『連続動物〈盗難〉事件』 【大野木 ココ】
この日記帳には、その日起こった〈いいこと〉しか書かない。
そんな自分ルールを作ってしまったことを、今すごく後悔している。
どうしよう……。今日氷垣先輩と会ったことは〈いいこと〉の内に入るんだろうか。
結局、氷垣先輩が行ってしまったあと、私は〈彼ら〉とは会わなかった。会っておいた方が良かったとは思う。そうすれば、家の前で鏡花さんとばったり会って慌てることもなかったし、晩御飯の前にクリームパンを二つ、お腹に押し込む必要もなかっただろうから。
でも、止めておいた。無理だった。だって、きっとボスたちはあれを見ている。私と氷垣先輩のあのやり取りを。
『いやぁーっ! ちょっと見ました見ましたぁ、そこ往く家政婦さん? ウチのお嬢にっ。あの可愛かったオボコなお嬢にっ。男が出来ちゃいましたよオ・ト・コが! しかもセンパイだってよセ・ン・パ・イ! 「千」に「パイ」とかまあナニそのイヤらしい響き!? 千回パイパイされちゃうってこと? サウザンドパイパイ!? まあいかがわしい! イッツソウハレンチ学園! えーんえーんお嬢が穢されたよ~。キズモノにされちゃったよ~』
な、何今のヤケに本物に忠実な幻聴は……。ほてる頬を、両手で押さえる。何で私、あんなことしちゃったんだろう。
シャーペンでこつこつと机を叩きながら溜息を吐く。ああ、目がしばしばしてきた。振り返ると、私のベッドで寝ている晶が見えた。枕元のスタンドライトが、にやけた寝顔を照らしている。ライトが点けっぱなしなのは、ユキンコが寝るまで起きてるぞと豪語していたからで──結果はまあご覧の通り。鏡花さんに、今日は夜更かしするから他の部屋に行けと追い出されたらしい。……うん、私とヒナちゃんに選択肢はないんだね。
座ったままうーんと伸びをする。やっぱり今日のことを書くのは止めた。〈彼ら〉と会ったとき、今日のことを説明する苦労を考えれば、あれが〈いいこと〉だったとは思えない。
日記帳を閉じて、灯りを消す。そっとヒナちゃんの隣に潜り込む。寝返りを打ち、身を寄せてきた。柑橘系のほのかに甘酸っぱい匂い。同じシャンプーを使ってるはずなのに、どうして他の娘だとこんなにいい匂いがするんだろう。
ふと目覚まし時計を見ると、日がもうすぐ変わろうとしていた。こんなことでこんな時間まで悩んでいるなんて、近いうち鬱病にでもなりそう。苦笑しながら、スタンドライトを消した。
※
──左脚が熱く、重い。
膝の皿に浮き出た隻眼の猪が嘶く。
※
昼休み。
笹ヶ瀬さんと二人で話し合った結果、お昼は晶たちと食べることになった。決まってすぐツーテールを解き手櫛で梳かし出す笹ヶ瀬さん。そのとき、へへっこれでもうしずかちゃんヘアーなんて呼ばせませんぜ晶先輩、とニヤニヤしていたところから思うに……結構根に持つタイプらしい。
笹ヶ瀬さんと二人、おしゃべりしながら廊下を歩く。窓から見える空は鮮やかな水色で、陽の光はぽかぽかと暖かい。身体を動かすのがあんまり好きじゃない私でも、ジョギングくらいならしてもいいかなぁ──なんて思えるような天気。
両手には、まこ姉さん手製のお弁当がある。白地に青い六花模様のお弁当包みが私ので、黒地に金魚柄のが鏡花さんの分。ちなみに、このお弁当包みは私のセンスで選んだものじゃない。まこ姉さんがそれはもう屈託のない笑みで、これが似合うんじゃないかしらと選んでくれたものだ。……自分で言うのも難だけど、私は結構いい娘に育っていると思う。
「でもさー。失礼な話かもだけどちょっちビックリだよ」
「何の話?」
「キョーちゃんのこと。寝不足で体調崩した~ってお話」
なんか意外だよねと同意を求めてくる笹ヶ瀬さん。
──鏡花さんってそんなに早寝してるように見えるかな?
昼休みに入ってすぐのこと。鏡花さんは私と笹ヶ瀬さんに、今から保健室に行ってくること、そしてお昼は要らないからお弁当は二人で食べるなりなんなり好きにして頂戴、ということを告げると、さっさと教室を出て行ってしまった。何でもここ最近の寝不足が祟ったせいか、体調が優れないらしい。
「そうかな? 鏡花さんって家じゃ結構夜更かししてるほうだけど」
「あ~いやそういうことじゃなくてさ。キョーちゃんってやること成すことイチル? イッペン? 一縷かなぁうんや一片だ。ええっと一片の隙もない鉄の女っつーか、例え夜更かしはしてても自己管理は徹底してそーじゃん? だから意外だなーって」
鏡花さんが一片の隙もない鉄の女……。玲一兄さんの京都土産──赤い水引を花の形に結んだ可愛い指輪。それを貰い、瞬間湯沸かし器のように顔を真っ赤にした挙句、頭を抱えたままソファでごろごろ悶えまくっていたあの鏡花さんが鉄の女……。
思い出しているうち──笑みがこぼれた。
「……どったのユッキー?」
「ううんごめん。何でもない。ただそっか。鏡花さんが鉄の女か」
なにさーとわき腹を肘で小突いてくる笹ヶ瀬さん。やめてよもう、くすぐったい。うん、この楽しみを笹ヶ瀬さんと共有したいって思いもあるけど、やっぱり教えるのは止そう。そこは鏡花さんの〈女の子の部分〉だし、私しか知らない楽しみっていうのも、あった方がいいと思う。
──これくらいの優越感なら、きっとバチは当たらないだろう。
行く手に、一人の男子を見つける。つい歩みを止めてしまった。
氷垣蓮太郎先輩。
クラスメイトの名前すらままならない私が、三日前に一度聞いただけの名前を、しかもフルネームで憶えていることに内心驚く。
氷垣先輩は目が合うと、心持丸まって見えた背筋を伸ばしてから、軽く右手を挙げた。私の隣に笹ヶ瀬さんがいるせいか、どこかぎこちない、照れくさそうな笑顔だった。
「こんにちは」
「あっ、はい。こんにちは」
お互い足を止めたわりに、余所余所しい挨拶。
「およっ? なになにユッキーの友だち?」
眼を爛々と輝かせながら、笹ヶ瀬さんが間に割り込んできた。
「あっ、あたしユッキーの友だちで笹ヶ瀬衛って言います」
どーぞよろしくと朗らかに言って、ぺこりと頭を下げる笹ヶ瀬さん。
「ああ、僕は三年の氷垣蓮太郎。大野木さんとは──まあ友だちといえば友だちかな」
氷垣先輩が曖昧に笑う。しばしアイコンタクト。似たような笑みで私も頷いた。
「あははそうなんですかー」
棒読みの笹ヶ瀬さん。と、二の腕を引っぱられ耳打ちされる。
「学ランの似合わない先輩さんだねユッキー」
「……それ、今ここでする話?」
確かにブレザーの方がしっくりくるなぁとは思うけど。
「あー違う違う今のはミスだよミステイク。ほらあたしって思ったことすぐ口に出ちゃうタイプだからさ。で、どうすんのユッキー?」
「え、何の話?」
「何の話って晶先輩だよぉ。このこと黙ってた方がいーよね?」
……ごめん。本気で意味がわからない。
「あのぅ。どうしてこの流れで晶が出てきたの、かな?」
「えーっ! だってさー!」
唐突にボリュームを増す笹ヶ瀬さんボイス。咄嗟に顔を離す。
「あっと、ごめんごめん」
再び耳許に顔を寄せてくる。も、もう少しそこらへん気を遣って──
「だってユッキーと氷垣先輩って付き合ってるんでしょ?」
不思議と、顔は熱くならなかった。
付き合ってる──その言葉が、名前すら知らない外国の言葉のように聞こえた。
この感じには憶えがある。これは、稲荷神社で偶然氷垣先輩の手に触れてしまったときの、あの感じ。
「ところで氷垣先輩。あの猫元気にしてますか?」
やんわりと笹ヶ瀬さんを押し返して、尋ねる。自分でも信じられないくらい冷静な対応。……うん、笹ヶ瀬さんが何やら不服そうだけど気にしない。
「ああ、あの猫のことだね。残念だけどあれから神社には行ってないから、よくわからないんだ」
そうですかと私は返す。本当で気になって訊いたわけではないから、それ以上の感想はない。
「ただ、ちょっと心配かな」
「心配?」
「うん。ほら最近この辺りでちょっとした騒ぎになってるだろう?」
──この辺りで、騒ぎ?
「それって──」
「それってもしかして悠朝村連続動物盗難事件のことじゃないですか!?」
笹ヶ瀬さんが、間に身を乗り出して来た。少し身を引く氷垣先輩。
「ああそうだね。確かそんな感じの、大仰な名前が付いていた」
「名前だけじゃなくて実際オオギョウですよ! 何せただの盗難じゃないんです。足跡も指紋も凶器も血痕も、まあ檻だか柵だかが壊されてるのと四件目のウサギは別にして、ありとあらゆる物的証拠を現場に残すことなく動物を攫って行くまさに現代の怪盗が今この村に潜伏してるかもなんですよ! 充分オオギョウじゃないですか!」
あはははそうかもね、と話を聞いていてもいなくてもできるような返事。
「大野木さんはどう? 事件のこと知ってた?」
「いえ、私はその、名前くらいしか。……新聞やテレビってあんまり観なくて」
氷垣先輩がそっか知らなかったのか、と落とすように笑った。
──その笑顔が、何故だか一瞬、少し寂しそうに見えたのは私の気のせいだろうか。
別に誰が頼んだわけでもないのに、笹ヶ瀬さんは事件について説明してくれた。
これまでいなくなった動物はペットの犬二匹と家畜の鶏十羽。そして小学校で飼っていたウサギ八匹。ただしウサギが被害にあった四件目は、笹ヶ瀬さん曰く模倣犯の仕業なのでノーカンらしい。
そんな物騒なことをやった人が今もこの村のどこかにいるかも──なんて考えると怖いと思う。でも、大げさな事件名から身構えていた分、いざ内容を聞かされるとちょっと拍子抜けだった。
ふと氷垣先輩の方を見ると、目が合った。
「中々面白い娘だね」
耳打ちされた。同い年くらいの異性に自然とこういう真似ができるのだから、この人は大人しそうに見えて案外遊んでいる人なのかもしれない。
「ある意味で、ですか?」
「まさか。そのままの意味でだよ」
肩をすくめて笑う。確かにその通りだと思ったのでつられて笑った。
「──と、まあ以上が悠朝村連続動物盗難事件の一般的なケンカイってやつです」
そうこうしている内に笹ヶ瀬さんの話は終わってしまったらしい。
「おー鮮やか鮮やか」
氷垣先輩がよくわからない褒め言葉と一緒に拍手を送った。
「あははおだてるときは気を付けて下さいよ~先輩。あたし褒められると伸びる娘ですけど、度が過ぎるとそのままブレーキ効かなくなるタイプなんで。それに本番はまだこれからですよ?」
ああ、その辺の自己分析はちゃんと──えっ、本番?
「本番が、あるの?」
「モッチーのロンだよユッキー。さっきまでのは言わばお膳立て。私の推理ショーにのめり込んでもらうための布石だよ」
……のめり込まなくちゃ駄目なんだ。
「さぁて、ぶっちゃけこの怪事件の犯人──何だと思う?」
「『何』って──『誰』、じゃなくって?」
「おっさすがはユッキー。良いトコに目ぇ付けたね。うん、ユッキーの言うとおり、注目するのはそこなんだよ」
「えっと、それってつまり──」
「犯人は人間じゃないってことだね」
現実離れし過ぎて躊躇われたそれを、氷垣先輩はあっさり口にした。
「そゆことです。動物を誘拐する際殺してから攫ったんだって考え方が、そもそもマズイんですよ。犬二匹に鶏十羽を傷付けることなく生かしたまま、しかも現場にほとんど証拠を残さず攫う手段が犯人にはあった。まずはそこから考えなくっちゃ」
動物を生かしたまま持ち出す……。睡眠薬入りのエサとか? あっ、でもどのみち敷地内には入らないとあげられないか。うーん、何だかんだで真面目に考えちゃってるし。
「ねぇ、笹ヶ瀬さん」
「うん? なあにユッキー」
「推理ショーってことはさ、その、笹ヶ瀬さんは事件の犯人に心当たりがあるってことだよね?」
「うん!」
あ、あるんだ……。
でも、人間以外の『何か』っていったら。
「いーい? 悠朝村連続動物盗難事件の犯人。それはズバリ──」
もしかして、つくしちゃんのときみたいに、また──。
「宇宙人ですよ!」
そっか。宇宙人が……って、えっ?
そう高らかに宣言した笹ヶ瀬さんの後ろを、一人の女子生徒が通って行った。同じクラスで、名前はたしか松本さん。親しみやすい性格で、学校では偶におしゃべりをしている。
目が合った。何とも言えない目でこっちを見ていた。いたたまれない気持ちになって、目を逸らした。
隣の氷垣先輩はというと、
「中々面白い娘だね」
どこか固い微笑みを浮かべたまま、聞き覚えのある台詞を言った。
「ちょ、ちょっとなにぃその二人揃って鳩が豆鉄砲食らった現場にリアルで居合わせてしまったようなリアクションは! ビックリするならさぁ、もっとこう純粋にビックリしようよ!」
「ええっと、まずはどこから宇宙人が出てきたのか訊いても?」
「いいですよ~。っとその前に氷垣先輩。えっと、今日会ったばっかの人にいきなりでキョーシュクですけど、グロイのって平気だったりします?」
「B級のスプラッタホラーなら偶に観るけど」
「おお! じゃあダイジョブですね」
笹ヶ瀬さんがポケットから携帯を取り出す。もしかして──
「……〈のっぺらぼう〉?」
「うん、この前キョーちゃんと図書室行ったときにね、こっちに画像送っといたの」
「〈のっぺらぼう〉って?」
「ああ、氷垣先輩は知らなかったんですよね。まあ説明は観てもらってからってことで。で、どうする? ユッキーも観ちゃう?」
なんとなく身を固くしてしまう。ここで振ってくるなんて。迷った挙句、私は──
「ごめん止めとく。私そういう耐性って、あんまりないから」
控え目に微笑んで、断った。グロテスクなものに対する耐性が低いっていうのは、一応本当。でも、本音を言うと〈のっぺらぼう〉に対しては無関心でいようと意地になっているのかもしれない。
謝ることないよと、笹ヶ瀬さんが笑って、氷垣先輩の隣に立った。二人で身を寄せ合うようにして、一つの携帯を覗き込む。
「これが言ってた〈のっぺらぼう〉ですよ!氷垣先輩」
〈のっぺらぼう〉を目にした途端、氷垣先輩の表情が幽かに険しくなったように見えた。
「これは……何処で?」
「どこでって……@ちゃんのオカ板をテキトーに観て回ってたら偶然──」
「いや、そうじゃなくてさ。……これは、何処で撮影されたモノなのかな?」
さっきよりも「何処で」の部分を強調して、氷垣先輩が訊き直した。
「ふふふっ、よくぞ訊いてくれました氷垣先輩。……実はコレ、何を隠そうあの珠置山で撮られたものなんです」
「珠置山って……学校の裏の?」
「ええモチですとも。ところで氷垣先輩、この〈のっぺらぼう〉を観て何かこう脳ミソにアハッと来ませんでしたか?」
アハッと? 聞き慣れない擬音に、私と氷垣先輩が首を傾げたのはほぼ同時だった。
「アハ体験って言うじゃん。何かひらめいたりするとき」
「いや、言うけど……」
「ええっと、要はこれを観て何かしら思い当たるものがないかってことかな?」
「まっ、そゆことです。で、どーですコレ。なんか皆がよく知るアレにすっごい似てると思いません?」
皆がよく知るアレ……?
「もしかして、これが宇宙人だって言いたいのかい?」
携帯の画面を指差す氷垣先輩。いや、いくら笹ヶ瀬さんでも……。
「ですよねですよね!? どう見たってこれグレイタイプの宇宙人ですよ! 肌の色とかマンマじゃないですか!」
ああ……やっぱりそうくるんだ。
「グレイタイプって言うと──」
「そうそう! こーんなツリ目のヤツね」
わざわざ自分の顔を使って実演。氷垣先輩が、口許を隠しつつ小さく吹き出す。
「もーっ先輩笑い事じゃないですよ! 真剣な話をしてるんですから!」
……真剣な話だったんだ。
まあそれはともかく、笹ヶ瀬さんの話に寄ればグレイタイプとは、私たちが「宇宙人」と聞いたとき多分最もイメージしやすいあの姿を指すのだろう。銀色の肌、洋ナシみたいな形の頭、黒くて大きなツリ目、小さい鼻と口、細い手足。
「うん。どう見たって宇宙人かはともかく少なくとも地球人には見えないね」
「でしょ? で、それでこの宇宙人が今珠置山にいるわけです」
「うん。それはさっき聞いたよ」
「……えーと、氷垣先輩。珠置山ってどこにありましたっけ?」
「どこって悠朝中の裏手だけど。……それがどうかした?」
笹ヶ瀬さんが大げさに肩を落とした。それから咳払い一つ、声を高くした。
「ですから、この〈のっぺらぼう〉こと宇宙人が悠朝村連続動物盗難事件の犯人なんですってば!」
……うわぁ。
苦笑しつつ、氷垣先輩を見た。それで──ちょっとだけ驚いた。
氷垣先輩の顔には、やせがまんしているときの笑みが浮かんでいた。
何でそんなことがわかるのって言ったら、私はこれをよく知っているから。
これは──他でもない私が、よく使う表情だから。
「周囲に血痕の跡がなく、現場へ向かう足跡や去っていく足跡も見付からない。とどのつまりこれはヒトによる動物盗難事件じゃなくて、宇宙人による生体実験──新手の動物虐殺なんですよ」
……そもそもどうしてこんな話題になったんだろう。
氷垣先輩に猫の話を振ったから? そう、それがきっかけだったはず。
「キャトルミューティレーション……?」
「はい。キャトルミューティレーションっていうのは、アメリカで報告されてる家畜が変な方法で殺される事件の総称で──」
家畜が、動物が、変な方法を使って殺される……。
ああ、ようやく気付けた。氷垣先輩が、どうしてこんな顔をしなければいけないのか。
「心配──してたんだ」
私のか弱い声はその割によく通って、笹ヶ瀬さんの言葉を遮った。
二人の視線が注がれる。目を伏せた。でも、自分が言わなくちゃと思った。今から自分が伝えようとしていることは、大切なことなんだと思えた。だから──続けた。
「あのね、笹ヶ瀬さん」
「う、うん」
「この話、もう止めにしない……?」
笹ヶ瀬さんが、息を呑む感じがした。
「そ、そうだねっ。あんまり長引いちゃうと先輩にも迷惑──」
「違うよ。そうじゃない。心配してたんだよ。氷垣先輩は」
「……心配?」
「猫のこと、心配してたんだよ」
ようやく視線を上げた。笹ヶ瀬さんの気不味そうな顔が見えた。
「それなのに、そんな不安を煽るような話、することないと思う」
笹ヶ瀬さんが、力無く頷いた。本当は俯いたのかもしれない。その反応に、自分が何だか悪いことをしているような気分になってくる。
「あのね、笹ヶ瀬さん。もし私が大切な人を傷付けられたりして、それを〈のっぺらぼう〉がやった、宇宙人の仕業なんだって、本気でも冗談でも言われたら、私はすっごく傷付くと思う。だって〈のっぺらぼう〉も宇宙人も、ホントにいるかどうかわからないんだもの。笹ヶ瀬さんはいるんだって信じてるんだろうし、私も地球人がいるくらいなんだからいたっていいんじゃないかなって思う。でも、それは可能性のお話でホントのことじゃない。そういう趣味は好くないよって言いたいわけじゃないの。ただ、大切な誰かがいなくなってることは現実だから。それを、いるかいないかもわからないモノのせいにしてほしくない──そう思ったんだ」
言い終えて思い出すのは、もうこの世にいないつくしちゃんのこと。
つくしちゃんは〈狸〉に殺された。
私ひとりの幻覚に過ぎないと思っていた不確かな存在に命を奪われた。
もしあれが人の犯行だったら? 本当に動物がやったのなら?
──私は、こんなにも必死になっていたのかな。
「ごめん」
「謝ること、ないじゃん」
後ろで手を組んだ笹ヶ瀬さんが──笑う。思わず目を見張った。だって、それはついさっきまで氷垣先輩が浮かべていたものと、酷く似ていたから。私がよく使うそれと、痛いくらいおんなじだったから──
「で、でも……っ」
「きっとユッキーが、ユッキーの言ってることが正しいんだから」
笹ヶ瀬さんの言葉は、まるで自分自身に言い聞かせているかのようで。
またやっちゃったな、という呟きが、やけに耳に残った。