幼馴染の彼女
ドレインシュミットまで通常六日かかるのを四日で行くつもりだ。
僕たちはともかく、女の子にはきつい。王家の馬車はクッションがしっかりしているからアシュロン家や神殿の馬車より断然快適だ。有り難く使わせてもらう。
「ルーイには特別餞別」
そう言ってキラ殿下から渡されたのはキラ殿下の金の紋所。
「え!?」
「<シェ=モングルドの森>で、もし帝国側に遭遇した時、おまえじゃ対応しきれない事があるやもしれん」
「ああ、皇太子相手とかですね」
「私代理の権限を与える。しかし揉め事は極力避けるように」
「何かあれば全力で排します」
「おまえ、私の話聞いてた!?」
殿下は呆れたのち、ニヤリと口角を上げると耳元で囁く。
「まあ、惚れた女を守るためなら許す」
僕は黙っていた。
「あれ? 否定しないの?」
「色々と……思うところもあるので」
愉快そうな顔で、キラ殿下は何故かカピバラさんの背をポンポン叩いた。
旅準備が整い、ようやく出発する。
「行ってらっしゃーい! 巫女たち頑張ってねー!」
華やかなキラ殿下の満面の笑みに後押しされた。巫女たちが顔を赤らめつつキラ殿下に頭を下げる。女たらしの本領発揮だな。殿下に慣れているセリナは別に彼に見惚れるでもなく「行ってきまーす」と手を振っていた。
宿泊は野宿という、野営体制にも巫女たちは不満をこぼさない。巫女統括部長が
「実力で選べば二人で良いのですが、強行軍に耐えられる子たち三人を選出しました」と言った。
質より量なのだ。辺境に着くまでに揉め事が起こる可能性を潰したんだ。
「ここだけの話、俺の初遠征で護衛した巫女は食事に文句つけたり、テントの中に虫がいるって大騒ぎしたりで、結構気を遣ったんだよ」
シンナが巫女たちに夕食を配りながら軽口を叩く。僕が遠征に彼を重用するのは、実力もさる事ながら場を和ませるのが上手いからだ。巫女たちの扱いは彼に任せていれば問題ない。
「えー、私も虫がいたら大騒ぎするよー。シンナさん呼んで取ってもらうー」
「セリナ様は“こんなところで眠れません!王都に帰ります!劣悪な環境だったとお父様に訴えますわ!”なんて喚かないでしょ?」
「さすがにそれは無いわね」
「でしょ? アシュロン様が宥めすかして大変だったんですから」
やめろ。思い出させるな。あの令嬢巫女は面倒だった。父親に訴えられても痛くも痒くもないのに荒ぶっていたな。確か彼女は帝国の金持ち貴族に嫁いだんだっけな。彼女がオレーリアの巫女の品格を下げない事を祈っておこう。
巫女も神官も騎士も焚き火を囲んで和気藹々と食事をする。うん、いい感じだ。わがまま巫女はいない。
セリナと巫女は一つのテントで寝てもらう。きゃっきゃと楽しげにテントに入っていった。カピバラさんは気持ちいいのか火のそばでうたた寝している。
「シンナ様ー! 虫はいないみたいでーす」
最年少の巫女、リンがふざけて報告した。
「じゃあ俺が虫になってそっちに行ってもいい?」
やだー、変態ー、などと巫女たちにあしらわれるのも慣れたものだな、シンナ。若干キラ殿下と被ってるぞ。調子がいい男だ。
「やっぱり平民の巫女の方が気疲れしなくていいですね」
今回連れてきたもう一人の守護神官ターナスが僕に耳打ちした。僕に同意を求めるな。同感だが。
「生育が違うのだから仕方ないだろう。確かに本音を言えば今回は令嬢がいなくてよかった。<シェ=モングルドの森>なんて入るのも嫌がるだろうしね」
「そうですね。木の葉が頭に落ちただけで大騒ぎしそうです」
<シェ=モングルドの森>は未踏の地の色合いが強く、馴染みのない大きな昆虫や大型爬虫類や野獣が多種生息している。探索にも時間がかかる。昔から次元が裂けやすいらしく、気をつけないと今回のように知らぬ間に瘴気が蔓延して魔獣が現れる。
ストロングのおじいさまは「帝国との緩衝材になってちょうど良い」と攻めにくさを長所としている。辺境伯であるおじいさまの警戒すべきは帝国だけではない。一枚岩でないジュライン連邦との国境をも護っているのだから大変だ。ドレインシュミットは近隣諸国でも類を見ない城郭都市として発展している。
考えうる最短でドレインシュミット領都に着いた。早速おじいさまの要塞城に登城する。もう夕刻だった。
「守護神官隊長アシュロンです。指揮官として神官庁より派遣されました。よろしくお願いします」
身内と言えど公事だから態度はきちんとしないとね。セリナとカピバラさんに続いて巫女、守護神官、騎士を紹介した。
「ご苦労である。まずは歓迎と英気を養うために、晩餐会を開く」
「有難うございます」
やっとちゃんとした食事と睡眠が出来る。女性陣はゆっくりしてもらおう。
穏やかな食事会の中、僕はおじいさまとおばあさまと近況報告をしあう。
「早めに連絡をして良かった。瘴気は広がりつつある。ここには巫女が一人しかいないから、あまり負担を強いられないのだ」
そう仰る五十代のおじいさまはまだまだ頑健で、連日自ら森に出向いていたらしいが、目の下の隈は隠せず疲労が窺える。
「巫女……シルビア・ヴァケットですよね」
「そうだ。おまえの幼馴染だ」
シルビアは豪農の娘。僕たちと一緒に遊んでいた同い年の子だ。一年前神殿に登録された現在唯一のドレインシュミットの巫女である。
「幼馴染の女の子って……ルーイの初恋?」
会話を聞いていたセリナがこっそり尋ねてきた。
「いいえ、全く! そんな相手じゃありません!」
セリナに誤解されたくなくて思わず大きな声になってしまった。
シルビアは男ばかりで遊んでいる中に時々混ざっていた女の子だった。一緒に野山を駆け回ったりはしなかったけど、僕らが川遊びをしている側で花を摘んだりしている少女だった。仲間内で唯一の女子。可愛らしい容姿だしチヤホヤされていた。
そんな中、僕にだけ手作りの菓子や花冠をくれるので困った思い出の方が多い。彼女に淡い想いを寄せる少年たちが嫌な気になるだろうと、子供心にも反発したものだ。恋は覚えなかったが、女の子が少年の群れにいると諸々めんどくさい事になると十歳にして悟った。
「でも会うのは久し振りでしょ? ちゃんと守ってあげないとね」
セリナは明るい笑顔だ。幼馴染に少しくらい嫉妬してくれればいいのに。
ストロング騎士団から五名の精鋭騎士と、治癒神官が一人、僕らに同行する。護衛神官は僕らで事足りる。地形的にあまり大所帯だと立ち回りがしにくいのだ。
翌朝全員が揃うと辺境伯に激励を受けた。
「ルーイ、久し振り」
「ああ、今日はよろしく頼む」
数年ぶりに会うシルビアは想像通りの美しい娘になっていた。親しげに寄ってくる彼女は懐かしくもあり、僕は笑顔で迎え入れた。中央巫女に気後れさせるのも気の毒だしな。今回連れてきた巫女たちは気が良いけど、地方巫女は本神殿所属巫女に劣等感を持っているらしい。僕の経験則による偏見ではある。
「たった一人でドレインシュミット領を守っているなんてすごいわね」
「はあ……有難うございます」
気安く話しかけるセリナにシルビアは戸惑っている。異世界から呼び寄せた<女神の神子>と紹介しても理解不能なのだろう。王都の女神感謝祭を知らないから仕方ない。
セリナたちを馬車に乗せ、辺境騎士団の先導を受け、僕たちは馬で目的地に向かう。そうして無主地に足を踏み入れた。
女の子にはさぞ気味悪い森だろう。セリナと中央巫女たちは周囲を警戒しながら着いてくる。茂みから大とかげが飛び出してくると「きゃっ!」と悲鳴を上げて身を寄せ合っていた。
前後左右で彼女たちを護衛しているが、慣れないので物音がする度、おっかなびっくりだ。
「シルビア、腕を放せ」
何故か僕にべったりのシルビアに命令する。この地に一番慣れている彼女が今更怯えもないだろう。
「えっ!? あんなに仲が良かったのに」
心底意外そうに目を丸くしているシルビアを睥睨する。
「こどもの時だって、君に過度な接触はやめてくれと伝えていたよ。僕にだけ距離が近いのは他の男子の不興を買っていたのを覚えてない?」
「あんなの、単なる嫉妬じゃない」
僕の左腕を拘束したまま悪びれもせず、くすくす笑うので不愉快だ。
「あれかな……“姫ポジ”だったみたいね。彼女可愛いし」
「どの世界にもいるんだな。平行宇宙的に近似してる世界なのかもな」
「極端な価値観の相違がない世界から召喚するとか女神は言ってたしねえ」
「知的生命体の思考に違和感のないのが大事だろうしな」
すぐ背後でセリナとカピバラさんが囁き合ってるのが聞こえた。彼らの会話は二人で完結することが多い。今も何やら哲学っぽい話をしている。シルビアが“ひめぽじ”ってどういう意味だろう。侮蔑でもなさそうだけど。
「シルビア、剣を抜けない。放してくれ」
「え、あっ! そうよね。私を守れなくなるわよね」
彼女は頬を染めて慌てて僕の腕を解放した。僕は心の中で大きく溜息をつく。
昔からシルビアは僕が彼女の事を、特別大事にしていると思い込んでいた節がある。どうしてかは分からない。近くにいた唯一の女の子だし、貴族として幼いなりに紳士的に接した弊害かもしれない。
「僕は全体を見て指示しないといけないんだ。邪魔しないでくれ」
「……ルーイ、大人になったのね……」
拒絶したのにうっとりと見上げられる。君も同い年だろう! きちんと責任感を持ってもらいたい。
何となく振り返ると生温かい眼差しのセリナと目が合った。その視線の意味は不明だ。とにかくシルビアが初恋なんて誤解は絶対しないでほしい。




