ナンパ除けのためではありませんから
人の気持ちなんて、好きと嫌いの二つで語ることができるほど簡単じゃないことは、言うまでもなく、白月にもわかっているだろう。
好意と一口に言ったって、それが全部、恋愛的な意味でもない。
「そうだな。付き合うとか、付き合わないとか、そういう感じのことはまだ考えられない」
爽司のことがあるから遠慮してるわけじゃない、とは思う。
白月が言っていた、白月を幸せにする気概? みたいな覚悟も、今のところ持ち得ていないし。
「では、真田くんがそうしようと思ってはいなくても、私が一緒にいられるだけで幸せだと思えると言ったなら、付き合ってくれるのでしょうか?」
「悪い。聞こえなかったわけじゃないんだけど、もう一度説明してくれ」
言葉はわかるけど、その台詞の意味がわからない。
「たとえば、朝最初に挨拶したときや、何気ない優しさを感じたときや、同じところにいて顔を見ていられるだけでも、温かいものを感じられたなら」
「本当に悪いとは思うけど、白月茉莉の口から聞いているとは思えないな」
所詮、噂は噂だっていうことはわかっていて、その上で。
この数か月をクラスメイトとして、それなりに親交を深めて、そこで俺が感じていた白月茉莉の人物像とは、まったく違う。
もっとも、白月をナンパから助けたとか、そんなことはあったとしても、本人の口から恋だの、好きだの、そんなことを聞くのは初めてのことだから、あたりまえかもしれないけど。
それこそ、たった数か月程度で、なにをわかった気にって話だしな。
好きになるとかそういうことだって、べつに、時間が絶対的に必要なことだとも思ってない。べつに、爽司の例があるからってわけじゃなく。
「言っておきますが、ナンパ除けのため、などということではありませんからね?」
「そんな誤解はしてねえよ」
それを心配するなら、いまさらすぎるだろ。
こうして話していても、白月から本気じゃないみたいな様子はうかがえなかった。つまり、ふざけた台詞ではあったものの、本人は本気だってことだ。さすがに、その程度は俺でも察する。
白月は、埃を叩いて立ち上がり。
「それでは、今のところは、これで失礼しますね。学校の準備などもありますから」
季節的にも、今はかまわないかもしれないけど、涼しくなり始めてきたら、早いところ、シャワーだとか、着替えだとかを済ませたほうが良いからな。
体力鍛えようとして風邪ひいてたら、本末転倒だし。
「送りも必要ないんだな?」
行きよりも帰りのほうに気をつけろってことは、よく言われるけど。行きはよいよいってやつだな。
白月はほんの少しだけ考え込む素振りを見せて。
「真田くんが送ってくれるというのは嬉しく思いますが、朝の忙しいだろう時間帯にそんなことまで頼めませんから。十分気をつけて、一人で帰ります」
白月のことだから計算してきたんだろうけど、今から家に戻って、シャワーやら、着替えやら、食事やらを済ませても、十分、間に合うことだろう。
なんだったら。
「明日からもそうするつもりか? もしあれだったら、うちで朝食、一緒にするか?」
シャワーの問題も、うちには道場があるし、簡易的に汗を流すだけなら、済ませられる。
それは冬場でも、たとえば、水垢離みたいなことでもないけど、それだって、時間の調整でどうにでもなるしな。
「それは、嬉しいお誘いですけど、さすがにご迷惑ですから」
まあ、これは白月じゃなくても、断られるとは思っていた。
「それに、私の母が仕事に出るのは朝も早いので、私は朝食の準備も早くに済ませているんです。問題ありませんよ」
「そうか」
例の件があって、白月の家に今いるのは、白月――あー、茉莉と縫子さんだけだろ?
あの継父が食事の準備とか、家事にどう関わっていたのかはわからないけど、この口ぶりだと、以前から、白月が準備しているみたいだな。
「もしよろしければ、真田くんも食べに来てくれますか?」
「いや、俺も遠慮しとく」
誘ってきたってことは、白月的には問題ないと踏んでのことなんだろうけど。
それでも、結局、走り終わったら、風呂で汗流すだろ? それから、着替えて、準備を持って、食事だ。
基本的に、これは俺の昔からの習慣だから、いまさら慌てたりはしないけど、それでも、朝はそれなりに余裕もないし、忙しないからな。
父さんは道場の師範だけど、うちの道場だけじゃなく、警察だかなんだかにも師範として招かれたりするし、それ以外にも副業、というより、ある意味、突発的な仕事が入ったりもする。もちろん、秘匿性のことから、詳しく話を聞いたことはないけど。母さんも専業主婦なんてことはなくて、普通に働いている。
だから、食事の支度は朝早くからされていて、間に合わなかったことはない。弁当まで含めて。
母さんは、父さんのこと、つまり、格闘家(とここでは呼んでおくけど)にとって、身体が資本だってことをよくわかっている。
「白月は料理も得意なのか?」
「得意と胸を張ることのできるほどではありませんが、それなりには」
透花も得意なんだよな。
性格は、まあ、正反対ってほどではないにしろ、似ているとは言えない二人だけど、案外、能力的には似ているところが多いんだよな。
それでも、俺を誘うくらいではあるってことだろう。これは大分、自意識過剰だと言われるだろうけど、まあ、あんな感じでも、告白してきたくらいのやつではあるからな。
「まあ、そのうち、機会があったらな」
白月と一緒に、学校での昼食以外で、食事をする機会があるかどうかはわからないけどな。
「真田くん。機会というのは、待つのも大事ですが、作るものですよ?」
「だからなんだよ」
白月は、そこでは答えず。
「楽しみにしていてください」
と、含みのあるような台詞だけを返してきた。
嫌な予感……はしないけど、なにかを企んでいることは明白だ。
「では、学校で」
そう言い残して、白月は帰っていった。
やっぱり、こうして帰る時間は無駄だと思うんだよな。
うちからと、白月の家からと、登校にかかる時間は変わらない。
ただ、白月の家にも言ったことはあるからわかるけど、うちと往復しているのは、単純に、無駄でしかない。なんでもかんでも、効率を重視すればいいってことでもないけど、これは、必要ないことだろう。
かといって、食事をしてからここまで来て、それから走って、みたいになると、腹を痛める可能性がある。病気とか怪我とかって意味じゃなく、食後すぐの運動って意味で。
だから、本当は、運動するにしろ、俺とは別の、白月の家の前で終わることのできるようなコースでやるべきなんだよなあ。しばらくは、俺のほうが走力は上なわけで、多少、距離が伸びた程度で疲れたりしない。
とはいえ、白月の目的と言っていいのか、うちに来た理由は聞いてるから、それを変えることはしないだろうけど。
まあ、それも、白月自身が選んだことだ。あいつは賢いし、その程度のこと、事前に考慮していないとも思えない。その上で決めたことなら、問題ないと判断してのことだろう。それなら、俺から余計な提案をしたりはしない。
それに、できる提案も……。
「自転車で送って行くとか……? いや、二けつは警察に咎められるか」
かといって、荷台に籠つけても、白月が乗れないしな。
リヤカーみたいなの引っ張る形にするか? それは多分、白月が嫌がるだろう。いや、白月じゃなくても、大抵のやつは遠慮するだろうな。
リヤカーを引っ張るのも、いいトレーニングにはなると思うけど……こんなことばっかり言ってると、また、呆れられるな。