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6、フェリシアの目覚めるとき

 オベリスは、増水した川に流されたフェリシアを助けにカナヅチ橋から飛びこんだ。そんなオベリスの救援に向かったランドは、時間差洪水の12メートルの波がカナヅチ橋に迫りつつあるのを知った。


 もはや、一刻も猶予はない。


 ランドはロープの束を岩壁の足もとに下ろし、ロープを結んだ矢を射た。魔法で増強しておいた矢が、40メートルのロープの重さをものともせず、金色の光りのすじとなって飛んでいく。


 フェリシアをかかえて川に流されるオベリスの目の前に、ランドの放った矢は狙いあやまたず着水した。


「その命綱を腕に巻きつけるんだ」ランドは声をはりあげた。


 その指示にしたがったオベリスとランドのあいだで、ぴんとロープが張られた。氾濫しつつある川の流れは強い。ランドは両手に力をこめてふんばるが、ずるずると岩壁のふちに引きずられていく。こらえきれなくなった、つぎの瞬間――。


 岩の頑丈な手がロープをつかんだ。ふりかえると、ゴーラの頼もしい顔があった。


 同時に、カナヅチ橋におそいかかった洪水の波が、ランドの目にはいった。欄干にあがったしぶきのなかに、オベリスの見合い相手のポーラと、灰色のローブの従者の姿がのまれて消えた。


 灰色にあわだつ濁流が橋を乗りこえ、岩壁にあふれだしてきた。あっと思ったとたん、ランドは、押しよせる水流にのみこまれていた。


 ランドは流されまいとロープにしがみつく。同じ命綱をつかんだゴーラが錨の代わりになった。あふれた水流にほんろうされ、ランドの体は上になり、下になりながら、ごろんごろんと押しながされていく。


 ランドの体の側面がかたいものにあたり、動きが止まった。のばした足が路面にふれる。ランドは水上に顔を出し、激しく酸素をもとめた。


 息をととのえたランドは、あっと目を見開いた。


 岸はなくなり、茶色くにごった水が一面に広がっていた。ランドの腰のあたりまで浸水している。川からあふれだした水が、都市の路地と路地のあいだに流れこんでいる。洪水の波は通りすぎたようだ。


 ランドは、倉庫のレンガ壁によりかかっていた。水上の隣には、重しとなって流されるのを防いでくれたゴーラの愛嬌のある顔があった。


 ランドはハッと気づいて、命綱のロープを引いた。


 路地の入り口をへだてた先で反応があった。つながれたロープを腕に巻きつけたオベリスが、水につかった商館の玄関ポーチからその手をあげた。もう一方の腕には、フェリシアの体をかかえている。


「みんな、大丈夫だった? 探しまわったんだからね」


 空中に避難していたチビットが飛んできた。ぶーんと水上を旋回してから、濡れたコケの生えたゴーラの頭に着地した。


 ランドとゴーラは、腰まで浸水したなかを進んで、オベリスと合流した。フェリシアの伯父のシモンはどうなったのか。彼の無事を願うしかない。


 ランドは、商館の玄関ポーチから、川の水におおわれた光景を見渡した。


 樽や木箱、材木などが水面をただよっている。倉庫の壁ぎわに、被害をまぬがれた市民が肩を寄せあっている。水上にのぞいている欄干で、カナヅチ川のあった場所がうかがい知れた。橋の上にいたポーラと、彼女の従者の姿は見当たらない。助からなかったに違いない。


 このまま水が引くのをまったほうがよさそうだとランドは判断した。


 そのとき――。


『オベリス、オベリス』と女性の声がした。


 ランドは反射的にあたりを見まわし、その視線をフェリシアに向けた。意識をうしなったままのフェリシアは、濡れた亜麻色の髪を頬にはりつかせ、オベリスの胸にぐったりとその身をあずけている。


「フェリシアの声だ」オベリスが声をあげた。


 フェリシア、フェリシア、とオベリスが婚約者の肩をゆすぶった。フェリシアは目を閉じたまま、なんの反応も返してこなかった。


『オベリス、わたしは、わたしの体のなかにはいません。わたしは、あなたのなかにいます。あなたの体内でずっと眠りつづけていたんです』


 なんだって、とランドはオベリスと顔を見あわせた。


 何日もかけて探していたフェリシアの魂は、オベリスの体のなかに眠っていた。こんな身近にあったなんて、ランドは思いもよらなかった。


 フェリシアは、崖くずれに巻きこまれた事故で意識をうしなったと話しだした。


『気づくとわたしは、ひっくりかえった荷馬車を上空から見下ろしていました。御者台のそばには、オベリスがあおむけに倒れています。わたしは、オベリスが死んでしまったのでは、と彼の体に急降下しました』


 オベリスの顔は死人のように蒼白だったという。フェリシアは、オベリスの頬にふれようとしたが、その手は彼の顔をすりぬけるばかりだった。オベリスを助けおこすことも、その肩をゆすぶることもできなかった。


 逆さになった御者席の下からは、フェリシアの上半身がのぞいていた。


『わたしは死んでしまったんだと絶望しました。すりぬけてしまうオベリスの胸に身をしずめて、わたしは泣きました。すると、オベリスの心臓の音が聞こえてきたんです。オベリスは生きている。彼だけは助けたい。このまま放置していたら、彼は死んでしまうかもしれない』


 いつしか、オベリスの鼓動はフェリシアのそれになっていた。フェリシアの魂がオベリスの体にとけこみ、彼と一体となっていたのだ。


『わたしは、オベリスの目をゆっくり開きました。くずれた崖の土砂は、土手の下にまで達していました。あたりには大小の岩が転がっていました。地すべりがまた起きるかもしれない。オベリスを安全な場所に運ばないと、早く治療を受けさせないと、そうあせりました』


 フェリシアは、伯父のシモンの水車小屋が近くにあると思いあたった。


『わたしは体を起こそうとしましたが、まるで力がはいりません。片腕がわずかに動きました。わたしは大地をつかみ、震える腕で押して体を反転させました。うつぶせになると、両手で上半身をもちあげ、ひざを引きよせました。わたしは全身の力をふりしぼって立ちあがったんです』


 フェリシアは、オベリスの肉体をあやつるのは困難をきわめたという。ふらふらとおぼつかない足どりの1歩が、いつもの10歩にも感じられた。なじみの水車小屋がはるか遠くの異国にあるように思えたという。


『小屋にたどりついたときには、オベリスの体を動かす疲労のあまり、意識がもうろうとしていました。ドアを開けた伯父に、崖くずれに巻きこまれたことと、その現場を伝えるのがせいいっぱいでした』


 シモンが名前をたずねているようだったので、『フェリシア、フェリシア……』とくりかえしながら、意識の底にしずんでいった。それからずっとオベリスのなかで深い眠りについていたという。


 ランドは、災害にあったオベリスが誰の助けもなく、誰の道案内もなく、水車小屋にたどりつけたのを不審に思っていた。その両方の役割をフェリシアがつとめていたんだと納得した。


 すねのあたりまで水が引くと、ランドの一行はポーラの屋敷に引きかえしだした。ポーラの被災を家族に知らせないとけない。


 道ゆく街路は洪水で泥だらけになっていた。泥の堆積のなかには、石や材木、布で梱包された商品、家財道具などが混じっている。軒下には、途方にくれた多くの市民が立ちつくしている。


 建物の外階段に荷車がひっくりかえっていた。ランドは、湿ったわらを見つけてきて、それを荷台にしき、フェリシアの体を横たえた。ゴーラがその荷車をひき、ランドとオベリスは、泥にまみれた街路を歩きだす。


「あんたら、無事だったのか」


 外階段の降り口の屋根から、シモンが顔をのぞかせていた。シモンは、あふれた水にさらわれてこの階段に引っかかり、屋根の上に避難したという。カナヅチ川はシモンの庭みたいなものだという彼の水泳自慢は、口だけじゃなかったようだ。


 ランドは、ポーラの屋敷に戻る道すがら、フェリシアの霊魂に関する事情をシモンに話した。シモンはパっと表情を明るくしたかと思うと、すぐ考えぶかげな顔つきになった。


 フェリシアの魂は見つかったが、その心と体はばらばらのままだ。霊媒師のゲールは、オベリスからフェリシアの体へ、彼女の心を移せるだろうか。ランドには、はなはだ疑問だった。


 ポーラの屋敷に着くと、フェリシアの乗った荷車はいったん中庭に運んだ。知らせをうけてまっさきに中庭に出てきたのは、オベリスの父親のロドリーだった。ロドリーがその腕のなかに息子をかきいだいた。


 厳しい父親のロドリーだが、オベリスの安否をずいぶん心配していたのだろう。


 屋敷の主のオドリゲスが中庭にあらわれた。そのうしろに続くポーラとローブの従者の姿にランドはおどろいた。2人とも無事だったんだ。ポーラの目は、荷車のフェリシアをじっと見つめていた。


 ぶーんと飛んできたチビットが、ランドの耳にささやいた。


「あの従者のじいさんは高レベルの魔術師よ。カナヅチ橋の欄干に洪水がおそいかかったとき、2人は瞬間移動(テレポーテーション)の魔法で緊急避難していたの」


 ポーラの従者は、彼女のボディガードでもあるようだ。


「オドリゲスさん」オベリスが館の主に向きなおった。「うしなわれていたフェリシアの心を見つけることができました」


 オベリスが、フェリシアが自分を助けてくれた事情を話した。


 オドリゲスもポーラも、その話を信じていない様子だった。


『本当なんです』フェリシアの声がひびいた。


 ロドリーがハッとなった。彼はフェリシアの声を知っているのだろう。


『わたしがどうしてオベリスの体に入ってしまったのか、どうしたら自分の体に戻れるのかはわかりません。いまでは、わたしとオベリスの心はひとつの肉体にやどっているんです』


 その場の全員の目が、荷車の上のフェリシアに向いた。


「ですから」とオベリスが引きつぐ。「せっかくの厚意の申し出ですが、このたびのポーラさんとの縁談はお断りさせていただきます。申し訳ございません」


 オベリスが深ぶかと頭を下げた。


 オベリスは、オドリゲスとポーラの反応が見られないようだ。頭をたれたまま背中を向けると、芝を踏みしめて歩きだした。


 オベリスが、ゴーラが梶棒を握る荷車にかがみこんだ。フェリシアの胸に組んだ片手を握りしめる。ロドリーがオベリスの肩に手をおいた。ふりかえった息子に、父親が無言でうなずいていた。


 ロドリーは、オベリスを必死で助けようとしたフェリシアの心にうたれたのだろう。なにも語らないが、父が息子を許したとランドにはわかった。


 そのとき、突きささるような視線を感じた。


 そこには、眉をつりあげ、唇を引きむすんだ、ポーラの憎悪の表情があった。その美しい顔をぷいっとそむけると、ボディガードの老魔術師を引きつれて、屋敷のなかに足早に入っていった。


 ランドの一行はそのままアベロンの都市をあとにした。ランドが先にたち、そのあとにロドリーとオベリスの父子が続き、チビットを頭にのせたゴーラがしんがりで、フェリシアの乗る荷車を引いている。


 カナヅチ川の上流に連なる山脈のふちが、日没の茜色にそまりはじめていた。ランドたちの行き先は、オベリスとフェリシアの住居のあるミルリバー村だ。たどりつくころには夜になっているだろう。


 ランドは、ミルリバーのオベリスの自宅で遅い夕食をいただいた。


 オベリスの体内でフェリシアの魂が目覚めると、彼女の体のほうにも変化があらわれた。水や流動食を口に運ぶと、それらがのどを通るようになった。これで体の衰弱はふせげる。それ以外の自発的な反応はないままだった。


 夜が明けると、霊媒師のゲールを水車小屋に迎えにいった。ゲールの霊能力で、フェリシアの心を、彼女の肉体に戻せるか試してみるのだ。


 オベリスの自宅のベッドにフェリシアが寝かされた。その隣にしいた寝わらにオベリスも横たわっている。フェリシアとオベリスのあいだにかがんだゲールが2人の胸に手をそえ、目を閉じて神経を集中させた。


 ランド、ゴーラ、チビット、シモン、それにオベリスの父のロドリーが、ゲールの術のなりゆきを見守っている。


 オベリスの胸においたゲールの手がほのかに輝きだした。ゲールの顔がしかめられ、しわのよった額が汗にぬれる。光りがオベリスの上半身に広がっていき、ふいに――ぷしゅう、と消えてしまった。


「なによ。どうしたのよ。霊魂の移転は成功したの?」


 口をあんぐり開けているゲールの頭上を、チビットがぶんぶん旋回する。


「失敗した。フェリシアとオベリスの魂は完全に一体になっておる」


「なによ。あんたは世界一の霊媒師じゃないの」


「いまではアベロン1だ。そんなわしでも生者の霊魂は取りだせん。それができたら霊媒師じゃなく死神だ。わしが呼びだせるのは死者の魂だけだ」


「いまさら、なに言ってんのよ。最後まで責任もって仕事をしなさいよ」


 チビットがゲールの頭上を飛びまわって文句を言った。


「できんものはできん。まあ、あきらめてくれ」


 ランドは、霊能者のジョンがフェリシアを川に投げこんだ狙いについて考えていた。『――死神にはむかうとは身のほど知らずもいいところだ』とジョンは言っていた。


 あの霊能者は本当に死神なのか。ジョンが、増水した川を渡って水車小屋を訪問したとき、彼の衣服は濡れていなかった。死神なら、水上を歩けたかもしれない。この件に、死の審判者がかかわっているとしたら、その目的はひとつだ。


「フェリシアさんは」ランドは口をひらいた。「乗っていた荷馬車が崖くずれにあい、その災害で生と死のさかいをさまよう状態になった。彼女の魂が肉体を離れたのはそのためなんじゃないかな」


 そのとおりだとゲールが賛成した。


「肉体からさまよいでた霊魂を死神に刈られると、その人間は死んでしまうんだ」


「けれど、フェリシアさんの霊魂はオベリスさんに乗りうつっていた。そのために、死神は彼女の魂を取りそこねたんじゃないか」


「そうよ」チビットが同意した。「死神のやつ、そんな不始末をおかしたもんだから、霊能者のふりで取りかえしに来たのよ」


 ランドはうなずいた。


「オベリスの体内に、目的の霊魂が眠っていると死神は気づいた。そこで、時間差洪水でオベリスさんを生と死のさかいに追いこみ、肉体から抜けだした2人の魂を同時に刈りとるつもりだったんだよ」


「けどなんだな」ゴーラが疑問をはさんだ。「死神が、オベリスさんじゃなく、フェリシアさんの体のほうを水中に投げこんだのはどうしてなんだな」


「そうすれば、オベリスさんがフェリシアさんを助けるため川に飛びこむとふんだんじゃないかな。彼に自殺行為を仕向けさせたんだよ」


「まどろっこしいわねえ」とチビット。「氾濫した川に、直接、オベリスさんを突きおとせば、それですむ話じゃない」


「死神だからといって好きかってに人の命をうばえたら、人類は滅んでしまうよ。死神には、生物の生死をわけるルールがあるんだろう」


「ふーん」チビットはふにおちていないようだ。


 いずれにしろ、死神のくわだては失敗した。フェリシアの霊魂はいまだにオベリスの体内にある。死神はふたたび魂を取りかえしにくるはずだ。その前に、フェリシアの心と体をひとつにしないと――。


 ランドには、その方策はひとつしか思いつかなかった。


「つまり」とシモンが口をひらいた。「オベリスの体内からフェリシアの魂を分離させるには、オベリスを死にひんさせないといけないのか」


「そうです。オベリスさんを死のせとぎわで助け、彼の体から抜けだしたフェリシアさんの魂を、死神より先に、彼女の肉体に戻さなければいけません」


 うーん、とその場の全員が考えこんでしまった。


「じゃあ、オベリスさんに自殺未遂をはかってもらったら」


 チビットが無責任な提案をした。


「そんなにうまくいくもんか」ランドはそくざに反対した。「未遂にならなかったらどうするんだ。死神の思うつぼじゃないか」


「もういいんです」


 オベリスが、寝わらから上半身を起こしていた。


「本当にもういいんです。ぼくとフェリシアは結婚を約束していました。フェリシアの心と肉体が別べつになっても、その誓いに変わりありません。いまや、ぼくとフェリシアの心はひとつになっています。ぼくはこのまま彼女を自分の妻にむかえようと決めました」


「オベリス」ロドリーが重い口をひらいた。「フェリシアさんは深い眠りから目覚めたが、自分の体を動かすことはできない。おまえが一生、彼女の食事や身のまわりの世話しなければならないんだぞ」


「かまいません。ぼくの妻なんだから」


 ベッドの上のフェリシアの白い頬を、ひとしずくの涙が伝いおちた。


「これでいいんだ」オベリスが新妻の手をしっかりと握りしめた。


 わかったとロドリーがうなずいた。


「おまえにその覚悟があるなら好きにしろ。おまえの人生だからな。オドリゲスさんには、おれからきちんと話しておく」


「オベリス」シモンがオベリスの手を握った。「ありがとう。きみにはなんてお礼を言ったらいいか。言葉もないくらいだ」


「お礼なんかいいんです。それより、ぼくとフェリシアの結婚式を挙げたい。村の司祭さんの前で、結婚の誓いをたてたいんだ」


『オベリス、こんな状態のわたしでもかまわないの?』


 オベリスが立ちあがり、ベッドの上のフェリシアに顔を向けた。


「フェリシアにはすでにプロポーズをして、きみの承諾をえているじゃないか」


「そうと決まれば、さっそく村の神殿で式を挙げよう。いいだろ、シモン」


 ロドリーに同意をもとめられ、「もちろんだとも」とシモンがこたえた。


「オベリスさん、フェリシアさん、おめでとう」


 チビットが天井をぶんぶん飛びまわった。


「おめでとうなんだな」ゴーラが岩の手を叩いて鳴らす。


 ベッドをかこんだ全員に祝いの拍手がひろがり、ランドもそれにくわわった。胸におくから、じんと熱いものがこみあげてくるのをおぼえた。


 オベリスとフェリシアの結婚式は明日の正午に行なわれると決まった。式のあと披露宴をもよおし、村の人びとに酒やご馳走をふるまう。その準備がすぐに始まった。ランドの一行も式に参加する予定だ。


 翌日の正午前に、ロドリーの家の戸口が開き、新郎新婦が姿を見せた。


 オベリスと並んで、シモンの押す車椅子にフェリシアが腰かけている。この車椅子はシモンがこしらえたもので、荷車の梶棒を外し、木製の背もたれをつけて、なかにわらをしいてあった。


 オベリスは、長袖のチュニックに、刺繍をほどこしたサーコートをまとい、車椅子の背もたれに片手をあずけている。


 フェリシアは、薄いベールでおおった茶色の髪を額でふたつにわけ、両肩から胸の前にたらしている。白いドレスの胸もとに花柄の刺繍をあしらい、金糸で織られた帯をまく。ゆったりと幾重にもひだの折られたスカートの膝には、ふた枝の白いユリをのせている。


 オベリスと、シモンの押すフェリシアの車椅子が村の寺院に出発した。そのあとを、オベリスの両親、パン焼き職人のフェリシアの両親、そしてゲールと続く。ランド、ゴーラ、チビットも行列のうしろについた。


 ランドは複合弓(コンポジットボウ)を装備し、ゴーラは戦槌(ウォーハンマー)をかついでいる。死神がいつまたフェリシアの霊魂を奪おうとするかわからない。婚礼には不似合いな、ものものしいい格好だが、それも仕方ない。


 寺院の前の広場には、多くの村人が遠巻きに集まっていた。オベリスとフェリシアの婚礼は、地主のオドリゲスの手前があるので、近親者だけで行なう予定だった。噂を聞きつけた村人が声をかけあったのだろう。


 寺院の戸口の石段に、白い法衣の50年配の司祭があらわれた。車椅子の花嫁に司祭がおどろいていないのは事情を知っているからだろう。式はその場で、村人に公開のもと行なわれる。


 司祭の合図で、オベリスが自分の指の指輪を外す。フェリシアの左手をとり、彼女の薬指にそれを通した。つぎに、フェリシアがはめていた指輪を外し、自分の薬指につけかえた。


 指輪の交換が終わると、司祭が満足気にうなずいた。オベリスが誓いの言葉をのべる。フェリシアの声が、参列者の頭のなかで復唱する。司祭のおごそかな声が、神の御名によって2人の結婚を宣言した。



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