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3、双子の霊魂の誘い

 灰色がかった石柱が無数にそびえる鍾乳洞の岩だなに、死神のジョンは退屈した様子で腰かけていた。青い光りをはなつ石筍のあいだには、姿形のぼんやりとした30人くらいの男女がすわっている。


 石が流れているような鍾乳石の壁の前で、死神の男性教官が立って講義をしている。教官は、見かけの年齢は20代半ば、白い肌に、やけに赤い唇、額でわけた黒髪を、黒いマントの背中までのばしている。


「わたしたちが回収する霊魂には3種類あります。それはホワイト、グレー、ブラックの3つです。ホワイトの魂は、死ぬ予定にありません。ブラックは死が確定していますが、その回収の割りあてが決められています。つまり、いかにグレーを獲得できるかで、死神の成績は決まるのです」


 わかりきったことを、とジョンはうんざりしていた。死神歴20年の自分が初心者講習をうけるはめになるとは、情けなくてしかたない。つくづく自分はこの職業に向いていないと痛感した。


 落石で首がもげてから2週間がたった。


 川を流されたジョンの首は、川の大きな湾曲部にできた淵にとどまり、そこをくるくる回っているところを、自分の体に救出された。


 崖くずれの現場に戻ったころには、空は茜色にたそがれていた。横倒しになった荷馬車のそばに1頭の馬車馬が死んでいた。御者台の男女の姿はなかった。誰かが病院に運んだのだろう。その女のほうと、女の子宮内の双子の霊魂が、ジョンが回収を割りあてられたものだった。


 回収予定のブラックの霊魂のうち、荷馬車の上を迷っていた2つはつかまえた。残りのひとつは、ついに見つけられなかった。その不始末で、ジョンはいま初心者講習を受けさせられているのだ。


「では、3種類の霊魂の見分けかたですが」と講習は続いている。


 魂はそれぞれの属する色にかがやいてみえるのだという。


「灰色の光りを発している霊魂は、死ぬかもしれないし、死なないかもしれません。その魂をいかに手にいれるかが、わたしたちの腕の見せどころです」


 この鍾乳洞に集められているのは死神の候補生だ。さまざまな事情で亡くなった霊のなかから、見こみのある霊魂が選ばれている。


「ジョンさん」教官の注意がとんだ。「さっきからずっと首をかしげていますね。質問があるんですか。それとも、この講習が不満なんですか」


「不満なんてありません。落石にあたって首がもげてしまいましてね。(にかわ)でくっつけたんですが、どうも首のすわりが悪いとそんなしだいなんです」


「崖の崩落で命を落とす霊魂をかりとるはずだったのに、そのあなたが崖くずれに巻きこまれ、割りあてのブラックを刈りそこねたそうですね」


「ええ」この場で言わなくてもいいのに、とジョンは恥じいった。


「では、ジョーイさんに、レーミアさん」


 教官に呼ばれて、二卵性双生児の男女がハッと顔をあげた。この双子の霊魂は、崖くずれ現場の馬車の上で迷っていたのをジョンがつかまえた。見かけは1歳児だが、実際は胎児の魂が実体化したものだ。


「おふたりは、ベテランのジョンさんについて、死神の勉強をしてください」


 ジョンさん、と教官の冷たい視線が向けられた。


「あなたは候補生の2人と、とりこぼした霊魂を探しにいってもらいます。もしその魂を回収できなかった場合は、あなたは首です」


「くび!」膠がはがれ、ジョンの首がぽろりと自分の膝の上に転がった。


                  *


 ランドとゴーラとチビットは、クラブ〈トナカイ〉に捕われていた霊媒師ゲールの救出に成功した。チビットの不可視の魔法(インビジブルサイト)の効果がきれると、依頼人の風車小屋に戻る道すがら、ゲールに事情を説明した。


「なるほど。姪のフェリシアがそんな不幸にあっていたとは知らなかった。ここは、わしの霊能力の見せどころだな」


「霊能力はいいんだな。いいかげんに降りてほしいんだな」


 ゲールをおんぶしたままのゴーラが不平をこぼした。


「有名な霊媒師を御輿にかついでおる名誉をよろこべ。赤鼻のおふくろの霊魂を現世につなぎつづけるのに、わしは疲れはてておるんだ」


 ゲールが霊魂を現世につなぎとめていた?


「それじゃあ」とランドは疑問を口にする。「ゲールさんが、霊魂を現世にひきとめていなければ、呼びだした魂はあの世に戻ってしまうんですか」


「そうだ。わしの精神力が、あの世とこの世のかけはしになっておるんだ」


 ゲールは、宝石を持ち逃げしたトンゴの霊魂を呼びだし、そのありかを聞きだすために捕われた。その役目が終われば消されると予測したゲールは、トンゴの代わりに、赤鼻の首領の母親の霊を呼びだしたという。


 けれど、とランドは思う。


 盗賊団の首領が母親に頭があがらないと、どうしてゲールは知ったのか。首領が自分の弱みをうちあけるはずがない。呼びだす霊をゲールが間違えたんじゃないのか。そんな疑念がランドの胸中にきざした。


「だったら」と、ゴーラの頭にのるチビットがゲールに話しかける。「フェリシアさんの魂を目覚めさせても、この世とのかけはしがなくなったら、また深い眠りにおちいってしまうんじゃない?」


「そうはならん。フェリシアは死んでいないのだろう。まだ現世にある霊魂なら、目覚めさえすれば、そのままこの世にとどまるはずだ」


 ランドはそう願いたいところだ。まずは、ゲールがフェリシアの魂を目覚めさせることができるかどうかだ。


 依頼人のシモンの水車小屋に到着するころには、水車の回転する水面に、夕日をうつしたオレンジ色のさざなみがたっていた。


 シモンはゲールの無事をよろこび、兄弟はかたく抱きあった。勘当された兄とシモンの再会は5年ぶりだという。


 シモンがゲールを案内し、フェリシアの眠る屋根裏部屋にあがった。ランド、ゴーラ、チビットもそのあとに続いた。


 たそがれの窓辺には、ベッドのそばに膝をつくオベリスがいた。フェリシアの婚約者は、ランドが出ていってからずっとその姿勢のままでいたように見えた。


 うなだれるオベリスの肩に、シモンがごつい手をかけた。


「もう心配はいらん。どんな霊魂でも呼びさませる、霊媒師のゲールを呼んできた。フェリシアはきっと目覚める」


「本当ですか」オベリスの表情にはうたがいの色があった。フェリシアが昏睡状態におちいって2週間がたつ。なかばあきらめているのだろう。


「まかせておけ」ゲールがうすい胸をそびやかした。「わしはアベロンで最高の、いや、世界で最高の霊媒師とほまれが高いのだ」


 確かに、クラブ〈トナカイ〉の怪奇現象はゲールの名声を高めているだろう。


「これは降霊の触媒です。盗賊団の手下が集めていました」


 ランドは、とかげや虫のうごめく革袋をゲールに差しだした。


「そんなものはいらん。降霊に必要なのは、わしの偉大な精神力のみだ。触媒と称し採集させていたのは、おふくろの霊を早く霊界に返せとせっつく赤鼻の首領に対する時間かせぎにすぎん」


 なんだ、とランドは拍子抜けがした。


 精神集中の邪魔になると、ゲールがその場の全員をベッドから遠ざけた。フェリシアのなにもうつっていない両目に、ゲールの骨ばった指がかかげられる。霊媒師が眉間にしわを寄せて瞑目し、精神を集中させる。


 フェリシアのかけふとんの腹部がほんのり明るみ、しだいに七色の光りにきらめきだした。霊魂をこの世とつなぐ架けはしがかかったのか。ランドは息をころして、降霊のなりゆきを見守った。


 光りがまるみをおび、フェリシアの体から、ふわりとまいあがった。その球体のなかに、亜麻のポンチョに包まれた幼児が膝をかかえている。身長は60センチほどか。1歳児くらいに見える。


 あれがフェリシアの魂なのか、とランドはいぶかった。


 光りにつつまれた幼児が、梁の近くでくるりと反転し、逆さまの顔を下に向ける。男の子だ。その顔が、にやりと笑った。


 ランドが、あっと思うまもなく、はじけるように幼児は消えた。


 ゲールが目を見開き、口をあんぐり開けている。霊媒師が予期していた霊魂とは別のものがあらわれた――そんな顔つきだ。


「また間違った魂を呼びだしたんじゃないのか」


 ランドは、ベッドのそばに立ちつくすゲールにつめよった。


「また、とはなんだ」ゲールが反論する。「わしは霊能力を身につけてからこのかた、間違いをおかしたことはないぞ」


 しかし、にやりと笑ったあの幼児がフェリシアの霊魂だとは信じられない。フェリシアは妊娠していて、事故で流産したと聞いていた。


「あれは、フェリシアさんの胎児の魂じゃないんですか」


「ジョーイだったんだ」オベリスが声をあげた。生まれたのが男の子なら、そう名付けようと決めていたらしい。


「そうかもしれん」ゲールがあっさり認めた。「だが、わしが失敗したんじゃないぞ。フェリシアの体内に彼女の霊魂は存在しない。もぬけのからだ。いかに偉大な霊媒師であっても、ない魂は呼びだせん」


「あの幼児の魂を出現させたのは、あなたじゃないんですか」


「断じて違う。あれは勝手にあらわれたんだ」


「では、フェリシアさんの魂はどこにあるんですか」


「わしは知らん。崖くずれの現場のどこかをいまだに迷っているんだろう。わしの力は、あの世とこの世の橋わたしをするものだ。この世で行方不明になった霊魂を捜索するのは、わしの仕事じゃない」


「フェリシアさんの魂が見つかれば、それを彼女の体内に戻せるんですか」


「わしならできる。それで姪は覚醒するはずだ」


 フェリシアは、自分の霊魂をうしなって昏睡状態におちいっていたのだ。それではいくらまっても目覚めるわけがなかった。


「……フェリシアはもぬけのから」


 オベリスがつぶやき、おぼつかない足どりで屋根裏部屋をおりていった。


 日没の日差しが床にのびる、天井の低い屋根裏は重苦しい沈黙につつまれた。シモンが難しい表情で腕をくみ、ゲールがわれ関せずといったふうに痩身をそびやかす。ゴーラと、その頭上のチビットが目を見交わしている。


「ランドくん」シモンが重い口をひらいた。「こんどはフェリシアの魂の捜索を頼めないだろうか」


 その言葉をまっていた。ランドはシモンの依頼を受けた。


「フェリシアさんの体力を維持する魔法の効果はあとどれくらいもちますか」


「あと4日だ。それが切れれば、フェリシアの体は衰弱していくだけだ。魔法を延長する費用が出せるかどうかは難しい」


 あと4日か。時間は限られていた。ランドは任務の難しさを意識した。


 その日、ランドとゴーラとチビットはシモンの水車小屋に泊まった。ゲールは、弟の仕事場にしばらく滞在するという。アベロンに戻れば、母親の霊から解放された赤鼻の盗賊団が待ちかまえているのだ。


 翌朝、ランドは、水車小屋の居間で食事をすませると、ゴーラとチビットとともに、フェリシアの霊魂の捜索にとりかかる準備をした。まずは、崖くずれのあった場所をあたるつもりだ。


 隣の仕事場では、水車の歯車が稼働し、石臼が回転する音がひびいている。シモンが粉にまみれて、小麦をひいていた。領主の雇用人のシモンは仕事があるので、事故現場までの案内はオベリスに頼んだ。


 ゲールは「この世でさまよう霊魂の捜索はわしの役目ではない」とくりかえし、屋根裏部屋で静養している。


 ランドとゴーラとチビットは水車小屋を出発して、川ぞいの湿地を進んだ。先にたつオベリスの顔色はすぐれない。あと4日でフェリシアの霊魂を見つけられるとは信じていないのだろう。


 水柳の繁茂する林をぬけると、かなづち川の本流とぶつかった。膝上あたりまでの緩やかな流れを対岸に渡る。草のまばらな低い土手をあがって街道に出た。崖くずれの現場までは20分ほどの距離だという。


「崖くずれのあった場所に、フェリシアさんの魂はまだいるのかしら」


 ランドのうしろを歩く、ゴーラと、その頭上のチビットが話している。


「わからないんだな。災害からもう2週間がたっているんだな」


 ゴーラの発言に、ランドとならんだオベリスの足どりがおもくなったようだ。


「事故現場に強い思いをのこして亡くなった霊が、その場に自縛するケースもあるじゃない。あんがい、くずれた土砂の近くにとどまっているかもね」


「チビット」たまりかねたランドはふりかえった。「フェリシアさんは死んでいないんだ。不吉な話はするなよ」


 ランドは、落胆のあらわなオベリスの肩を力づよくつかんだ。


「大丈夫です。あなたの婚約者の魂はかならず見つけてみせます」


 うしなわれたフェリシアの霊魂が災害の現場で見つかるとはかぎらない。けれど、いまはそれしか足ががりはないんだ。


 街道は、崖からくずれおちた土砂と岩で完全にふさがれていた。堆積物の高さは8メートルほどか。三角形にえぐれた崖の中腹が、茶色の地肌をむきだしにしている。土手をくだった土砂は川岸の近くまで達していた。


 オベリスが土手から川を見下ろして体を震わせている。災害にまきこまれたときの記憶がよみがえったのだろうか。


「なにか思いだしましたか」とランドはきいた。


「いえ」とオベリスが力なく首をふった。


 駆け落ちの途上、荷馬車がゆるいカーブを曲がったとき、地面が上下に大きくゆれ、前方の崖が地すべりを起こしたという。あばれる馬を制御できなくなり、荷馬車は崩落現場に突進した。土煙でとざされた視界のなかで、土砂のながれる音と、岩の落下する音が鳴りひびいた。


「そのとき、御者席の反対側からものすごい衝撃がきました。荷馬車は土手に転落し、上になり、下になり、天地の感覚がわからなくなりました。ぼくは御者台から横ざまになげだされたんです」


 オベリスは、崖くずれに遭遇した恐怖と、水車小屋に助けをもとめた疲労とで、事故にあってからの記憶をうしなったと話した。


「あれ、あの子」チビットが声をあげた。


 街道にうずたかく積もった土砂のなかほどに、虹色にかがやく幼児が膝をかかえて浮かんでいる。フェリシアの腹部から出現した男児だ。


「おれの母さんの魂に会いたいんだろ。だったらついてきなよ」


 1歳児が、その年齢にそぐわない口調で誘った。


 光りかがやく幼児が、堆積物の山のなかに吸いこまれるように消えた。そこに残った七色の光りがひろがり、間口1メートル、高さ1メートル半ほどの、ほら穴のような開口部に変わった。


 地すべりで生じた堆積物の内部に、フェリシアの霊魂がうずもれているというのか。ランドは、にわかに信じられない気持ちだった。


「やっぱり、フェリシアさんの魂は事故現場に自縛していたのよ」


 チビットが、ゴーラの頭のうえで勝ちほこった。


「あの幼児は、『おれの母さんの魂』って言ったんだな。崖くずれに巻きこまれて流産した胎児の霊魂に違いないんだな」


 ランドは同意した。「その胎児の霊魂が、瀕死の母親の体からぬけだした魂の行方を知っていてもおかくしくない」


「やっぱり、ぼくの息子になるはずだったジョーイなんですね」


 オベリスが、どうしたらいいのか、と問いかけの視線を向けてくる。


「ジョーイの誘いにのってみましょう。あとはなりゆきしだいです」


 ランドは、堆積物にうがたれた七色のほら穴に向かった。屋根裏の梁にうかんで、にやりと笑ったジョーイの態度が気にはなったけれど。


 ランドは身をかがめて、光りかがやくほら穴にふみこんだ。


 そこは、土砂や岩の積みかさなった内部とは思えなかった。さまざまな色彩の光りがうずまき、たえず変化している。赤、橙、黄、緑、青、藍、紫と色合いが変わったり、まざりあったり、分裂したりする。その色彩の空間がとれほどの広さなのかは把握できなかった。


 めくるめく光りの洪水に、ゴーラとチビット、それにオベリスが見とれている。ジョーイの姿はみとめられなかった。


 そのとき、七色の光りの先に、黒いりんかくがあらわれた。それがひとつの形をなしていく。馬のシルエットがさおだちになり、低くいなないた。そこに出現したのは、4頭の青馬にひかれた漆黒の天蓋付き高級馬車だった。


 ランドは一行にうなずき、前方で待つ馬車に近づいた。


 御者席で手綱をとるのはジョーイだった。ひろい額に、さらりとした亜麻色の髪をたらし、鼻にそばかすがちっている。いたずらっ子のような目でふりかえると、


「うしろに乗りなよ。フェリシアのいるところに案内するからさ」


 まずはなりゆきにまかせよう。ランドは、わかったとうなずいた。


 オベリスにつづいて、ゴーラとチビットが馬車に乗りこんだ。前後二列になった客席は頑丈そうで、ゴーラの岩の体にもびくともしなかった。


 ジョーイがむちをふるい、漆黒の馬車は駆けだした。


「馬車どろぼう」ランドのするどい耳に罵声を聞いたような気がした。


 虹色の色彩ががうずまく空間を、ジョーイの御する馬車はひた走る。どこを進んでいるのか見当もつかない。いや、ここは地すべりの堆積物のなかではないのか。車輪に伝わる地面の震動だけが現実のものだ。


「おい、いったいどこに連れていくつもりだ?」


 ランドは御者台に身をのりだした。ジョーイにのばした手が、その体をすりぬける。肩ごしに、ジョーイがにやりと笑った。


「フェリシアのいるべき場所だよ。あの女の魂はまだ手にいれてないけど、それも時間の問題だね。もうすぐだよ。もうすぐ」


 そのとき、ジョーイの隣に、同じ年頃の幼女の顔があらわれた。あっ、とランドはしりぞいた。亜麻色の長い髪に、そばかすのちった鼻、双子のようにジョーイにそっくりだ。その幼女が切迫した表情でうったえる。


「早く、馬車からおりて。そうしないと、みんな、死んじゃう」


「うるさい。レーミア、よけいなことを言うな」


 ジョーイが、レーミアと呼んだ幼女の長い髪を引っぱった。


「ジョーイ、やめてよ」レーミアがあらがい、2人の幼児がせまい御者台でもつれあう。両者の体がくるりと回転すると、はじけるように消えた。


 とたんに色彩の渦がかき消えて、視界が開けた。


 ランドは目をうたがった。ひた走る4頭は青馬ではなく、ありふれた鹿毛馬だった。乗車しているのは高級馬車の客車ではなかった。天蓋のない、全長3メートルの頑丈な荷台だ。石材運搬用の荷馬車なのだろう。


 荷馬車は崖っぷちの道を走っていた。前方に大きなカーブが迫っている。このままの速度では曲がりきれない。


 ランドはすぐさま御者台に飛びうつった。上下にはねあがる手綱をとり、上半身の力をこめて引く。馬の足なみが乱れ、速度がゆるくなった。いきおいのついた荷馬車は止まらない。ハーネスにつながれた馬も、馬車の長柄におされていやおうなく進む。崖道のカーブが迫ってきた。


 ランドは手綱をあやつり、馬を旋回させた。荷台が大きくふられ、がたん、と御者台がななめになって急停止する。「うへっ」岩の倒れる音がした。


 どうした? ランドはふりかえった。


 後方にかたむいた荷台にゴーラが尻をつき、オベリスが頭をかかえてうずくまっている。後輪のひとつが崖のふちを超えていた。ゴーラの重みで、馬車が崖下に引きずられだした。うき足だった馬がおびえいななく。


「ゴーラ、こっちに来い。御者台に飛びうつるんだ」


 ランドは片腕をのばした。あわてて這いよったゴーラの岩の手をつかむ。「せーの」ゴーラが跳ぶと同時に、その腕を引いた。


 がくん、とゴーラの飛びのった御者台が水平になった。荷台のうしろ半分が崖から飛びだし、空をきる後輪がむなしく回転している。


 ランドは、ほっと安堵の汗をぬぐった。空中に避難していたチビットが、ぶーんとゴーラの頭の上にまいもどってきた。


「馬車どろぼう」崖道を曲がって、4人の男が駆けてくる。ランドは、馬車が色彩の空間を走りだすときに聞いた声を思いだした。


 この石材運搬用の荷馬車は、採石場に向かう途中、崖くずれで寸断された道路で立ち往生していたのかもしれない。ジョーイがどのようにしてか、その馬車を手にいれ、ランドたちを幻惑しようとした。


 いずれにしろ、泥棒に間違われたくない。ランドはオベリスをうながして荷馬車をおりた。ゴーラが御者台からおりようとして、もたついている。そこに馬車の持ち主の4人が追いついた。


「さあ、つかまえたぞ。岩みたいな姿をしやがって、あやしいやつだ」


「うへっ、おいらは馬車どろぼうじゃないんだな」


 ゴーラがおりたとたん、荷馬車が崖下にかたむいた。4頭の馬を引きずって、馬車がじりじり動きだす。


「大変だ」男の1人が車輪止めをかける。残り3人で転落をさけようとかかりきりになった。


 ランドは威嚇射撃でかまえた弓をおろした。ゴーラが地響きをたてて追いつき、ランド、チビット、オベリスは崖ぞいの道を立ちさった。



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