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『連続動物〈殺傷〉事件』   【大野木 ささめ】

 放り上げた缶珈琲を片手でキャッチした。何てことない、ちょっとした手遊びだ。

 校門で蘇子と別れたあと、私は独り杉林を歩いていた。人気がない分、鳥のさえずりと私の足音が、余計デカく聞こえる。まだ踏み込むのに抵抗あると思ってたけど、割とイケるもんね。

 ココはこの杉林でつくしの靴を探してくれた。ココに出来て私に出来ないワケが──なんてそんなことを言いたいわけじゃない。ただ、義妹に出来たことが出来ないっていうのが、少し悔しいだけ。

 ──うわっ、典型的な晶症候群だわコレ。

 しばらくして「猛獣注意」の看板が杉に括られてるのを見付ける。段ボールにそう書いた紙を貼っただけで、プリントされているシルエットはどう見ても熊だった。まあ〈狸〉よりは説得力あるわよね。

 そう。あの日つくしを襲った猛獣の正体は、私しか知らない。

 ──私しか。

「マジで危機感あるならもうちょい入口近くに貼れっての」

 その木に蹴りを入れようとして、でもモノに当たるのは子どもっぽ過ぎると考えて、結局舌打ちでシメる。

 やがて、開けた場所に出た。ついこの前まで小学生たちの〈秘密基地〉だった分校跡地。

 塗装がはげたブランコに、背を預ける。あの一件以来、ここで遊ぶ子たちを見かけることもなくなった。気のせいか、ボロっちい遊具は前より色褪せて見える。まあ、これだって元々撤去される予定だったんだし、壊れた遊具使って子どもが怪我するよりは、今の方がずっとマシ。

 けど──それはわかってても、この小さな無人の〈秘密基地〉は、射し込む夕日も手伝って、より一層センチメンタルに映った。

 ……感傷に浸るのはこの辺にしよう。私から頼んだ手前〈あいつ〉を待たせるのも悪い。

 人差し指と中指で〈視界〉を切り換える。直後、髪をなびかせる微風が、葉の擦れあう音が、鳥のさえずりが、消えた。そっと眼を開ける。生気を失ったように見えた〈秘密基地〉が、「生命」のシンボルカラーに呑まれていた。

「中々に皮肉な光景ね」

 なんて気取った台詞を誰に言うともなく呟く。いや、誰に言うともなくっていうのは嘘だけどさ。

 隣を見ると案の定、クロはそこにいた。影を地面に落とすことなく、スレスレで宙に浮いていた。赤いリボンを結んだシルクハット。すらりとした長身を包むのは、シャーロック・ホームズを思わせる黒いインバネスコート。ただ、波打つ裾はボロボロだから、探偵と言うよりむしろ砂漠の放浪者っぽい。白手袋を付けた手には、何とも風格漂うステッキがあって、握り手にはパイプを仕込んでいる。

 と、ここまで説明するとさて中身はどんな英国紳士か──となるとこだろうけど、あいにくとクロにはその〈中身〉がない。シルクハットの中にも、コートの中にも、白手袋の中にも、黒煙が立ち込め渦を巻いているだけ。でも、ホントのところはこの服だって、黒煙で出来ているのかも。眼を凝らすと、向こうの景色がちょっと透けてるし。

 お疲れさん、と缶珈琲をパス。

 クロはそれを受け取ると、ありもしない首を傾げて見せた。

「何よ? エメラルドマウンテンのブラックであってるでしょ」

『思うにささめ君はマゾヒストなのかね?』

 開口一番とんでもないこと言いやがった。

「どういう意味?」

『いやなに。過去の傷口を眼に焼き付け決して忘れぬことこそ〈克服〉なり──それがささめ君の信条だと言うなら(くちばし)を入れるは無粋というもの』

 とはいえ、とクロはシルクハットのツバをちょいと下げる。


『何もその傷口を凝視し続けることはあるまいに』


 過去の傷口──何のことを指してるのかくらい、すぐにわかった。

「勘繰るのはやめて。別に他意はないわよ。ただこの村で今一番人目に付かない場所っていったらここだって思っただけ」

『そうかい。ならいいんだがね』

 缶珈琲を開けて、一息に(あお)るクロ。エセ英国紳士みたいなナリのくせに、飲み方はやたら男らしい。まあ、襟首の中に珈琲を注いだようにしか見えないんだけど。

「それにね、この場所だけどさ、つくしと一緒によく遊んだの」

 ここに眠ってるのは、悪い思い出ばかりじゃない。

「だから〈傷口〉なんて、そんな風には言わないで」

 クロは、襟首の中に空き缶を捨てた。バリバリムシャムシャなんて音は聞こえやしない。

『すまないささめ君。浅慮な発言だった』

「いいわよ別に。気にしないで。それよりさっさと本題に入りましょう。どう、何か収穫あった?」

 頭に積もる苔を鬱陶しく思いながら、尋ねる。

 そう。私はクロから〈成果〉を訊くためにここに来たんだ。

 連続動物盗難事件に関する調査の成果を。


 連続動物盗難事件の目撃者を捜してほしい──私がそうクロに頼んだのは四日前。きっかけは、出家さんのあの一言。もっとも、出家さんの件と事件に関わりがあるとは、正直思っていないんだけど。

 目撃者捜しとは言っても、地取り捜査ならとっくに警察がやってる。そこで普通の女子中学生が首突っ込んだとこで、事態が好転するとは思えない。

 でも、幸か不幸か──こっちは普通の女子中学生じゃない。

 私たちの世界に目撃者がいないなら、〈あいつら〉の世界から捜せばいい。朝昼夜が存在しない世界で四六時中ワイワイやってる〈あいつら〉なら、一匹くらい現場を見てたヤツがいたっておかしくはない。

『収穫? ああ、そういえば目撃者を捜して欲しいだのそんな頼みごとがあったような気がするね』

 顎に手を添えて頷くクロ。さも今思い出したって口ぶりだけど、よくあるフリだから気にしない。

「そっ、それで、見つかった?」

『ああ見付けたとも。しかしだねささめ君。彼らから訊き出した証言を信じるのであれば今回の事件、連続動物盗難事件ではなく正しくは連続動物殺傷事件になるのだが、支障はないのかね?』

 連続動物「盗難」事件が正確に言うと連続動物「殺傷」事件になる……?

 ああ、一瞬意味がわからなかったけどそういうこと。要はその目撃者は遭遇してしまったんだ。動物が盗み出された先で殺害される現場に。いや、一応補足しとくと四件目以外で動物が殺されたっていうのは、私と世間の勝手な憶測に過ぎない。でも、間違ってはいないと思う。連れ出された動物は新たな飼主の許で幸せな日々を──なんて誰が想像するかっての。

「ええ、多分ね。ちなみに殺害現場を見たっていうのは──」

『文字通りの意味だね。凶刃にかかっている最中を見たそうだ』

 ──最中?

「ウソ、いきなり決定打じゃない」

『嘘なものか。これは実しやかな世界ではなく現実の出来事だからね。解決まで順序良く運ぶこともあれば、そうならないことだってある』

 至って冷静なクロの言い分はごもっとも。これがもしミステリ小説やドラマなら、現場から立ち去る怪しい人影程度の情報が出るとこだ。

『一件目の目撃者である河童の河吉かわきち君の証言に寄ると、犯人は単独で身長は約一七〇センチメートル、服装は黒のパーカーに黒のスラックス、体臭は十代と思しき男のものだったらしい』

 か、河童の河吉? 何そのたった今考えましたよ的なネーミングセンス。いやそれ以前に──

『ささめ君? 具合でも優れないのかね』

「ああゴメン。平気だから続けて」

 この村、河童いたのね。……うっわどうしよう。柄にもなくちょっとワクワクしてきたかも。とりあえず河童については一端保留。あー謹聴(きんちょう)謹聴。

『この男と酷似した特徴を持つ人物が、二件目三件目いずれの現場でも目撃されている。それも犯行に興じている最中をね。河吉君を始め目撃者全員が七宝行者の幻術にでもかかっていない限り、この男が犯人とみて間違いないだろう』

 過疎ってるこの村で十代ねぇ。もちろん他所者って線もありうるけど。

 ん? 二件目三件目?

「じゃあ、四件目はそいつ見なかったの?」

『ああそうだね。四件目では──見なかった。というより四件目自体の目撃者が見付からなかった』

 ……何よ。「四件目では」と「見なかった」の間にあった妙な間は。

『誠に残念だがね。引き続き調査は行う予定だ。引き続きね』

 間違いない。絶対何か隠してる。ただ困ったことに、コイツ嘘を吐くのは下手だけど口が固い。仕方ないから、骨の折れそうなことは後回しにする。

「そういえば、動物が運び出される現場に立ち会ったって奴はいなかった?」

『運び出される現場?』

「そ、殺してたのはそいつ独りでいいとして、他所に連れていくまで間、他に仲間はいなかったの?」

 付き合いが長くなると、煙が立ち込めてるだけのスペースに、あるはずのない表情が見えてくる。多分こいつは今眉間に皺を寄せている。

「何よクロ。私何か変なこと言った?」

『ふむ。どうやらささめ君と私の間には情報の齟齬があるようだね』

「齟齬?」

『ああ。今までの発言から察するに、ささめ君は一連の事件の動物が皆いずこかに運び出されてから殺されているとそう推理しているのだろう?』

 ──推理?

「ちょっと待った。……あのねクロ。動物たちが飼われていた場所とは別の場所で殺されたっていうのは私個人の推理じゃない。警察や専門家が調べて出した事実なの。動物たちが飼われていた場所で、殺しは行われてない。それは三件とも一緒なのよ」

『ふむ、それでは河吉君を始め私が証言を聞いた目撃者は全員嘘を吐いていることになるね。彼らは皆口を揃えてこう言ったよ。動物たちは小屋あるいは檻から引きずり出された挙句その場で殺されたとね。ところでささめ君。君は何故三件の殺傷事件が小屋あるいは檻から離れた別の場所で行われたと主張しているのかね。こうして依頼するくらいなのだから当然君はその目でそれら一部始終を目撃したわけではないのだろう』

 仮にしていたところでささめ君に夜目は効かないだろうが、とクロは付け足した。

 この手の発言に悪意はない。うん、コイツにはよくあることよ。

「そりゃあ証拠がなかったからね。警察が調べ回って、その結果そこで事件があったっていう痕跡が見付からなかった。それでその河吉クンたちが殺されるところを見ましたっていうんなら、別の場所でっていうのが普通でしょ?」

『証拠? そのようなものいくらでも捏造できるだろうに』

「日本の警察は優秀よ?」

『それでも容易いことさ』

 ほっそりとした指先が、ブランコに付いた苔をそっと摘まみ取る。

『これを使えばいい』

「いや、これってアンタ……」

『見ての通りささめ君もお世話になっている赤い苔だね。通称ヒヒイロゴケ。ここでしか繁殖することのない魔法の金属。天津教創始者である竹内巨麿たけうちきよまろが公開したという「竹内文書」。それに記されていたとされる幻の金属「ヒヒイロカネ」がその名の由来だ』

 摘まんでいた苔を手の平に乗せ、凝視する。と、消しゴム大のそれが音もなくばらけた。破片から粒子へ。手の平サイズの竜巻になる。徐々に拳大の赤い〈何か〉へ。回転が止んだ。舞っていた苔が、ぎゅっと集まった。そこには──真っ赤な林檎が一つ。苔から生み出されたなんて嘘みたいな、フツーの林檎。

『おひとついかがかね』

「要らないわ」

 即答。あの過程を目の当たりにして、じゃあお言葉に甘えてとかいう奴がいたら見てみたい。

『それは残念』

 空き缶同様、林檎はさっさと襟首の中へ。

『とまあこのようにヒヒイロゴケは我々の思念波動に反応することでその形状・性質を変える。有機物にも無機物にもね。これさえあれば物的証拠を排除しそこで起こった事実をなかったことにすることなど造作もない』

 うん、クロの言う通り。そりゃこれさえあれば証拠の捏造なんて朝飯前だろう。でも──

「何言ってんのよ。苔をこんな風に操れるのは私やクロたちだけでしょ。それに、苔は向こうの世界へ持ち帰りできないじゃない。証拠の捏造がこれさえあればってのは確かだけど、まずこれを向こうへ持ち帰ることができなくちゃ──」

 証拠の捏造なんて夢のまた夢──そう続けようとして、止めた。

 おかしい。違和感がある。自分の言っていることの辻褄が合ってないような気がする。

 苔は、向こうの世界へ、持ち帰られない……。


 つくしはあっちの世界にいながら、こっちの世界にいる〈狸〉に殺された。

 ヒヒイロゴケによって肉体を構成された〈狸〉に殺された。


 じゃあ、それならまさか──

「妖怪なら──ヒヒイロゴケでも狭間を越えられる……?」

『その表現では語弊があるね。正しくは一定の条件下で越えることがあり得る』

「でも犯人は人間なんでしょ? 人間が動物を殺して現場の後片付けを妖怪がしてるっていうの?」

『おお流石はささめ君。聡明だね。ああそれと言い忘れていたんだが、河吉君らの証言に寄ると犯人は動物を殺したあとそのまま逃亡したらしい。屍体を現場から持ち去ることなくそのままね。そのあと屍体がどうなったのか、それは誰ひとり否誰一匹目撃していないというからそれはそれで可笑しな話だが、実際問題屍体は翌日跡形もなく消えているわけで。となると妖怪、か。まあその呼び名でも構わないだろう。〈あいつら〉が勝手に付けたあのカタカナ名前より余程愛着もある。話を戻そう。妖怪が現場に訪れたのは物的証拠を消し去るためというよりは屍体を攫いに来たのではないか──などと私は踏んでいる。事実そのような趣味趣向の妖怪が存在すると耳に挟んだことがあるのだよ』

 死体を、攫う……? いや、今更〈あいつら〉の妙な趣味趣向なんかでは驚かない。

 今、私がこいつに言いたいのは、訊きたいのは……っ!

「……ねぇクロ」

『何かねささめ君』

「本当に、これは偶然なの?」

 声が震える。人が動物を殺して、その死体を妖怪が攫う。まるで人と妖怪が協力関係にあるかのような構図。これじゃあ、これじゃあまるで──。

『それはこの人と妖怪の協力関係が意図的に作られたか否かを問うているのだね? ふむ、言うまでもなくこれは憶測だが、多分彼。そう犯人君』

 クロが、持っていたステッキからグリップを取り外した。パイプへと様変わりしたそれを咥える。火皿に煙草の葉っぱはつまっていない。それなのに、魔女の大窯から出てくるような緑色の煙が、ゆらゆらと細く立ち昇り始める。煙草みたいに鼻につく臭いはしない。


『ささめ君と同じで、視えているのではないかな』


 こともなげにそう言って、煙を吐いた。

 黒と緑が混ざり合った深い深い海の色だった。

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