健康のためなのか、逢瀬のためか
幸いと言うべきか、いつものことだからわかっていたことだと言うべきか、走り込みをしている最中、他に知り合いに出くわすこともなかった。この場合は、わざわざ、俺を待ち構えていた白月のほうがイレギュラーだと認識するべきなんだろうな。
いや、出くわしたからって、とくになにかあるわけじゃないんだが。
俺はいつもどおりに、ただ走っているだけで、その後ろに白月がいるってだけのことだ。
もちろん、白月がいるからって、俺が配慮することはないし、いつもどおりのペースで走り終えた。
それでも、数十キロも走るわけでもないし、多く見積もっても、数分程度の差くらいしか開かないだろうとは思っていた。
いくら、男女で、俺が日頃から武術やらで鍛えていて、それなりに体力はあるとしても、陸上の長距離を専攻している競技者とかって話じゃないからな。
白月より、ひと足先に帰ってきた俺が、さすがに、シャワーまで浴びてる余裕はないにしても、玄関先に用意していたタオルと飲み物で補給を済ませていると白月も戻ってきた。
「お疲れさん」
さすがに、駅伝なんかで見るように、倒れ込んだりとか、汗みずくになっているようなことはないものの、大分息も上がっている様子の白月に、タオルと飲み物を差し出す。
「自分のものを持ってきてはいなかったみたいだし、使ってくれてかまわないから」
うちに現れた時点で、白月は軽装だった。というより、自身で着ているもの以外、なにも持ってきてはいない様子だった。
白月は多分、ジョギングみたいなのを想定していたんだろうけど、前のときは、白月も弱っていたし、今回は、普通に鍛練として、白月に対する配慮をまったくしなかったからな。
「……これからは毎日、健康のためにジョギングをすることにします」
「今まさに倒れてる状態で、明日からのことなんて心配してんじゃねえよ」
普段、慣れてない運動をしたんなら、そんなもんだ。
そもそも、俺についてくるんじゃなく、もっと短い距離から始めればよかったんだよな。たとえば、うちの道場までを含めた敷地の周りを何周かするとか、そんな程度から。あるいは、白月の家の近所で初めても良いだろう。むしろ、そっちのほうが一般的なはずだ。
まあ、同じ景色ばかりが流れていると、走っていて気分が乗らないとかってことはあるかもしれないけど。
たとえば、すべて平坦な道だと仮定しても、校庭のトラックを何周もして測る長距離走の記録と、一周がぴったりその走りたい距離の場所を回ったときの結果が、まったく同じになるなんてことは、まあ、ないだろうと思っている。
人によって、どっちのほうが好きかっていうのも、分かれるだろうし。
運動に慣れてるやつなら、そんなこともないっていうかもしれないけど、たとえば俺だって、二時間走り続けるのと、二時間ぶっ通しで稽古をし続けるのだったら、後者を選ぶ。これも、好き嫌いの問題だ。
「まあ、なにはともあれ、初めてなのにちゃんと走り切って、帰ってこられたじゃねえか。上出来だろ」
というか、最初から白月が俺のペースについて来られていたりなんかしたら、俺のほうがへこむ。
もちろん、それは、白月の努力の成果で、すごいことではあるけど、すくなくとも、俺は白月が今までジョギングを日課にしているなんて話は聞いたことがないからな。そして、俺がしているのも、ジョギングと言うには、少しばかり速いものなわけで。
多少ならともかく、無理しすぎても本人のためになることはないし、重要なのは、本人にとって適切な負荷をかけられたかどうかってことだから。
つまり、白月が俺のペースに合わせて走っても、競技会とかで、タイムが重要になっているわけじゃない以上、あんまり、意味があるとは言えない。もちろん、自分より速い相手についていこうとして足を動かすのは、十分意味のあることだけどな。
「そうですね……」
白月は、あからさまに、納得していない表情で頷いた。
「そもそも、俺は走り込みをしないことはないけど、俺が走り込みを終わったくらいの時間に来るとか、行って帰ってくるのを待っていて、それから一緒に散歩だとかをするってことでも良かったんじゃないのか?」
そうすれば、わざわざジャージに着替える手間もなかっただろ。制服でも良かっただろうし。
俺だって、多少、起きる時間を早くすればいいだけのことで、それはべつに、苦でもなんもない。
しかし、白月は首を横に振り。
「いいえ。これも真田くんが言っていたことですが、自衛のために必要なことだと思いましたから。それから、健康のためにも」
白月がそう決めたなら、俺から言うことはない。そもそも大元を辿るなら、白月に自衛の手段として走って逃げきることを提案したのは俺だし。
「それに、朝から真田くん会えて、嬉しいことが一つありますし」
「そうかよ」
どうせ、学校で会うことになるだろうが。そりゃあ、休みの日なんかは違うけど。
「まあ、いい。朝早くだからって、油断するなよ」
行き交う人たち、全員を疑ってかかれって話じゃない。
けど、たとえば、来るときは問題ないとしても、疲れて帰るときとかにはな。
それとも。
「今日は突然だったからあれだけど、明日以降も白月が同じように俺の早朝の走り込みと時間を合わせる、あるいは、うちまで来てから、一緒に走り始めるとかってつもりなら、俺のほうから迎えに行ってもかまわないぞ?」
「それには及びません。あれから、しっかり、防犯対策はしていますから」
白月が上着のポケットを叩く。おそらく、そこに防犯ブザーかなにかでも仕込んでるってことか。そのくらいなら、走るのにも邪魔にならないはずだしな。
「そうか。あー、なにかあったら、すぐに俺を呼べよ? どうせ、数メートル先を走ってるんだから」
白月が大きくコースを外れたりしないなら。俺はいつものコースを、基本的には、変えるつもりはないから、白月が自分の進行方向に向かって声をあげれば、俺に届かないことはないだろう。
「なにかあっても自分で対処できるように、ランニングというトレーニングをしているつもりなのですが」
「そりゃあ、そうだろうけど、近くに俺がいるってわかりきってるときはいいだろ」
結局、走り込みなんて、体力とか、走力をつけることが目的なわけで、量の問題だからな。もちろん、質も重要っていうのは、それはそのとおりだけど、この場合は、その走り込みになんらかの邪魔が入ったって話なんだから。
「では、頼んだら、真田くんが私をお姫様抱っこしたまま町内を回ってくれたりするんですか?」
「どうして、そんな発想が出てくるんだよ。飛躍しすぎだろうが」
というか、そんなの、さすがに無理だろ。白月の体重がりんご三個分とかってことならまだしも。どんな罰ゲームだって話だ。
それに、白月も、本当にそんなことされたいのか?
「どうしてもなにも、さっきからずっとそういう話をしているじゃないですか」
俺と一緒にいるってことか? それは、物理的にくっついているとか、そういう状態になるとかって話じゃないと思うんだけど。
送って帰るっていうのも、手を繋いで帰るとか、そんな恥知らずなことじゃないからな?
「そもそも、真田くんが私の告白を無視しているのが悪いと思うのですが」
白月が睨んでくる。
「いや、無視はしてないだろ。そもそもっていうなら、俺が答える前に、白月のほうから、いずれ好きにさせてみせる、みたいなことを言ってきたんだろうが」
「では、今はまだ、好きではないということですか?」




