『〈のっぺらぼう〉』 【大野木 ココ】
「〈のっぺらぼう〉を見に行こうっ」
夕陽が静かに射す放課後の教室。
目の前には、ガッツポーズの笹ヶ瀬さん。残念だけど、冗談で言ってる顔じゃない。
笹ヶ瀬衛さんは、私が中学に入って最初にできた友達。性格は明るく賑やか。ちょっと癖のある髪は二つにまとめていて、黒目がちの眼はどこかリスを思わせる。
友だちになったきっかけは、入学式当日に笹ヶ瀬さんの方から話しかけてきてくれたから。クラスの中で私が一番異彩なオーラを放っていたから話しかけてみよう、と思ったらしい。単純に私の見ためが目立ってただけなんだろうけど、笹ヶ瀬さんのそういうとこは素直に羨ましいなって思う。この子クラスで目立ってるから声かけてみよう──なんて発想、私にはないから。
ただ、そんな笹ヶ瀬さんにはちょっと困ったところがある。
「えっと、ゴメンね。もう一回言ってくれるかな?」
「だーかーらー、三人で〈のっぺらぼう〉を見に行こうって言ったの」
笹ヶ瀬さんは、趣味に関して移り気だった。しかもそっち系限定で。
つい一週間前まで、笹ヶ瀬さんの趣味は「心霊」だった。その手の雑誌を愛読するのはもちろん、本人も村中を駆け回って、墓地や廃墟などそれっぽいところを訪れては写真を撮りまくっていたらしい。
そんなある日、笹ヶ瀬さんが気紛れにお父さんの仕事場に行くと、随分古そうなクッキー缶を見付けたという。中を開けてびっくり、そこにはこれまで何枚撮っても手に入らなかった〈本物〉が、数え切れないほど入っていたのだ。
最初は、宝くじで一等賞が当たったくらい喜んでいた笹ヶ瀬さんだったけど、段々怖くなってきたらしく、そもそも何でお父さんがこんなに心霊写真を、と思うといてもたってもいられなくなり、結局私のところへどうしようユッキーと泣きついてきたのだ。
何でそこで私なのって思ったけど、それだけ笹ヶ瀬さんはパニックだったんだと思う。
──笹ヶ瀬さんはある意味で心霊に取り憑かれていたのだ。
鏡花さんが教えてくれた、こういう状況の人にしてはいけないこと。それは、その人が怯えているモノを真っ向から否定すること。だから、すっごく申し訳ないとは思いつつも、鏡花さんに頭を下げ、さらにバイト代としていちご生クリームどら焼きをおごると約束し、芝居を打ってもらうことにした。
鏡花さんに「霊能少女」を演じさせ、〈除霊〉を行ってもらったのだ。
結果、笹ヶ瀬さんは〈呪い〉から解放された。私の想像してた〈除霊〉とは少し違ったけれど。
もう二度とやらないからね、と声を高くしていた鏡花さんの顔。……うん、若干涙目で可愛かった。
鏡花さんが言うには、心霊写真はどれも現像時の事故で説明がつくものだったらしい。そういえば笹ヶ瀬さんのお家って昔ながらの写真屋さんだったっけ。でも、どうしてわざわざ取っておいたりしたんだろう?
……まあいっか。とにかく事件は一件落着。これで笹ヶ瀬さんは元気になってくれるはず。そう。そう思っていたんだ。なのに、それなのに──
「どしたのユッキー? 頭痛いの?」
「うっ、ううん。何でもないよ」
強いて言うなら心が痛い、かな。
ちらりと鏡花さんを見る。笹ヶ瀬さんに向けている眼は、ゴミを見るときのそれに変わっていた。
……うわぁ。
「それで、今度は妖怪に興味を持ったと?」
「ヨーカイ? いやだなぁキョーちゃん。あんなのに興味持つのは現実と空想の区別が付かないお子サマだけだよ~」
一瞬、鏡花さんの瞳に殺意が過った。うん、気のせいであって欲しいけど多分気のせいじゃない。
「あたしが言ってる〈のっぺらぼう〉はUMAのことだよ」
「UMAって、その、ネッシーとか雪男とか?」
「そっ、未確認動物って意味のあのUMA。二人はインディアン・ETって知ってる?」
机に腰掛け、得意げに微笑む笹ヶ瀬さん。
もう一度鏡花さんをちらり。何とも言えないだるそうな眼をしていた。多分知ってはいるんだろうけど、口出しする気はないらしい。その方が早く終わると判断したんだろう。私もそう思う。
「確かウドンターニーってトコで見つかったヤツだったかな? 牛が産んだんだけど、これがすっごい見た目でね。頭はでっかいのに身体はほっそり、そこだけ見ると映画のETまんまなんだよ。まあ、ホンモノにはシッポも耳もあったから、皆の知ってるET像とは違うんだけどねー。あっ! なんなら今画像持ってるし──」
「ちょっと待て」
笹ヶ瀬さんが携帯──今どきの女子中学生っぽいピンクのラメ入りにやたらリアルなモケーレムベンベストラップがすごい浮いてる──を取り出したところで、ピタリと止まった。
珍しい。「待ちなさい」じゃないあたり、鏡花さんが本気だ。
「な、なんでしょうか、キョーカさん……?」
「私もインディアン・ETなら知ってるわ。だから私は見ても平気。でもね笹ヶ瀬、あの類の画像は得てしてショッキングなものでしょう? 本意ならともかく、ああいったものを不本意に見てしまったせいで、精神的健康を損なう人も世の中にはいるの。というより、むしろそちらのほうが大多数なのよ。だから、そういった画像を提示する際は、必ず相手の了解を得てからになさい。いいわね」
締めの言葉に疑問符はなかった。
「ご、ごめんなさい」
笹ヶ瀬さんが携帯をしまう。本気で反省しているみたいだった。
鏡花さんの気配りは嬉しいけど、義妹に守られるってやっぱりちょっと複雑だなぁ。
「それで、そのインディアン・ETと〈のっぺらぼう〉に一体どんな関係があるのかしら?」
「あっ、うん! えっとね、そのインディアン・ETにそっくりなのが今いるみたいなの!」
「いるって、何処に?」
「ウチの学校の裏山」
……はい?
「本気……で言ってるのよね?」
鏡花さんはこめかみを押さえ俯き気味だ。本当に頭でも痛いんじゃないかなって顔してる。
「そりゃあモチ本気だよ。私、昨日ネットで見たんだもんっ。『珠置山を彷徨い歩く謎の人影! 正体はあの妖怪〈のっぺらぼう〉か!?』みたいなっ」
「で、でも、それが本物かどうかなんてわからないじゃない」
「ふっふーん。ザッツライトだよユッキー。だからこそ」
笹ヶ瀬さんが、両手を机に付き、こっちへ顔を寄せる。
「真偽の程をユッキーとキョーちゃんの慧眼で見定めてほしいってスンポーよ」
……それ、私必要なの?
鏡花さんが、小さく挙手をした。
「一応訊いとくわ。インディアン・ETの正体について最も有力な説は知ってるわね」
「もちろん。単眼症ってヤツでしょ。」
「タンガンショウ?」
鏡花さんは頷いてるけど、私は知らない。
「うーんと、先天奇形のひとつでね、お目々が一つで産まれてきちゃうの。で、それにやられた牛の特徴とインディアン・ETの特徴は、ほとんど合致するみたい。単眼症の原因になる座禅草なんかを牛が食べたんじゃない、とは言われてるけど、ビタミンA不足でもなっちゃうって聞くし、結局は環境悪いから産まれたんじゃないかなぁ?」
「そこまでわかってるなら──」
一体〈のっぺらぼう〉に何を期待してるの、と言いかけたところで、
「つまり〈のっぺらぼう〉は明らかに奇形牛とは異なる、と?」
遮られた。そゆことそゆこと、と笹ヶ瀬さんは弾むように頷く。
「インディアン・ETは耳や尻尾、手足の爪に牛っぽさが残ってた。でも今回珠置山で見付かった〈のっぺらぼう〉は違う。尻尾はないし、手足はまるで人間だし、背はインディアン・ETよりずっと高い。だからもしかすると、今回は〈本物〉なのかも、って私は思うワケ」
どう気にならない、と念押ししてくる笹ヶ瀬さん。返事に困って鏡花さんを見ると、口許に拳を当てて、何やら考え込んでるみたいだった。……えっ、考え込んでる?
「笹ヶ瀬」
「うん?」
「期待に添えるかどうかはわからないけれど、とりあえずそれ見せてもらえない?」
えっ、という声を慌てて呑み込む。
信じられない。あの鏡花さんがこんな話に乗るなんて。
「さっすがキョーちゃん! わかってるねー。じゃ、今から図書室行こっ!」
あそこならパソコンあるし、善は急げだよと言って、笹ヶ瀬さんが鏡花さんの手を引っ張る。
肝心の〈のっぺらぼう〉の画像は携帯にないんだ。昨日見付けたって言ってたし、入れ忘れたのかな。
「ちょっと、わかったから引っ張らないで」
立ち上がった鏡花さんの腕にしがみ付く笹ヶ瀬さん。絡まり合う華奢な──女のコの腕。小さく、息を呑んだ。けど、何でそんな反応をしたのかは、自分でもよくわからない。
「どしたのユッキー? 置いてっちゃうぞー?」
正直〈のっぺらぼう〉の話に興味はないし、ついてもいけない。でも、笹ヶ瀬さんが言うんだから行かなくちゃダメなんだろう。だって、トモダチなんだから。関係を維持する上で、明日も皆で気分良くお昼ご飯を食べる上で、こういうやりとりは欠かせないんだから。だから私は、
「ごめんね。今日はこれから用事があるんだ」
──嘘を、吐いた。