絶望へ
この話は俺が正也と別れてからの話である。
俺は大きな洋館に着いた。
スターチスが扉をゆっくりと開ける。ギギギと重い重厚な音を出して、こちらを招くように開く。
「なんか不気味なところだな。」
なんか鉄臭い匂いがする。時が止まったように静かで、気味が悪い。隙間風の音だけが響く。でかい洋館なのに関わらず、絨毯は敷かれているものの、シャンデリアなどの高い装飾品は一切ない。
「ここはモスキート様のお屋敷です。」
歩きながら、スターチスが説明する。
しばらくすると、長机のある大きな部屋に来た。
おそらくは食堂だ。しかし、椅子が2つしかない。
持ち主であるモスキートは潔癖な現実主義者に違いない。
必要のない無駄はすべて排除するそんなマシンのような人物なのだろう。
音楽なんて必要ない、高級なものなんて必要ない。そういう人物だと読み取れば、この屋敷の殺風景さが分かる。
ただこんなに大きい屋敷である必要があるのだろうか?
2つの椅子しかないというのは即ち、2人暮らしだということである。
そう考えれば、どうも違和感がある。
そこまで潔癖な人物であれば、例えば、マンションのひと部屋であればいいのではないのではないのか?
「きな臭いな。」
俺は何か嫌な予感がしていた。
「モスキート様の元へと行ってくるので、ここで待っているように。」
スターチスはそう言い残し、どこかへと去っていった。
「ねえ、こんなに大きいんだからさ、かくれんぼしようよ。」
スミレは目を輝かせ、喋る。
「スミレちゃん、ここでは迷子になっちゃうから。やめましょうよ。」
「えー、暇じゃん。スターチスどうせすぐ戻ってこないよ。」
「ですが…。ここで遊ぶのはあまりにも広すぎます。迷子になってしまいます。」
「じゃあ、この部屋だけでいいから!」
「うーん、ですが…。」
「アルちゃん、お願い。」
スミレは上目遣いで、アルに対し目で訴えかけ、服を引っ張る。アルはとても困っている。
「この部屋だけでしたらいいんじゃないですか?」
その様子を見て、俺は助け舟を出した。
「将貴様…分かりました。この部屋だけですよ。」
「やったあ!アルちゃん、お兄ちゃんだーい好き!!じゃあ、2人が鬼ね。」
脱兎のごとくスミレは去っていった。アルと俺は背を向けて10秒数を数える。
そんな時だった。
「きゃあああああ!」
スミレの悲鳴が聞こえる。
「スミレちゃん!?」
アルは急いで、悲鳴のした方へと駆けよるが、いくら見渡しても彼女の姿は見つからない。
「スミレちゃん!返事して…スミレちゃん!」
アルがいくら声を上げても、返答はない。
「どこに行ったの?スミレちゃん。」
ぺたんとその場にアルは座り込む。
「!…なんか聞こえる。もしかして地下?けど地下なんてどうやって。」
行くときにもそうだったが、地下への入り口はどこにもなかった。
ここには落とし穴なんてものもない。
「!?」
俺は足を掴まれている感覚がする。
足元を見ると、そこには奈落の底が広がっていた。
「まずい!」
その刹那、俺は奈落の底へと何者かに引きずり込まれた。
「将貴様!?将貴様までこんなことに!ああ、ああ、どうしたら…。とにかく、スターチスさんに伝えないと。スターチスさん、スターチスさん!」
その場には慌てふためくアルだけが取り残された。
べちゃ!
「痛!どこだここ?」
床はべちゃっとしており、真っ暗であんまり見えない。とても鉄臭いにおいが充満しており、いやな予感がする。
しばらくすると、目が暗闇に順応して、慣れてくる。
「みーつけたってか。」
うっすらとだが、少女が天井から吊るされていることがわかる。
そのシルエットは顔に角があるように見える。その少女はおそらくスミレなのだろう。そして、さっきの元気とは裏腹にうんともすんとも言わないことから、おそらくは気絶している。
ちゃぷちゃぷ…
前からこっちへ向かってくる音が聞こえる。
「はあはあはあ、あ、ど、どいてえ!」
「おわ!」
誰かと衝突し、ちゃぷんと水面に転がり、何かに押し倒される。
「って、将貴君!?どうして、こんなところに?」
「ん…その声は明日香か。」
俺達は立ちあがる。それと同時に奥から声が聞こえてくる。
「うるさいのを黙らせた隙に逃げるなんて…まだあなたには躾が足らないようね。さっさと出てきなさい。」
どうやら懐かしむ暇はなさそうだ。
「いやよ、誰があんたのとこに戻るもんですか。このクソババア!」
ささっと俺を背にして言う。そういうのは隠れずに言うもんだぞ。
「この小娘。…また、部外者。何人つぶせばすむのよ。もう面倒。簡単に始末してしまいましょ。血潮の月」
床の液体が空中へと浮き始め、その粒ひとつひとつが結合し、球体を作り出す。
その球体は不気味な赤い光を出し、この空間を照らす。空間を照らされることで、この部屋の全容がわかって来る。
この部屋のべちょっとした正体は血だった。所々に血だまりが残っている。
そして、目の前にいたのは声の正体は綺麗な髪と深紅の目を持った女だった。
明日香は美少女となり、メイド服を着ていた。
「明日香、なんでそんな服着てるの?」
「違うわよ!こんな服しかないの!」
コスプレだと思ったが、違うらしい。そういうことをするタイプじゃないか。
「さようなら。」
女は指を下ろす。
球体から出た血が宙を浮き、槍の形になる。槍が飛んでくる。
「…。まずいな。」
辛うじて避けたものの、床には穴が開いている。もろに喰らってしまえばハチの巣にされるだろう。
「明日香、この部屋の出口は?」
「ここを後ろにまっすぐ行けば。」
「そうか。だったら、逃げるぞ!」
「え、ええええ!待って!」
後ろを向いて一心不乱に猛ダッシュする。
「無駄なあがきを。いいわゆっくりと殺してやるわ。」
女はゆっくりと近づき始めた。
「おおお!」
「やあああ!」
槍をよけ、猛ダッシュをし続ける。
「あ…。」
後ろから『ばちゃん!』と勢いよく音が聞こえる。
眼だけで後ろを見ると、明日香が思いっ切りコケていた。
(そうだった。こいつドジっ子だった。)
毎度授業で色々とやらかしていたのを思い出した。それは天賦の才とも言えるものであった。
だが、今は状況が状況であり、まだ距離があるものの、戻ることは危険を意味していた。
「きゃあ!」
「しっかりつかまっとけ。」
だが、この状況下で明日香がいないのは困るので、急いで戻り、彼女の脚と背中を持ち上げ、お姫様抱っこをする。
「ッ!」
しかし、距離を近づけさせてしまったのは事実で、槍が足に掠ってしまった。
「将貴君!?」
「ただのかすり傷だ。」
幸い、あの女はゆっくりと追いかけてくる。舐めプしてくれて非常に助かる。
「!?」
走っていると、何かに足を掴まれる。
見ると、さっき掠ったところが、血だまりに足を取られていた。
(ふん!)
強引に振り払えば、その拘束は逃れられた。
「ッー!」
しかしその隙をを突かれ、槍を脚に突き刺される。完全に脚に穴が開いてしまった。
ゆっくりと血だまりが俺の脚をとらえてくる。ここまでくると拘束が強く振り払えない。
「あーあ、残念。ここまでだったわね。惜しかったのに。」
女はへらへらと笑う。
目の前にはうっすらと扉が見えていた。
「明日香、痛いけど、恨むなよ。」
「ちょっ、きゃあ!」
俺は渾身の力で明日香を放り投げた。
「クッーー。」
その瞬間、足を何かが切り裂く。あまりの痛さに俺はうつ伏せに倒れる。
「痛い!なにすん…。将貴?」
「後は頼む。」
俺はもう動けなかった。血だまりがスライムのように動き、俺の体を包んでいく。全身はやがて拘束され、最終的には窒息させられてしまうだろう。
だが、腕はまだ動かせるし、俺は肺活量には自信がある。暫く持つはずだ。幸いにもこの女は俺をいたぶるのにこだわっている。せめて、この部屋から明日香だけでも出ることができれば、希望がある。
「開いて!開いて!」
明日香は必死に扉をたたく。だが、扉はびくともしない。
「無駄よあんたはここで終わり、傀儡となる。それだけのことよ。諦めなさい。」
どれだけたったのだろう?俺は全身が血のゼリーに覆われていた。もう呼吸は持たない。
もう意識がもうろうとしてきた。
明日香は手が真っ赤に腫れても諦めずに叩き、叫び続けている。だが、その声も聞こえなく、その手も見えなくなってきている。
(母さん、明日香ごめん。)
俺の意識は限界に達し、瞼を閉じ始めた。最後は光が見えたような気がしたが、それが幻覚であったのか、現実であったのかは分からない。
俺の意識は真っ暗になった。