無職の死に方
生きる理由もなく、死ぬ理由もない。
楽に死ねるなら、死ぬだろう。
だけど、苦しんで死ぬのは嫌だ。
仕方ないので、生きている。
自分で死ぬ勇気がないのだ。
だから、だらだらと生きる人生。
そんな状況にも、もう飽きて来た。
本当に死ぬべきなんだろう。
今日も布団の中で、じっとしている。
何日くらい経っただろうか。
尿意や便意すらしない。
何も口にしていないからだ。
食欲はあるが、食べるものが無い。
何か食べるものがあれば、こんな死にたくならなかっただろうか。
食料が無くなったのが先か、それとも死にたくなったのが先か。
この国でも、尊厳死みたいなのがあれば良いのに。
他にやることが無いので、端末で安楽死、尊厳死について調べてみる。
海外では、割と受け入れられている国もあった。
宗教や文化、風習みたいなものが、そうさせているんだろう。
明文化され、言語化されているもの、されていないものの含めて。
自分のいる国では、認められていない。
こんな下らない人生なのだから、せめてもと安らかな死を願うことは、そんなに悪いことだろうか。
生き甲斐なんて見つからなかった。
それらしきものがあったこともある。
が、うまくいかない。
続けていても、どうせ、うまくいかないに決まっていた。
しかし、腹が減った。
死に方として、餓死は、悲惨な方だと聞いたことがある。
何か食うために、生活保護を受けた方がマシなのだろうけど。
無職だが、そんな施し受けるかと、無意味な反抗心みたいなものがある。
無駄なプライドなんだと思う。
きっと受けた方が正解なんだろう。
生活保護を受けて、お金をもらって何がなんでも、生きていた方が、良い人生だとされている。
だから、自分は不正解だ。
でも、例えば、極端な話、核戦争後の世界、ゾンビに溢れた世界。
その世界で、何が何でも生きて行きたいと思うだろうか。
生きるのは、ある種の本能だろうけど。
どこかで、線を引いた方がいい。
これ以上の状態になったら、死ぬと。
その線は個人で引いて良いと思う。
現世での生を終わりにしたい。
現世なんて言ったが、来世なんてないし、前世もない。
その方が、ありがたい。
あったら、たまらない。
どうせまた、同じような、人生を歩むだけなのだから。
もう少ししたら、全てが止まる。
電気、水道、ガス、端末、俺。
何か食料を口にしたとしても、そんなの少し延命するだけだ。
今、断ち切った方が、よっぽど健全で懸命な人生だと、胸を張って言える。
金さえあれば、生きていこうとは思う。
そう、金さえあれば、生きて行ける。
ここはそういう世界だ。
金さえ。