでおった。だと言うのに気が付けばあの姿で一人彷徨っておってな。お主の魔力を感じて少し走って来た」
「走って来たって……残った魔族は良いのか?」
訳が分からん行動力だが、これが魔王たる者の器とでも言うのだろうか?
「何を言っておる。先も言ったではないか。妾は引退したのだぞ? お主と同じでな。つまりここでもまた、似た者同士ということだ」
残りのサンドイッチを口に放り込むとあっさりとそう言ってのける魔王。
……なるほど、似た者同士か。
そう言えばこいつはあの時もそんなことを言っていた。
「……猫の一件は分かった。じゃあ、さっきの俺と共に在るってのはどういうことだ?」
「それもそのままじゃな。妾はこの家とお主を気に入った。だから妾もここに住むことにしたというわけだ」
「いや、ここ家じゃなくて宿な? それに住むことにしたって……」
さすがに突拍子が無さすぎる。
それに元とはいえ敵であった魔王を宿に住まわせるなんて……。
「ううむ? 宿なのか? そう言えばそんなことが書いてあったような気もするな。……では妾を雇うと良い!」
歯切れの悪いを俺を見て状況を不利と見たのか、まさかの魔王が働く提案をしてきた。
とはいえ……
「うちは見ての通りの状況でな……あいにく人を雇えるような状況じゃないんだが……」
「良い! 報酬などいらぬから妾をここにおいてはくれぬか?」
突然その妖艶さからは考えつかないようなあどけない顔でこちらを見つめる魔王。
先ほどの猫を思わせる顔ぶりに加え、似た者同士というその言葉を俺は否定は出来なかった。
「……ああ、分かったよ。でも、ほんとに報酬はないからな? 寝床と飯くらいは出すが……。あと、万一にも魔王ってバレるなよ?」
「うむ、妾はもう王では無い。お主と共に在りたいだけだ。それに妾を誰だと思っている? あの勇者と対等に渡り合った伝説の魔王ネイロスぞ?」
「そうか……まずはその喋り方から直そうな」
どうも懐かれたらしい魔王が宿の従業員として加わった。
◇◇◇
それからは元魔王ことネイロスに宿の業務を一通り教えていった。
「なあ、ファレスよ」
「なんだ? ネイロス」
「この宿は〈仲間に捧げる理想郷〉で作ったのではないか?」
掃除や洗濯などは一通り済ませていたため、口頭で業務について教えながら宿を周っていると、ネイロスがそう言ってきた。
「お? 分かるのか? さすがは元魔王だな」
「……分かるも何も、この魔法をいったいどこで手に入れた?」
「どこって……戦場のどこかだよ。魔法書が落ちてたからそれを読んだ」
「お主……その魔法書は魔族以外には読めんようになっていたはずなんだが……」
呆れたような声でこちらを見るネイロス。
だが、そんなことを言われても俺には読めたのだからどうしようもない。
「まあ、俺、元勇者だし?」
「それは関係ないだろう!? 全く、〈存在しない記憶〉もあの時見ただけで習得してしまったようだし、妾は魔王としては最悪の時代に生まれたのかもしれぬな」
「いや、ネイロス。お前も大概だっただろ? なんで魔族、魔王への特攻としてもたせられた聖剣で切っても傷一つ付かなかったんだよ?」
「ううむ……妾、最強の魔王だったからなあ?」
お互い、強大な力を持つ者である俺たちは想像以上に話が合う。
気がつけば業務の説明などはそっちのけで、魔法談義が始まっていた。
「そう言えば、俺は気にせず使ってるけど魔族の魔法と人間の魔法とで違いってあるのか?」
「まず、その人族の魔法とやらが妾にはよくわからないぞ?」
「ん? 魔法言語で名前がついてるのが魔族の魔法で、共通語で唱えれば使えるのが人間の魔法なんじゃないのか?」
これは人間が魔法を習うときに一番初めに教えられることだ。
そして普通の人間は魔法言語が用いられた魔法を使うことは出来ない。
だが、それらの魔法を研究し人族にも使えるよう体系化させたのが〈保存の収納〉のような共通語で作られた、俺の言う人間の魔法である。
「ああ、そう言うことか。別に違いはないぞ。魔法はその名の通り我々魔族の作り出した法術だ。人間がどういう変化をさせたのかは知らぬが基本は全ての魔法が魔族の魔法だな」
まあ、魔族の側からしてみればその通りか。
「ってことはこの〈保存の収納〉も共通語じゃないバージョンがあるのか?」
「うむ、当然ある。だが、普通に使えているのならお主が新しく覚える必要もあるまい」
ネイロスはそう言いながら人間の研究者は優秀だなと感心する。
「そうか。……そう言えば〈仲間に捧げる理想郷〉に反応してたよな? なんかあるのか?」
「そうだったわ! お主! あの魔法は妾が作った魔法だぞ? どんな人間にも解読されぬように複雑な処理を施した魔法書に記録したはずだったのだが」
「そうだったのか? 俺には普通の魔法書と変わらないように見えたけどな」
俺がそう言うとネイロスは急に近寄り俺の手を掴んできた。
「……むぅ? ううむ……! そうか! 勇者とはそう言う存在なのか!」
じっくりと舐めますかのような勢いで俺の手を観察した後突然ネイロスがそう叫んだ。
「お、おいっ! 何だよ急に」
「いやはや、これでは妾も勝てまいな。どうやらお主の両の手には、魔法を解除してしまうようなそんな力がある様だ!」
「……? この手にか? 別に何も感じないが?」
「うむ、そうであろうな。それはお主が生まれ持った素質。天性の魔法とでもいうべきものだ」
「俺の手が?」
改めて自分の手を見てみるが、とくに変わった様子は見られない。
でも、元魔王であるネイロスが言うのだからそうなのだろう。
「道理で妾も元の姿に戻れたわけだ! 自分ではどうしようもなかったからな。まあ、生きていられるのであれば姿かたちには執着しないつもりではいたが、やはり慣れ親しんだ身体が一番だからな」
「ああ! それで突然猫の姿から魔王になったのか!」
「うむ! そう言うことじゃの。あの戦いのときも何の苦も無く剣で魔法を斬るお主をおかしいと思ってこそいても、まさかこんな魔法を生まれつき持っているとは……さすがの妾も考えつかなかったぞ」
さすが勇者だな! と言ってもう一度俺の手を掴み、まじまじと観察するネイロス。
そうか……俺にはそんな力があったんだな。
勇者を引退してなお、自分の力に気付かされることがあるとは。
俺は本当に勇者として生まれたんだなと改めて実感させられてしまう。
「俺って勇者になるべくして生まれたってことなのかな?」
そんな実感が俺の中に残る申し訳なさを増幅させ、思わずこんな言葉が漏れてしまった。
だが――
「何を言っておる! 人間では知らぬが魔族では天性の魔法は自由の証と言われておるのだぞ? それだけで手に職が付くようなものだからな! お主は好きに生きて良い証を持っておったということだ!」
珍しく真剣な顔で言うネイロス。
その言葉は湧き上がった俺の後悔を吹き払うような力強さのある言葉だった。
「そうか……そうだよな」
「それに、魔王はここにいる。魔王討伐がお主の役目だというのなら、もうその役目は果たされたことになる。そうであろう?」
ネイロスは、にやりと笑った。
どこか誇らしげで、それでいて優しさすら滲むその笑みは、かつて敵として対峙していた魔王のそれではなかった。
俺は、ただ黙ってその言葉を噛み締めた。
確かに、俺の剣は世界を救った。魔王を討ち、平穏をもたらした。けれど、その力がまだこうして人の役に立つのなら、宿の営みの中で誰かの心を癒せるのなら、それは勇者であるよりも、ずっと誇れる生き方かもしれない。
「ありがとう、ネイロス」
「礼には及ばん。妾は、ただお主の隣で気ままに生きていきたいだけじゃ。……それが、妾の第二の生というわけだな!」
「ふっ、まったく……どっちが勇者でどっちが魔王だったんだか、分からなくなるな」
「ふふん、言ったであろう? 妾とお主は似た者同士なのだ」
そんな軽口を叩き合いながら、俺たちはまた掃除用具を手に取り、宿の奥へと歩いていく。今日はまだ終わっていないし、次に来る客のためにも部屋を整えておかなくちゃならない。
この宿は『ピロテス』――誰かのために、安らげる場所を提供するために作った場所だ。
けれど、今なら言える。
ここは、俺自身のための場所でもあるのだと。
そしてきっと、ネイロスにとっても。
──第二の人生を歩む者たちが、静かにその日々を育んでいく場所として。
今日もこの宿は、風に揺れながら静かに息づいている。
・補足
カタカナルビが振られているのが魔族の魔法、そうじゃないものが体系化されて人間でも使えるようになった魔法ということです!