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頑張って働いてきた聖女が働きすぎたことを理由に解任を言い渡されることになったお話

「聖女レクレーシア。残念だが、君を解任することになった。次の聖女はこの神官リゾラティアが受け継ぐことになる」

 

 神殿の応接室。女神の教えにより清貧をよしとする教会において、ここだけは豪華な作りだった。派手ではないが格調高い調度品が揃えられている。この王都の教会では王族を迎えることが少なくないためだ。

 落ち着いた色合いのテーブルと柔らかなソファーは、訪れた者を温かくもてなすものだ。しかしこの張りつめた空気の中では、その持ち味を生かすことができていなかった。

 

 聖女解任を申し出たのはレバスタンロウ王国の第二王子グレーシオス。さらりとした金髪に凛とした碧眼の青年だ。身に纏うのは白を基調とした、金糸で彩られた式服。王族だけに許された立派な装束は、凛々しい彼によく似合っていた。

 

 隣の席に着くのは神官リゾラティア。長いアッシュグレイの長い髪を後ろで一つに束ねている。涼やかな瞳は琥珀色。さっぱりとした髪型に飾り気のない神官服を纏っているが、その整った顔立ちには確かな気品がある。彼女は伯爵家の生まれだ。幼いころに入信し、女神に信仰を捧げてきた。その魔力の高さも信仰深さも教会の中でも一、二を争うと言われている才媛だ。

 

 その二人の対面に着くのは聖女レクレーシア。

 肩の高さに切りそろえられた茶色の髪。くりくりとした澄んだ茶の瞳。童顔で小柄なこともあり、17歳という年齢のわりには幼く見える。聖女は「清く正しく美しい」イメージがあるが、どちらかと言えば「無垢で可憐で愛らしい」という言葉が似合う少女だった。

 

 ここレバスタンロウ王国は、古来から魔物の襲撃に晒されている。苦しむ人々を憂いた女神は、一人の乙女に聖なる力を授けた。それが最初の聖女だった。

 聖女はその絶大な浄化の力で魔物を退け、王国を守った

 聖女は女神が選別されると言われているが、この王国では少々手順が異なる。教会に務める素質のある女神官のうち、まず王家が聖女を任命する。任命された女神官は神聖な儀式を行い、女神の祝福を得て聖女となるのだ。

 

 聖女と言っても永遠不滅の存在ではない。けがや病気、あるいは老化などによって聖女としての仕事ができなくなる時が来る。そうした時、王家は聖女を解任して、別の素質のある女神官を聖女に任命する。

 しかしそれは原則として、当代の聖女が承諾しなければ成立しない。一度女神から与えられた祝福を本人の同意もなしに取り上げることは、王家であってもできないことだ。

 だから王族が聖女の解任を告げるというのは法律に従った正しい手続きだ。


「待ってください。いきなり解任とは納得がいきません。わたしの働きに何か問題があったと言うのですか?」


 レクレーシアがそう言い返すのも無理はない。彼女はその『聖なる力』は王国歴代の聖女の中でも有数の能力を持つと謳われている。その力でいくつもの功績を打ち立ててきたのだ。



「あんなにたくさんの魔物を討伐してきたじゃないですか!」


 魔物の討伐は聖女のもっとも大切な仕事だ。そのために神が力を与えたのが聖女の始まりだ。

 王国も騎士団を結成し魔物への対策を怠ってはいない。王国は古来より魔物の集まりやすい地勢となっている。騎士団は精強で、魔物の群れに立ち向かえるだけの力がある。それでも軍事費と人員には限界があり、聖女の助力がなくては対応しきれないのが現実だ。

 聖女レクレーシアは歴代の聖女の中でも有数の能力を持つ。特に魔物の討伐数にかけては、最終的には史上最多になるのではないかと言われている。

 聖女レクレーシアの正当な主張に対し、しかしグレーシオスは渋い顔をした。


「確かに君のおかげで王国は何度も危機を救われた。そのことは本当に感謝している。だが君の討伐はあまりに徹底しすぎている。あれでは討伐ではなくて殲滅だ」

「魔物がいなくなればそれだけ安全になるじゃないですか。それになんの問題があるんですか?」

「聖女に対応してほしいのは、騎士団では大きな被害が出る強力な魔物が現れた時か、大量の魔物が現れた時だ。たった数匹の魔物を倒しきるまで、何日もぶっ続けで山や森を探索し続けられては困るんだ! 付き合わされる騎士団の騎士たちが持たない!」

「疲れたら疲労回復魔法で癒してますから大丈夫なはず」

「疲労回復魔法で身体の疲れはとれる。だが精神までは快復しない。それに装備品の損耗や食料の浪費もバカにならないんだ」


 聖女レクレーシアは強い。その戦闘能力は、騎士100人を合わせたより高いと評されている。魔物との戦いで苦戦したという記録すらない。彼女に対抗できる魔物と言えば、おとぎ話に登場する魔王くらいと噂されるほどだ。

 聖女に同行する騎士団は万が一に備えて聖女の護衛に着くが、彼らが戦闘において活躍する場面は限られる。

 同行する騎士団の主な仕事は、戦闘よりむしろ後方支援となる。宿の手配や消耗品の確保。あるいは近隣住民の誘導や避難指示、村の自警団との相談などなど……聖女では手が回らないことを対応する。そうした仕事もまた魔物に対抗するために必要なことだ。聖女の魔物討伐に騎士団の同行は不可欠だ。

 

 さまざまな状況に対応する護衛の騎士たちだが、その対応能力には限界がある。昼夜の関係なく野山を駆け巡り何日も魔物を探し続ける聖女についていくのは困難だ。体力の消耗を魔法で癒しても精神まではそうはいかない。装備品は消耗するし、日が経つにつれ食料も消費していく。

 そもそも少数の魔物なら街や村に駐屯している騎士たちで十分対応できる。聖女がそこまでする必要はない。

 レクレーシアには数匹の魔物程度なら騎士に任せろと何度も指導してきた。それなのに彼女は「魔物を討伐するのは聖女の大切な仕事です!」と言って聞かないのだ。



「あんなにたくさんポーションを作ってきたじゃないですか!」


 次に聖女レクレーシアが挙げたのはポーション作りだ。それもまた聖女の大切な仕事の一つだ。

 聖女の聖なる力が込められたポーションは、通常の物より効果が高く重宝されている。諸外国からの評価も高く、外貨の獲得や王国の評判を高めるのにも重要な役割を果たしている。

 しかしグレーシオスの顔はまたしても渋い。


「確かに君はよくがんばってくれている。だが、いくらなんでも作りすぎた。専用の倉庫はずいぶん前に満杯になってしまった。倉庫を更に2つも増設したのに、それすら埋まりつつある」

「溜め込んでないで売ればいいじゃないですか。ポーションはいつでも需要があるはずです」

「ああ、ポーションはいつだって求められている。それでもあれだけの在庫を市場に出したら、ポーションの価格が暴落してしまう」

「安く買えるならみんな喜びますよ」

「確かに買う側は喜ぶだろう。だが生産側は違う。多くのポーション職人が廃業し、聖女のポーションが市場を独占することになる。君に万が一のことがあったら王国は深刻なポーション不足に陥ることになるだろう。そうなれば取り返しがつかない」


 いくら優秀だからと言って、王国が一人の才能に頼るのは危険なことだ。なぜならその一人が欠けたとき、全てが崩壊することになるからだ。それに聖女に依存しすぎれば他の者が育たない。それは未来の可能性を摘んでしまうことになる。

 レクレーシアには何度も生産量を減らすように指導してきた。しかし彼女は「ポーション作りは聖女の大事な仕事ですから頑張ります!」と言って聞かないのだ。



「巡礼もちゃんとやってるじゃないですか!」


 次に聖女レクレーシアが挙げたのは聖女の巡礼だった。

 各地の教会で祈りをささげるのは聖女の重要な仕事だ。教会はもともと聖なる力を発している。聖女が祈りをささげることでその効果を高めることができる。

 一年に一度、聖女が祈りをささげるだけで、低級な魔物は街に入り込めなくなる。中級以上の魔物にはあまり効果がないが、低級な魔物が入り込まなくなるだけで警備の手間は大幅に減るし、住民も安心できる。

 だがこれにもグレーシオスは渋い顔をした。


「それはとても助かっている。だが君の巡礼日程はあまりに強行軍すぎる。聖女の巡礼はもともと一か月かけて王国内の主要な街の教会を回るものだった。だが君は小さな村の教会までも回っている。それも期間は一週間! とても正気とは思えない!」

「だってあんまり時間をかけると他の仕事に支障が出るじゃないですか。強行軍と言っても疲労回復魔法で回復できるんですから問題ありません」

「だから体力は持っても心が持たないだ! 君に付き合わされる騎士団はたまったものではない! 騎士団の中では『怠ける者は聖女の巡回に付き合わせるぞ』なんて脅し文句が定着しているらしい。効果てきめんだそうだ」


 聖女の巡礼に付き合う騎士は朝も昼もなく歩き続ける羽目になる。疲れ果ててもうだめだ、と思ったところで疲労回復魔法によって体力を回復させられる。倒れることは許されない。昼も夜もわからなくなり、ただひたすらに歩き続ける。その悪夢的体験は精強な騎士であっても耐えきれるものではない。聖女の巡礼後、退団を申し出てくる騎士は少なくないのだ。

 レクレーシアにはもっと余裕を持ったスケジュールを組むように何度も指導していきた。しかし彼女は「早く回った方が効率的です! わたしならできます!」と言って聞かないのだ。



 それからも聖女レクレーシアは自分の仕事とその功績をあげていったが、グレーシオスはその問題点をひとつずつ丁寧に指摘していった。

 聖女レクレーシアは優秀だ。女神の加護を受け、強大な力を有している。魔物との戦闘では苦戦すらしない。回復魔法も得意で、特に疲労回復魔法に関しては歴代でも随一と謳われるほどだ。

 だが、彼女は働きすぎる。それも疲労回復魔法によるごり押しで、昼夜の区別なく過剰なまでに働き続けてしまう。それでは周りの人間がついていけないのだ。


「いくら魔法で疲労を無くせるからと言って、君は無理をし過ぎだ。あんな働き方を続けていてはいずれは限界が来る。最近、身体に変調があったのではないか?」


 この問いにはレクレーシアは答えずに顔をそむけた。答えないということは自覚があるのだろう。

 ここ最近、彼女は朝の点呼の時間に遅刻するという。月に1~2回程度とのことだが、彼女の仕事に対するひたむきさと回復魔法の力量を考えれば無視できる頻度ではない。

 疲労回復魔法で体力を回復できる。身体の不調も回復魔法で治せる。それでも人間には休息が必要だ。そんなに頻繁に魔法で無理矢理回復して大丈夫なはずがない。いずれは身体が限界を迎えることになる。


「君が聖女として過剰な労働を止められないというなら仕方ない。どうか解任を受け入れて欲しい。聖女を辞めたからと言って心配することはない。住居を提供するし、生活費も支給する。君のなしてきた多大な功績に対し、必ず報いると約束しよう」


 そっぽを向いていたレクレーシアがようやく王子の方に向き直った。しかしその目つきは普段と異なり、ジトッとした半目になっている。あれほど仕事熱心な彼女のこと、やはり解任は相当に不満らしい。

 

「……話は分かりました」


 グレーシオスはほっとした。レクレーシアはこれまでこちらの指導に耳を貸さずに仕事に邁進し続けた。聖女の同意がなければ解任は成立しない。この解任の申し出まで断られたら手が尽きてしまうことになる。

 だが、安心するのはまだ早かった。

 

「いろいろともっともらしい理由をつけていましたが……結局のところ、あなたはわたしより、そこの元貴族のリゾラティアさんをお妃にしたいということなんですね!」

「な、何を言っているんだ? そんなわけがないだろう!」

「でも、そういうことになるのでしょう?」


 グレーシオスは言葉に詰まる。

 聖女は王家に嫁ぐと言うのはこのレバスタンロウ王国の伝統となっている。王国が女神の加護を受けられるようにするためだ。

 代々、王位を継承しない第二子以降の王子が聖女を娶ることになっている。聖女が王妃となると権力と国民の人気が集中しすぎる。過去の歴史において、危機感を覚えた貴族たちによって国が乱れた時期があったためそうなった。

 まだ公式の発表こそないが、第二王子グレーシオスが聖女を娶ることは何年も前から決まっていたことだった。

 

 本来なら、結婚に備えて聖女と交友を重ねるのが王族の義務だ。だが聖女レクレーシアはあまり忙しかった。まるで捕まらなかった。話す機会と言えば王家の関わる式典で、事前の打ち合わせで少し話すか、あとは過剰な仕事について指導するときぐらいのものだ。

 だから、グレーシオスはどうしてレクレーシアがそんなことを言い出すのか理解できない。恨みがましい目で見られる理由も見当がつかなかった。

 

「わたしのような子供っぽい女より、上品できれいで胸のあるリゾラティアさんがいいんですね。王子も普通の男の人とかわらないんですね。がっかりです」


 レクレーシアはリゾラティアの豊かな胸をじろりと見た。

 確かにレクレーシアはゆったりとした聖女の装束を纏っているため、その慎ましい胸元は目立たない。対して、リゾラティアは清楚を旨とする神官服に身を包んでも、その胸は自らの豊かさをはっきりと主張していた。

 もちろんグレーシオスはそんな理由で解任の話を持って来たのではなかった。


「私がどんな思いでこの話を持って来たかわからないのか!」


 テーブルを叩くとグレーシオスは立ち上がった。


「君の頑張る姿を見てきた! 君の成し遂げた数々の成果を見てきた! なんて素晴らしい聖女だと思った! それなのに君は過剰な労働を続ける! 何度言っても改めない! おかげで臣下から突き上げを受けて、こうして聖女解任を告げに来る羽目になった!」


 グレーシオス王子は指を突きつけて叫んだ。

 彼を怒らせたのは侮辱ではない。レクレーシアの身を案じて苦肉の策を提示したのに、見当違いな言いがかりをつけられたからだ。

 

「君は聖女を辞めて、穏やかで幸せな生活をするんだ! これは王族としての命令だ! 何としても聞いてもらう!」


 その言葉を受けて、レクレーシアもまた立ち上がった。


「わたしこそ、あなたの立派な姿を見てきました! 幼いころから王族として、国のため民のため働くあなたの姿を見てきました! そんなあなたの役に立ちたくて聖女として仕事して、仕事して、仕事して……仕事をしたのに! その果てに、そんな美人を連れてきて聖女解任を告げられるなんてん、あんまりじゃないですか!」


 レクレーシアは指を突きつけて言い切った。


「わたしは聖女を続けて、これからも働きます! これは聖女としての決意です! 何としてもやりとげてみせます!」


 真っ向から主張を退けられ、グレーシオス王子のこめかみに青筋が浮き上がった。鋭い目でレクレーシアを睨みつける。

 レクレーシアもまた、強い決意を秘めた目で睨み返した。

 

「だから働きすぎるなと言っているんだ! 少しは控えろ!」

「嫌です! まだまだ働けます! わたしから労働を奪わないでください!」

「君が働きすぎると、費用がかさむ! 騎士もついていけない! なにより君の身体が心配だ!」

「費用も騎士も足りないのというのなら、わたしの労働で補ってみせます! わたしの身体はまだまだ大丈夫です!」

「いい加減にしろこのわからずや聖女!」

「あなたこそいい加減にしてください頑固王子!」


 二人とも白熱していた。どちらも退かない。譲らない。妥協しない。王子と聖女の口論ではなく、子供同士の口げんかの様相になりつつあった。


「お二人とも、そこまで!」


 鋭い声に二人は口論を止めた。

 これまで沈黙を保っていた次期聖女候補、神官リゾラティアだ。二人が次の言葉を選ぼうとした瞬間を見極めて放たれた制止の声だった。そのタイミングでなければ口論は止まらなかっただろうという、絶妙のタイミングだった。

 

「落ち着いてください。お二人とも自分の言いたいことを言っているだけで、会話が成立していません」


 グレーシオスは自分の息が乱れているのを自覚した。今までそのことに気づかないくらいに頭に血が上っていた。とにかく深く息を吸って、呼吸を整えようとした。

 レクレーシアもまた、荒い息を整えようとしている。

 お互いまったく冷静さを欠いていた。かなり言葉が崩れていた。このまま続けていたら王族と聖女には許されない罵詈雑言の応酬を繰り広げていたかもしれない。

 いいタイミングで止めてもらった。グレーシオスは「さすが次期聖女候補」と、心の中で感嘆した。

 

「この場はどうか私に与らせていただけないでしょうか。聖女様の問題を解決するのに妙案があるのです」


 二人の返答を待たず、リゾラティアはまずグレーシオスに問いかけた。


「グレーシオス王子様。私のことを次期聖女と見込んでいただけるのなら、どうかお任せいただけないでしょうか」

「う、うむ。そういうことなら君に任せよう」


 グレーシオスは承諾した。

 彼としてはレクレーシアを解任したい。そのためにはリゾラティアを後押しする必要がある。彼女の提案を受け入れないわけにはいかなかった。

 

「レクレーシア様。私が次期聖女に相応しいか気になることでしょう。これから示す解決策で、私があなたのお立場を継ぐに値するか見極めていただけないでしょうか?」

「そ、そういうことならわかりました。あなたにお任せしましょう」

 

 レクレーシアも承諾した。

 彼女としては聖女を続けたい。そのためには次期聖女候補であるリゾラティアの存在は邪魔となる。リゾラティアの提案に難癖をつけたい。そのためには一度受け入れる必要があった。

 

 こうして神官リゾラティアは、二人にそうと悟らせぬまま、この場を制したのだった。

 

 

 

 あの騒ぎから30分ほど過ぎた。

 応接室の中、グレーシオス王子とレクレーシアはテーブルを挟んで向かい合っている。二人のほかには誰もいない。お付きの騎士も神官も、リゾラティアの指示で席を外した。

 

 テーブルの上には一通の封筒がある。魔法によって封印がしてあり、開くことはできない。


「この封筒の中に解決策をしたためてあります。時間が来れば開くよう封印の魔法をかけておきます。封印が解けたら、お二人でお読みください」


 そう言い残して神官リゾラティアも応接室を去った。

 二人してじっと封筒を見つめて、開く時を待っている。

 グレーシオスは先ほどの自分を恥じた。レクレーシアの身を案じて解任を告げに来た。しかし頭に血が上り、強い言葉で命令してしまった。それは王族のふるまいではなかった。

 聖女レクレーシアも気まずいのは同じようで、口を開くこともなくじっと封筒を見ている。居心地の悪い沈黙が応接室を満たしていた。

 

 グレーシオスは聖女を解任して休ませたい。

 レクレーシアは聖女を続けてまだまだ働きたい。

 

 この相反する要求に対し、どんな妥協点があるのだろうか。リゾラティアの解決策とはどんなものか。グレーシオスは考えを巡らせたが、どうにも思いつかなかった。

 

 やがて、封筒の封が自然に解けた。時間が来て封印が解けたのだ。グレーシオスが封筒から折りたたまれた便箋を取り出すと、こう書かれていた。

 

「解決策は『子作り』です」


 グレーシオスは眉根を寄せた。レクレーシアは首を傾げた。まったく意味不明な一文だった。

 不審に思いながら、便箋を開き、文面に目を通した。



 

 解決策は『子作り』です。

 懐妊すればさすがの聖女レクレーシア様も無茶な働き方はできなくなるでしょう。

 守るべき家族ができれば彼女の労働への姿勢も改善されるはずです。

 

 婚前交渉は貴族において不作法と取られることもありますが、聖女の婚姻ならば問題ありません。婚姻と懐妊が同時に公表され、国民から慶事として祝われたという前例があります。

 お話を聞いた限り、お二人はお互いを大事に考えています。ならばなんの憂いもありません。 

 『子作り』です。『子作り』こそが全てを解決します。

 聖女に必要なのは『解任』ではなく『懐妊』なのです。

 

 お二人が早く仲良くなれるように、この応接室には強力な結界を張りました。朝まで誰も出入りすることはできません。

 他の雑事はすべてわたしが対応しておきます。

 お二人は何も心配することなく、どうか素晴らしい夜をお過ごしください。

 

 追伸;

  この部屋には玉座を依り代とした結界を張っています。

  聖女レクレーシア様が『メガトン聖女デコピン』や『ギガトン聖女ビンタ』で強行突破すると玉座も粉々になります。くれぐれもご注意ください。




 あまりの内容にグレーシオスは目を瞬かせた。

 リゾラティアは伯爵家の生まれで、次期聖女候補として選ばれた才媛だ。そんな彼女が自信満々に用意した解決策がこんな内容だとは夢にも思わなかった。

 『解任』ではなく『懐妊』で問題を解決するなんて、場末の酒場で泥酔した者が口にするようなくだらない冗談だ。

 

 信じられない思いで応接室のドアを確かめてみた。びくともしない。魔力も感じる。どうやら本当に結界を張られてしまったようだ。

 レクレーシアの方を見ると、彼女も愕然とした様子で震えていた。

 

「まさかこんな方法で『メガトン聖女デコピン』と『ギガトン聖女ビンタ』が封じられるなんて……!」


 グレーシオスとは別な理由で驚いている様子だった。『子作り』という単語に気を取られて後回しにしていたが、手紙に書かれたそれらの言葉も気になっていた。

 

「手紙にも書いてあったが……その『メガトン聖女デコピン』というのは何なんだ?」

「聖なる力を込めたデコピンです。魔物を一体ずつ倒す時に使います」

「では『ギガトン聖女ビンタ』は?」

「聖なる力を込めたビンタです。聖なる力が広範囲に拡がるので、魔物の群れを一掃する時に使います」

「……なんでデコピンやビンタなんだ? 聖女には専用の錫杖があるじゃないか。それを使えばいいだろう」

「錫杖を使った『テラトン聖女スイング』は山ひとつ消し飛ばす威力が出てしまいます。普段の魔物討伐で使うことはありません」

「ならパンチでもすればいいじゃないか」

「『ファイナル聖女パンチ』は決戦時の切り札です。通常の魔物討伐で使っていい種類のものではありません」

「それだけファイナルなのか……」


 レクレーシアは神妙な顔で答えた。ふざけている様子はまったくない。魔物討伐にかけては歴代でも指折りの実力者と聞いていたが、そんな戦い方をしているとは知らなかった。

 グレーシオスは普段から聖女の魔物討伐についての報告書に目を通している。「聖女はその強大な聖なる力で魔物を一掃した」といった記述はあったが、これらの技名が出てきたことはない。

 だがそれも当然なのかもしれない。王家に提出し、その後も保管される公式記録に「聖女はビンタで魔物の群れを殲滅しました」とは書けないだろう。

 

 それはさておき、まずは現状の把握が急務だ。グレーシオスは結界がどんなものか探ってみた。王家の正当な血筋を引く彼は高い魔力を持っており、魔法の扱いも心得ている。だがさすが次期聖女候補が張った結界だ。ほころび一つ見えない強固なものだった。


「私では解除はできそうにない。破壊する以外に結界を突破する方法はないか?」

「すみません、わたしはそういう細かいことが苦手で……」

「そうか……王国の歴史と共に受け継いできた玉座を、まさかこんなことで失うわけにはいかない。今夜一晩はこの部屋にとどまるしかないか……」


 本来、物を依り代にした防御結界は、大岩など壊れても構わない頑丈な物を依り代とする。結界に与えられたダメージが依り代に及ぶ代わりに、少ない魔力で防御力の高い結界を張ることができるという長所がある。

 依り代が壊れるという性質を利用して、玉座を盾に聖女を封じるとは、さすが才媛と言われたリゾラティアだ。その狡猾さはあなどれない。


「いや、感心している場合ではないな……」


 今夜一晩、ここで過ごす。

 そのことを意識すると急にこの状況の危うさがのしかかってくる。

 グレーシオスは王族だ。分別はわきまえている。しかし彼が20歳の精力旺盛な男性であることに変わりはない。

 そして聖女レクレーシアは、その外見こそ幼く見えるが、17歳の乙女だ。この王国においては子供がいてもおかしくない年齢である。

 誰も出入りすることができない密室。若い男女が朝まで二人きり。ここまで条件が整えば、間違いが起きてもおかしくない。

 

 グレーシオスはレクレーシアのことを嫌ってはいない。むしろ好ましいと思っている。

 先ほど挙げたように、聖女レクレーシアの過剰な働きっぷりには困らされている。しかしその功績は認めている。そもそも聖女を解任すると決めたのは、レクレーシアの身を案じたからだ。彼女に幸せになって欲しいと思ったからだ。

 

 もともとグレーシオスは聖女と結婚する予定だったから、リゾラティアが手紙でも示していたように結婚前に関係を持っても問題とはならない。

 『子作り』で事態が解決するというのは馬鹿らしいが、確かに身ごもれば今のような無茶な働き方はできなくなるだろう。

 

 心情的には問題ない。国からも許される。そして聖女の過剰な労働を抑制するという大義名分まである。

 グレーシオスは愕然とした。レクレーシアに手を出してはいけない理由が見当たらない。

 

 そこまで考えが至ったところでグレーシオスは頭を振って我に返った。この考えはいけない。リゾラティアの手紙に思考を誘導されている。

 関係を持つことが国政上は問題なかったとしても、優先すべきはレクレーシアの気持ちだ。彼女が嫌がるのなら、絶対に手を出してはならない。

 

 レクレーシアはグレーシオスのことをどう思っているのだろうか。働きすぎないよう何度も注意してきた。今日は解任を告げに来た。それらを考慮すれば、嫌われている可能性の方が高い。

 レクレーシアの方を見る。すると彼女は顔を青ざめさせて震えていた。

 いくら絶大な力を持つ聖女だからと言って、年頃の女性であることに変わりはない。異性と一晩も過ごすのは恐ろしいことなのかもしれない。

 彼女を安心させようと、襟を正して口を開いた。


「レクレーシア、心配しないでくれ。君を傷つけるようなことはしな……」

「大変です王子! ここでは仕事ができません!」


 宥める声を遮るようにレクレーシアは叫んだ。

 

「ここではポーション作りもできません! 部屋から出られなければ魔物討伐にも行けません! 書類仕事をしたくても、この部屋には書類もありません! 一晩も仕事ができないなんて……ああ、ああ、わたしはどうすればいいのですか!?」


 レクレーシアは身の安全について心配などしていなかった。ただ労働への意欲が妨げられることを嘆いていた。

 グレーシオスは拍子抜けした気分味わうとともに、彼女の異常な仕事への意欲を改めて実感させられた。

 

「どうしてそんなに仕事熱心なんだ? 君は十分働いてくれている。一晩くらい休んだってなんの問題もない。だから……」

「知ったふうなことを言わないでください! 足りないんです! どんなにどんなに働いたって、全然ちっとも足りないんです!」


 レクレーシアは急に大声を上げた。先ほどの口論以上の強い声に、グレーシオスは言葉を失った。

 だが彼女が激高したのも一時のことだった。

 

「すみません……」


 まるで火が消えたみたいに力なく謝ると、レクレーシアはソファーに腰を落とした。

 グレーシオスも対面のソファに着いた。いつも精力的に仕事に向かう姿ばかり見てきた。レクレーシアはいつだって元気だった。しかし今の彼女は、まるで捨てられた子犬のようにしょぼくれていた。

 なぜこんなに落ち込んでいるのか。グレーシオスは今の彼女の有様こそが、今回の問題の根幹であると確信した。

 

「話を聞かせてくれないか? 君はどうしてそこまで働こうとするんだ?」


 そう優しく問いかけると、レクレーシアはぽつりぽつりと話し始めた。


「王子もご存じのように、わたしは教会に捨てられた孤児なんです。でも、寂しいと感じたことはありませんでした。教会の神官様たちはとてもよくしてくれました。グレーシオス王子もよく視察に見えられました。神様も国も見守ってくれていると思ってたんです」


 レクレーシアは力なく微笑んだ。

 彼女の出自についてはよく知っている。聖女候補として選ぶときに資料に記されていたが、グレーシオスは以前からそのことをよく知っていた。彼は聖女を娶る立場から、子供のころから定期的に教会に視察していた。孤児という境遇にありながら、そのことに負けずに頑張るレクレーシアのことを聖女になるずっと前から知っていた。


「だから頑張りました。神官になるための修行は全然つらくありませんでした。神官になれば神様のために働ける。王国の人たちの役に立てるようになる。そう思うとやる気がどんどん湧いてきました。だから頑張って、頑張って、頑張って……気づけば聖女に選ばれていました」

「……立派なことじゃないか」

「聖女に選ばれて光栄でした。努力が認められたと思って、本当にうれしかったです。でもわたしはちゃんと考えていなかったんです。聖女になるということは、王子様の妃になるということをそれがどういうことなのか、わかっていなかったんです……!」


 レクレーシアは顔を伏せた。

 

「王国のみんなは聖女を敬ってくれます。でも孤児が王宮に入るのを面白く思わない人もいるんです……そんな当たり前のことを、全然考えていなかったんです……」


 そうしたこと口にする貴族がいることはグレーシオスの耳にも入っていた。彼らは必ずしも悪人と言うわけではない。ただ、出自のわからない者の血が王家に入ることを危険視しているのだ。

 王家が選んだだけでは聖女にはなれない。女神の承認を得て初めて聖女になれる。だからその血が危険であるわけがない。グレーシオスはことあるごとにそのことを周囲に言い聞かせている。それでも偏見というものは簡単に消えるものではない。それがレクレーシアの耳に入ってしまうこともあったのだろう。


「だから労働です! 聖女というだけではダメなんです! たくさん働いて、誰もが妃に相応しいと誰もが思うくらいの実績が無いと、あなたに迷惑をかけてしまう……そんなの、絶対嫌なんです! 本当は騎士たちに苦労をさせているのもわかっていました……! ポーションも作りすぎているのことも分かっていました……! それでも、仕事の量を減らすのが怖かった! やめられなかった……! 解任されて当然なのに、それすら拒んで、わたしは、わたしは……!」


 そう言って、レクレーシアはボロボロと泣き出してしまった。

 どんな魔物の群れも殲滅する最強の聖女だと思っていた。疲れを知らない仕事の鬼だと思っていた。

 それでも彼女は17歳の少女だった。教会に支えてもらっても、頼る家族のいない孤独な少女だったのだ。

 

 グレーシオスは己の不明を恥じた。レクレーシアのことを心配していた。だから労働量を減らすよう指導した。それでも働き続ける彼女を解任しようとさえした。それは彼女のことを案じたゆえの決断だった。

 彼女の卓越した強さと苛烈な労働姿勢に目を奪われていた。そのせいで彼女の中でいちばん大きな問題が見えていなかった。これでは身を案じるも何もない。

 今ようやく、何をするべきかわかった。

 

 グレーシオスは立ち上がると、レクレーシアの隣に座った。

 そして彼女の肩をぐっと引き寄せた。


「グ、グレーシオス王子……?」


 戸惑う彼女の瞳をまっすぐに見つめ、グレーシオスは堂々と言い放った。


「君は聖女だ。誰よりも立派な聖女だ」


 レクレーシアの目が驚きに見開かれた。

 でも彼女はすぐに目をそらしてしまった。その顔には不安の色がある。


「でもわたしはみなさんに迷惑をかけて……」

「確かに先ほどは、君の過剰な労働で周りに迷惑をかけていることばかり指摘してしまった。だが君の功績は大きいんだ。魔物の殲滅によって、各地の人々から感謝の声がいくつも届いている。潤沢なポーションの在庫は災害などの緊急時に役立つことだろう。教会の巡回も、人々を守っている。君は立派に務めを果たしているんだ」


 レクレーシアは務めを果たしている。働きすぎなだけで、その功績は歴代聖女の誰にも引けを取らない立派なものなのだ。

 それでも彼女にはまだ不安が残っているようだった。


「それでも……出自もわからないわたしなんかでは王子の妃に相応しくありません」

「確かに君の生まれは不幸だったかもしれない。そのことに批判する頭の固い連中もいる。だがそんなことは関係ない。君は女神様が認めた聖女なんだ」

「でも……」

「そもそも君が聖女に決まったのは、私が推薦したからだ。第二王子であるこの私が聖女に選んだ君を、この国の誰が否定できると言うんだ?」

「え!?」


 その言葉にようやくレクレーシアは逸らしていた目をこちらに向けた。

 瞳はまだうるんでいる。でもその瞳に暗い陰はなく、むしろ輝いていた。頬はバラ色に染まっている。


「王子が推薦してくださったんですか……?」

「ああそうだ。聖女の選定は王族と上位貴族の会議によって決まる。その会議において、聖女を娶ることになる第二王子の意見は重要だ。私が推薦して、君が聖女になることが決まったんだ」

「王子がわたしを選んでくださった……」

「ああそうだ。だから君は誰に恥じることもないわけで……」

「嬉しいです!」


 そう言ってレクレーシアはグレーシオスの胸に飛び込んだ。

 思いがけない彼女の行動に、グレーシオスは目を白黒させた。

 なんでこんなことになったのか改めて会話の流れを思い出す。

 

 レクレーシアは、孤児である自分は妃に相応しくないと心配していた。グレーシオスに迷惑をかけたくないと言っていた。

 彼女はきっと、グレーシオスのことを慕っているのだろう。好きな相手だからこそ、伴侶として恥ずかしくない立場となるために努力していたのだ。

 それに対してグレーシオスは自分が聖女に選んだと答えた。

 

 つまり、自分を慕うレクレーシアに対し「自分が選んだ結婚相手なんだから心配しないでいい」と言ったことになる。

 それは愛の告白に等しい。


 そこまで考えが至り、グレーシオスは焦燥感に囚われた。弱っているレクレーシアを騙すようなことを言ってしまった。

 彼はただ、レクレーシアの能力面を考慮して聖女に選んだのだ。


 視察に訪れた教会で、神官の修行に励む彼女のことを見た。誰よりも頑張る姿を何度も見た。孤児と聞いていた。でもその境遇にめげることなく、神を敬い人々の幸せを願って頑張れる彼女なら、聖女に相応しいと思った。伴侶として共に過ごせると思った。

 

 恋とか愛とかではなく、一国の王子として彼女を聖女に選んだ。そのつもり、だった。

 

 そこまで考えて、グレーシオスはようやく気づいた。教会に視察に訪れた時はいつも彼女の姿を探していた。彼女の頑張る姿を見るのが好きだった。彼女と共に過ごしたいと思った。

 これが恋でなければなんだと言うのか。ずっと前から、レクレーシアに惹かれていたのだ。

 

 レクレーシアは好きな男性に相応しくなるために、過剰に働き続けた。

 グレーシオスは彼女に惹かれていることに気づかないまま、その身を案じて遠ざけようとした。

 まったくなんて馬鹿げた話だろう。



「レクレーシア……もっと君のことを知りたい。そして私のことをもっと知って欲しい。私たちはもっとちゃんと話し合わなければいけないんだ。今夜はこの部屋から出られない。話す時間はたくさんある」

「はい! いっぱいお話しましょう!」


 グレーシオスの胸の中で、レクレーシアは満面の笑顔を見せた。




 あの夜から一週間ほど過ぎたある日の昼下がり。王宮の中に設えられたガゼボで、グレーシオスは神官リゾラティアを招いて席を設けた。


「先日は見苦しい姿を見せてしまった。あの解決策には助けられた。君には感謝している」


 グレーシオスは心から感謝の言葉を述べた。彼女の『解決策』がなければ、レクレーシアの本質的な問題点に気づけなかった。

 あの応接室が明けた後。臣下たちと会議を重ねて聖女レクレーシアの労働改善策を検討した。それも一段落ついて、ようやくリゾラティアとの会談の場を設けたのだった。


「いいえ、お礼には及びません。神官として領分を越えたことをしてしまい申し訳ありませんでした。こちらこそ寛大なご処置に感謝しています」


 リゾラティアは優雅に一礼した。

 王族を騙して部屋に監禁するなど、通常ならば厳罰を処されることになるだろう。だがグレーシオスは彼女に一切の罰を与えなかった。聖女との話し合いするためにリゾラティアに一芝居打ってもらったということにした。

 あの一夜のおかげでレクレーシアの解任は無くなった。リゾラティアには感謝しても感謝しきれない恩がある。罰を与えないなど当然のことだった。

 グレーシオスとしてはもっとお礼を言いたいところだったが、謙虚なリゾラティアにこれ以上感謝の気持ちを押し付けるのは失礼と言うものだ。そう思うグレーシオスの様子を察したのか、リゾラティアは話題を変えた。

 

「それで、レクレーシア様の労働問題については解決したのですか?」

「ああ。今後は騎士団と相談したうえで作業量やスケジュールを決定することになった。今、彼女は騎士団と会議中だ」


 レクレーシアが周囲を置き去りにして過剰に働いていたのは、王国側の体制にも問題があった。

 聖女を守り、聖女の意志を優先する。騎士団は常にその前提で動いていた。先代の聖女まではそれで上手くいっていた。過去のやり方を守ろうとするあまり、レクレーシアの暴走を止めようとしなかった。無理についていこうとして疲弊することになった。

 聖女であろうと間違えることはある。だから話し合いだ。国民の安全を確保し、騎士団も無理なく活動でき、聖女もその力を存分に振るえる。そういう活動計画を、皆で意見を出し合って決めることにしたのだ。

 

 レクレーシアは、これまでは妃に相応しくならなくてはならないという強迫観念から無茶をしていた。グレーシオスと気持ちを伝えあってそれはほとんど無くなった。

 しかし、彼女はもともと働き者だ。彼女の考える『普通の仕事量』でも、騎士団がついていくのは大変なことだ。その妥協点はまだまだ完全には見えてこない。

 今日の会議でもレクレーシアも騎士たちも苦労していることだろう。それでも回数を重ね時間を経れば、上手くいくようになるだろう。

 

「気になっていたのだが……あの夜、本当に玉座を結界の依り代としていたのか?」


 グレーシオスはふと、気になっていたことを口にした。

 今から振り返ればあの手紙は深い考えのもとに書かれたものだということが分かる。そんなリゾラティアが王家代々の玉座を破壊しかねないことをするとは思えなかった。レクレーシアのことを信じていたとしても、万が一の事故はありうるのだ。

 

「いいえ、これを依り代としました」


 そう言って彼女が首元から取り出したのは、飾り気のない金のネックレスだった。

 

「それは……?」

「亡くなった祖母からもらったネックレスです。高価な品ではありませんが、私にとっては大事なものです」

「なぜそんな大事なものを依り代にしたんだ?」

「王子と聖女を騙すのです。このくらいの危険を背負わなければ、私の気が済みませんでした」


 もしレクレーシアが強行突破していたらこのネックレスは粉々になっていたことだろう。自分の大事なものを依り代にしたところで、彼女に有利に働くことはない。

 信じた者に試練を課す時、自分も痛みを共にする。それは上に立つ者の持つべき心構えだ。元伯爵家の令嬢は、神官となってもその気高さは失ってはいなかった。

 

「君の在り方は美しい。王族としても見習うべきところがある」

「過分なご評価、痛み入ります」


 グレーシオスの称賛を受け、リゾラティアははにかんだ。

 そうして会話が一段落ついた時だった。

 

「グレーシオス様ーっ!」


 元気な声が聞こえてきた。レクレーシアが来たのだ。

 

「どうやら騎士団との会議は終わったようだな」

「それでは、私はこれで失礼いたします」


 そう言ってリゾラティアは腰を上げた。


「そんなに急ぐことはない。いっしょにレクレーシアと話をしないか。彼女も君にお礼を言いたがっていた」

「手紙にも書きましたように、お二人には早く仲良くなっていただきたいのです。邪魔をしたくはありません。そうしていただかないと、私も次に進めませんから……」

「次に進めない?」

「い、いえ。私は次期聖女候補から外れ、上位神官になるべく励むことになります。そのことです。それ以上のことはありませんので、お気になさらず」


 そう言ってリゾラティアは去っていった。

 なにか引っかかるものを覚えたが、そのことに考えをめぐらす間にレクレーシアが席についた。


「ご一緒していたのはリゾラティアさんでしたか?」

「ああ。先日の夜のことについて礼を言っていたんだ」

「わたしもお礼を言いたかったです……」

「残念だが、彼女には用があるらしい」

「それなら仕方ありません。お礼を言うのはまたの機会にします。それではグレーシオス様、今日もお話ししましょう!」


 あの夜以来、日に一度は話をする時間を作っている。今まではちゃんと会話する時間がなかった。そのせいですれ違ってしまった。その穴を埋めるように、二人は話し合うようになった。話したいことはいくらでもあった。彼女と話すのなら、どんな話題でも楽しかった。

 王宮の中庭に設えられたガゼボ。昼下がりの穏やかな時間。グレーシオスとレクレーシアは、今日も会話を楽しむのだった。



終わり

有能な聖女が追放される話をいくつか拝見し、自分でも書いてみたいと思いました。

あれこれ考えたのですが、有能なのに追放されるうまい理由が思いつきませんでした。

そこで「能力はあるけど働きすぎて逆に迷惑」ということにしました。

それが成り立つようにキャラや設定を詰めて言ったらこういう話になりました。

当初考えていたのとはちょっと違う方向のお話になりましたが、なんとかまとまってよかったです。


2025/5/6、6/20

 誤字指摘ありがとうございました! 修正しました!

2025/6/1

 誤字指摘ありがとうございました! 読み返して気になった細かなところもあちこち修正しました。

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【子作りしないと出られない部屋】  密室、ふたりきり、何も起きないはずが無く… リゾラティアはクールに去るぜ 色んな覚悟を呑み込んで、それでも二人の幸せを祈るリゾラティアさんはまさに大聖女
すげー迷惑だなこの聖女 精神的にも未熟だし あとリゾラティアさんの目標が気になる
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