絶望の中の先の希望
(ここは?)
目覚めた先は全く見覚えのない場所だった。
(確か俺はあの時襲われて…その後は?…記憶がないな。)
眠っていたのか、気を失っていたのか、それすらもはっきりとせず、襲われた時の状況を微かにしか覚えていない。
「ただ…こんな荒野、見たことがないんだが?」
目の前に広がっているのは、今にも落ちてきそうなほど重く黒い雲、地面には裂け目が現れひび割れて、ひどく乾燥している。動、植物の気配はなく、遠くには枯渇した枯れ木の森が見えているだけだった。
「冷えるな。」
空は太陽の影すら見えず、乾いた冷たい風が吹き付けてくる。
こちらの気が病んでくるほどどんよりとしている。
(あれ?)
ここでもう一つの違和感に気付く。
いつもと比べて視線が高い。その理由にすぐ気付いた。
俺は動かないはずの足で地面に立っていた。
(何故?足は動かなくなったはず。)
不毛な荒野に、動く足…理解の範疇を超える不可解な出来事が起こっていた。
(このままでは埒が明かないか。とりあえず動いてみよう。)
黒い森へと足を動かす。
森の中はただ真っ暗だった。
くちゃくちゃくちゃ…
歩みを進めていくと、何かの咀嚼音のようなものが聞こえてくる。
(なんだ?この音?)
聞くだけで気分が悪くなる。歩けば歩くほどその音は大きくなってくる。
恐る恐る忍び足で進め、木の影から首を出して様子を見る。
(おい…マジかよ。)
それは何かに群がる禿鷲だった。
その禿鷲は返り血で体が鮮血に染まっていた。
その姿は悪魔のようだった。
(てことは…あれが貪っているのはそういうことだよな。)
その一心不乱に貪っているのに恐怖しか感じなかった。
(ここから逃げないと。)
そうして、木から離れようとした時だった。
パキッ
何かを踏んだ音がした。
(しまっ…!)
下を見ると、そこには折れた枝があった。どうやら枝を踏み抜いてしまったらしい。
(…。)
顔を上げると、その先には眼窩がくぼんだ鮮血の悪魔と目があった。
「~~~~~!!!!」
悪魔はこちらを見ると、形容しがたい声を上げ、襲い掛かってきた。
(動かない!!)
逃げようとは分かっていても、体が竦んだように言うことを利かない。
ドシャ!!
悪魔は爪を突き立て、俺を地面へと押し倒す。
そして、その時奴らが貪っていたものを見てしまう。
(母さん?)
それは自分の母に似た何かだった。息をしておらず、生きている気配はない。
(なんで?こんなところに…?いや、それよりもどうしてこんな奴らに…?)
「お前のせいで貴様の大事なものが苦しむ。」
悪魔は嘴を広げ、ヒトの言葉を発する。
今は戸惑い以上にショックが隠しきれない。
(俺のせいで、母さんが死んだ?)
俺が生まれたせいで母さんは離婚したらしい。
俺のせいで母さんを1人にしてしまった。
けれども、文句一つ言わず母さんは朝も夜も働いた。俺に我儘をさせてくれた。
だから俺は母さんが好きだったし、楽させてあげたかった。
でも、現実は上手くはいかなかった。中学生の身で雇ってくれるところなんてあんまりなかったし、バイトをできても手が回らなくて、成績も良いものではなかった。時にはカツアゲされたことだってある。
俺は母さんに迷惑をかけることしかしなかった。
(…。)
俺はメンタルの強さには自負があった。だが、それはただの痩せ我慢に過ぎなかった。
まさか奴のたった一言でここまで追い込まれるとは思いもしなかった。
(俺のせいで...?俺が母さんを殺した?)
後悔が俺の頭の中をぐるぐると回る。
「貴様が覚悟があるのなら、彼女を無限の苦しみから還してあげよう。」
覚悟?
「貴様の魂を捧げよ。さすれば彼女が苦しむことはない。彼女は生から逃れることが叶う。」
(それは死ぬってことだよな?)
魂を捧げる。それは自分が排他され、悪魔に喰われる。もしかしたら、ただ死ぬよりももっと辛いことなのかもしれない。
(けど…仕方ないよな。)
俺にとって母さんは全てだ。自分は母さんがいたからこそ生きてこれた。母さんが苦しんでいる今、俺が生きるべき理由があるのだろうか?
死ぬことこそが自分にできる親孝行なのではないのか?
「…。」
俺は頷こうとした。しかしその瞬間だった。
「なんだ、これは?」
「ギャアア…。」
悪魔たちが俺から爪を離し、突如悶え始めた。
俺はそのまま地面に倒れるはずだった。
フワッ
何故か、空を飛ぶかのような浮遊感があり、黒い森が遠ざかっていく。
「若人よ、汝に1度チャンスを与える。」
声をした方向を見ると、そこには先ほどの悪魔とは違い神々しい光を放つ鷲の姿があった。
俺は鷲に掴まれ、空を飛んでいるらしい。
「やめてくれ!俺は死なないといけないんだ。離してくれ!」
俺は暴れ、拘束から逃れようとする。
「汝は今囚われている。よく見ろ…果たしてそれは汝の思うものか?」
「当たり前だ!…え?」
鷲に言われ、見ると母さんはただの痩せ細った馬に変わっていた。
あんなにも凝視し、母さんだったのにどうして?まるで狐に化かされたみたいだ。
「奴は楽園からの追放者。二度と楽園に帰ることはない。足が使えず、動けず倒れた馬。誰の役にも立てず、誰からも見放された。それは今の汝である。奴らは誘う。失楽園へと。」
あの悪魔は俺を堕とそうとしたのか。
幻を見せられていたのか。
「しかし…果たしてそれは正しいのだろうか?足が使えず死を待つだけの馬は誰にも必要とされないのだろうか?
それは汝が思っているだけではないのか?本当は汝を思う者たちがいるのではないのか?今一度考えよ。」
(確かに…俺は誰にも言わず、自分で完結していた。誰も苦しみを理解できないし、優しさなんてかけられたくない。そんな変なプライドがあったし、それにはもうどうしようもないって諦めがあった。…オトハ、俺のことどう思っていたんだろう?)
鷲の言葉は俺をハッとさせ、俺を拾い上げた。その時、脳裏に浮かんできたのは彼女だった。彼女は常に俺に寄り添ってくれた。ただの罪悪感からだと思っていたが、それはもしかしたら大きな思い違いなのかもしれない。
「…。」
不思議と彼女に会いたくなっていた。自然に顔には笑みが出てきた。
「汝の答えは後に知ることができるであろう。ただ今は見るとよい。」
鷲は大きく翼を羽ばたき、黒い雲の中に入る。
「!!!!!!」
雲からは名状しがたい声が聞こえ、手と足や顔を掴まれ、引っ張られる。
だが、鷲はそれをものともせず大きく羽ばたき浮上する。
(おお…。)
雲を抜けた先には、絵画でしか見たことのないような光景で、あまりにも幻想的だった。同じ鷲が多く飛翔し、遠くには巨大な赤く黒い鯨がこの広い雲海をゆっくりと泳いでいた。
(聖域?)
ここは人が踏み入れてはならない領域。そう感じさせるには十分な程だった。
「…。」
鷲は鯨に向かって加速する。その勢いは留まることをせず、ぐんぐんと加速する。やがて周りの音を置き去りにする。
トン。
鯨を貫通し、鯨の中へと入る。
中に入ると、勢いがドンドンと嘘のように減速されてゆく。体は凍ったように動かなくなっていた。
奥には白い球体が露になってくる。
その球体は白く燃え盛る蜈蚣がとぐろを巻くように側面を囲み、中を見ることはできない。
その熱は離れているのに感じるほどだった。
鷲は蜈蚣の隙間を掻い潜りついに球へと入る。
(…。)
俺は言葉を失った。だってこんなにも美しい世界があるのかと思ったからだ。
空には翼竜と鳥が飛び交い、豊かな森に古代の恐竜、巨大な海原に魚や海竜、中心には街があり、そこには翼を持つ人間や角の生えた人間など、多種多様な人がいて、笑い合いそれが途切れることは決してない。
自然と全ての生物が暮らし、調和した世界だった。
「ここが楽園だ。友であり、主である者の夢見る世界だ。しかしそれはホラで大きな夢物語だ。だが、奴は不可能を可能にし続けてきた。死をいくつも繰り返してもなお、その歩みは決して止めようとはしない。その馬鹿げたものを叶えようとしている。いつかは夢から現実へとするために。」
確かにそれは馬鹿げていた。
でも…羨ましかった。そして、悔しかった。
「汝は今から目が覚める。決断までの時は長くない。しかし、屍の上に芽吹きは表る。例え、死を迎えても先にあるのは虚無ではない。それは何かの養分へとなる。
絶望の先には必ず希望が訪れる。
汝と会えるのを楽しみにしておこう。」
鷲は話し終えると、爪を離した。俺はそのまま落下する。
「健闘を祈る。さらばだ。」
その言葉と共に俺の意識は消え失せた。
「ハッ!!」
目が覚めると、そこはベットの上で、いろんなものに繋がれていた。
(夢だったのか?)
そう思う矢先、掌に何かが触れる。見るとそこには鷲の羽根があった。
「分かった。…もう大丈夫。」
羽根を強く握り、俺はそう誓った。




