缶コーヒーを書く
ふと思い立ち、風呂上がりに外に出て、歩いて十秒の場所にある自販機へと向かう。
この季節にサンダルで、とも思ったが、風呂の余熱があるおかげか寒さはあまり感じなかった。
暗闇の中で威光を放つ自動販売機。
最下段には温かい缶コーヒーがずらりと並ぶ。
豆が良い。無糖である、微糖である。
特にこだわりはないが、周りより十円だけ高価なものがあったので、それを選ぶことにした。
電子マネーを近づけて、ピピッという音と共にガコンと転がり落ちてくる。
200グラムに満たないそれは、手の平にすっぽりと収まってしまう。
両手で包み込んでも、想像していたほどには熱々ではなかった。
タブを引いて蓋を開け、ちびちびと飲み込むと……なまあまい。
苦みのような味覚をほとんど感じないのは、私が歳をとってしまったからなのだろうか。
微糖と書かれたそれは私にとって十分な糖分で、でも確かにコーヒー由来の風味は感じることができる。
少なくともこんな深夜に飲むのなら、これぐらいの柔らかさがちょうど良いのかもしれない。
構造的な問題もあって、グビグビと飲むことはできないが、それでもあっという間に飲み干してしまった。
割合で言うと、腹二分目も良いところ。
たった千文字にも満たない文章でさえ、書き切ることができない。そんな物足りなさがある。
空になったスチール缶に描かれた、顔の良い知らない人が、得意げに見つめてくるのは
「どうだ、美味かっただろ」
と言っているようで。それに私はなんと答えたものか、言葉を失いただ文字を綴る。
百数十円を払って買ったそれは、時間にして五分にも満たない甘苦い幸福を与えてくれた。
飲み干され、商品価値を消費しきった空き缶が一つ、テーブルの上で存在感を放っている。
もしかしたら缶コーヒーの本質は、飲み終えたあとのスチール缶の、重量と高級感を感じさせる質感と、そこに潜む虚無感なのかもしれない。