召喚ミスって事ですか?
金曜日の夜、私は大きなぬいぐるみを抱いて、最寄り駅までの道を闊歩していた。
時折刺さる他人の視線が痛い。いい歳した女がぬいぐるみをとか、人目を集めるのは重々承知よ。彼氏にもらったのかなとか、子供にプレゼントかなとか想像してるんでしょ。違うからね! でも道の真ん中でそんな否定できない。
電車の中では開き直って「可愛いでしょ」オーラを振りまいてやったわ。
「長嶺、これやる」
かつての大学のサークル同期の面々との飲み会時、山岸がいきなり大きなぬいぐるみを差し出してきた。来店時に何持ってるのか見えなかったけど、どんな顔してこれを抱えてきたんだ。優男だから似合ってたかもしれないけども!
私たちは高そうなぬいぐるみを貰う仲では断じてない。百歩譲って私の誕生日でもない。誕生日でもこんなサプライズプレゼントいらん。
大きなカピバラのぬいぐるみ……。新しそうだがタグが見当たらない。
ほぼ等身大でモヘア毛糸の肌触りは気持ちいい。
「山岸、これって手作りじゃない?」
恐る恐る尋ねると彼は頷いた。
「この間別れたばかりの元カノがくれた誕プレなんだよ。突き返そうとしたけど無理矢理部屋に置いてかれたものなんだ。俺がペット飼うならカピバラがいいなと冗談で言ったら作りやがった。どうも念がこもっていそうで気味悪いんだ」
「サイッテー! そんな代物、よく他の女に押し付けられるわね!」
そうだそうだもっと言ってやれ桃香。
「これ、材料費も技術も制作時間もすごいわよね。愛あればこそだよ」
その通りだわ、みずき。
「重すぎるっつーか、次の女に失礼だろ。手作り巨大ぬいぐるみ置いとくとか。長嶺、恋人と別れてまだ間もないし寂しいだろ。それで癒されろよ」
「山岸、あんた私にものすごく失礼な事ほざいてる自覚ある? 本音を言え!」
「お前の実家で処分してくれ!」
確かにうちは龍神を祀る歴史だけはある神社だ。お祓いも受けている。でもこれ持って電車乗って里帰りしろってか。ふざけるな!
「頼むよー。お前の飲み代払うから」
「よし、女子たち、デザートを頼もう! 山岸の奢りだよ!」
どさくさに紛れて少し高価なスパークリングワインも注文してやった。思わぬ出費に涙すればいいわ。
こうして半ば酔った勢いで引き取ってしまった。
結局自宅に持ち帰ったカピバラは、見れば見るほど良く出来ている。ぼんやりした顔は製作者納得の仕上がりではあるまいか。仕方ない。縁があった君は今日から同居人だ。
「我が家にようこそ! 狭いところだけど、これからよろしくね」
二人掛け用のソファに座ってぬいぐるみの毛を堪能する。気持ちいい。なんだか眠たくなってきた。
…………
……………………
「来たれ! 僕の元に!!」
うとうとしていたのに、急に頭上で声がしてびっくりして立ち上がる。
「えっ! 一体何事!?」
いきなり白光に全身包まれていて、眩しさに右手の甲で目を覆った。
静寂。
周囲があまりにも静かなので、勇気を出して目を開く。
え……? どこ、ここ?
高い天井。白い大部屋。まるで古代ギリシャ神殿のよう。
ぺたんと座り込んだ私の下には桃色に輝く魔法陣みたいなものがあった。
「貴女は誰ですか?」
背後から男性の声が聞こえて心臓が縮み上がる。勇気を出して振り返ると、そこにはえらいイケメンが居た。柔らかそうな栗色の短髪に、アメジストのように煌めく瞳。文句無しの美形だ。独断のイメージは北欧系?
神殿みたいだから神官かな? 白いローブ着てる。でもローブの中は白い軍服っぽいし腰に剣携えているし、もしかしたら騎士かもしれない。いきなり斬られなくて良かったあ。
「……私、家でうとうとして……」
閃いた。やけにリアルなこれは明晰夢だ! 確か自分の意思で行動できるはず。
「僕が喚んだのは貴女ですか?」
紫の瞳を見開いて呆然とする青年に「さあ?」と答え、こちらも質問する。
「“来たれ、僕の元に”と聞こえました。あれは貴方ですか?」
「あああああああああ!! すみません!! 間違えましたああああ!!」
いきなり美青年は叫ぶと、自分の髪をめちゃくちゃに掻きむしった。
「ダメよ。禿げちゃうわ」
すん、と青年は動きを止めた。
「禿げません」
抜けるのは嫌らしい。
「申し訳ありません! 僕はペットを願ったんです! まさかこんなに綺麗な若い女性が来るとは思わなかった!!」
まあ、もっと褒めてもいいのよ。どうせ私の夢の中なんだから。でもそろそろ目を覚まさないとまずいかもね。うっかり淫夢(18禁)に突入したら、自分の欲望に絶望して秘めたる願望に失望する。どうでもいいけど今、韻を踏んだわ。
「目覚めよ私!!」
誰も見ていないから右の拳を勢いよく天に向けて上げ、大声で叫んでやった。
「…………」
……見てるうう!
厨二全開の仕草を美形が絶句してガン見してるうう!
拳を上げたままの私と、美青年はしばし無言で見つめ合った。
はっと、先に我に返ったのは青年だった。彼が私の両肩に手を置き揺さぶる。
「落ち着いて! 現実逃避しないでください!!」
現実とな? そんなバカな! でもなんて事でしょう。否定の要素が見当たらない。
「言葉が違和感なく通じるのが不思議。ほんやく◯ンニャクを食べた覚えもなし。これが異世界転移ご都合オプションな訳ね」
『私の魔法陣よ? 召喚者が意思疎通に困らないよう、読み書きまで出来る仕様になっているに決まってるじゃない』
突然頭の中に響いた女性のどや声にイラッときた。
「それはご親切にどうもだけど、あなた、どちら様?」
『初めまして。その魔法陣の設計者、愛と慈悲の女神ルリアニーナよ。製作者はその子ね』
挨拶している場合じゃないでしょ。
「召喚者を間違ったの?」
「間違って僕が貴女を召喚してしまったみたいです。いや、女神様のミスかも」
不確定な事らしく、疑問視した青年はオロオロしつつ僅かに首を傾げる。ちょっと可愛いな。
「間違いならとっとと帰して」
「僕では不可能です」
「責任者の女神、出てきなさいよ!」
『ごめーん。まさか女の子が現れるなんてね。間違ってルーイのお嫁さん召喚したのかと思っちゃったー』
能天気な声だ。ノリ軽いな、女神。
「……嫁なんて……まだ早いです。もっと稼げるようになってからです」
真面目そうな青年はルーイさんか。ちらりと私を見てほんのり赤くなったのは、相手が私でもやぶさかではないのかな、んん?
「で、何をすれば帰してもらえるんです? 勇者? それとも、せ・い・じょ?」
選べるならぜひ勇者をやってみたい所存。
「危機的状況にないので必要ありません」
落ち着いた青年は冷淡とも取れる無表情で言い放った。なけなしの色気で<聖女>と言ったのに、無反応はつまんない。でも聖女も勇者も有事には喚ばれる世界なんだな。
「やる事ないならさっさと帰してください」
『今すぐは無理。ってか帰した事ないから時間をちょうだい』
「召喚しっ放し!?」
『元々救世主も聖女もそうじゃない』
「女神様、我々の落ち度です。真面目に考えてください」
『だって今まで生き物を召喚した事なかったもの。ルーイがストレス解消で描いたその魔法陣が美しすぎて、生命体もいける気がしたのよね』
「そんな……僕の作成した魔法陣のせいですか」
『私が召喚時に付けた条件は、環境の乖離がなくて、連れてこられても問題のない、穏やかな野良の生物だったのよ。どうも魔法陣は、その子の抱いてる作り物に生体エネルギーを感じて選んだみたい。でもあまりにも微弱なもんだから、活力あるその子も同一生命体と判断したようね』
女神の言葉にルーイさんが、私が抱いているカピバラのぬいぐるみに視線を移した。この押し付けられ品に微弱な生体エネルギーって意味解らん。それよりさ。
……って事はよ?
私の方がおまけかーい!!
なんたる衝撃の事実!
『理論的には帰せるわ。ただ、どこから連れてきたのかの位置特定に時間がかかるの。帰還時にはタイムラグが少ないようにするから、それまでこのグリンハーヴェ星のオレーリア神王国生活を楽しめばいいわ』
「はあ……」
仕方ないなあ。なるようにしかならないか。
ため息をつく私の手から、ルーイさんがひょいとぬいぐるみを取り上げた。
「なるほど、見た事もない生物。愛嬌のある顔をしていますね」
「よくできているのよ。ほぼ実物大」
「貴女の名前を教えてくれますか。僕はルーイ・ラム・アシュロンです。ルーイと呼んでください」
「私は長嶺聖理奈。セリナが名前よ」
「セリーナ様ですね」
西洋風ぽくって違和感ありまくりなんだが。
「セ・リ・ナよ。呼び捨てでいいわ。同い年くらいでしょ」
「そのくらいだと思います。おいくつですか」
「二十三歳よ」
「えっ!?」
「何よ。いくつだと思ったの?」
「……僕は十六歳です」
「えっ?」
高二の弟の和樹と変わんないじゃない。背が高いしがっちりしているし思慮深そうだし、てっきり二十二、三だと思ったわ。言われてみれば肌も張りがあって瑞々しい。ん? 待って。ルーイには私が十六くらいに見えたって事? さすがにそれは、ねえ……。
「まだ少年だったのね」
「成人の十六歳になったばかりですが、もう一人前ですよ」
ルーイは不服そうだ。なんかごめん。ちゃんと働いているんだよね。私の方が社会人としての経験値が低いよね、多分。
「貴女を一人にはさせません。どうか頼ってください」
はううっ! ルーイ・ラム・アシュロン、十六歳。男前すぎない?
「ねえ、どうして異界のペットが欲しかったの?」
そもそもそこが元凶だろう。ルーイは考える素振りを見せた。「なんとなく」なんて答えたらおねーさん怒るよ。
「明後日から三日間、年に一度の女神ルリアニーナ様感謝祭があります」
おーっと、これは前振りで長くなりそうだ。いいよ、ちゃんと聞いてあげる。
「僕は成人と同時に空席だった守護神官隊長の座に就任しました。ちょうど感謝祭の準備にかかる時期と重なってしまい、神官庁本部は不慣れな僕に丸投げ、大神殿長は年齢的に力仕事ができない。守護神官副隊長や治癒神官隊長は協力しない。一般神官や見習いは若い僕をナメてかかる!」
やっぱり神官か。知らない固有名詞は役職名だな。今はスルーだ。つまり若い中間管理職の苦悩ってところか。やっぱり禿げそうだわ。
「お陰で今日まで調整する羽目になったんですよ! ここ二ヶ月、ストレスで暴れたくなるのを抑えるために、女神様直伝の召喚魔法陣<ルリアニーナの恩恵>を描いていたんです。セリナが現れたその魔法陣ですよ。一度使うと魔法陣は消えてしまうのが残念です。満点に近い出来栄えでした。緻密な作業は心が落ち着きます」
般若心経書くみたいな効果なのかな。
「せっかくの出来映えの魔法陣なので、女神様が何か召喚しようと言ってくださって、生物も喚べそうと聞いて、誰も連れていない珍しいペットを望んだんです。若い女性をペットとして飼う趣味はありません。女神様に誓って!」
うん、そこははっきりと否定しとかないとね。変態神官って言われちゃう。
「把握した! ストレスのあまり自棄になって、うっかり召喚を試みちゃったのね!」
「僕の話を纏めたら、そうなっちゃうんですか……」
ルーイはがっくりと肩を落とした。
しばらく静かだった女神が話しかけてきた。
『ところでそのぬいぐるみ、なんだか生き物の反応と、それを覆う別の気配もするわね。貴女の持ち物じゃないでしょう?』
「はい、訳ありで、私のところに来ました」
素朴な見掛けと裏腹に、ねっとりとした執念を感じるのよね。
『ルーイ、ちょっとぬいぐるみのお腹を開けてみて』
「生体反応があるのにですか? なんて残酷な。僕、棄教しそうです」
『必要だから言ってんのよ! この唐変木!』
辛辣だな女神。ルーイは貴女の信奉者でしょうに。
「セリナ、この方の名前、なんですか」
「な、名前? んーと、カピバラ?」
種属名でいいわ。
「カピバラ様、失礼します」
様付け? 帯刀していたから剣を使うのかと思いきや、ルーイは懐から小刀を取り出し、丁寧に腹の縫い目を切っていく。
「痛くないですか」
喋れないと思うの。ぬいぐるみを生命として扱って腹を裂く神官。とんでもなくシュールだ。
ルーイが腹の中に異物を認め、黒く丸い物を取り出した。
「うわっ! なんですかこれ!?」
『長い黒髪の塊ね』
「僕は入っている理由を聞いているんです!」
『まじない物でしょうね』
「まだ何かありますよ」
ルーイがずるりと引き出したのは長方形の黒い物体。これは間違いない。
「盗聴器……」
「トウチョウキ?」
不思議そうに聞き返したルーイは更に中を探る。
「もう無いですね。随分カピバラ様の中身が減ってしまいました。わたじゃないですね」
「そうね、ポリエステルね。でも足すのならなんでもいいんじゃない」
「祭り用で購入した余った綿花があります。僕、取ってきます!」
私は走っていくルーイの後ろ姿を見送る。
『どの世界でも女性の粘着って怖いわねえ』
女性だけじゃないですよ。男でも女でも、メンヘラに関わってはいけない。
わたを入れた籠を持ってルーイが戻ってきた。彼は手際良くぬいぐるみの中に詰めると、一緒に持ってきた針と糸で、器用に腹を縫い合わせた。
「へえ、慣れてるのね」
感心すると「見習い時代は繕い物も自分でしないといけませんでしたから」とはにかんだ。
『ルーイ、それら呪物だからちゃんと処理してね』
「分かりました」
彼は無造作に、わたの入っていた空籠に髪と盗聴器を放り込んだ。
『さて、セリナ。その子を浄化してあげて』
「ええ? どうやって?」
『その子は貴女に助けてもらいたくて、貴女の手に渡ったみたいよ。抱きしめて貴女の神に、呪いを祓ってほしいとお願いすればいいんじゃないかしら』
そうなのかな。龍神祝詞くらい覚えておけばよかった。
この子は望んで呪具に成り下がったんじゃない。
……龍神様、どうか穢れを祓ってください。
カピバラがぼんやりと金色に輝いた。
「あー、やっと動けるぜ!」
「きゃああ!!」
腕の中の存在がモゾモゾ動いて声を発したから、驚いて放り投げてしまった。
見事な二回宙返りをして、ヤツは華麗に着地した。