第十五話 旅立ち
夕食の仕込みをしていると、先に戻って来たのはアメリの方だった。
「お! おかえり。どうだっ――た?」
キッチンから顔を出してみると、アメリの顔は火が出そうなほどに真っ赤になっていた。
そして俺の顔を見るなり、その場にしゃがみ込んでしまう。
「え、ちょっと待って顔真っ赤じゃん! ……のぼせた? 大丈夫?」
急いでコップに冷水を生み出し、アメリの方へ駆け寄る。
「ほら、ゆっくりこれ飲んで……」
少し風呂の温度を熱くし過ぎただろうか?
明日以降はもう少し下げた方がいいかもしれないと俺が考えていると、いつもの快活な様子からは考えられないようなか細い声でコップを受け取りながらアメリが答えた。
「あ、ありがとうございます……でも、のぼせたとかじゃなくて……」
「? ……じゃあ、どうして?」
改めてそう聞くと、ひと口水を飲んで元に戻っていた顔にまた微かに赤みが差す。
「その、お風呂で、ユーリの……独り言が……」
ああ、隣りだからなぁ……アメリの鼻歌も聞こえてきたし、特に一人ずつだと丸聞こえか。
でも、こんな調子になるような独り言って……あ、もしかして?
俺が野次馬根性丸だしな考察をしていると宿の扉が開いた。
「店主さん、お風呂ありがとうございました!」
入って来たのは当然ユーリ。
だが、その顔はまるで何かの決意を固め覚悟を決めた男のようになっており、どこか気の抜けたようなあの雰囲気は鳴りを潜めているように思える。
「あ、ああ。なんか……風呂で元気出た?」
「はい! 覚悟が決まりました!」
おお、目に生気が溢れてるな。
けど、覚悟が決まりましたって……ほんと、風呂で何があったんだ?
しゃがんだままのアメリに視線を落とす。
こっちはこっちで顔を覆って視線を落としたままだ。
だが、その姿から窺い知れるのは悲しみなどではなく、照れや喜びなどそう言った感情のようだった。
「そ、そっか! まあ、ほどほどにな? それより夕食出来てるよ! 今日も張り切ったから楽しみにしててよ」
「はい! さ、アメリ早くいただこう!」
「う、うん!」
……なんだか二人の立場が逆転したな?
まあ、悪い変化ではなさそうだし、ああいうのは若者の特権だよな。
テーブルへ歩いて行く二人を後方腕組み勇者面をして見守る。
こういう若い探索者の姿を見ると、俺の努力も報われるというものだ。
探索者の宿をやる醍醐味を十分に満喫して、夕食をテーブルまで運んだ。
◇◇◇
「そ、そういえばさユーリ。今後ってどうするつもりなの?」
夕食を食べ終わり、俺が食器の片付けや食材の残りを確認しているとレストランスペースのテーブルから話し声が聞こえて来た。
「今後って? とりあえずまだあと九日はここにいる予定だけど、その後の話?」
「そう、またどこかを目指すのかな~って。ほら、ここ居心地もいいし、このまま拠点にするっていうのもいいんじゃない?」
「そうだね……確かにここは最高の環境だし、ダンジョンも長いこと放置されていただけあって魔物だらけで当分稼ぎには困らなさそうだけど……」
拠点……探索者にとってはそれは重要なことだ。
探索者とは常に死が隣にいる職業。
巨万の富や財宝をも上回る価値の魔道具、世界に名を轟かせるような圧倒的な名誉を目指して探索者になる者たちも、全員が最後までそれらを目指し続けられるわけではない。
大抵の探索者は、ある程度まとまった収入が得られるようになると、自分の実力相応のダンジョン付近にある街や村を拠点にして、安全で安定した生活を選ぶようになる。
「じゃあ!」
「でも、まだ拠点を決めるべきではない、と思うんだ」
先ほど見た、あの覚悟を決めた表情でユーリがそう言い切る。
「ここは最高だよ。宿泊しやすい価格の宿に最高の睡眠環境、それにお風呂まであって、ダンジョンも稼ぎやすい。――でも」
ユーリは息を大きく吸うと深く吐きだした。
「ここで、探索者人生を決め切ってしまうのはもったいないと思うんだ。だって僕たちはまだ探索者を始めてから一年も経ってない。初心者と言っても差し支えないだろう?」
「それは……そうかもだけど」
「もちろん、無理をしようってわけじゃない。でも、まだ、世界を広げてみたいんだ! ダメ、かな?」
「その言い方は……反則でしょ」
「え?」
「ううん、何でもない。いいよ! 私はついていく。ユーリが行くならあの最高難度って言われるタルタロスダンジョンにだって、行ってみせるよ!」
「えぇっ!? タルタロスは……ちょっとなぁ」
どうやら、決まったようだな。
ここを出て行ってしまうというのは若干の寂しさもあるが、ここは探索者に捧げる宿『ピロテス』、そして俺はここの店主だ。
その決断を応援しよう。
「二人とも、明日も探索に行くんだろう? もう休んだ方がいいんじゃないか?」
「あっ! いつの間にかもうこんな時間!」
「店主さん! 今日もごちそうさまでした! おいしかったです!」
「ああ、それなら良かったよ。じゃあ、おやすみ」
「「おやすみなさい!」」
まだ出会って数日だというのに、幾分か二人の背中が大きくなったような気がする。
「探索者の成長を見守れるのも、この職業の醍醐味だな」
引退者の楽しみの余韻に十分すぎるほど浸って、俺も休むことにした。
◇◇◇
あれから数日、結局ユーリたちの他には探索者は訪れず、ついに十日目になった。
「店主さん、今日までお世話になりました!」
「ほんと、至れり尽くせりって感じで最高でした! ユーリ、絶対また来ようね?」
「そうだね、アメリ!」
「満足してもらえていたなら何よりだよ。二人はこれからどこを目指すんだ?」
宿の入口まで出てきて、最後の会話をする。
「とりあえずはルコルアの辺りを目指してみようかなと思ってます!」
「ルコルアか……とすると目標はイリアスダンジョンかい?」
「流石ですね! そうです!」
「店主さんはイリアスダンジョンに潜ったことはありますか?」
イリアスダンジョン、また懐かしい名前だ。
アメリに聞かれて、また色々な記憶が蘇ってくる。
「ああ、あるよ」
「何か、気を付けることとかってありますか?」
あれから十日ばかりで二人ともだいぶ顔つきが変わった。
もう、初心者とは思えない、そんなれっきとした探索者の顔になっている。
「そうだね……あのダンジョンに潜るなら、武器は刃物より鈍器の方がいいかもね」
「鈍器ですか?」
「ああ、あそこの魔物は刃物が通りにくいんだ。あとは自分の魔力に頼らない灯り、とか周りを照らしてくれる魔道具とかを持っておくといいよ」
イリアスダンジョンはダンジョン内部が驚くほど暗い。
松明や〈灯〉の魔法がなければ、探索ができない程なのだ。
自立して使用者の周り一定を照らしてくれるような魔道具があるとないとでは、探索の難易度に大きな差が生まれる。
「そうなんですね。分かりました! 最後までありがとうございます!」
「なに、探索者間での情報共有は当たり前だろう? 頑張れよ! 二人とも!」
「「はい!」」
「じゃあ、また。……あ、そうだ! ルコルアについたら眠りの羊って店に行ってみるといいよ。ここの寝具を作ってくれた凄腕の家具職人がいるんだ。頑固な爺さんだけど俺の名前を出せばきっと邪険にはされないはずさ」
「眠りの羊……あの布団を作った職人さん! 行ってみます!」
「……そういえば私たち、店主さんの名前知らなくない?」
「あ、そういえば聞いたことなかったかも……」
確かに……ここ十日間ずっと店主さんと呼ばれていた。
最後に自己紹介なんて、何とも締まらない別れだが、まあ、いいだろう。
「そういえば、そうだったね。俺は……ファレス。旅人の宿『ピロテス』の店主ファレスだよ」
「……!」
「ファレスさん。もう、絶対忘れないねユーリ!」
「うん、そうだね!」
そう言うユーリはなんだか不思議な目で俺のことを見つめていた。
何か決定的なことを聞きたそうな、そんな目をジッと俺に向けている。
「ユーリ君?」
「あ、すみません! どこかで聞いた気がしたんですけど……気のせいかな?」
「まあ、そこまで珍しい名前でもないだろうからな」
「そう、ですね」
「ユーリ、そろそろ」
「そうだね。じゃあ、ファレスさん。必ずまた来ますっ!」
「おう! 『ピロテス』はいつでも二人を歓迎するぞ!」
二人と握手を交わし、徐々に小さくなっていく背中を見送る。
「ルコルアまでの道中でここの宿のこと宣伝しておきますね~!!」
もう顔もわからなくなった辺りでユーリとアメリが振り返り、そう言って大きく手を振ってくる。
俺はそれに軽く手を上げて答えた。
再び背を向けた二人が、今度こそ完全に見えなくなった後、『ピロテス』には一人きりの静けさが戻って来た。
たったの十日間。
しかし、あまりにも濃く、そしてあの頃を思い起こさせるような良い時間だった。
「ファレス、か……」
不意に自分の名前を口に出してみる。
少し前までは聞かない日のなかった名前なのに、どうしてか酷く懐かしい気がした。
かつて勇者と呼ばれ、魔王討伐のために剣を握り、数え切れないほどの魔物を屠り、人々の歓声と称賛の中にいた日々。
そのすべてを振り払って、この地で店主として始めた第二の人生。
そして今――
「……忘れかけてたな、ああいう目の光」
ユーリの目。
あれは旅を始める前の俺が持っていた光と同じものだ。
迷いや不安があれど、それを上回るほどの情熱と決意に満ちた、若さゆえの特権。
彼らが旅の先で何を見て、何を選び、何を得て、何を失うのか。
それを俺がすぐに知ることはないだろう。
けれど、十年間勇者として生きたあの感覚が言っている。
あの二人には、また会うのだろうと。
その時の二人がどうなっているのか、探索者として成功しているのか、それとも、挫折して傷ついて……それでも立ち上がって踏ん張っているのか、それはまだわからない。
だがきっと、さらに成長した姿を見せに来てくれる。
そんな日が来るとなんとなく確信した。
「さて、そろそろ掃除でも始めるか」
宿の扉を開け、静かになった館内に一人戻る。
少し、念を入れて掃除をしてみようか。
彼らの思い出を少しでも長く、ここに留めて置けるように。
今日も、洗濯日和な快晴だ。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
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ちょっと終わりっぽい雰囲気ですが、続きます!
今後もよろしくお願いします!
追伸:誤字報告ありがとうございます!大量発生してて申し訳ない……。