信頼を裏切るような真似はできないだろう
「なにか、気にしてることがあるのか?」
白月は要領もいいから、なんでも、とりあえず、それなりにはうまくこなせるようになると思うけど。
白月は少しだけ話すのを躊躇うような様子を見せてから。
「……真田くんには正直に話してもかまわないかもしれませんが、なにをするにしても、大抵はそれなりにお金がかかるものですから」
「……まあ、そうだな」
俺が武術の修行をしているのは実家の道場だから月謝とかを払ってはいないけど、うちの道場の収入の一部は、門下生からの収入により賄われている。
もちろん、そんなに高いものじゃない――とは思う――けど、安いとも言えないだろう。本当のところは詳しく知らないけど。
うちの道場を含めて、基本的には、余裕のある家のすることだからな。
白月の家は、まさに、つい先日、離婚したばかりで、慰謝料なんかもそれなりにもらったとかって話だけど、母の手一つで高校生の娘を育てることになるんだから、俺からしてみても、余裕があるとは思えない。
もちろん、白月の母である縫子さんは、白月――茉莉のやりたいことであれば背中を押してくれるとは思うけど。
「悪いな。なにも考えてなかった」
「謝られるようなことではありませんから」
若干、沈黙が気まずく感じられる。
「うちの道場なら、のちのちまで考えると、べつにいらないんだけどな……」
「どういうことですか?」
考えていただけのつもりだったけど、どうやら、口をついていたらしい。
「いや、さすがに遠すぎて、鬼も笑わないような話だから」
自分のことながら、大分浮かれていたというか。
それでも、白月は。
「真田くん。前にも言ったことがあるかもしれませんが」
「知らないでいることのほうが良いことなんてないって話だろ。そんなに聞きたければ、いや、やっぱり馬鹿みたいに見られると思うんだけど……」
そう、一応、回避しようとしたんだが、白月が主張を曲げることはなく、真っ直ぐ俺を逃がさないように見つめてくるから。
「……将来的に、あー、その、なんていうか、結婚するとかってなるとすると、同じ家に入ることになるだろ? 今のままだと多分、うちに来ることになって、つまり、道場の収入っていうのは、家計の足しになるってことだから、最終的に採算が一緒になるなら、べつに今もらってももらわなくても同じだと思ってな」
しばらく理解に時間がかかるような、呆気にとられたような顔をしていた白月だが。
「……ふふっ、そんなことを考えていたんですね」
今は、笑いをこらえているような顔をしている。
それはそれで、可愛いとは思うけど……いや、そういうことじゃなくてだな。
「そういう反応になると思ったから、話したくなかったんだよ」
俺だって、自分でもなに言ってんだと思ってるくらいだからな。
ただ、今覚悟がなくても、白月が望むなら、その覚悟を持とうとすることが、誠実に向き合うってことだろ。
「すみません。ですが、おかしくて笑ったわけではありませんよ、せいぜい、五割程度でしょうか」
「半分はおかしくて笑ってるんじゃねえか」
残りの半分は呆れてとか、そういう話じゃないだろうな?
「残りの半分は、嬉しかったからですよ。多分、真田くんは私のこれまでの境遇とか、事情なんかを含めて考えてくれたのだと思いますが、そうして、私のことを考えてくれるということ自体が、嬉しく思いますから」
「そういうもんなのか……?」
俺によくわからないのは、やっぱり、今の俺にはそこまで、白月のことを好きだとかって感情がないからだろうか。
「私としてはそれでも嬉しいですよ。もちろん、求め続ければ際限なんてありませんけど。ちなみに、真田くんのほうは、どういう彼女が理想だとか、そういったことを考えてくれましたか?」
「いや、そんなことはないし、あったとしても、マジで彼女だっていうなら、それこそ、言えないだろ」
アイドルとかって話じゃないんだから、作られた相手を好きになっても仕方ないだろ。
もちろん、相手に好かれようとするっていう努力を否定するつもりなんかじゃない。
けど、一緒にいれば、良いところも、悪いところも、それだけじゃない、いろんなところが見えてくるもんだろ。
武術で、立ち会ったり、試合をするだけでも、相手のいろんなところは見えてくることもある。
どんな鍛練を積んできたのかとか、どういう努力をしてきたのかとか、どういった想いで臨んでいるのかとか。
それが、恋人ともなればなおさらのことだろう。
ただ、試合で立ち合うだけじゃない。もちろん、どっちが上なんて優劣をつけることはできない、そこに込められてる思いはそれぞれなんだから。
試合時間はせいぜい数分の短いもので、付き合うてことなら、ながければ、それこそ、年単位の時間になってくることだ。
「だから、良いところとか、悪いところとかじゃなく、もちろん、それは、喧嘩をしないとか、言いたいことも言わないとか、そういうことじゃないけど、できるだけ、相手がそのまま、無理することなくいてくれることが、俺にとっても嬉しいと思えることなんだと思う」
とくに、白月に関しては、あの叔父との暮らしのこと、それによって起こったことを、ある程度知ってしまっているわけで。
その白月が、溜め込んだりすることなく、いつもありのままっていうか、自然体でいてくれるなら、俺も少しは白月にとって、そこにいていい人間だってことになるんだろうから。
まあ、そんなに重い話じゃなくて、ようは、変に気張る必要はないってことが言いたいだけだ。そんなことで離れたりとかってことは、ありえないから。
「……つまり、そのままの私でも十分、真田くんは好きでいてくれるということでしょうか?」
「……好印象は持ってる」
多少、言動で振り回してくるところがあるところを除けば。
けど、それだって、どうしても嫌いだとかってことじゃない。そもそも、嫌いなわけじゃなく、苦手ってだけだ。
「真田くんが真剣に考えてくれていることはよくわかりました。それに、きっと、真田くんは私のことをずっと見てくれていると思うので」
「相変わらずの自信だな」
そりゃあ、俺だって他に告白されたことがあるわけでもなく、白月のことを中途半端にしたまま、余所に目を向けるなんてことはしないけど。
白月は楽しそう――というには、大分不敵な割合が多かったように見えたけど――笑い。
「ええ。だって、これだけ私をずっと見てくれると信じている私のことを裏切るような真似は、真田くんにはできないですよね?」
なんつうか、それでこそ白月茉莉っていうか。
俺への信頼もあるんだろうが、やっぱり、自分に対して自信があるんだよな。あの環境でよくとは思うけど。
そして、自分に自信をもっている白月茉莉は、眩しく見える。
「裏切ったりはしねえよ。もし、断るようなことがあるなら、きちんと、誠実に話すことにするから」
「そうですか。誠実でいてくれるのは嬉しいですが、そんな未来は来ないと思います」
白月の言っていた俺の好きなところっていうのは、そんなに良いものだったのか?
自分ではさっぱりなことだから理解が追いつかないんだが、それでも白月にとっては大事なことになったんだろうってことはわかる。
「さっぱりわかっていないという顔をしていますね。べつに、エスパーということではありませんよ? 真田くんのことだからわかる、あるいは、わかりかけてきているといったところでしょうか」
「それは、注意しないとな」
武術でもなんでも、手の内を知られるのは、あまり歓迎するべきことじゃない。
いや、知られても良いと思えるような相手ってことなのか? 恋人だとかって相手は。




