目の前のことに集中しろということ
俺の実家は武術の道場だ。
いや、実家どうこう以前に、武術の稽古なんていう、一歩どころか半歩でも間合いを間違えたりすれば、冗談じゃなく、死ぬ可能性だってあるようなことの最中に注意力散漫であることなんて、本来、ありえて良いはずがない。
死ぬまでいかずとも、たとえば、受け身をとり間違えれば、骨折だの、捻挫だのなんて程度は、頻繁に起こりえるからな。
不慮の事故とかってことならともかく、自分の注意力不足でなんて、そんな馬鹿な真似は晒せない。
ついでに、下手なことをすれば、爽司からの追及だって免れない。浮かれてたわけじゃないけど、白月にだって悪いだろう。
「いや、万が一、彼女ができたとしても、爽司たちと一緒にダブルデートには行かねえよ」
爽司とその彼女に限った話じゃなく。
「朔仁は頭が固すぎるな」
「おまえが緩すぎんだよ」
俺に限った考え方じゃないと思うんだけどな。
もっとも、俺には、彼氏だ彼女だっていう恋愛事情なんてわかってないから、爽司みたいなやつの考え方のほうが一般的になっているなんてこともあるのかもしれないけど。
まあ、一般的かどうかなんてことは関係ない。少なくとも、俺にはその気はないってことだ。
もちろん、独占欲だとか、嫉妬だとか、そんなつもりでもないからな。
「つうか、俺に集中力どうこう言う前に、爽司のほうこそ、目の前の相手と自分、相手の技に集中しろよ」
稽古の最中まで、彼女だとか、デーだとかのことばっかり考えてるとか。まあ、いまさらかもしれないけど。
「ふっ。俺は彼女のことを考えてるほうが集中できるんだよ。武術を習っているのだって、いざってときに、彼女を守るためだしな」
そこは、彼女に限定するなよ。
そりゃあ、人のモチベーションなんてそれぞれなんだから、俺があれこれ口出しできることじゃないけど。
もっとも、今までに、数十人だとかって相手と付き合ってきている爽司に言われてもあんまり響いてくるものがないわけだが。
守るとかって言ってるなら、一人に対する想いを守り続けるくらいしろってんだよな。
「相変わらず馬鹿みたいなこと言ってんな、爽司」
「ほかのこと考えてても基本的に立ち合いに支障のないくらいの武術馬鹿に言われたくねえよ、朔仁」
俺と爽司の視線が交錯――睨み合い。
投げられそうになっては、振りほどき、蹴りを仕掛けては、受けられる。
もちろん、周りの他のやつらは、またやってるよ、といつものことのように、干渉してきたりはしない。
「わかってないな。守るものがあるほうが強くなるんだよ」
「それはわからなくもないけど、稽古の最中に考えることじゃねえだろ」
実戦を意識するのはいいだろうけど、稽古の最中には、目の前の仕掛ける技の一つ一つに集中しろよな。
ほかのことに気をとられすぎて、結果、自分のことをうまく対処できずにやられましたとかってなったら、その護衛対象だって危険に晒されることになるんだからな。
まあ、今集中力が散漫になってたのは俺のほうだから、偉そうに言えたことじゃないって言うんなら、それはそのとおりで、黙って反省するところだけど。それは、表に現れなかったなら問題ないとかってことじゃなく、自分の意識の問題だし、そもそも、その意識が逸れ気味だったと、指摘されてのことだしな。
「だいたい、注意力散漫だとかって言う前に、相手の隙を見つけたら黙って仕掛けるもんだろうが」
武術なんて、そんな間合いの測り合いだぞ。
万全に近いやつと相手取ったほうが稽古になるってことなら、一理あるかもしれないけど、少なくとも、稽古なら、そういう相手の隙は逃すことなく、身をもって教えてやるほうがいいんじゃないのか? いや、実戦だって、実戦だからこそ、相手の隙を逃すような真似はしないけど。
自分は技をかける練習になり、相手は反省することができる。
実戦のようにとは言うけど、これは、練習、稽古であることも事実なんだから。ここではいくら失敗しても、その失敗を次に活かせるんなら、それはそれで、得るものもあるだろう。
「いや、朔仁にしてはってだけで、そんなに言うほどのものじゃなかったからな。どうせなら、もっと動揺させて隙を大きくさせようと思ったけど、そんなに甘くはなかったか」
いわゆる盤外の攻防だって、立派な作戦ではあるんだけどな。
試合では、そんなことはせず、純粋な技量とか、力とかを比べるもので、そもそも、ルールがあったりもするものだけど、実戦では、ありとあらゆる手段が肯定されるわけだから。もちろん、依頼主に被害を出さないレベルで。
たとえば、殺人だとかってことになってくると、依頼主にとっては、その罪を犯した人間の手をひとつ失うことになるわけで。加えて、殺人犯の雇い主だったとかって、レッテルを張られたりすることもあるかもしれない。
本気で命を狙われたときには、そんなこと気にしていられないっていうのは、当事者にしかわからない。外からならいくらでも言えるかもしれないけど。
もちろん、これは、殺人だとかって手段を肯定しているわけじゃない。むしろ、否定したいために、武術ってものをしっかり学んでいるわけで。
武術は人を殺すことのできる技ではあるわけだけど、逆もまた真なりとは言ったもので、人を殺すことができるってことは、どこまでなら死なないのかってことがわかるってことでもある。
まあ、まだ未熟な俺たちにそこまでのことはできるのかって言われると、言い切れはしないわけだけど。
言うまでもなく、俺たちはそんな、実戦の場になんて立ったことはまだないわけだけど、いつ、そんな場に出ることになってもおかしくはない。すくなくとも、そういう心構えではいるべきだ。
もちろん俺だって、自分がまだまだ未熟なことはわかってるけど、そういう経験を積ませてもらえるなら、引き受けたいと思ってもいる。
俺たちみたいなところの護衛が必要になるなんて、下手すれば、それこそ、マジで命のかかったことにもなるかもしれないけど、単純な、若者故の好奇心とか、そんなことじゃなく、将来的なことを考えるなら、経験なんて、いつでも、積めるだけ積んでおきたい。
「実際、爽司の彼女ってやつが見にきたことはあるけど、朔仁が彼女なんて、想像もできないな」
「武術のことで八割以上が構成されてるような朔仁に告白なんてするような子はいないだろ。それなら、俺のほうが彼氏としてならうまくやれる自信はあるぞ」
「ばーか。鏡見てから言えよ。朔仁に彼女なんて考えられないってことなら、同意するけど。それか、同じくらいの武術馬鹿か」
他の門下生の連中も好き放題言ってくれるな。
「おまえらなあ――」
「今日は随分と元気が有り余っているみたいだね」
ほら見たことか。
「とりあえず、そんなに元気が余っているきみたちには、サーキットでもこなしてもらおうかな」
父さん――師匠の言うことに異を唱えるような門下生はいない。そもそも、師匠のことを疑うなとか、修行以前の問題だし。
「朔仁。おまえもだ」
「なんで俺まで」
俺は巻き込まれた側なんだけど。
「それとも、走り込みも、筋トレも必要ないくらいの組み手をするほうが良いのかな?」
「――すぐ行きます」
家族である前に、道場にいる間は師匠と弟子。
意識するまでもなく、親子の情というものはなかなかに難しいものであるらしく、俺が道場に学ぶとなったその前日には、はっきり言われている言葉であり、俺もそれを当然と思っている。
そして、師匠と容赦のない組み手をしていたら、多分、死ぬ。いや、なんで死んでいないんだろうと思われるような目に合うに違いないことはわかっている。
俺も、すでにこなし始めているやつらに加わった。




