カピバラさんの正体
やっとこの場の浄化作業が終わったとルーイが宣言した。
事態の収拾を確認した時から、何もできないのに私はずっとカピバラさんについていた。
「管理施設が近くにある。そこに運ぼう」
ルーイの判断で向かったのは、丸太の平小屋だった。全員が入ると狭いし、見張りも兼ねて辺境騎士さんたちは外で待機してくれている。
「……カピバラさん、ごめんね……、私を守ってこんな……」
抉れた脇腹が痛々しい。治癒神官さんのおかげで血は止まったけど、すぐに治る傷じゃない。ありったけの神力を流してくれて感謝している。治癒神官さんは、カピバラさんの傷口に薬草を塗り、手早く包帯を巻く。これで一通りの治療だ。
「なーに、このくらいじゃ死にはしない。でも実体持って実感したが、傷ってのは結構痛いもんだな……」
「無理に喋らなくていいから! 大怪我だから当たり前なんだよ!」
ぼろぼろと溢れる涙も拭わずいると、ルーイがハンカチを渡してくれた。
「セリナ……、あとは様子を見るしかありません」
「分かってるよ! でもカピバラさんが私のせいで苦しんでる!」
「お前を守れないと守護獣を名乗れねえ。俺の矜持だ。気に病むなとは言えねえから、早く治れと祈ってくれ」
「気休めだよ。ゲームみたいに回復魔法が使えたらいいのに……」
「いいんだよ。気持ちをもらうんだから」
ルーイが、「何かあれば誰かに声をかけてください」と言い残して部屋を出て行った。
一番清潔そうな小さな部屋に運ばれたカピバラさんと、今は二人きり。
脇腹を触るのは痛そうだから、横たわったカピバラさんの背を撫でる。
「なあ、セリナ」
しばらく無言だったカピバラさんが口を開く。
「ん?」
「おまえ、俺の正体、気になってただろ?」
「まあね」
どうしても特定したかったわけでもないけど。だってカピバラさんはカピバラさんだ。
「おまえの行った大学の裏手に貴船神社があっただろ」
「うん、入学した時から、節目にはご挨拶していた」
四年間、例祭には行った。
「初めておまえを見た時、えらく龍神に愛されている娘だなと思った」
「待って! カピバラさんってあそこに祀られている神様なの!?」
びっくりすると、カピバラさんは「いや」と否定した。
「俺は境内の池に三百年以上住んでいた名もない蛟だ。毒の吐き方なんかとうに忘れた怠け者のな。神社の主は酒好きで陽気な白大蛇だった。人間の信仰心が薄れたためかいつの間にやら主は居なくなった。天に帰ったか引っ越したか定かじゃねえ。俺としては消滅は信じたくない」
「そうだったんだ」
「人間の世界はもう夜を恐れなくなった。我々の姿が見える奴も殆どいない。俺は静かな神社に飽きて、しょっちゅう街に遊びに行っていた。ネカフェはいいな。いろんな奴の隣でパソコンを覗き込んでいたけど、誰も気が付かねえ。最近はそんな感じで楽しんでたよ」
「あー、だから世情に明るいのね」
「それなりにな」
「それがどうしてぬいぐるみに宿る事になったの。いえ、元気になってから聞かせてもらうわ」
身体を気遣ったのに、「暇だから話に付き合え」と言われてしまった。
ぬいぐるみを押し付けた同期の山岸は、就職ではなく大学院に進んだ。同大学の後輩女子と大学卒業後も別れず交際していた。二年は付き合ってた気がする。可愛いけどやきもち焼きな女性だった記憶しかない。「女子のいる飲み会は彼女が嫌がるんだよね」と言いつつ自重していなかった。そりゃ嫌がる子は嫌がるよねって話だ。
それに「サークル活動もバイトもしないでそばにいて」って大泣きする子だよ? それを惚気として聞いていた私は「山岸、捕獲されたな」と呆れた。彼女はメンヘラ臭がぷんぷんしたから、山岸には極力関わらないように自衛していた私は正しい。
山岸が息苦しく思い始めた時には手遅れだったんだろうね。別れようとしては泣かれて思い留まっていたらしい。「いい身体してるんで離れがたい」とほざいた時は「ふざけるな」と思った。
「その女が神社に参拝しはじめたんだよ。ほら、あそこは縁結びの神社でもあるし。恋人の心を繋ぎ止めたいって強い乙女心が俺にまで流れ込んできて、随分熱心だなと思っていたくらいだ」
でもそれってきっとメンヘラの執着心でもあるよね。
「そのうち、ぬいぐるみ作成成功の願掛けと進捗を報告に毎日来始めた頃に、ちょっと常軌を逸しているなと感じはじめた」
「ちょっと、なの!?」
「いやー、江戸時代なんかは藁人形を神木に打ち付ける女や、姑や亭主が死にますようにって御百度参りする女とかガチでいたんだぜ。それらと比べたら緩いだろ」
「……確かに」
江戸時代、こっわ。それにしても縁結び神社を縁切りに使うなんて。白大蛇様もさぞかし憂いていただろう。
「いや、いい酒供えられてご機嫌だったぜ。願いは叶えなかったけどな」
そうですか。
「そして、ようやく出来上がったと、女がぬいぐるみを抱えて見せにやってきた。ヤバイもの作りやがってと驚愕したぜ。女が愛情いっぱいですと語ったソレは禍々しい念が詰まった呪いの物体だったからな」
「髪の毛と盗聴器入りだもんね」
「女をまじまじ見て、長い髪をバッサリ切ってるなと思った途端、俺の意識はぬいぐるみの中に引き摺り込まれた。それは女の与り知らぬ出来事だ。俺がうっかり髪に思いを馳せてしまって共鳴したのかもしれん」
ほうっとカピバラさんは大きく息を吐いた。
「どうしたものかと考えているうちに、ぬいぐるみは男の手に渡ってしまった。とりあえず盗聴器は俺の念で作動しないようにしたけどまずい。これが手元にある限り男は弱っていくに違いない。女を刺激しないように受け取ってしまった男も途方に暮れていた。
男の徒然な思念を垣間見ていた俺は、そこにセリナを見つけた。龍神の加護持ちの彼女の家なら解呪も可能だ。だからほんの少し男の記憶に干渉して神社の娘を思い出させたんだ」
「そうして首尾よく私のもとにきたわけね」
「そうなんだが、まさか俺の魂のせいでこんな事になるとは」
「うん、まあ、それはもうしょうがないよ」
「生物として動けるようになった俺が、おまえを護る決心をしたのは当然だ」
「ありがとう」
「俺のこの体はグリンハーヴェ製だ。だから瘴気を受けちまうのが実証された。ちと残念だな」
「そっか……。大丈夫。<はじけ石>あげる」
ルーイは反対しないよ。
痛み止め薬を塗布されたカピバラさんが「楽になった。しばらく休む」と告げたので、静かに部屋を出る。
「カピバラさんを助けてくださって、ありがとうございました」
大部屋で皆と一緒に待機していた治癒神官さんに礼を述べた。
「いえ、炎症防止と止血をおこなっただけで、塗り薬は痛み止めの応急処置です。あとは医者に任せるので、容体が落ち着けば急いで帰るようアシュロン隊長に進言しましょう」
それだけ出来れば応急処置の域を超えている気がする。治癒ってすごいな。
巫女やシンナさんたちも一様にカピバラさんの心配をしていて、口々に「よかった」と声をかけてくれた。
治癒神官さんと共に家の外にいるルーイのもとへ行く。彼は森の地図を手に、騎士たちと話し合っていた。治癒神官からカピバラさんの状態の説明を受けたルーイは、ほっと息を漏らすと頷いた。
「カピバラさんの目が覚めたら帰還しましょう」
彼の判断は妥当だろう。大規模な浄化と討伐に伴う一行の疲労度合いも激しいからだ。
方針が決定したその時突然、前方から複数の足音が聞こえてきた。騎士とルーイが反射的に腰の剣の柄を握った。すぐそこまで近づいている。一同に緊張が走った。