浄化の旅、神子様御一行
「カピバラさん!!」
第二王女のプリミラ様が、ぎゅうっと私の守護獣を抱きしめた。その隣で第一王女のスピカレア様が、優しくカピバラさんの頭を撫でる。
一応主人である神子の私は無視かな?
「二人とも、薔薇園の四阿でお茶会だろ? セリナちゃんたちを案内しなきゃ」
何故かキラ王子がいる。暇なのか? 公務はどうした。
「セリナちゃん?」
聞き咎めたルーイが片眉をピクリと上げ「馴れ馴れしいな」と呟いた。おっと、相手は王族だからね。聞こえたらまずいでしょ。
「王女様と神子との茶会は想定内でした。どうしてキラ殿下までいるんですか。そもそも我々は宰相に申請文書の許可印をもらいに来たんですが」
ああ、ルーイってこんな子だったわ。
「私が代わりに受理する事になったからね。行程予定だろ。神子とカピバラさんを愛でながら見せてもらうよ」
「セリナは愛でなくていいです。さっさとサインください」
めんどくさそうなルーイに、キラ様はおろか二人の王女まで無反応だった。これが彼らの距離感なんだわ。
ルーイに手渡された書類に目を通しながら、優雅にお茶を飲むキラ様。色とりどりの薔薇を背景に、美しさだけなら完璧だ。黙っていればチャラさも出ない。
「ルーイ、侍女がいない」
「は?」
キラ様は訝しがるルーイに目を移す。
「セリナちゃんは初めての巡業だ。女性にしか相談出来ない事もあるだろう。仕方ないな、私付きのメイドを二人貸してやろう」
さすが女性の扱いに慣れていらっしゃる。ルーイに任せていたから詳細は知らなかったわ。確かに女性がいると心強い。
侍女にまで気が回っていなかったらしいルーイは一瞬目を見開いた後、「うちのセリナ付きの侍女を同行させます」と即行で断った。
「守護神官が二人。治癒神官はいらないのか? 荷馬車を護衛する二人の騎士はお前の私兵か。王宮治癒師と私の近衛兵を貸してやるぞ?」
治癒神官は治癒神官隊長が出し渋ったのだ。神子を独占する僕に反発しているのだとルーイは笑っていた。しかしそんな内部の軋轢を口にはしない。
「必要ありません。騎士の一人が治癒を使えます。守護神官は僕の信頼している実力者です。もとより無茶な旅をする気はありません」
「王都の近隣を一周りか。うん、了解。ほい」
意外にも(失礼)しっかりと書類を読んでサインしたキラ様はルーイに文書を戻す。
その後すぐに退座したがったルーイも、話が弾む私と王女様たちのために、仕方なくキラ様の相手をしていた。
帰宅してすぐに来客があった。
「初めまして。ジョシュア・モカリマッセと申します」
ドンキアさんの息子、ルーイの従兄だ。二十五歳にして父親の片腕として活躍しているそうだ。ドンキアさんの若い頃を彷彿とさせる雰囲気イケメンである。
「お望みの商品、手に入れたよ」
私とカピバラさんに挨拶もそこそこに、ジョシュアさんはルーイの方を向く。手渡した物はペンダントっぽい。じゃらりとルーイが銀の鎖を持った。先には五百円玉大の不恰好な球体の乳白色の石が付いている。
「これをセリナに」
「アクセサリーなの?」
どうしたって宝石には見えない。
「こんな石ころ、プレゼントされても女の子は喜ばないよねえ」
ジョシュアさんはニヤニヤ笑った後、「これはお守りみたいなもんです」と真面目な顔で言った。
「これは通称<はじけ石>。<黒い霧>を吸収する効果が偶然発見されたもので、希少で高価だから市場に出回らない。吸収の許容値を超えると弾け飛んで壊れる、だから<はじけ石>と呼ばれています」
「さすがだな。すぐに見つけられるとは」
「俺の人脈と情報網を駆使して、とある冒険家にやっと譲ってもらったんだ。感謝しろよ」
「金に糸目はつけない条件だから交渉も楽だっただろ?」
「うっ……それでもちゃんと値切りまくったぜ」
「セリナ、これは保険です。道中は身に着けてください」
「私のためにわざわざ有難う」
「万が一セリナが<黒い霧>を無効に出来ない体質だった場合に備えてです」
金に糸目はつけないって、ルーイ・ラム・アシュロン、十六歳、イケメンすぎない?
これは彼が多額の私財を投じて買ってくれたものだ。使う羽目にならなきゃいいな。ぎゅっと石を握りしめてルーイを見上げると、彼は目を細め穏やかな笑みを浮かべて私を見下ろしていた。
「なに!? お前のその顔!」
ジョシュアさんが私の心の声を代弁してくれた。
「なんですか」
「そんな甘ったるい表情、初めて見たぞ!」
「?」
ルーイはきょとんと首を傾げた。か、可愛い!
「ルーイのあれは無自覚だ」
カピバラさんの言葉にジョシュアさんは「マジかよ……」と小さく呻いた。
ほんと、それ。勘違いする女子が増殖するからやめれ。私ですらうっかりときめいてしまった。この保護者、懐に入れた者には甘い顔しすぎるぞ。
ルーイは高校生、ルーイは高校生、ルーイは高校生、はい呪文終了!
翌日、晴天に恵まれた早朝、神子御一行の浄化の旅はひっそりと侯爵家から出発した。
ルーイは神官庁の公用馬車を使わない判断をした。公にしていないから見送りも近隣の住民くらいである。
「あくまでも女神様の意向で、守護神官隊長個人として行います。特別休暇をもぎ取ったのもそのためです。成功を神官庁の手柄にされては堪らない」
王家の後ろ盾はあるから、神官庁もルーイを非難出来ない。
ちなみに同行の部下さんにはルーイが給金を出す。福利厚生はおろか有給休暇なんて概念すら無いものね。役職のルーイは休暇扱いだけど、部下は下手したら解雇されてしまう。神官の解雇って何? そっちの方が意味不明だわ。ルーイの権限で彼らを休職にして、その分の給料の補償はするってわけ。
ここだけの話、正規の給料より高待遇らしい。だから部下さんも喜んで着いてきてくれるって。
馬車の中は私の隣にジャスミン、前の座席にはルーイ、そして足元の床には安定のカピバラさん。守護神官さんが左右を馬で併走する。後ろの荷馬車を守っているのはルーイの私兵である。当然どちらの馬車の馭者もアシュロン家の者だ。
王都の東隣のバルンゲラド、パルモルト伯爵領に入った。バルンゲラド神殿のある村は郊外で、到着したのはもう夕刻だ。無人の神殿に併設されている食事処兼宿屋に泊まる。のどかな田園地帯だ。
「神官が居ない神殿でも手入れは行き届いているんですね」
宿屋に挨拶に訪れた村長は、守護神官のモヌレンヤさんの言葉に汗を拭った。
「神官の配属を断り続けていると聞き及んでいたので、荒れるに任せた状態かと危惧していました」
モヌレンヤさんは、ある子爵家の兵隊長だったが怪我をして解雇され、神官に転職した変わり種だ。暴漢から主を守ったのに元々主人と相性が悪かったため、しばらく戦力にならないと理由を付けて切り捨てられたのだ。理不尽すぎる。そうして妻子ある三十七歳で無職になった彼をルーイが拾う。無意識に神力を使っている素質ある彼を見ていたので、迷いなく守護神官として雇ったのだ。大人な彼はルーイの補佐として活躍している。
「地方には地方の理由があるんだよ」
村長に嫌味な態度のモヌレンヤさんをルーイは嗜める。親子ほど歳が離れているのにルーイには上官の貫禄がある。侮れんな、異世界の十六歳は。
「ここは建国以前からある神殿だ。神官庁より余程信頼できる地元の人物が守っているんだよ。<まじない師>とよばれる家系だ」
公務員のルーイが認めていいの?
「建国にあたり、新しく建てられたのは中央大神殿だけだ。地方を束ねる総本山としての役割だ。神官庁は混乱しない限り地方の昔ながらのやり方を認めている」
そっか。愛の女神は争いを好まないものね。
「それでも……<黒い霧>の発生は大事になる前に知らせてほしい」
ルーイが真摯に告げると、村長は「申し訳ありません」と頭を下げた。
「あの滝は、霧が発生しては自然消滅を、何百年と繰り返しているのです。浄化をした事がありません。村に被害がないので、放置するのが当たり前でした」
「奥まった山中の滝壺ですから、普段村人以外が訪れる事もないのでしょう。でもこうして冒険者により我々の耳に入ってきます。霧の発生原因の研究の一端のために、以降ご協力をお願いします」
「はい」
村長は、更に深々とルーイに頭を下げた。
「では行きましょう」
村長が見送る中、ルーイを先頭に私たちは霧が発生している滝壺のある山へ入って行く。ジャスミンは村長さん家で待機だ。鬱蒼と草木が繁る獣道を進む。テレビで見たアマゾンの奥地を目指す感じだわ。
やがて少し視界が開けた。目に飛び込んできたのは高低差のある滝。
「うわあ!」
華厳の滝みたい。幅はあれより広い。水音がすごい。
「はあ……マイナスイオンに癒される」
清々しい空気に浸っていると、カピバラさんが「人間はすーぐそう言う」と小馬鹿にしてきた。
「大体マイナスイオンって何のマイナスイオンだよ」
「水素じゃないの」
「水素イオンはHプラスだ。水酸化物イオンがマイナス」
何なの、カピバラさん、理系なの? そんなもん、深く考えないで体にいいよねって思っとくものよ。
「滝自体はいいかもしれませんが、下を見てください。ああ、セリナ、落ちたら大変だから僕に掴まっていて」
ルーイに腕を掴まれる。言われた通り滝壺を見下ろすと、怖くなって思わず彼の腕にしがみついた。あっぶなあ! 引き込まれそうな高さ。
そして、
滝壺から湧き上がるような黒いモヤ。……これが<黒い霧>……?
「覆われている範囲は狭いのに禍々しいな」
カピバラさんの嫌そうな声が聞こえる。
「このくらいの<黒い霧>なら敢えて報告しないのも納得だな。巫女を派遣するのを神官庁が却下するかもしれない」
ルーイが思わずと云った風情で口にした言葉に驚いた。
「え、放っておくの? 国の仕事なんでしょ!?」
「人里や森林自体に影響がないなら、黙殺する可能性があると思っただけです」
ルーイは明らかに“しまった”と顔を歪めて決まり悪げだ。どうも所属組織に対する不信感は大きいみたいだ。
「まあ、ここまで女の子を連れてくるのが大変よね」
少女にはきつい。巫女の衣装に身を包んでいる私はスカートの下にズボンを穿いていて、動物の皮で作った長靴に似たものを村で買って履いている。山菜や木の実取りとかで山入りする女性用のものだ。
ルーイたちはあまりの姿に絶句していたけど、「毒虫や足場から身を守るものよ。バレエシューズみたいな巫女靴で山に入るなんて愚の骨頂」と言い張った。
バレエシューズは伝わらないけど別にいい。巫女靴で山道歩いたらすぐ足を痛めるわよ。ちょっと考えたら分かるでしょ?
でも、その発想は無かった、とルーイは驚く。
「確かにそうですよね。神殿外に出るには巫女姿じゃないといけないなんて規則はおかしい」
規則だったんかい。尚の事、巫女たちが気の毒になる。
「厳しい環境対応の巫女服をモカリマッセに相談しようぜ」
「カピバラさん、ナイス! 巫女の清廉さをベースにした山ガール衣装! 一緒にデザイン考えたい! どう? ルーイ」
ルーイが答える前に口を開いたのは、同行の守護神官、二十歳のシンナさんだった。
「俺も賛成っす。以前雪の中で巫女を護衛した時、寒さで震えているのが気の毒で俺の防寒着を羽織らせました。後で巫女の神聖さが損なわれるって上部に怒られたんすけど、それならちゃんとした衣装を与えるべきです」
「え? 怒られたのか? 僕も同じ事をしてるけど文句は言われないよ」
上層部は貴族で肩書きのあるルーイだけを黙認してるって、それもひどいな。
「ルーイ、せめて冬対策はしてあげてよ!」
「管轄外ですが進言します」
頼むわ。職場の待遇改善は重要よ。
「さて、セリナ。霧はどんな感じがします?」
ルーイに尋ねられた私は首を傾げた。
「……うーん……、滝壺から立ち上っているから気味悪いけど、それだけね。瘴気自体に害意を感じないし。別次元の空気が亀裂から滲み出てくるイメージ?」
「我々も概ね同じ見解です。どうも次元の壁が薄い所から漏れて、霧が大きくなったらあちらの生物が自分の世界と勘違いして迷い込むんじゃないかと」
「じゃあ退治じゃなくて元の世界に戻せるの?」
「分りません。狂ったように攻撃してくるので倒すしかないのです」
そっか……。害為す存在なら駆除するしかないのか。
「これだけ場所が離れて小規模だから、初戦にはもってこいだな」
「でもどうするの。浄化のやり方なんか分からないよ」
お気楽なカピバラさんを睨め付ける。
「願えばいいんだよ。おまえの龍神様に。あのモヤを消してくださいってな」
そうなの? カピバラさんが自信満々だから半信半疑で従ってみる。
……龍神様。この地を穢すあの霧を消してください。
胸で手を組んで目を閉じて祈る。ふっと、神社で時折流れる風を感じた。
「おおっ」
周囲でどよめきが起こった。
「すごい! 呪文の詠唱もなく消し去るなんて!」
「神子様が白く光ったら風が吹いたぞ!」
「霧が跡形もない!」
あー、成功したんですね……。待って。私が光ったって? 何事!?
「セリナ! 大丈夫ですか? 力を使いすぎましたか? 気分が悪ければ帰りは僕が負ぶって下山します」
真っ先に私の体調を心配とか。背負って降りるとか。
ルーイ・ラム・アシュロン、十六歳。スパダリすぎない?
「平気。ちょっと唖然としただけ」
滝壺を見ると<黒い霧>はさっぱりと無くなっていた。
「私、実はすごい力を持っていたの?」
何よ、どうしてカピバラさんが遺憾そうな顔で見てくるのよ。
「おまえを加護している龍神の力だよ。それもおまえの力っちゃそうかもな」
「異世界に及ぶ龍神様の加護!? 神社の娘ってすごいな!」
すみません。調子に乗って自画自賛します。
「あのなあ、おまえの願いが龍神に届くのは俺を媒体にしてるからだぜ」
「そうなの? カピバラさんの能力なの?」
「考えてみろよ。あっちでおまえにそんな力無かっただろ?」
「それはどうかな。こんな浄化の祈りなんてした事ないもの」
実家でも穢れが祓えた可能性はあったかもしれないじゃん。真面目に修行しとけば良かった。
「龍神の力を俺がこの世界に通してやってんだよ。敬え」
「さすがカピバラさんです! 神獣として神殿に石像を置いていいですか!?」
ルーイ、やめといた方がいいわ。もし後々召喚される地球人が見たら驚くから。