本当に滅茶苦茶
こんな風に泣いているような女子に対して、俺にできることなんて限られている。カウンセラーみたいなことができるわけでもないし。
「よし」
落ち着きがないようにも見えるだろう、俺が立ち上がると、白月が見上げてくる。
それは、黙っている自分をなにか変えてくれるのかもしれないと期待するような視線だったが、あいにく、俺にそんな器用なことはできない。
俺は制服なんかが掛けてあるコート掛けから、道着を一着手に取って、肩にかける。
「行くぞ」
困惑している白月の手を取り、部屋を出る。
自分でも、こんなことしかできない、こんなことでいいのかって気持ちは多分にある。
だけど、今の俺に使える一番の手札は、自分の最も慣れ親しんでいることだろうから。
「少し待ってろ」
まだ誰もいない(この天気だし、もしかしたら、今日は誰も来ないかもしれない)道場に白月を一人待たせて、更衣室――なんて程のものじゃなく、普通の部屋なんだけど――で着替えを済ませる。
「いいか? 本来、武術ってのは、か弱い女子供でも大の大人に対抗できるようになってるもんだ」
「あの、いったい、なんのお話しですか?」
白月は、まさかって顔で周囲を見回して、俺に視線を戻す。
「だから、完全に素人以下の白月でも、基本どおりにしっかりとやれば、俺のことも投げられるってことだ」
演舞ってものがある。
これは武術に限った話じゃないかもしれないけど、簡単に言えば、わかりやすく、魅せるための武術の披露ってところだな。
「とりあえず、騙されたと思って、俺のことを投げてみろ。思ったより、すっきりするかもしれないぞ」
「ここで、ですか……?」
今、俺たちがいる道場に、もちろん、マットなんてものはない。俗に、柔道畳とかって呼ばれるものだけど、そんなことは説明しなくても良いだろう。
「武術なんて、突き詰めれば、全部、暴力かもしれない。けど、それは使う人間の心持次第だ。一胆二力三功夫って言葉があってな、ようは、一番大事なのは心ってことだ」
白月がどんな思いを込めて投げるのか。
俺をぶっ飛ばしたいのか、とりあえず、言われたから従おうとするのか、自分のこんがらがっている感情を整理するためにぶつけるのか、そんなものを全部一緒に投げ捨てるためなのか。
理由なんてなくてもいいし、いくつあってもかまわない。
ただ、俺の場合はってことかもしれないけど、なにかにぶつけることで、すっきりできるってこともある。
「もちろん、俺にむかついたからとかって理由でも全然かまわないぞ」
普通、落ち込んでる女子を道着に着替えさせて道場まで引っ張り出すとかしないだろうからな。
世の中に、慰め方なんて星の数ほどあるだろうけど、こんな方法を採るのは俺とか、余程奇特なやつだろう。
はっきり言うなら、馬鹿ってことだ。
「それとも投げ飛ばされたいか? 馬鹿なことやってんじゃねえって、一発ぶん殴ってほしいとかって思ってたりするのか?」
曲がりなりにも、武術を嗜むものとして、素人に思い切り手をあげるなんて真似はしない。そもそも、泣いてる女子をぶん殴るって、どんな鬼畜だって話だからな。
「投げるのが無理そうなら、思い切り殴ってこい。蹴ってもいいぞ。とにかく、溜め込んでないで、吐き出せるもんは吐き出してこい。受け止めてやるから」
とはいえ、武術に関して素人である白月にいきなりそんなことを言っても、抵抗が強いだろう。
「白月。見てのとおり、今日は雨で、誰もいない。だから、俺の練習相手もいないんだ。そこに、丁度良く、白月がいる。だから、俺の鍛練に付き合うと思って、思い切りぶつかってきてくれ」
白月はしばらく逡巡して、やがて、諦めのような感じは浮かんでいたけど。
「……では、いきます」
「おう、こい」
俺は自分の腹の上を叩いて見せる。
そして、白月が放ってきた突きは。
「え」
「なんだよ。言っておくけど、今の調子なら白月の突きなんて、百発もらっても大したことないからな」
無意識なのか、意識的なのか、一応、鍛練だとはいえ、人を殴るってことに抵抗はあったんだろう。
「いいから、どんどんこい。それから拳はもっと固めろ。握り方の話じゃなく、力を込めろってことだぞ。そうしないと、怪我するからな」
何事も、中途半端は危険ってことだ。
「もっと腰を入れろ。足は、踏み込む足も大事だけど、後ろで突っ張る足も重要なんだよ。こう、一本の芯になることで、地面とか、床から伝わる力も加わるからな。そんな背中丸めてて力が伝わると思ってんのか。しゃきっとしろ、しゃきっと。気持ちが乗ってねえ。俺のことは憎き敵だとでも思って、気持ちを全部乗せてこい」
それで、今背負ってるもの、全部とはいかずとも、落としていっちまえ。
「次は、肩口のところを掴んでみろ。それから、半回転して、相手の懐に潜り込め。そうだ。それで、引手――左手を引け。前袖掴んでるほうも離すんじゃねえぞ。それで、腰入れろ」
もちろん、最初は白月だけの技術でできるものでもないし、俺が自分から跳んでやる。
受け手が自ら飛ぶんだから、白月にはほとんど重さなんてものは感じなかっただろうし、力も必要としなかっただろう。
実際、俺がその身を床に落としたとき、見上げた白月の顔には疑問が浮かんでいるようだった。
「なに、呆けてんだ。おまえの投げなんざくらうか。いいから、どんどんこい。数こなせば、そのうちできるようになる。白月が言ったことだぞ」
勉強だって、武術だって、同じことだってな。
白月に怪我をさせないよう配慮しつつ、投げられ、突かれ、転ばされる。
「……本当に、なんなんですか?」
息を切らしながら白月が呟く。
「言っただろ。余計な真似だよ。ひとりでグダグダと考えているより、考える暇もないくらい、滅茶苦茶に身体を動かしたほうが良いときもある。さっきよりは、良い顔してるぞ」
たんに、疲れて上気してるだけだろうとはいっても、血色も戻ってきてるみたいだしな。
「言っとくけど、俺に常識的な慰め方とか、一般的な寄り添い方とか、そんな感じのことを求めても無駄だからな。爽司とか、透花じゃなく、俺に見つかったことが運の尽きだ」
今度は、俺からも技を仕掛ける。
とはいっても、全部、一本背負いだ。これが一番、爽快感があるからな。投げるほうがってことじゃなく、投げられるほうに。
もちろん、床に叩きつけるなんて真似はしない。
白月からしてみれば、腕を取られて身体が宙を半円に回ったかと思えば、また俺の正面に立っていた、みたいな感じだろう。
それから、今度は白月の両の脇の下のほうから手を入れて持ち上げて。
「え? きゃあっ」
「はっはっは」
そのまま思い切り振り回す。文字どおりに。高低差とかもつけながら。白月の足が床にぶつからないようには配慮したけど。
しばらく回し続けてから床に降ろしたときには、白月は目を回した様子で、床にへたり込んだ。
「どうだ、見たか」
「……見たかもなにもありませんから。なにを笑っているんですか、もう」
そういう白月の顔も若干、相好を崩しているようにも見えたけど、そんなことを指摘したりはしない。
「本当に、滅茶苦茶ですね、真田くんは」
「褒めてもなにも出ないぞ」
褒めてはいません、と白月はあからさまにため息をついてみせる。
「どうだ。白月の周りでなにがあったのかはわからないけど、俺のほうが百倍、滅茶苦茶だっただろ? そんなことに付き合ってもらったんだ。どんな滅茶苦茶な話だって聞いてやるよ」
だから遠慮するんじゃねえぞ。




