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蔵(くら)
むこうの『理』にまぎれてしまったこどもは、《山の神様の桃》ではない《桃》が、食べたかったのか、それとも、妹に、いつも見るだけだった《桃》を食べさせたかったのか、・・・
地蔵婆さまは、もう道の方を見ずに、蔵をみあげている。
月の光もなくて、ただぼんやりと白いかべがある。
「 ―― もう、あの桃の木も、なくなるやもしれませんねえ・・・」
つぶやいた年寄の手を、まだにぎったままだったヒコイチは、懐から桃をひとつとりだして、その、薄く冷たいひらにおしつけた。
「 こりゃ、オトメさんの分ですぜ 」
そういう自分の声が、ふるえている。
ヒコイチがそっと手をはなすと、年寄りはただ、ふかく頭をさげた。
あとはもう、 ―― ふりかえることもせず、蔵をはなれた。




