(13項)魔術のある営み
「すげぇ……、なんか魔法世界っぽい……」
勇者一行は術師街ハザラを訪れていた。ここはある程度魔法が使える人々が訪れる交易都市として近年急速に発展した街。昔は人が住めないアネクメネだったが、魔術師なら定住できることが分かった結果、移動に都合の良い位相だったため魔術師の溜まり場になり、その流れで街として開発された経緯がある。
王都コロンからは人々の勇者排斥運動によって転出を余儀なくされたが、この街にその傾向はなかった。「あの変化は恐らく魔法の素質が低い人にのみ作用する広域魔術によるものだと思います」とシノは推測していた。ただし腫れ物に触るような対応が多く、居心地の悪さをユウキは感じていた。
勇者一行に直接コンタクトを取る魔術師は少なく、大多数は遠まきに観察していた。戦闘狂人トゥルゥ以外は名の知れた魔術師ではないが、それが逆に不気味だったのだろう。他魔術師の反応に気を配っていたユウキは若干の疲れを感じていたが、それを吹き飛ばす興奮がこの街にはあった。
魔法が生活の一部に組み込まれていた。
実はこれまでユウキの体験していた生活は、あまり元の世界と変わっていなかった。大体の行動は手動で行われ、移動も徒歩移動。料理や睡眠は少し魔法らしさがあったが、正直拍子抜けだった。
しかし魔法都市ハザラでは違った。戦闘時にみたような大仰な魔法は使われていないが、何もないところから物を取り出しての交流が普通に行われていた。お店も商品を陳列するのではなく虚空に映像を表示し欲しいものがあったら対価を支払い商品を実体化させる。人の集まる中心地では空を飛ぶ人こそいなかったが壁を歩いての往来があった。
実際ユウキ達も壁を歩いて宿に向かった。ある一定以上の高度から壁を歩けるらしい。建物の外壁も歩かれることを前提に簡素で装飾が殆どない外見だったが、建物を直視するとその建物の情報が流れ込んでくるため区別に不便はなかった。中には豪華絢爛な外装の建物もあったが、あれは魔法による実態のない飾りのようで歩く時は平らの壁のように感じられる。街を横から見ているのに重力は普段と変わらない感覚に慣れず、慣れる前に宿に着いた。
街についてからの流れで宿の選定はシノに一任されていたが、この街の宿を営む商会は1つしかなく選択肢がないらしくカインもトゥルゥもシノの選択に従っている。宿らしき建物の外壁に立ち、シノが「チェックイン」というと建物に吸い込まれるように落下した。
落下した先は簡素な壁と机がある無人の部屋。不思議なことに先ほどまで横向きで歩いていたのに、そこから落ちたこの部屋では正しく床に立っていた。シノが机の上のメモに何かを記すと(当然魔法による自動筆記だった)、今度はその部屋の外装が変化し、5人掛けの机がある、そこそこの広さのリビングルーム然とした部屋に変化した。
「一旦部屋に入り身支度をしましょう。1時間後にまたここに集まるということで。ユウキへの説明は私が行います」
シノの言葉を聞いてカインやトゥルゥは壁の方に歩き出す。手をかざすことで出現した扉にそれぞれが入って姿を消した。彼らにとってこの宿は驚くべきことではないらしい。
「なんかさっきから圧倒されているんだが、この宿はずっとこんな感じなのか?」
「はい。この街では<イナーシア>という魔術商会が宿を全て管理しており、全てがこのような作りです。<イナーシア>の管理する建物は街に点在していますが緻密な転移術によりどこから入っても同じ固有位相に招かれ、位相の作りから他の客との接触は不可能です」
「すげぇ……、なんか魔法世界っぽい……」
冒頭のセリフはここだ。シノは捕捉する。
「王都コロンは魔法に疎い人も多く、このような生活形態とするのは難しいため魔法にあまり依らない生活が基本です。あったとしても個人レベルでのもので大々的なものはありませんでしたが、ここは魔術街ハザラ。魔術師を想定した街の作りになっているため魔力による高水準な機能が用意されています」
シノが手を払うと部屋の内装や家具が一新される。シノ曰く、あらかじめ登録されているレイアウトなら自由に変え放題らしい。魔力を使えば好みの内装にもできるそうだ。
「水とか出たりするの?」
「湯浴び用のレイアウトなら体を流すための水が無償で提供されます。飲料水や食べ物は各人が準備できるはずなので用意されていませんし、トイレもありません。ここを訪れる魔術師にはその水準の魔法力が求められます」
「なんだっけ?リカイ……とかハカイ……とかのあれ?」
「離界域と端界域ですね。一応端界域未満の魔力でも旅の宿として機能はしますが、この街を拠点にするなら端界域相当の魔力は必要です」
魔術師の魔法の実力を測る指標として離界域と端界域という言葉がある。離界域に属する魔術師は生命活動の維持を自身の魔力回復で完全に補完できるレベルの魔力を有し、水や食料を魔法で補いながら一人で老衰するまで生きることが可能のため人間社会から隔絶された存在となる。端界域は完全な自立は不可能だがある程度なら人間社会から外れても生活できる程度の魔力を持つ魔術師を指す。
魔力を修める人間は沢山いるが端界域になるのは一つの目標であり、端界者となれば有力者として名の知れた存在となる。離界域まで極められる人間はさらに希少で、建国したり隠居したり遊び惚けたり各人思い思いの余生を過ごしている。そして離界者の中でさらに限られた人物は神として世界の維持の役目を担っていた。
「こんな便利な魔法をサービスとして受けられるのはすごいな。お金って……そういや意識してなかったけど通貨ってあるのか?」
「魔術師同士で意味のある価値交換媒体はありますよ。ちなみにここでも払いましたが、払ったのは子どもの小遣いにも満たない雀の涙ほどの対価です。……ユウキの世界の価値観では……10円程度でしょうか?」
「え?一人10円?」
「4人で10円ですね。<イナーシア>の魔法は離界者によって開発、保守、運用されており、彼女にとっての価値とは魔術の研鑽でしかありません。無料にすると色々不都合なので形式上は対価が設定されていますが、その値に意味はないそうです」
絶句しているユウキに対し、シノが補足する。
「魔術師の最高峰である離界者は生命活動の不安がないため特殊な価値観を持つことが多いです。魔法の研鑽を至上目的とする人もいますし、お金儲けのゲームを楽しむ人もいますし、ただ寝ているだけのものもいます。この宿はそのような離界者の気まぐれの上に成り立っている数奇な宿になります」
「昔の貴族のような感じだな……」
昔は奴隷制によって生活の心配をせずとも生活できる特権階級が存在していた。生産活動から解放され人生の大半を好きに使えた彼らの一部は世界を解き明かす学問に没頭するようになる。学問の追求は基本的に今日を生きるために必要ないため、生産量の乏しかった前時代では学問は貴族の娯楽の一面が大きかった。学術的に重要な要素の発見者が階級の高い人物ばかりなのはそのためである。
「でもその割に魔法の理論ってあまり広まってないような……。魔術の発生だって根性論的な説明しかされてないし」
「それは神代の大変革によって世界の則が変わってしまうからでございます。勇者様」
唐突に表れた声。驚いて声の先を見ると喪服の女性がこちらを見ていた。
すでにシノによる攻撃が行われていたが、全てすり抜けた。何もなかったかのようにお辞儀と共に言葉を続ける。
「初めまして勇者様。私はシャルミーユ。深淵覗団が1人で魔王の側近を務めております。本日は対話のために馳せ参じました」
そうして、その部屋は戦場となった。