知られること自体は気にしていない
白月茉莉の噂を知ってはいても、実際に顔を合わせたことはなかった。当然、家のことなんて知っているはずもない。
だけど、白月が違う家に案内する理由も考えつかなかったし、表札にも白月と書かれている。
豪邸なんてことはない、周囲から目立ったいるわけでもない、住宅地の一角って感じの家だ。
まあ、白髪で、制服姿の女子が出入りしているとなれば、目立たないこともなかっただろうけど。
「本当に、ついてきていただかなくてもかまわなかったのですが」
「そうなんだろうな」
白月は帰り方にも気をつけていた。
日常的にあったのだろうことを思わせる、簡単に言ってしまえば、自分をつけている相手を発見するためのルート選択だった。
白月の視線に気をつけていれば、俺も白月の思惑を見て取れたし、つまり、尾行者がいないことは確認できている。尾行している相手のほう上手かったら、なんてことは、考えても仕方ないからな。
つけられていることに気がついていれば、相手の行動の先手を打ちやすくなる。
だから。
「悪いな。俺の自己満足でリスクを上げたかもしれなくて」
二人のほうが、一人よりも対処の幅は増えると思うが、発見されるリスクも上がる。
白月が完全に対処できていたのなら、俺がやったのは余計な世話にすぎなかったのかもしれない。
おまけに、白月にしてみれば、今のところ、ただのクラスメイトにすぎない俺に自宅の場所を知られたってことにもなっている。
あるいは、俺と二人でいたことにだって、危機感を感じていたかもしれないしな。
「もともと、知られることに関しては気にしていませんから、真田くんも気にしないでください」
短い間ではあるけど、白月のこの感じにも慣れてきた。
白月自身で折り合いをつけている結果だろうし、俺にできることがあるなんて自惚れてもいない。
まあ、言われて簡単に、はいそうですか、とかって、割り切れるかって言われると、難しいところもあるけど。
「それがいまさらなのは、十分にわかってる」
そもそも、本人に警戒心はあっても、隠すつもりはないみたいだからな。狙う側がこそこそする理由はあるんだろうが、狙われているほうまでそれに怯えていなくちゃならないなんて、そんな馬鹿な話はない。
「けど、俺としてはこうして白月と話す時間だったってだけでも十分意味はあったと思ってるから、また一緒に帰ろうぜ。もちろん、白月が部活なんかをするつもりがあるなら、無理な話になるけど」
クラスメイトだから、帰りのホームルームの時間は揃っているけど、部活までやるとなると、迎えに来て時間を合わせるのは無理だろう。俺にも、道場での鍛錬の時間がある。
「一応言っとくけど、ナンパのつもりじゃないからな」
さっきも言ったけど、念のため。
「本当ですか? 一ミリも、まったく、私に魅力がないということでしょうか?」
「いや、それは……」
ありありと――無論、わざとだろうが――不満を前面に押し出した、いっそ、あざといとも言える表情を浮かべる白月に、つい、慌てて反論しそうになるが。
「わざと言ってるだろ」
「なんのことですか?」
一瞬後には、白月はすでに元の表情に戻っていて、首をほんのわずかに傾げてみせる。
その仕草自体が、わかってやっていると自白しているようなものだが、白月がやると、いちいちさまになっているように見えるから、手に負えない。
「わかったわかった。白月は可愛いって」
「投げやりな気がしますね」
いや、一度付き合っただけでも、十分、心の広い対応だろうが。
投げやりなことは事実だけど。つうか、なにやらせるんだよ。そんなこと、わざわざ、俺にやらせる必要ねえだろ。
そんなやり取りがしたいなら、恋人の一人でも作って、そいつにやってもらえ。
まあ、さっきナンパに絡まれてたやつにかける言葉じゃないから、そんなことは言わないけどな。
「……そうですね。私は部活動をするつもりはありませんが、機会があればぜひ」
断り文句の定型文みたいな断り方をされた。
最大限、好意的に言うとしたら、不審者から身を守るためにクラスメイトに協力してもらっているってところだろうが。
だが、俺にしたって、会ったばかりの相手を簡単に信用はできない。
ただ、その表情には、ほんの少し、寂しさが浮かんではいた様子だった。理由までは推し量れないけど、今の状況から、俺に考えられることは多くない。
「なにか考えていることが……いや、なに考えてんだ?」
「……真田くんにお話しできるようなことではありません。ご厚意には感謝していますが」
白月が言わないと判断したことを、無理やり聞き出すようなことはしない。それじゃあ、ストーカーとかと同じだからな。
いずれにしても、この先もクラスメイトである白月と、少なくとも一年間はこの程度の距離感にいることは間違いないはずだから、白月を待つことしかできないだろう。
もちろん、ストーカーだとか、それを含めて、犯罪になんて、巻き込まれないのが一番なことは変わらないけど。
白月の言い方は突き放すような感じではあったけど、言葉ほど、冷たい感じはしなかった。
「じゃあ、俺は帰るから。また、明日とか、学校でな」
ここから家まで走って帰るなら、制服とか、荷物を持っていることも含めても、いいトレーニングにはなりそうだ。準備運動前の準備運動には丁度いいかもな。
うちの道場じゃあ、皆で揃って走り込み、なんてことはしていない。門弟のやつらは、自分で走り込みなんてことは済ませてくる。一応、筋トレくらいなら、道場でもするけど。
やっぱり、せっかく道場まできて師匠(つまり、俺の親父のことだけど)に教わることができるっていうのに、その貴重な時間をランニングで潰すっていうのはもったいないからな。
それに、わざわざ、道場まで習いに来よう――学校にも、それぞれ、柔道部なんてものくらいはあるだろうに――なんてやつらだ。志の低いやつはそういない。一応、慈善事業じゃなく、月謝って形でうちの稼ぎになっているからな。
具体的にいくらなのかとか、そういうことは俺は知らない(なにせ、俺は払ってないからな)けど、決して、安いとは言えないだろう。
「はい。それから、感謝していることは本当ですから」
白月はそれだけ言って、一度頭を下げると、その後は振り返らず、家の中へと消えていった。
俺の自己満足に感謝とかされても困るんだけどな。むしろ、ストーカーですから、つきまとわないでください、くらい言われるかもとは覚悟していたが。
今となっては、白月がそんなことを言わないだろうことくらいはわかるけど。
本来、国家権力に任せたほうが良い案件であることは、間違いないんだから。
帰り着き、道着に着替えて道場まで向かうと、爽司たちも丁度来たところらしかった。
「あれ、朔仁。なにしてたんだ?」
学校により授業なんかにばらつきがあるとはいえ、基本的に、同年代で一番に集まるのは俺だ。
他の皆が一旦荷物を置いたり、取ってくるために家に帰るのに対して、俺はここが実家だからな。その行き来の時間が限りなく短い。当然、道場への一番乗りを逃すことは、ほとんどない。
「ちょっと人助けをな」
詳細は言わないほうが、白月のためだろう。
まあ、学校の近くだったこともあって、明日くらいにもなれば、少なくとも高校内では、話が出回るかもしれないけど、それは、俺に止められるものじゃねえ。全員に言って回るのも、下手な誤解を助長させるかもしれないからな。
「なんだそれ」
当然、他のやつらからは首を傾げられたが。