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『珠置山の魔女』   【大野木 ささめ】

 薄暗い放課後の教室、どちらから約束したわけでもなく、私と蘇子は二人きりになった。蘇子が窓際の席で本を読む一方、私はその前の席に腰掛けて、窓から外を眺めている。

 雨が降っていた。耳を澄ませばしとしと音が聞こえる。そんな、細い糸みたいな雨だった。

 眼だけを動かし、蘇子を見やる。蘇子は文庫本に視線を落としたまま。だから、目は合わない。ほっとして、視線を窓へと戻す。くしゃり、と髪の毛を握り締めた。

 何ほっとしてんのよ私は。この娘と目を──顔を合わせることがそんなに怖いのか。

 雨は、気が滅入るような(ほこり)色。ホント──嫌な天気。

 ふと、ページを捲る音が止んだ。次いで、机にそっと本が置かれる音。

「二人きりね」

 蘇子の顔を見る。少しアンニュイな笑みがよく似合う。目線は本の背表紙に落ちてたから、やっぱり合わない。

「そうね」

「不用心じゃないかしら」

「えっ?」

「一昨日あんなことがあったのに」

 と、〈あいつら〉の気配。視線を走らせる。切り換えなくたって、なんとなくわかった。床にも壁にも窓にも天井にも、そこら中に半分身を沈めた〈豚〉が、ぎゅうぎゅう(ひし)めき合っている。今あっちに行ったら、真っ赤どころか真っ白な世界が拝めるんじゃないかって思うくらいに。

 ゆっくりと蘇子を見た。その瞳に光を探って──唇を噛んだ。

 気配が、嘘みたいに消えた。

 膝に置いた拳を握り締める。この状況を怖いと思う気持ちは当然ある。でも、それ以上に──この状況を作り出してんのがこの娘って事実が哀しかった。

「氷垣から聞いたわ。事件の四件目──やったのアンタなんだってね」

 だからなんなのよ──と独り苛立つ。違うでしょ? ホントに訊きたいのはそれじゃないでしょ?

「どうして蘇子が──」

「必要だったのよ」

 ──必要?

「兎はね、その繁殖力から『更新され続ける生命の象徴』とされているの。だから、どうしても呪物となる兎の死体が必要だったのよ。珠置山の結界を盤石なものにするために。氷垣君の罪を他の誰にも露見させないために」

「氷垣の──ため」

「そうよ。氷垣君のためなら、私は何だって(いと)わない。事実、四件目はこれまでと違って現場に血痕が残されていたでしょう? あれは他の三件との差別化を図ると同時に私なりの決意表明だったの。私は氷垣君のためなら人道的に外れたことだって、何だってやるって」

 押し黙る。声色から嫌でもわかってしまう。この娘の決意は、本物なんだ。

「氷垣のためなら何したっていいって言うの? 殺しも構わないっていうの?」

「ねえ、大野木さん。貴女が私に訊きたいのはそんなことなの?」

 ──そんなこと? 

 そこで、ようやく顔を上げた。互いに目線がぶつかった。

 蘇子は眉ひとつ動かさず、さっきよりいっそう冷やかな声で続ける。

「そんなこと──と言ったのが気に障ったのかしら。でも、本当のことでしょう。貴女が私に尋ねたいのは事件の真相などではないはずよ」

「それは──」

「違うだなんて言わせないわ。それじゃあ何? 貴方は私にこう訊きたいの? その怪物たちを操る力、一体どこで手に入れたのって。勿論気になっているのは事実でしょうね。でも、今この場に限ってそれは間違いだわ。それは、今ここで貴女が私に一番訊きたいことじゃない」

 蘇子は、唇をきつく結んだ。その眼が潤んで輝いた。

「どうしても訊く気になれないのなら、私から教えてあげるわ」

 私が今一番蘇子に訊きたいこと。

 それは訊かなくてはならないことで、同時に絶対訊きたくないこと。

 真相を絶対、確かめたくないこと。だって、それを訊いてしまったら──


「貴女の義妹さん──大野木ココさんと笹ヶ瀬さんを襲ったのは私よ」


 きっと私たちは終わってしまうから。私たちの関係は、脆く崩れ去ってしまうから。

「私が、そうするよう指示を出したのよ」

 蘇子が、しばらく視線を泳がせたあと、目を伏せた。

「言い訳がましく聞こえるかもしれないけれど、本当は義妹さんに手を上げるつもりはなかったわ」

「あそこまでやっといて?」

 つい鼻で笑ってしまう。蘇子が僅かに怯んだ。傷付いたんだってわかったけど、悪いことをしたとは思わない。そう、胸なんてちくりとも痛んじゃいない。

「ええ、本当は笹ヶ瀬さんの方を殺すつもりだったの。貴女の義妹さんの目の前で」

「は……?」

 ココの目の前で、何だって?

「そうすればひとまず義妹さんの動きを止められる。普通眼の前で友だちを殺されたら、しばらくは放心状態でまともに動けなくなるわ」

「ねえ、蘇子」

「何かしら?」

「アンタ──笹ヶ瀬って誰のことかわかって言ってる?」

 私と蘇子は、よく晶たちと一緒にお昼を食べる。そのグループの中にはココと笹ヶ瀬もいる。いつだったか蘇子は、食事の席でUMAウンチク垂れ流す笹ヶ瀬を見て、何だかユニークな娘ね、と困ったように笑っていたはずだ。なのに──この娘はその笹ヶ瀬を殺すって言ったの? こんなにもあっさり。

「もちろん、わかっているわ。でも、仕方がなかったのよ」

「何が、どう仕方ないって言うのよ?」

「だって、貴女には義妹さんの──つくしさんの件があったから。大野木さんに、これ以上義妹さんを失う哀しみは味合わせたくなかったから」

 蘇子の言ってることはおかしい。ココはダメで笹ヶ瀬なら構わないだなんて絶対におかしい。でも、私のことを、友だちのことを、これだけ思いやる気持ちがあるのに。それなのに、どうして──

「でも、無理だったの。耐えられなかったの。いざチャンスを与えられてしまったら、抑えることが出来なかったの。氷垣君のココさんを見る眼でわかってしまったから。氷垣君が好きなのは、私じゃあ、私なんかじゃなくて……っ」

 そこから先は続かなかった。蘇子が口許を両手で覆った。

 ──ああ、そっか。これがそうなんだ。

 経験のない私にはよくわかんないけど、氷垣が言った通りなんだ。


 ここまでしても構わないくらい──藤枝蘇子は、氷垣蓮太郎のことが好きなんだ。


 蘇子は、手を膝に置いた。うっすら涙が滲んだ眼は、赤くなっていた。

「私ね。実はもう彼に一度振られているの。告白したとき、彼は言ったわ。自分は何の罪もない動物を殺すような最低な男だって。だから好きになってもらえる資格なんかないって。私、それが信じられなくって、つい言ってしまったのよ。そんなのは嘘でしょう──って。そうしたらその夜、学校に呼び出されてね。そこから二人で神社まで行って──そして、眼の前で猫を一匹殺されたの。金槌で一撃、頭をぱかりと割るようにして。返り血を浴びた彼は振りかえってこう言ったわ。『ほら、本当だったろう』って」

 語る唇が、蕩けるように甘く緩む。

「でも、私それを見たとき、すごくすごく嬉しかったの。だって、それは意中の人と私の間に出来た初めての秘密だったから。だから、私は彼の血まみれの手を握ってこう言ったの。『わかってるわ。これは二人だけの秘密ね』って。彼は乗り気ではなかったけれど、私にとってあの日の夜は、彼の手によって今後も繰り返される動物の殺傷は、すべて私たちだけの秘密でなければならなかったの」

 でも──と言って、蘇子は顔を曇らせる。その理由はなんとなくわかった。氷垣の言っていたことがホントなら、蘇子は昨日の私と氷垣のやりとりを聞いていたんだろう。はっとする。そうか、氷垣は私に脅されて渋々あれを話したんじゃない。最初から私に話すつもりだったんだ。

「昨日で二人の秘密は終わってしまったわ。私は──二度ふられてしまったのね」


 ──二人の秘密を守るという蘇子の動機を消滅させるために。

 

 蘇子が立ち上がった。本を学生鞄に仕舞い、教室を出て行こうとする。  

「ちょ、ちょっと待って!」

 咄嗟に蘇子の手首を掴んだ。濡れた眼がこっちを向いた。

「何かしら」

「何って、アンタこれ以上何をしようって言うの? もうあの事件はアンタと氷垣の秘密なんかじゃない。さっきだって言ってたじゃない。アンタ、あいつに」

「二度も振られてしまった──そうね、それは事実として受け止める他ないわ。でもね、私のやるべきことはまだ終わりじゃないの。氷垣君は、私があそこにただ死体を隠していると思っているようだけれど、それは違う。それじゃあ私が代わりに罪を償うことにはならないじゃない。隠蔽工作と贖罪は別物だもの」

 やるべきことは、終わりじゃない……?

「蘇子。アンタ一体──」

 学校の裏山で、珠置山で、〈あいつら〉を引き連れて、一体何をやってるの?

「ねえ、大野木さん。貴女、氷垣君から事件の動機は聞いた?」

 少し迷って、かぶりを振った。

「そう。ココさんになら、話すのかしらね」

「えっ?」

 蘇子の腕が私から離れた。自分でも何でこんなあっさり手を離したのか、わからなかった。

 ふと、赤い砂みたいなモノが、蘇子の白いふくらはぎを伝って流れているのに気付く。さらさらと、床に描かれたマーブルは、金属の削りカスに似たツヤを放っている。場所が場所だけに、破瓜の血を思わせるそれは。


 ──ヒヒイロゴケ?


「珠置神社」

 はっとすると、足許にヒヒイロゴケらしきモノはなかった。今見えているのは蘇子の背中だけ。

「そう呼ばれている廃神社が山頂近くにあるの。そこが今の私の拠点」

 何で──私にそれを話すのよ……。

 蘇子に向かって一歩踏み出したかった。踏み出して、今度こそ離さないようにその手を掴みたかった。なのに、足はまるで床に根づいてしまったかのように、ぴくりとも動いてくれない。

 どうして──

「大野木さん。私たち、友だちよね」

 頷いた。伝えたい思いは声にならなかった。

「だったら──」

 三つ編みがふわりと踊った。蘇子は、潤んだ瞳で微笑むと、

「絶対に珠置山には来ないでね。ささめちゃん」

 初めて私のことを、そう呼んだ。

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