想いの交錯
「本当にほぼ治っている……。神獣様とは誠に尊い存在ですね」
数刻前にカピバラさんを癒した治癒神官さんが、包帯を外して傷を診てから感心しきりだ。
「だよな、自分でもすげえと思うぜ」
「女神に感謝しときなさいよ」
施設の台所で騎士さんが燻製肉と野菜ごろごろ入った、コンソメがあればポトフになるっぽい煮込みを作ってくれた。それを食しながらいっとき寛ぐ。
部屋の隅にいるルーイの隣にはちゃっかりとシルビアさんが陣取っている。
カピバラさんの怪我から帝国皇太子との遭遇まで、緊迫していた時は彼女もさすがに静かだった。カピバラさんを心配する素振りも見せなかったのは、ちょっとモヤモヤした。一応仲間じゃん。でも感情ってのは個人差があるし、態度に出ないだけなのかもしれないし、私がモヤってるのはお門違いな気もするからね。
「シルビア様の事で気を悪くされているなら申し訳ありません」
同じ神殿に所属する治癒神官さんが謝罪した。
「別にそんなんじゃないわよ」
慌てて否定すると彼は苦笑いをした。
「彼女は“女性に敬遠される女”を自認していますから。美しい自覚があるせいでしょうかね」
「男と距離が近いからじゃないか。自分を大事にしてくれる男には擦り寄ってるからな」
カピバラさんは普通に食欲もあり、皿の中の人参を齧りながらそう言った。
確かに。彼女はルーイにべったりだった。ルーイが離れると中央巫女たちとは話もせず、騎士やシンナさんたちの間に入っていた。
「多分サークルクラッシャータイプだわ」
「そうだな」
カピバラさんと頷き合っていると治癒神官さんが怪訝そうな顔をした。褒められた言葉じゃないから、説明せず曖昧に笑っておく。
「それにしてもアシュロン様に対するあれは、いくら幼馴染でも上官に対する態度じゃありません。アシュロン様が容認しているから口出しもできませんけど」
「任務中は突き放してたじゃねえか。今は食事中だしめんどくさいから放ってるって感じだ。あの嬢ちゃんはルーイが初恋なの丸わかりだけど、ルーイにはそんな感傷もなさそうだ」
ルーイほどの男はそこいらにポロポロ転がってないもんね。初恋を引き摺って、再会しても素敵だったら恋心も盛り上がるってもんよ。
「セリナ」
いつの間にかルーイが後ろに立っていてびっくりした。
「ちょっと一緒に出ませんか」
別にロマンチックな呼び出しじゃないのは承知よ。外はうっそりした森だし。気づかれないように一瞬シルビアさんを盗み見た。うん、睨まれていると思った。でもキリカ様だってあそこまで憎々しげな顔はしないよ。
「こちらへ。足元、気をつけて」
すっと手を出される。手を乗せても握られない。あくまでエスコートだ。恋人じゃない接触に却ってドキドキする。まだまだ私も乙女なのよっ。
施設の裏手に回る。
「すみません。シルビアの相手に少し疲れました」
ルーイは壁に背を預け小さく息を吐いた。
「思い出話に花が咲いたんじゃないの」
「子供の頃、さも親密だったような話をされても……。将来の約束なんかしてもいないのに、巫女が明けたら貴族の僕と一緒になれるとか言われて困りました。周りに誤解されます」
そこまでグイグイこられたのか。お疲れ様です。
「大体、僕たちは大切な任務中ですよ。意味なく触れられると気分が悪い」
「好きな人には触れたいじゃない」
「……セリナにもそう見えるんですね」
「シルビアさんがルーイを好きなのはみんな分かっているわよ」
「さっき、恋人みたいに振る舞わないでくれと言ったら泣かれてしまって……。気まずくて」
「ふっちゃったんだ」
「我慢できなかったんです。彼女に恋情は抱けない」
「仕方ないよね。恋愛は二人でするもんだから」
とばっちりで彼女に睨まれてしまった。明日の浄化大丈夫かな。
「セリナは治癒神官と仲良く話していましたが、ああいう優しげな大人の男が好きなんですか?」
おっと、流れ弾か? 恋バナしちゃう? 治癒神官さん、三十代だよね。
「今までの彼氏は同世代だったからそうでもないと思う」
「今までの彼氏って……何人いたんですか」
「三人よ」
中学の時はおままごとみたいなもんだ。高校の同級生は大学三回生まで四年続いた。
「会社入ってから付き合った奴は最低でさ、二股かけてたから平手打ちして別れちゃった。最近の事なんだけど、腹立ちすぎてあんまり失恋の痛手がないわ」
「……ああ、働きだしてからの男ですか」
「そ、大人だから交際の延長には結婚があるかな、なんて思ってたのに」
「僕は大人のつもりですが、セリナにはそう見えないんでしょうね」
「そんな事ないよ!」
責任者として一個隊を率いて、隣国の権力者とも堂々と渡り合うのだ。
「頑張ってるよね」
労いたくて思わず彼の頭を撫でた。
「子供扱いじゃないですか」
ご機嫌斜めのルーイが可笑しい。なんてのかな、可愛さと愛しさが同居してる。
……やばいよね、私。
ここが元の世界でルーイが社会人だったら、全力で落としにかかるわ。ルーイの態度を見てると憎からず想ってくれてるみたいだし。
でもダメじゃない。住む世界が違う。私は消えてしまうのだ。だから気がつかないふりをする。せめて大人の私だけは。
夜空を見上げる。降り注ぐような星の数々。うっすらと紫がかった丸い月。
「こっちの月も綺麗だねえ」
決して伝わらない意味の言葉に、ほんの少しだけ気持ちを込めた。
「セリナがそう言うなら、きっといつもより綺麗なんでしょう」
なのにルーイは、応えるように真剣な顔で囁いた。
女性陣が施設に泊まり男性陣はテントだ。カピバラさんは当然私と一緒である。カピバラさんをみんなで構う事で、シルビアさんとギクシャクしないで済んだ。中央巫女たちも、私とルーイが二人で外にいた点に触れる事はなかった。
詠唱を必要としない私はサポートだ。翌日は問題なく浄化を行えたと思う。
予定通りの行程で我々はストロング城に帰還した。
一日迎賓館で休んでから私たちは帰路に着く。辺境伯と奥方、それに騎士さんや治癒神官さんと別れを惜しむ。シルビアさんとは形だけの挨拶をした。
「シルビア、ドレインシュミットを頼む。身体に気をつけて」
ルーイは普段通りに声をかけた。彼女は目を合わさず、小さく頷き「さよなら」と答えた。きっと初恋との決別の言葉だ。
帰りは行きほどではないものの野営を含める。巫女たちも早く王都で身体を休めたいのだ。それでも宿屋ではゆっくりと時間を取り、食堂ではみんな揃って食事をする。どこでも崇められるカピバラさんはご機嫌だ。
「アシュロン様の拒絶はちょっと厳しかったよね」
「シンナさんは可愛い子に甘いですね。シルビアさん、感じ悪かったですよ」
「私たちを無視するし、守護神官隊長の彼女づらで鼻につきましたもん」
ルーイの食事のテーブルが違うもんだから、店内の喧騒に紛れて、巫女と守護神官は話に興じる。ルーイはシルビアさんに結構辛辣な言葉を放ったらしい。彼女に同情するシンナさんに対する巫女たちの反応は厳しい。
「守護神官隊長の態度は一貫して冷めていたのに、どうして自分が特別な存在だと思っていたのか……思い込み激しい子なんでしょうね」
一番の年長巫女が結論付けた。
……あの子の存在で、モヤモヤした自分の気持ちを認める羽目になっちゃったわねえ。
「どうしたセリナ、生活に疲れた主婦みたいな顔してるぞ」
「失礼な守護獣ね。アンニュイな大人の色気を出してんのよ」
なんで笑うのよ! わりかし本気で憂いているのよ。不毛な想いにね!