火のないところに煙は立たない
そう思って、俺は黙っていたんだけど、その日の放課後、うちの道場に通ってきたときには、爽司は昨日なにがあったのか、かなり正確なところまでを把握していた。
「やるじゃねえか、朔仁」
道場に顔を見せた爽司が軽い感じで肩を組んできて。
「なんの話だ?」
いきなり、そんな短い台詞だけで真意がわかったら大したもんだと思う。よほどの名探偵とかでも、無理じゃないか?
いや、爽司が普段から広い女のネットワークを持っていて、そもそも、入学して同じクラスになる前から、別の学校の白月のことすら、俺の知っている噂以上に詳しかったやつだから、クラスメイトにすらなった今、大抵のことは知っていても驚かない。
だいたい、爽司が話題にする内容なんて、察しがつくしな。
とはいえ、どうしてだ? とは思うけどな。
「決まってるだろう。白月のことだよ」
やはりというか、白月のこと、と言われて、今、心当たりのあることはひとつしかない。
しかし、それを簡単に認めるわけにはいかない。爽司のことは、幼馴染として信頼もあるけど、白月のいないところだしな。
ある程度までは話せるとしても、俺の口からは言えない、言うべきじゃないこともある。
「悪漢から守ったんだって?」
「偶然だ」
悪漢に絡まれる白月と相対したことは、二回ある。
一度目は、入学直後。二度目は、昨日の話だ。
白月の継父を悪漢と言い切るのは、いささか、抵抗もないわけじゃないけど、実際に立ち会った身としては、そう称するのに、妥当だと言わざるをえないってところだな。
「びしょ濡れの白月と抱き合ってたとかって聞いたけど?」
「そうしたら、俺は風邪ひいてるだろうし、今の俺が風邪ひいてるように見えるか?」
そもそも、抱き合ってねえ。もちろん、組手をしたときに、投げられるために組んだことを抱き合ったっていうなら、そのとおりなんだけど。そのときは、白月は濡れたりしてなかったからな。
そういう問題じゃないってことなら、それはそのとおりだけど。
そもそも、誰から聞いたんだか。
あの雨の中で見ていたやつがいたとは思わないんだけどな。もちろん、俺からもほかに誰かいたのかなんて、判別できてはいない。さすがに、爽司がいたなら気づいていたと思うけど。
まさか、母さんが、爽司や透花のところに連絡したとも思わないし。
「いいや。そもそも、朔仁が風邪をひくとも思わないけど。それはそれとして、火のない所に煙は立たないとも言うからな」
爽司はどこか楽しそうだ。俺が風邪ひいて倒れてたら満足なのか? それは確かに、相当珍しいことだけど。
白月に説教っぽく言い聞かせた手前、昨日の今日で、俺が風邪ひくわけにいかないだろ。白月に、ほら見ろ、なんて言われたくはなかったからな。
とはいえ、爽司が今気にしているのは、そっちの話じゃあないだろう。もしかしたら、白月が風邪でもひいて休む、みたいな話をどこからか仕入れてきたって可能性は、ないわけじゃないだろうけど。
まあ、嘘ついたり、黙っていなくちゃならないことでも、後ろめたさがあるわけでもないし。
爽司の情報源(あるいは、情報収集能力)のことはともかく。
「なんにしても、俺から話せることはなにもない。爽司は半分くらい気づいているみたいだから、それ以上は俺じゃなくて、白月に聞いてくれ」
どうせ、学校に行けば顔を見ることになるんだから。
俺からは、最終的に、話してかまわないのかどうかの判断はできない。実際、他人事だし。白月の内面まで見通せるわけでもないしな。
「そうする」
爽司も、今すぐにどうしても聞きたい、なんてことはないようだ。
さすがに、そんな噂を聞いたからって、本人に確かめにいくような、あるいは、通話して聞くような、軽い内容でもないしな。そのくらいは、察しているんだろう。そうでなくて、話せるような内容なら、俺が話しているとか。
それでも、白月のほうに行こうとするのは――すぐにってことじゃなく――俺より、白月からのほうが聞き出しやすいと判断した? 女子だからか? けど、本当に深刻そうな秘密だったら、無理やり聞き出そうとするやつじゃないだろ、爽司は。まあ、俺の否定の仕方が悪かったっていうことはあるかもしれないけど。
ともあれ、その手の女の扱いに関して、爽司の手腕っていうのもあれだけど、心配はしていない。
自慢することじゃないし、実際、自慢しているわけじゃないんだろうが、爽司の女性遍歴だけは多いからな。
「しかし、朔仁が女子とのことを秘密にすることがあるなんてな」
爽司は面白がっているみたいだけど。
「べつに、女子だからってことじゃない。他人との秘密をみだりに吹聴しないってだけだ」
内容の重いとか、軽いとかってことは関係ない。
爽司の誰と付き合っただの、告白しただのって話は、本人が話そうと、話すまいと、自然と聴こえてくるけどな。
まあ、彼女が誰とかなんて、秘密にすることでもないんだろうけど。よっぽど、特殊な事情があるとかでもない限り。
「中学までは女子とのそういう浮いた感じの話の一つもなかったのにな」
いや、年齢は関係ないだろうが。そもそも、浮ついた話でもないし。
俺だって、全然、微塵も、異性に興味がないとか、そんな偏屈なつもりはない。
いや、白月に興味があるとか、そういうことでもない……まったくないわけでもないけど。
とにかく。
それは、恋だの、好きだのと、そんなことじゃなくて、危なっかしくて目を離せないとか、そんな感じだからな。
そもそも。
「爽司と比べれば、誰だって少なく感じられるだろう。つうか、白月とは、そういう感じじゃない」
「なんだ。ようやく、朔仁にも春が来たのかと思ったんだけど」
それも、爽司に心配されることでもない。
いや、心配しているわけじゃないか。楽しんでるだけだな。
「俺のことより、自分のことをいい加減、しっかりしろよ。刺されても知らないからな」
何度目かわからない、忠告にもなっていない忠告をする。
一応、幼馴染として、心配でもない――そんなことになれば、自業自得以外の感想はないだろう――けど、気にはなる。透花を言い訳にするまでもなく。
「おお。友情だねえ」
友情っていうか、普通、幼馴染が刺されたとかってなったら、夢見が悪いだろ。透花なんて、倒れかねないぞ。
もっとも、刺す側にまわっているからかもしれないが……いや、透花に限って、それはないな。
幼馴染としての信をおいてるってこともあるけど、爽司――他人に危害を加えるよりは、一人でベッドで丸くなるタイプだろう。
もちろん、俺の主観的な判断だけど。
当の爽司はまるで気にしていない様子で。
「けど、大丈夫だから。実際、付き合っただの、別れただのってことで、今まで俺が女の子と揉めたことないだろ?」
爽司は腕を広げて、肩をすくめてみせる。
「実際、どうなってるんだよ」
「なんで、おまえみたいなやつがモテてるんだ?」
「催眠術なんて言わないよな?」
いつの間にやら、門下生のやつらが集まってきていた。しかも、話を聞いていたらしい。
まあ、爽司の自慢だか、自信だか、そんなことからしか聞いてなかったみたいで、俺とか、白月のことまで話が及ぶことはなかったけど。
「まあ、実際に刺されるまでのことになったら、それはそれでありだよな」
爽司はそんなことを、ごく自然な調子で口にして。
「だって、そのくらいに愛情を持たれてたってことだろ?」
「得物持った相手への対処の鍛錬が足りてなかったってことで、反省しろ」
もう溜息もつけねえよ。




