『藤枝 蘇子』 【大野木 ささめ】
「悪いわね。こんな時間まで付き合ってもらって」
教科書とノートを片付けながらそう言う私に、
「別に構わないわ。私も教えることで勉強になったから」
蘇子はいつも通りの控え目な笑みを返した。
放課後の図書室、私と蘇子はつい先ほど勉強会を終えたばかりだ。まあ、最初は私が居眠りしててとってなかった板書を写させてもらうだけの話が、それじゃあ大野木さんのためにならない、という蘇子の至極真っ当な意見によって勉強会に発展したっつう裏事情があるんだけどね。ただ、実際わかんないとこもあったし、終わった今じゃ丁度よかったと思う。
「つってもねぇ。借りばっか作るのも何か気が引けるわ」
「もうっ、本当に気にしなくていいのよ、そんなこと」
口許に手を添え、ころころ笑う蘇子。
「でも、そうね。だったら今日の三時間目みたいに、またペアを組んでもらえない?」
「そりゃあもちろんいいけど──そんなんでいいの?」
「ええ。私、バレーはどうしても苦手で」
図々しかったかしらと言って、蘇子は眉を八の字にする。
この娘、バレーに限らずチームでやる競技はどうも苦手意識が強いらしい。体力テストの結果見る分、運動オンチじゃないんだろうけど、団体競技の「自分のミスが原因でチームが負けるかも」的な不安が人一倍責任感の強いこの娘には、どうも合わないみたいだ。
「まさか。むしろ欲のなさ過ぎるアンタの今後がちょっと心配」
「そうかしら?」
きょとんとした顔で首を傾げる蘇子。うん、「今後が心配」っていうのはわりとマジ。
髪を二つに束ねて三つ編みにしたおさげヘアーとココにも負けず劣らずの白い肌。背は私より少し高くて、セーラー服姿は田舎の女子中学生っていうより名門女子校に通うお嬢様って感じ。それこそ後輩から黄色い声で「お姉さま」と呼ばれ、慕われるような。
──まさに一片の隙もなく藤枝蘇子は優等生だ。
蘇子と友だちになったきっかけは、席が近くになったとき私から声をかけたから。
私は家じゃあどうも一匹狼タイプで通ってるみたいだけど、一応学校じゃあそう思われないように努力はしてる。学校は独りじゃ何かと困ることが多い。授業休んだときとか、ペア作って行動するときとか、普通にやってくだけでも色々と。
だから〈友達〉は必要不可欠──なんて打算的な理由もあるにはあるんだけど、勿論その〈友達〉は誰でもいいってわけじゃない。私が蘇子に話しかけたのは、やっぱり他の娘にはない、このおっとりとした──傍にいて心地いい雰囲気に惹かれたんだって思う。
「そういえば、義妹さん来ていたわね」
「ああ、鏡花のこと? えっと、悪かったわね。騒がしくて」
実際騒がしかったのは連れの方だけど。そういえば、珍しくココがいなかったわね。
「別にいいのよ。ただ──」
「ただ?」
「ごめんなさい。何でもないわ。ただ少し気になるというか、不思議なお話をしていたから」
顔に影が射した。円らな瞳がどこか不安そうに揺れている。
あー、なるほど。頬杖をつき、苦笑した。
「びっくりした?」
「えっ?」
「鏡花のこと。あの娘、お昼のときはあんまり喋んないでしょ」
「そういえば……そうね。お家じゃ、よくああいうお話を?」
「あー、するのは父親かココくらい。私はああいう話題、振られたことないから」
警戒されてんのかもと言って、自嘲。警戒してるのはむしろこっちの方かもね。
「そうなの」
玉の入っていない鈴みたいな蘇子の声。それでも、いくらかほっとしたみたいに聞こえた。
図書室の鍵を閉める私の後ろで、蘇子がまあと驚いたような声を上げた。
リアルで「まあ」とか言って違和感ないのは、私の知る限りまことこの娘くらいのもんだ。
「どーしたの?」
振り返ると、蘇子がこれと言って図書室前の掲示板を指差した。
そこにあったのは、猫の写真がプリントされた一枚のチラシ──猫の名前はマロン。性別はメス。猫種はアメリカンショートヘアー。で、あとは行方不明になった場所と日時と連絡先の電話番号。飼主の名前は出家恵子さん。悠朝中の二年女子。見ての通りペット探しのチラシだ。
にしても、一応これ四日前に貼ったチラシなんだけどね、コレ。その間にも二回、蘇子とはここに来ているのに。今日初めて気付くこの娘が鈍いのか、それとも元々この手のチラシが持つ効力ってのは、この程度なのか。
「またなのね」
一応──「また」に含まれるんだろうか。
今月に入って以来、この悠朝村近辺では、ペットや家畜をはじめ動物の行方不明事件が相次いでいる。いや、現場の状況からして人為的なのは明らかなんだから、より正確に言えば「行方不明」じゃなくて「盗難」か。
一件目は犬、二件目も犬、三件目は鶏で、四件目には兎がやられた。犬の場合は首輪を繋ぐリードが、鶏の場合は小屋の鍵が、それぞれ切断されていたという。三件目までは、こんな田舎でもそういうことってあるんだな程度にしか思っていなかった。世間の反応も大体そんな感じだったと思う。というか、実害被った人には悪いけど騒ぐほどのレベルにも達していなかった気がする。
そう、三件目までは。
四件目の事件は悠朝小の兎小屋で起きた。第一発見者は、兎の餌やり当番で早朝から登校していた女子生徒。その娘が兎小屋に着いたときには、すでに小屋の入口が開いていたらしい。それで中が空っぽならこれまでと同じ。でも……四件目は違った。
案の定、兎は一匹もいなかった。
残されていたのは──生臭い血の海だけだったという。
同じ村の中、同じような時間に、動物が殺られたという共通点から、過去三件に比べるとどこか浮いた感じこの事件は、気が付けば「四件目」としてカウントされるようになっていた。それが何を意味するのかというと、過去三件で消えた動物も世間的には死亡扱いされるワケで。飼主の気持ちをよそに、「盗難」事件は「殺傷」事件として広がるハメになってしまった。
以来、この辺りは多少ピリピリしたムードに包まれている。無理もない。これまでは実験動物の確保説だとか、ペット業者への転売説だとか、少なくとも動物飼ってない人にはあまり縁のない犯人像が予想されてきた。それがここに来て、ガラリと変わった。犯人の目的は動物の虐殺、そのためなら鍵の一つや二つ破壊するヤバい奴だ。当然人間だって危ない。
ただ──
「これを『また』の中に含めちゃうのはちょっと早とちりじゃない?」
「そうかしら?」
「そうよ。猫なんてどっかぶらついててなんぼみたいな生き物じゃない。まあ飼ったことないんだけど」
「もう、いい加減なんだから。でも、どうしてこれが図書掲示板に貼ってあるのかしら?」
ねぇ、図書委員長さんと言う蘇子の顔には何だか知ったふうな笑み。
私は、わざと面倒くさそうに見えるような感じで、頭を掻く。
「あー、だって半泣きだったのよ? それでここに貼って下さいなんてお願いされたら、断りきれないじゃない」
「ふふっ、優しい人ね大野木さんは。ちゃんと司書さんに許可はいただいたの?」
「うんや。でも、今のところ注意は受けてないから、見て見ぬフリしてくれてんのか、そもそも気付いてないのかもね」
軽く、肩を竦める。うん、やっぱりこんなもんだ。
出家さんはこのチラシを渡すとき、こう言った。マロンは家族の一員なんです──って。その一員が今、行方不明になっている。当の出家さんは必死だ。連絡先に何の躊躇いもなく自分のケータイ番号とメアド晒しちゃうくらい必死だ。イタ電やイタメがくるぞ。いや、この場合は単に出家さんの注意力の問題なのかもしんないけどさ。
で、その「必死」の四日後の結果がこれだ。当の本人にとってはどんなに大変な問題でも、所詮はこんなもんなんだ。例えそれが、家族の一員がいなくなったっていう事態でも──。
家族の、一員? ああ、そういうことか。
くしゃくしゃ頭を掻いた。正直自分でもわかってなかったのよね。チラシを受け取った理由。司書に叱られる可能性だって、まあそれなりにはあったのに貼っちゃった理由。家族の一員を失って必死になっている出家さんの姿に、私は自分を重ねていたんだ。
つくしを失って、どうしていいのかわからなくて、迷走していたあの頃の私を。
「ねえ蘇子」
「どうかした?」
「ううん、何でもない。ただ、早く見付かればいいなって。そう思っただけ」
うっわヤバ。何か目頭熱くなってきた。ココとの一件以来何か涙腺緩みきってる。
思わず上を向いてしまう。って対処法ベタ過ぎだろ。坂本九か私は。
「悪いなんか変なとこ見せて。えっと、帰ろっか」
背を向ける。あー言った傍から鼻啜っちゃったけど、もうどうでもいいわ。
そうね、と背後で蘇子が言う。
「私も──そう思うわ」
反射的に動いた。肩越しに振り返って、蘇子の顔を見た。
そこには、目を丸くした蘇子の顔。紛れもない、いつも通りの藤枝蘇子。
「ごめん、なんでもないわ」
鼻を擦りながら笑って、すぐに向き直る。……うん、きっと気のせいだろう。
私もそう思う──その一言が、本当にこの娘の声なのって疑うくらい虚ろに聞こえたのは。